第445話 『第一回貴族院と事件』

 慶応四年八月下旬(1868年10月) 京・小松帯刀たてわき

 庭に落ちる影が、ゆっくりと西へ傾き始めていた。

 帯刀は大久保利通が去った後、数日間にわたって一人部屋に籠もって考え込んでいる。

 大久保が示した策は暗闇を照らす希望の光にも見えれば、底知れぬ泥沼への誘いにも思えた。

 大村藩の『日本公論会』に乗り込み、その船を乗っ取って討幕へ向かう。

 理論上これほど巧妙な手はない。
 
 しかし、この策には最大の障壁が存在する。国父である島津久光の存在だ。


 あのお方が、大村藩の傘下に入る体裁を受け入れるだろうか。

 否、決して許すまい。




 たとえそれが一時的な方便であり、最終的な実利は薩摩にあるのだと説いたところで、久光の誇りがそれを良しとしないであろうことは、疑う余地もなかった。

「下につくとじゃごぜもはん。利用すっとでごわす」

 大久保はそう言った。

 その言葉を国父にどう伝えれば、心に届くのか。

 帯刀は考えながら静かに目を閉じる。説得の難しさが、重く肩にのしかかっていた。


 ■大村藩邸

 純顕と次郎は一通の書状を前に言葉を失っていた。

 差出人は薩摩藩家老、小松帯刀。

 先日設立を決定した『日本公論会』への参加を表明する内容である。しかし、書状に記されていたのは薩摩一藩の名だけではなかった。

「……薩摩藩に加え、肥後の人吉藩、筑前の秋月藩なども名を連ねておる。これは、薩摩が自らと親しい諸藩をまとめ上げ、一大勢力として我らの会派に加わる考えの表れか」

 純顕の声は、単なる驚きを超えた緊張を強く表していた。

 次郎もまた、書状に記された独立した藩々の名から目を離せずにいる。

 これは単なる協力の申し出ではない。

 慶喜の『公議政体党』に対抗しうる巨大な政治勢力を形成する、薩摩の明確な意思表示であった。


 薩摩の本意か?

 いや、馬鹿な。

 あの久光だぞ。

 プライドの高い男が、理屈で分かっていても、許可をしたのか?


 次郎の本音であったが、純顕も同じ考えである。

「殿。これは我らが掲げる考えに同じた(賛成した)のではなく、中納言様(慶喜)の党に抗い『数』を揃えるための、極めてまつりごとなる判(政治的な判断)にございましょう。薩摩の真意は、未だ測りかねます」

「うむ。然れど断る道はないな。我らのみでは、五十藩を束ねた中納言様の前では赤子同然。この巨大な神輿みこし、担ぐしかあるまい」

 純顕が覚悟を決めたその時だった。藩士が新たな書状を持参した。

「申し上げます。長州藩より、急ぎの書状にございます」

 次郎が受け取った書状の内容は薩摩からの物と酷似していた。

 長州藩の名の下に、石見の津和野藩など、尊皇思想を共有する複数の藩が名を連ねている。

『日本公論会』への参加を求めてきたのだ。

「これは……」

 純顕と次郎は顔を見合わせた。

 許容すれば『日本公論会』は単なる大村藩の理想を掲げる会ではなくなる。

 薩摩と長州。

 思想も背景も違う2つの大藩と諸藩を巻き込んだ、巨大な政治勢力へと変貌を遂げたのである。


「……次郎。この船、もはや我らだけでは舵を取れぬぞ」

 党を船と見立てた純顕の声には、安堵あんどよりも、それ以上に重い覚悟が見て取れた。

 目の前には次郎が最終的にまとめた議会の勢力図が広げられている。

 慶喜率いる『公議政体党』は約50議席。

 それに対し、大村藩を筆頭とする『日本公論会』もまた50議席である。

 薩長さっちょうが親しい藩をまとめて参加を表明したために、数の上では完全に互角となった。

 これで慶喜の独擅場どくだんじょうとなる最悪の事態だけは避けられる。

 しかし、それは極めて危うい力の上に成り立っていた。

「は。れば先日、薩摩の小松殿、加えて長州の周布様と会い、入会のおきてを示しました」

「ほう? 如何いかなる掟じゃ」

 次郎は静かに報告を始める。

 あくまで党是のとおり『言論による公正な議論』によって将来の行動を決めること。

 さらに、過度に幕府を刺激し、内乱の口実を与える過激な言動は厳禁であること。

 この2点を、絶対に守る条件として約束させたのである。

「ふむ。得心したのか?」

「両名とも、表向きは快諾いたしました。然りながら……」

 次郎は言葉を区切り、警戒の色を隠さずに続けた。

「薩長がどこまで守るかは分かりかねます。薩摩は我らを用いて討幕の足掛かりが欲しいのみ。長州は、積年の恨みから過激な行いに走りやすい危うさをはらんでおります。五十の議席は大きなれど、当て所(目的)はそれぞれ大きく異なるかと」

