第450話 『沙汰と黒幕』

 慶応四年九月六日(1868年10月21日)

 新選組の屯所で、土方は取り調べを続けていた。

 しかしいっこうに進展はない。

 一方には京都見廻みまわり組の隊士たち、もう一方には長州藩士たちがいる。

「我らは何もしておらぬ。祝い酒の帰りに歩いていただけだ。角を曲がった途端、いきなり斬りかかられたのだ」

 長州藩士の1人が同じ言葉を繰り返している。他の者たちの証言とも一致していた。

 ところが見廻組の言い分も変わらない。

「嘘をつけ! 貴様らの仲間が料亭で我らを挑発して斬りつけて逃げたのだ。そのすぐ後に現れた貴様らが関わり無いはずが無い!」

 腕に包帯を巻いた隊士が吐き捨てると、『そうだそうだ』と声が上がった。

 両方が全く正反対の言い分で、噛み合わない。


 問題は、目撃された長州藩士の風体をした2人組にあった。

 土方は配下を料亭『升屋』に送り込み、聞き込みをさせている。その結果、店の者や客の証言では、最初に騒ぎを起こしたのは長州なまりの2人組だった。

 しかし、その素性に繋がる手がかりはない。長州藩邸に問い合わせても、該当する藩士は存在しないとの返答だった。
 
「水掛け論か」

 土方はつぶやいたが物的な証拠はなく、あるのは双方の敵意に満ちた証言だけだった。

 脳裏には昨夜の主君・松平容保の言葉『軽挙妄動は慎む』がよみがえる。


 ■大村藩邸

 昼過ぎ、次郎は密偵組織からの報告書に目を通していた。

 純顕が傍らに座っている。

「つまり、手がかりは一切無しか」

 報告書には助三郎配下が独自に集めた情報が記されていた。

 料亭の事件と、前回の会津藩兵糧蔵の放火である。2つの現場周辺では見慣れない動きをする者たちの存在が証言されていたが、正体は不明だった。

「中納言様(慶喜)と会津様(容保)には、改めて構えて(慎重な)調べ(捜査)を願うと伝えておいた」

 純顕が重い口調で言った。

「真相を解き明かす事こそが肝要。拙速な判を下すは、更なる混乱を招くだけである。次郎、お主の考えも同じであろう」

「はっ。火種がくすぶる今、最も避けねばならぬのは、憶測による断罪。民の不安を取り除くには、揺るぎない事実をもって示すしか道はありません」

 次郎の脳裏には1人の男の顔が浮かんでいた。

 今回の事件と兵糧蔵の火災。

 都合よく起きる騒乱の裏に、その男の影を感じる。だが、これも確証のない推測に過ぎない。今は情報網に犯人がかかるのを待つしかなかった。


 料亭での刃傷沙汰から1か月が過ぎたが、事態はいっこうに進展しなかった。

『長州藩士風の2人組』の行方は知れず、捜査は完全に暗礁に乗り上げている状態である。

 その間にも京の治安は日々乱れていった。

 些細な理由で武士同士がにらみ合い、小競り合いに発展する事件が後を絶たない。

 とばっちりを防ぐために夜の営業を止める店も増え始め、市民は息を潜め、夜の往来から人影は消えた。


