慶応四年一月二十五日(1868年2月18日)<徳川慶勝>
ああ、ようやく終えたな。
なんとか幕府の名代としての大役を果たせたわ。
帰りは英吉利との交渉で補給の港を得た故、行きのごとく難儀ぜずにすんだ。
はやいとこ尾張に戻ってゆるりとしたいものじゃが、そうもいかんであろうな。
いずれにしても御三家筆頭として、一人の日本人として、深く考えさせられたのも真のことだ。
仏蘭西をはじめ外国との談合は思いのほか良き果となった。
公儀の財政を良く改めるに十分な額である。
さりとてこの立役者が公儀ではなく、大村藩の蔵人であることを思えば、すべてを良しとも思えぬのが本音と言えよう。
以前より聞いてはいたが、西国の表高三万石にも満たぬ小藩が、かほどの技と知恵を持つとは考えもしておらなんだ。
万博での展示は各国から絶賛され、日本の名声を大いに高めた。されどそれは、公儀にたいしてではのうて、大村藩への賛美に他ならん。
蔵人は公儀をたて、日本国大君政府の大村太守政府として、展示を行った。これがもし、叛心ありて大村国政府など名乗っておれば、いかなる仕儀とあいなったか。
尾張徳川家当主として、ただ今の公儀の御政道を保つはそれがしの務めである。
されど蔵人をはじめとした大村藩の、技術と諸国との縁なくば、もはや公儀の近代化は困難と言わざるを得まい。
仏蘭西、和蘭、露西亜、亜墨利加、ならびに加奈陀との協定は、すべて大村藩の技術力あってこそのものだ。
本来は公儀がその役目を負うべきが、何故斯様になってしまったのか。
この先の公儀の御政道においては、大村藩との関わりいかに築き保つかが最も重き題目となるであろう。
蔵人の力を公儀のために生かしつつ、徳川宗家の権を保つ。
諸藩との釣り合いを保ちつつ、成さねばならぬ。
この国の行く末と民の安寧を考えるのは無論であるが、公儀を保ち、宗家を守るにはいかにすべきか。
これまでの仕来りや公儀と藩の在り方を少なからず変えても、なさねばならんな。
<次郎左衛門>
あー、やっと帰ってきた。
なげー。
だりー。
5か月ぶりの帰国か。
1か月くらい休暇を……。
無理やろうな。
何も言わんでもこの時代の人間ワーカホリックだから。
ネットジャンキーのオレなんて半年船の上なんて無理だろうな。昔なら。今は慣れたっていうか、150年たたないとネットが存在しないなんて。
悪夢だ。
まあ、それは仕方ないからさておいてっと。
うーん。
当面の対外問題はすんだかな。あとは事務レベルだから、幕府の担当者をつけてもらって粛々とすすめればいいか。
イギリスとカナダ以外はオレが行かなくても問題ないしな。
となると、国内問題なんだけど、さーて、どうすっか……。
今の政事総裁職+将軍後見職+大老院+老中院+殿の合議制から、どうやって議会制民主主義にしようか。
ああ、憲法も制定して明確な立憲君主制にしなくちゃな。議会は……最初は藩主か名代による藩主院……いや、公家もいるからいきなりは厳しいか?
公家院と藩主院と平民院……いやいや複雑すぎる。
ただ、技術供与は別にして、憲法もない、議会もない、選挙もない、国民の人権もない。ないないずくしの国なんて、本当に信頼はされないぞ。
どんだけ技術が進んでいても、文化的には野蛮人の国(極論!)になるよな。
ざっくり言えばグローバルスタンダード?
21世紀によく聞いたワードだけど、この時代、まさにそうだな。
多分、一番近いのはアメリカみたいな連邦制と立憲君主制の組み合わせだな。
あああ、先が思いやられる。
■大村政庁
「甲吉郎、ただ今戻りましてございます」
「次郎左衛門、仏蘭西より帰国し、ただ今戻りましてございます」
「うむ、大儀であった。道中甲吉郎は粗相なく、藩の名代として務めておったか?」
「はい、それはもう、立派にございました。それがしが申し上げる儀はなにもございませぬ」
「父上! 何も今さようなことを仰せにならずとも……」
上座に純顕が座り、向かって右手には利純(純熈)がいる。
次郎と純顕は同い年であり、甲吉郎純武は次郎の息子と同じ年頃なのだ。
「何を申すか。ともあれ無事で良かった。今宵はゆるりと過ごすが良い」
笑い声とともに帰国の報告は終わり、純武と利純は退座した。
「さて、まずは次郎よ。大儀であった」
「はは、有り難きお言葉にございます」
「実はの……」
そういって純顕は次郎が渡欧中にあった出来事を踏まえ、今後の事を語り始めた。
「お主がパリにおる間、諸外国の承認やら高官やらが面会を申し出てきての。わしも蘭学、いや、洋学は嫌いではないので、新聞なども読んでおったのじゃ」
いったい何を言い出すのだろうか。
次郎の頭にはいろんなことが浮かんでいる。
「この先の御政道の事なのじゃが……わしはこのままではいかんと思うておる。そうよの、今はわしを含めた大老や老中で政をしておるが、それでは足らんと思うのじゃ。少なくとも朝廷の意が十分に汲まれておるとは思わぬし、諸藩の考えも要るのではないか」
「殿、それは……」
「うむ。少なくとも外国でいうところの議会ではない。十人や十五人で諮ったとて、それが議会と言えようか」
「然に候」
まさか、純顕がそんな事を考えているとは。
もしや?