「それでも、お主は入会を許したのだな」

「は。彼らの力を借りねば我らの理想は議会で一蹴されるのみ。承知のうえで結ぶほかございません。然れど、ひとたび約を違え、会派の規律を乱すならば、即座に除名を覚悟しております。加えて他の諸藩を抱き込むにもときがかかりますゆえ」

 純顕は、次郎の瞳の奥にある冷徹な覚悟を見て深くうなずいた。

「すべて、お主に任せる。最善を尽くしてくれ」

「はは」


 ■慶応四年九月一日(1868年10月16日) 二条城・大広間

 歴史上初となる第1回貴族院は、2つの巨大な勢力がにらみ合う、異様な緊張感の中で幕を開けた。

 議事が始まると次郎の懸念は早速現実のものとなる。発言の許可を得たのは、先日次郎と会った長州藩の周布政之助であった。

「そもそも、此度こたびの議会を設けるに至った混乱の責は何処いずこにあるのか。二百数十年、泰平をむさぼり、異国の脅威に備えを怠ってきた幕府の失政こそ、まず問われるべきではないのか!」

 入会時の約束を反故にし、幕府に対する剥き出むきだしの敵意に満ちている。

 議場は一気に騒然となり、公議政体党から怒声が飛んだ。

 無党派層の議員たちも、明らかに日公会(日本公論会)の席に警戒の視線を向け始めている。

 次郎は隣に座る大久保利通(小松帯刀は体調不良のため代役)に目配せをするが、大久保はわずかに肩をすくめるだけで、その光景を静観していた。

 彼にとって長州の暴走は想定内、あるいは歓迎すべき事態なのかもしれない。

「あいやしばらく! その発議に就いては会内の評議を経ておらず、日公会の正しき発言ではない」

 次郎の発言が会場に響き渡った。

「日公会代表代理として取り消しいたす。また、只今ただいまの日本の有り様に鑑みても、さして大きな乱もなし。今取り立てて論議を交わす題目にあらず。此度は、日公会としてはこの議場、ならびに議決の奏上に就いて論議を交わしたい。如何いかがにございましょうや」

 次郎は、早くも会派内に抱えた問題の深刻さを痛感していた。


 ■慶応四年九月五日(1868年10月20日)夜

 京の夜を、けたたましい半鐘の音が切り裂いた。

 火元は京都守護職屋敷のほど近く、会津藩が兵糧を備蓄するために借り上げていた倉庫からである。

 火事そのものは近隣住民や火消組の働きですぐに消し止められ、建物が半焼するに留まったが、くすぶる煙と共に、京の街には黒い噂が急速に広がり始めた。


「長州の仕業ではないか?」

「議会で負けそうだから、腹いせに火でもつけたのか?」

 4月に起きた市内4か所でのボヤ騒ぎ。

 結局真相は闇の中であり、実行犯から黒幕までたどり着いてはいない中での再びの火災であった。しかし疑いの種は、人々の不安を養分としてまたたく間に芽吹いていく。


「……長州……か?」

 京都守護職屋敷では、松平容保が苦虫をかみ潰したような顔で報告を受けていた。

「は。断ず事能いませぬが、現場周辺で、それらしき風体の浪人を見たとの証言がいくつかございました」

「同じ事ではないか!」

 容保は机を強く叩いた。

 その瞳にはもはや疑いの色はない。議会の初日に幕府を口汚く罵る長州藩の姿が、怒りと共に脳裏に焼き付いていたのである。

「良いか! 見回り組と新選組に下知せよ! 市内にいる長州の者、一人残らず動向を探るのだ。旅籠、酒場、料亭、出入りする商人に至るまで、全てだ。些細な事でもよい。不審な点があれば即座に捕らえよ! さきのボヤの如く済ますでないぞ!」

 その命令は法の裁きよりも、私的な制裁に近い響きを持っていた。

 公的な権力である京都守護職が、長州藩を敵として明確に定めた瞬間である。


 次回予告 第446話 (仮)『引火点』

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