第437話 『投げられた賽・朝廷と幕府』

 慶応四年五月一日(1868年6月20日)

 京の空は朝から低い雲に覆われていた。

 禁裏御守衛総督屯所の一室では、他とは一線を画す重厚な緊張感が満ちている。

 部屋の中央には総督の一橋慶喜。

 目の前には大村藩邸からもたらされた一通の書状が置かれていた。

 純顕と次郎の自主謹慎を伝える文面を、慶喜は既に何度も読み返していたのである。

 京都守護職の会津藩主・松平容保と京都所司代の桑名藩主・松平定敬もまた、表情は一様に険しい。

「言語道断にございます」

 沈黙を破ったのは容保だった。

 声は静かであったが、芯には抑えきれない怒りが見え隠れしている。

 藩祖・保科正之より受け継がれた『徳川宗家への絶対随順』を胸に刻む容保にとって、この事態は単なる治安の悪化ではなかったのだ。

「帝のおわすこの京の都が、一夜にして恐怖に陥れられました。万一の事があれば、我らはいかなる顔で天を仰げましょうや。大村の罪は、京の民を脅かしたのみにあらず、帝のご宸襟しんきんを悩ませたてまつった大逆不忠。謹慎なぞで済まされるものでは断じてございませぬぞ」

 策を弄することを潔しとせず、常に真心と忠誠を重んじる容保は、固く握った拳を膝に置いた。

「公儀の威信にかけて断固たる処分を下し、天下に示す事こそが、徳川の世を預かる者としての『誠』と存じます。藩主の隠居はもとより、騒ぎの源となった得体の知れぬ技術と兵器の一切を、我らの管理下に置くべきにございましょう。これ以上の騒乱で帝の御心を煩わせるなど、あってはなりませぬ」

 その意見は治安責任者としての怒り以上に、徳川家と帝への揺るぎない忠義から発せられたものだった。

「兄上の御言葉、ごもっとも。ここで彼の者らに甘い顔を見せれば、公儀の威光は地に落ち、他の藩への示しがつきませぬ」

 弟の松平定敬も兄の強い信念に同調した。

 二人の激しい意見を慶喜は静かに聞いている。視線は手元の書状に落とされたまま、表情からは何の感情も読み取れない。

 容保の主張は、彼の立場と性格を考えれば至極当然の正論である。

 だが、慶喜の胸中には、正論だけでは割り切れないある種の違和感が渦巻いていた。


 大村藩の対応が、あまりに潔すぎる。

 藩主と家老がそろって謹慎だと?

