第426話 『北へ南へ』

 慶応四年(明治元年)三月二日(1868年3月25日) 松前城

「はぁーはっはっは! さすがであるな! あの御仁は見かけによらず豪胆じゃ! この君して臣なり、その逆もまた然りじゃな」

 松前城の広間で次郎と謁見した崇広たかひろは、次郎の報告を聞いて言い放った。

「殿、お言葉が過ぎますぞ」

「そう言うな勘解由かげゆよ、お主とオレも捨てたものではないぞ。なあ次郎よ」

「は……」

 松前崇広は老中に就任していない。

 外国との条約締結や諸問題が次郎と大村藩のおかげで円滑に解決したため、老中の罷免と任命が繰り返される事態とはなっていないのだ。

 安藤・久世体制と大老院と老中院、将軍後見職と政事総裁職で運営する政権が安定している以上、余計な任免は混乱のもとである。

 そのため松前藩は崇広と勘解由の統治体制のもと発展を遂げ、大村藩との共同開発もあいまって、人口は蝦夷えぞ地全域を含めて15万人を超えていた。

 松前、いわゆる渡島国おしまのくに(渡島半島周辺)だけで10万を超える。

「して次郎、オレに何を望むのだ?」

「は、然ればこの先、御公儀はさきの仕組みにて政道を執り行うかと存じます。ゆえに様々な弊害が生まれるは必定にて、万が一御家中に害及ぶ事あらば、いかがなさる御所存かと、お聞かせ願いたく存じます」