「いったい、守護職様は何やってはるんや」

「また長州の仕業やおへんか」

「いや、長州かどうかもわからしまへん。この前は彦根家中から国抜けした浪士が騒ぎを起こしたそうどす」


 人々の声は厳しくなり、その矛先は会津藩、ひいては幕府全体へと向かっていた。

 統治の権威は日に日に衰退し、慶喜と容保は統治者として決断しなければならなくなったのである。


 ■慶応四年十月上旬

 二条城の大広間で評定が開かれた。

 新選組の屯所でも守護職の屋敷でもなく、二条城の大広間で行われた評定は、単なる裁きではない。

 京都守護職が1か月間かけても真相究明ができず、司法権威が失墜した今、慶喜は自らの統治権威で失敗を上書きしようとしたのだ。

 そうすれば政治的権威を再構築できる。

 公の場で京の秩序を再建して自身の権威を盤石にするのが真の目的であり、裁判ではなく政治そのものであった。


 貴族院の議員(大名)が集まっているが、慶喜も容保も憔悴しょうすいを隠している。

 長い沈黙を破ったのは慶喜だった。

「各々方もご存知の通り、一月もの間詮議を尽くし申したが真相は未だやぶの中。誠に遺憾にございます。然りながら、京の安寧をこれ以上脅かすわけにはいきませぬ。ゆえに市中の混乱を鎮め幕府の威を示すため、ここに断を下したいかと存じます」

 慶喜はまず、見廻組への沙汰を言い渡した。

此度こたびの騒ぎ、その発端を作った京都見廻組の罪は重い。よって、主犯格の隊士二名には切腹を命じ、上役である与頭の佐々木只三郎には監督不行き届きの責を問い、更迭と蟄居ちっきょを命じる」

 その内容は身内に厳しい公平無私な裁定に聞こえた。議員たちはわずかに安心した様子を見せる。

 しかし、その安堵あんどは慶喜が次に向けた視線によって凍りついた。

 彼の目は長州藩主・毛利敬親に向いていたのである。

「毛利殿」

 沈黙の中、慶喜は言葉を続ける。

「ご覧の通り、幕府は幕府の責めを果たした。京の秩序を乱した罪は、双方にある。長州もまた、これと同様に然るべき者が責めを負わねば、市井の民も、そしてここにいる方々も得心なされますまい。如何いかがかな?」

 慶喜の論理は一分の隙もない。

 彼は『周布を切れ』とは一言も言っていないのだ。ただの天秤てんびんを示しただけである。

 一方の皿には『切腹を命じられた見廻組の隊士』と『更迭された上司』が乗っている。もう一方の空の皿にも釣り合うだけの重さを持つ『生贄いけにえ』を乗せろ、と無言で要求しているのだ。


「お待ちくだされ、中納言様」

 純顕が発言した。

 張り詰めた空気が一瞬和らいだかに見えたが、文字通り一瞬であった。

「もとより守護職の沙汰に異を唱えるつもりは毛頭ございませぬが、事が事ゆえに、構えて調べ(慎重な捜査)をお願いしておりました。今少し調べを尽くしては如何かと存じます。拙速な沙汰はかえって世を乱しかねませぬゆえ」