 まるで自ら首を差し出す行為ではないか。

 しかしあの次郎左衛門が、ただ罰を受けるためだけに斯様かような手を取るだろうか。

 日英の戦を勝利に導いて列強と互角以上に渡り合った男が、斯程かほどの失態を犯し、何の抵抗もなく頭を下げるとは……。

 その潔さの裏にこそ、何か深謀があるのではないか。


 疑念が慶喜の心から離れない。

 また、2人に対する処罰は諸刃の剣である。

「容保、定敬。そなたらの言い分は分かった。れどその考えはいささか早計である」

 慶喜はいったん区切って続けた。

「もし両名を厳罰に処するならば、我ら三名は如何いかがする? 切腹か?」

 その問いかけに容保の顔は凍りつく。

 大村藩を厳罰に処せば、火災を防げなかった総督としての慶喜も罰しなければならない。

 守護職の容保、所司代の定敬の責任も同じ土俵で問わなければならなくなるのだ。

 責任の重さは蟄居ちっきょ謹慎では済まされない。

「そなたらの主張は、この慶喜の首を差し出せと申しているに等しい。それで帝の御心を安んじ、天下万民の安寧を保てると申すか?」

 容保、定敬も同罪である。

 慶喜の声は静かだったが、容保と定敬は思わず身を震わせた。

 彼らの忠誠心は疑いようがない。

 だが、その忠誠心がゆえに、慶喜の、ひいては徳川宗家の窮地を招きかねない矛盾に直面していたのである。

 容保は己の軽率さを悟って深く頭を下げた。

「滅相もございません。それがしが至らぬばかりに……」

 定敬もまた、兄に倣って平伏する。

「お許しくださいませ」

 慶喜は彼らの言葉に静かにうなずいた。彼らの忠義を疑ってはいない。しかし、短絡的に物事を判断しては禍根を残すのである。

「では、改めて問う。丹後守(純顕)ならびに蔵人くろうど(次郎)の罪状を如何にとらえ、如何に処すべきか」

 慶喜の視線は再び机上の書状に戻る。

 それには幕府が把握していなかった新たな燃料の存在と、洛中らくちゅうを騒がせた火災に用いられた驚くべき事実が記されていた。

 さらに、管理責任を純顕と次郎が自ら負い、処分を幕府と朝廷に委ねる異例中の異例の申し出である。


「……詰まる所、起きた事は如何様いかようにもならぬ。ならば、最も自らの失の少なきように、との行いではないでしょうか」  

 今度は京都所司代の松平定敬である。

 要は起きたことをあれこれ言ってもはじまらない。

 当事者は内々に処罰して、隠蔽を疑われる前に公表して『潔し』との評価を世間的に得る。

 幕府は処罰すればそのまま自らの処分も考えなければならず、薩長さっちょうは権限がない。

 朝廷内の佐幕派にしろ勤王派にしろ、大村藩と幕府の影響力が減るのは望ましくはないのだ。

 それらをすべて見越したうえでの行動なのである。

「我らの沙汰によって大村藩の扱いは変わるが、それはすなわち、我らの扱いも決め得ると言いたいのであろう? それを見越した上での行いであろうの」

 じっと考えていた慶喜が定敬に答えた。

「然に候。ならば、如何いかが致すのが最もよき沙汰にございましょうや?」

「ここは、将来を考えれば、いずれも軽き科罰と致すのがよいかと存じます」

 定敬の問いを受けて、容保が慶喜に進言した。


 ■御所

「こ、これはいったい、どういう事であらしゃいますか?」

 帝のいない、関白や大臣、公卿くぎょうの集まりである。

 佐幕派の中川宮が、大村藩京屋敷からの書状を読んで声を荒らげた。

 混乱するのも無理はない。

 禁中並公家くげ諸法度。

 武家諸法度。

 寺院法度。

 公事方御定書。

 すべて幕府が定めた法令であり、刑事・民事問わず幕府が執り行ってきたのである。

「どないな事もなんも、そのままではあらしゃいませんか? 此度こたびの火事は付け火(放火)であり、その油の出どころが大村藩やちゅう告白と、罪を恥じての謹慎ではあらしゃいませんか」

 岩倉には次郎から事前に事の顛末てんまつが報告されている。

 次郎からは、あくまで中立で大村藩を庇ってはいけない、との伝言つきであった。

「加えて幕府と朝廷両方に沙汰をお願いしたんは、先の貴族院の件もあり、幕府だけでは済まへん大問題やさかいやあらしゃいませんか? 朝廷を第一に考える丹後守殿と蔵人の、その心をむべきかと思いましゃる」

 岩倉は理路整然と、佐幕派、勤王派、どちらに語りかけるでもなく意見を述べた。

 勤王派の三条実美は、岩倉が発した『朝廷を第一に考える』との言葉に納得してうなずいていたが、中川宮は言いかけていた言葉を発せずにいる。


 ――あの大村藩主と家老が、自ら謹慎蟄居だと? しかも、沙汰を我らに委ねるとは何たる無礼! 何たる不敬! ――


 現代からすれば、自首したうえに謹慎して処分を待つのがなんで無礼で不敬になるのか?

 それは佐幕派の中川宮にとって、幕府の独占的司法権を否定するものであり、藩主が幕府を通さずに処分を朝廷に仰ぐなど考えられなかったからだ。

 また、朝廷を政治利用して巻き込んで処分の軽減をはかる、狡猾こうかつな行動に映ったのである。

 しかし、岩倉が言葉を発すると途端に広間は静まり返った。

 感情的になりかけていた公卿たちに、事の本質を改めて認識させる力があったのである。

「確かに、岩倉の考えは一理ありましゃる。然れど、その果として公儀の面目が丸潰れになる事を、是とせよと仰せであらしゃいますか」

 中川宮は静かに、しかし強く批判した。


「ご心配にはおよばしまへん。それに、幕府にもおんなじ書状が届いとります。総督も愚かなお方ではあらしゃいません。万事つつがのう収まりましゃる」


 次回予告 第438話 『顛末とこれから』

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