 崇広は次郎の言葉をしっかりと聞いていたが、きょとんとしている。

 前の仕組みとは、大老会議のない老中のみの合議制であり、より幕権強化に傾くことは避けられない。

 次郎と大村藩の存在が今の日本を作ったのは事実であり、幕府は大村藩を取り込んだ状態で元に戻そうと目論もくろんでいたのだ。

 もちろん、次郎も純顕もそれは望んでいない。

 何のために命をかけてやってきたのか分からないからだ。

「ははは……。次郎よ、随分と奥歯に物が挟まった物言いであるな。オレとお主、大村と松前の付き合いは、今に始まった訳ではなかろう?」

「は」

「要するにオレの今の考えと、この先の行いを聞きたいのであろう?」

「ご明察の通りにございます」

 しばらく、不思議な沈黙が流れた。

 緊迫感はない。

「ふ……知れた事。お主と大村家中がおらねば、今オレはここにおらぬかもしれんのだ。一蓮托生いちれんたくしょうであろう。どこまでも心をいつにしようぞ。ただし」

 大村藩と次郎の存在がなければ、今の松前藩はない。

 崇広は言葉を区切り、念を押す。

「我らの武門の誉れがす事のない、家中の者が誇りをもって糧を得られ、領民が幸せに暮らせる世を目指すならば、じゃ」

「無論にございます。我が殿も同じ思いにて、約をたがえる事はありませぬ」

 この時点で次郎は、廃刀令は実施しなくてもよいと考えていた。

 斬り捨て御免などの野蛮な風習をなくし、もし刃傷にんじょう沙汰さたが起きた場合は、交通事故と同じで武士が悪い。

 抜いただけでも罪であり、事故があれば極刑である。

 相手側に過失があっても、使ってはならないのだ。

 ただし、侮辱を受けた場合は相手にも相応の罰を与える。

 いずれにしても、武士が町人を見下す特権意識をなくすことが大前提であった。

 武士の刀は象徴としてであり、決してせんを表してはならない。

 武門の誉れと武士の特権は同義ではないのだ。

 特権はなくなっても誉れはなくならず、生活に困らなくすればいい。

「応! それを聞いて安堵あんどいたした。次郎よ、二、三日は留まるのであろう? 今宵こよいは宴じゃ。久しぶりだからの」

「殿!」

「ははは……」


 ■尾張 名古屋城

「何? それはまことか? 馬鹿な……」

 尾張藩主徳川慶勝は、開いた口が塞がらない。

「何たる愚策、天下の愚策よ。丹後守(大村純顕)、お主の申す事、違えておりましたでは済まされぬぞ」

 頭をかかえ、そう純顕に聞き返す慶勝であったが、対面している純顕がウソをつく理由などない。

「真にございます。真に大老院は解散し、春嶽公をはじめ各藩主は国許くにもとにお帰りになっております。それがしが参府の際には、どなたもご不在にございました」

「慶喜め、何を考えておるのだ……」

 慶勝は拳を握り締めた。

 御三家筆頭としての立場と、パリでの経験から得た現実認識との間で激しく葛藤している。

 慶勝にとっての大事は、国家の安寧はもちろんだが、徳川宗家の存在であり、幕府による政体の維持であった。

 しかし、現実的には諸藩の合議あってこその幕府、いわゆる公儀である。

 中身がどう変わろうとも、公儀の主たる徳川宗家が守られれば、他は些事さじなのであった。

「大納言様(慶勝)、それがしの見立てでは、中納言様(慶喜)は朝廷の権を背に、これまでの譜代を主とする仕組みに立ち返るお考えかと存じます」

 純顕の冷静な分析に、慶勝は深いため息をついた。

「それが良い。それが良いのは分かっておる。れど、それでは立ちゆかぬゆえ合議となったのだ。世は動いておる。それが分からんわけではなかろうに。何ゆえ……」

 旧体制への回帰は慶勝も望んでいるのだ。

 しかし、可能であれば、である。

「仰せの通りにございます。島津少将(忠義)殿は特にお怒りで、帰国の途についたとの事。日ならずして(時間をおかずに)中将殿(久光)に知られるは必定(時間の問題)。さすれば最もしきは……」

 戦となる。

 あえて言わなかった。

 武力倒幕も視野に入れて、と暗に示唆したのである。

 慶勝の表情がさらに暗くなった。

 どう考えても政治的混乱の始まりを意味している。

「大納言様にお伺いいたしたく存じます」

 純顕は改まった口調で切り出した。

「もし、この先御公儀が諸藩の考えを無体とし(無視)続けるならば、いかがなさいますでしょうか。いえ、すでに諸藩は見切りをつけているやもしれませぬ」

「それは……」

 慶勝は答えに困った。

 徳川家への忠義と、国の将来の安泰を両立させることの、何と難しいことか。

「丹後守、お主は如何いかがしたのだ? ここにおるという事は、お主も合議を抜けたのか? 外された……まさかそこまで慶喜も愚かではあるまい」

「然に候わず(そうではありません)。それがしは抜け申した。他の家中がおらぬのに、わが家中のみ残るはおかしな仕儀ゆえ」

「……ではお主は、大村藩は如何するのだ」

「何もいたしませぬ。御公儀が然様さような考えならば、こちらも好きに致すのみにございます。改めて申すべき事ではございませぬが、それがし、御公儀に弓引く気など毛頭ございませぬ。ただ、我が道をゆくのみにて」

 それは幕政の破綻を意味している。

 大村藩抜きで諸外国と対等につきあい、信用を継続した国家運営をするなど、現実的に考えて無理なのだ。

 慶勝が驚いた表情を見せる。

「待て! 待て。その前にわしが江戸に赴き慶喜を説こう。然すれば大事にならずに済む。酒宴の席での暴言は……慶喜に落ち度があるゆえ謝罪させよう。なにより、政に間があってはならぬ。そうであろう?」

「然に候」

 純顕と慶勝の会合は終わった。

 純顕に倒幕の意志はなく、慶勝にとってはそれだけでも朗報である。


 慶勝は江戸へ向かい、純顕は陸路で越前、加賀へと向かった。


 ■江戸 一橋邸

「殿、真にございますか!」

「何だ上野介、騒々しい!」

 小栗上野介は合議解散の知らせを受け、一目散に一橋邸へ駆け込んだのだ。

「御公儀が大老院を解散せしめ、諸大名が国許へ帰ったというではありませぬか。これは真にございますか?」

「真じゃ。大老院は解散し、藩主どころか春嶽公までお帰りになった」

「何と……。殿、これは拙策にございますぞ。合議はもはやこの国の政体。今合議をなくさば、国はちりぢりになりまする」

 上野介は、顔を真っ赤にして慶喜に詰め寄った。

 その声は震え、憤りを隠しきれない。

「控えよ上野介! いかにお主であろうと、無礼であるぞ!」

 才ある者を登用し、重用していた慶喜であったが、このときの上野介の立ち居振る舞いは、よほど常軌を逸して見えたのだろう。


「失礼いたしました。申し訳ございませぬ。りながら……」

「良い、分かっておる。それにな、解散せしめたのではない。解散してしもうたのだ」

「……そ、それはいったい……何ゆえにございますか?」

「落ち着け上野介。騒ぐでない」

 慶喜は煙管を手にしたまま、悠然と答える。

 何か考えがあるようだ。

「然れど殿、これが騒がずにおられましょうか。これまで、諸藩と合力し、難局を乗り越えてきたではございませぬか……。それが、宣旨があったとはいえ、あまりにいた沙汰にございます」