 慶喜はまたかと顔をしかめたが、彼にしてみればすでに司法の裁きではない。

 どちらが正しいかを決める場ではなくなっていたのだ。

 乱れた秩序を回復する『政治』の場であり、『力の均衡』こそが正義となる。

「なるほど。では伺おう。三月でござろうか、それとも半年? よもや一年などとは仰せになるまいな」

「……」

 すでに現時点で打つ手なしの状態なのだ。

 これ以上事態が好転せず、いたずらに時間ばかりが過ぎていけば、守護職はおろか、幕府の威信は地に落ちてしまう。

 どんな形にせよ、決着をつけるべき時期にきていたのだ。

 さすがの純顕も答えられない。


 然るべき者が誰なのか。

 藩士か藩主か、それとも重臣か。その選択権を相手に委ねれば、慶喜は自ら手を下さずとも、相手に最も過酷な選択を強制できる。

 もし長州が軽い罰で済ませようとすれば、『幕府への反逆』と断罪する大義名分が立つ。もし重い罰を受け入れれば、自壊する。

 いずれにしても慶喜の政治的勝利は揺るがない。これこそが、慶喜の考える統治の術であった。

 敬親は黙して語らなかったが、血の気が引いていくのがわかった。

 唇がかすかに震え、言葉にならない。

 慶喜の言葉の意味と冷たい意図を、誰よりも正確に理解してしまったからだ。


 その夜の長州藩邸は、葬儀を思わせる静けさと絶望に包まれていた。

「中納言様は、『同様の責任』と仰せだ……」

 敬親の絞り出した声が、部屋に重く響く。

「『同様』とは、刃傷沙汰の当人である者共の切腹を意味するのか!」

「まさか上役の久坂殿?」

「馬鹿を言え! 久坂殿に罪はない! あれは罠だ!」

「ならば、殿が隠居なされるとでも! ? それこそ幕府の思うつぼではないか!」

 どうやっても長州藩が政治的に打撃を受ける事は明白だった。慶喜は、長州藩に自ら破滅への道を選ばせようとしているのだ。

 重苦しい沈黙を破ったのは、周布政之助である。

 彼は静かに敬親の前に進み出て、深く頭を下げた。

「殿、もはや道は一つしかございません。思えばあの時、無理をしてでも彼の者らを止めておれば、斯様かような仕儀にはならなかったでしょう」

 その声は驚くほど穏やかで、澄んでいた。

「幕臣の処罰と釣り合うのは、京における家中の者の長たる某。この命一つで、殿と長州の未来が守られるのであれば、これに勝る本懐はございません」

 周布は、自らの切腹を願い出た。

「どうか某の命を、幕府に示す最後の誠としてお使いください」

「ならぬ」

 敬親は低い声で言った。

「政之助、そなたを死なせるわけにはいかぬ。わしが今一度掛け合う」

「殿、無駄でございます。道は他にございません」

 周布は静かに首を横に振った。

 敬親はそれ以上何も言えず、しばらくの沈黙の後顔を伏せる。その肩が、かすかに震えていた。


 周布政之助の切腹は、3日後の10月9日、藩邸にて粛々と執り行われた。


 全ての執行が終わった知らせは、即日慶喜の元に届けられた。

 見廻組隊士の処分はすでに済んでいる。

 その時――。

 居室のふすまが力強く開かれた。

 そこに立っていたのは純顕と次郎である。背後では大村藩兵が2人の男を縄で引き据えていた。

「間に合わなかったか……」

 次郎の痛恨をにじませたつぶやきが静寂の中に響いた。その声は、その場にいた全員の胸に突き刺さる。

 騒然となる中、純顕は慶喜の前に進み出た。そして捕縛された2人組を指し示す。

「ここにいる者たちが、料亭『升屋』にて見廻組を挑発した二人組にございます。加えて、先の会津藩兵糧蔵放火事件の犯人でもあります」

 淡々とした、しかし有無を言わせぬ響きを持った声だった。

「これは……なにゆえ貴殿らが犯人を……」

「然様な事は些事にございましょう!」

 ボヤ騒ぎの後、大村藩は藩邸の警備とあわせて秘密裏に捜査していたのである。

 普段は温厚な純顕の、一かつであった。

 新選組と見廻組の総力をあげての捜査でも発見できなかった犯人がここにいる。

 それに加えて捜査情報を守護職と共有していない。

 実績で負け、自らの判断が間違いであった事実に慶喜は激しく動揺した。

 表情には気まずさと焦りの色が浮かんだが、それも一瞬である。

 即座に深呼吸で表情を消し、冷徹な為政者の仮面を被り直した。

 そして、静かに、次郎に向かって言った。

「見事な手並みにござるな、丹後守殿。流石としか言いようが無い。然れど統治とは、時に非情な決断を要する。下した沙汰は、あくまで『市中を騒がせた罪』に対するもの。事実は変わらぬ」

 その言葉に、同席していた容保は唇を噛み締めた。

 正道を踏み外し、結果として無実の者を死に追いやった。その事実は彼の心を深く苛み、決して消えない傷として刻まれたのだ。

 だが、長州藩にとってそんな理屈はどうでもよかった。

 彼らにとっての事実は、ただ一つ。


 無実の罪をなすりつけられ、敬愛する重臣が自ら腹を切らざるを得ない状況に追い込まれた。


 この取り返しのつかない悲劇は、彼らの怒りを消えない憎悪に変えた。

 彼らの心の中で、復讐の炎が静かに、しかし激しく燃え上がり始めたのである。


 次回予告 第451話 (仮)『偽りの同盟』

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