 小栗は慶喜の前で必死に訴えた。

 その目には、幕府の、日本の将来に対する深い憂慮が宿っている。

 幕府単独での近代化は不可能だ。

 各藩と協力し、お互いの信頼関係がなければ幕府の権威は保てない。

「然様な事はお主に言われずとも分かっておる。然れど今、ちょうど良い頃合いじゃと思ったのだ。解散したが、また集めれば良い。それが必要ならばの。然りながら丹後守が斯様かように動くとは思いも寄らなかった」

 ?

 いったい殿は何を言っているのだ?

 上野介には理解できない。

「殿、それはいったい……」

「皆まで言うな、売り言葉に買い言葉じゃ。丹後守を怒らせる物言いを……いや、してやられたのか?」

 ?

 どういう事だ?

 御用部屋で何があったのだ?

 売り言葉に買い言葉?

 つまり殿は、主導権を公儀に(幕閣に)戻そうとはしたが、こうも極端な結果になるとは思わなかったという事か?

「諸大名にしてもそうじゃ。これまでの公儀の非を、失政を、少なからず我らが認めたからこそ合議が始まったのではないか。それをあろう事か、幕閣は無能だ、いてもいなくても同じ、などと悪口雑言。お主があの場におったとしても、同じ行いに至ったであろう事は間違いない」

 ?

 何だ?

 話が変わってきたぞ。

 悪口雑言?

 あちら側にも非はあるのか?

 だとしても解散させるのは失策ではないか。

「京都の件だけではない。言うておくが、わしは酔い潰れてはおらんぞ。酔っておったのはむしろ土佐守殿や大隅守殿らじゃ。それにの、その一件がなくとも、合議においては公儀の非難ばかりでまとまっておらん。それならばと宣旨を賜ったのだ」

 ?

 要するに互いに非難するばかりで建設的な議論が行われず、揚げ足取りやどうでも良い事を議題にあげて、相手をおとしめていたと?

 そんな馬鹿な。

 そんな馬鹿な事があって良いのか。

 仮にも国の行く末を考える場なのだぞ。

 いやまさか……。

 そんなはずはない。

 あってはならない。

「殿、それで、如何なさるおつもりだったのですか」

「うむ、よくぞ聞いてくれた。事ここに至っては、互いに頭を冷やさねばならんと思い、帰ると言うならば帰ってもらったのだ。真に国を思うなら戻ってくると思うてな。良いか、丹後守との一件は、売り言葉に買い言葉じゃぞ」

 売り言葉に買い言葉……。

 妙に強調なされるが、殿は自らと比べて頭の回転の遅い者を下に見るきらいがある。

 それがしも篤太夫にはよく言われるが、ああ、そう言えば平岡殿はいかがしたのだ。

 おそばにお仕えなら日々の殿の言動にも苦言を呈せようものを。

 ……いや、似た者同士か。

「政道を前の事の様(状態)に戻す。然様な事ができれば最も良い。いや、決して五大老をないがしろにしたわけではないぞ。丹後守、丹後守さえ残ってくれれば、あの者は苦言を呈すが中身がある。よもや帰ると言い出すとは……」

「つまりは……言葉の齟齬そごがあったと?」

しかり」

「何ゆえその場で仰せにならなかったのですか?」

「……」


 有能ではあるが、万能ではない、ということか。

 御用部屋でのやり取りの、どこまでが売り言葉に買い言葉で、どこからが本気だったのか。


「殿、それがしに腹案がございます」

「何? いかなる腹案か?」

「は、これをれていただければ、公儀の権を保ちつつ、丹後守様ならびに御大老の皆様も得心していただけましょう」


 次回予告 第427話 (仮)『貴族院、しかし』

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