いや、まさか。
純顕も転生人か?
そんなはずはない。
「加えて、我が国にはこんすちしょん(憲法)もなければ、ろう(法律)もない。武家諸法度や公事方御定書、禁中並びに公家諸法度もあるが、藩に異なる法もあってしかとまとまってはおらぬ。すべてを真似なくてもよいが、このままでは真の独立国とは言えまい」
次郎は居住まいをただして平伏した。
「仰せのとおりにございます」
これまで全部ではないが、ほとんどが次郎の提案によって純顕や大村藩は動いてきたのだ。
だから正直、驚いた。
それは次郎の率直な感想である。
「お主も同じ思いか?」
「は」
「畏まるな。面をあげよ。いつものように肩肘はらずに話そうではないか。して、いかがいたす?」
次郎は頭を上げると、素直に答えた。
「パリで各国の制度を見て、改めて我が国の制度の問題点が浮き彫りになり申した。特に憲法と議会制度の欠如は深刻です」
「やはりそうか。して、具体的にはいかが考える?」
「最も優先すべきは憲法制定かと存じます。国の礎たる仕組みを文書にて明らかにせずば、何も始まりません。その上で議会制度を取入れる。二院制が適当でしょう」
「二院制とは?」
純顕と次郎が考えていた、貴族院と平民院である。
貴族院は民選ではないが、平民院は選挙によって選ばれる。これによって特権階級の横暴をなくし、身分の差をなくそうというのだ。
貴族院は公家や藩主だが、イギリスの議会にも存在する。
しかし四民平等や選挙など……どこまで純顕は許し、どこまで考えているのだろうか。
次郎はあえて聞かなかった。
「上院は各藩主と朝廷から数名、下院は人口比例による各地の長で構成します。上院で各藩や朝廷の利害を調え、下院で民意を汲む仕組みです」
純顕が興味深そうに身を乗り出す。
「民意とは、つまり領民、国民の考えか?」
「はい。商人、農民、職人などの長の集りによる議会です。いかにして民の暮らしを良くし、商いを盛んにするか。先の世では平民院でも外交や防衛の議論をしていきます」
「なるほど……されど、そうなると天子様や公方様のお立場はいかがなる?」
これが最も重要な質問だった。次郎は慎重に答える。
「天子様を国家の頂きとする立憲君主制を考えております。御公儀につきましては、正直なところ、今のままは、難しかと」
純顕が深くうなずく。
「ふむ、ではいかがなる」
「石高で申せば、御公儀は四百万国以上あり、他に金銀の金山にさなざまな運上金が天領より入っております。ゆくゆくは……」
次郎の言葉に、純顕が苦笑いを浮かべる。
これは、将来的には大村家、大村藩の行く末でもあるのだ。
「御公儀とはすなわち徳川宗家であり、徳川宗家があまりにも強い力をもっておるがゆえに、諸藩がその下に置かれている有り様。これはいずれは……」
珍しく次郎の歯切れが悪い。
「もう良い、次郎。言わんとすることは心得ておる。公儀のことも、我が家中のこともな。お主がパリにおる間、各国の使節や商人と話をする機会があってな。彼らから見ると、我が国の政治制度は古臭いものらしい」
我が家中の事も……。
その言葉が何度も次郎の頭の中を駆け巡った。
「わしもな、もういろいろと考えて胃を痛うしたくないのだ。さっさと終わりにしたい。わはははは」
「……さようでございますか」
この笑いはどんな笑いなのだろうか。
次郎は素直には笑えないが、無理やり笑顔をつくった。
「うむ。特に和蘭人などは、なにゆえ二百六十もの藩がバラバラに存在しているのか理解できぬようであった」
オランダは今でも大村藩との結びつきが強い。
次郎とクルティウスの密約の件もあるが、今までは言えなかったことが、疑問として湧き上がってきたのだろう。
おそらくは他の国も同様である。
純顕の説明に、次郎は改めて現状の問題点を認識する。
「では、具体的な改革の進め方にございますが……」
「それよ。いかに進めるかが肝要じゃ。急いた変化は混乱を招くゆえ、徐々に進めねばならぬ」
「まずはただ今の合議制を広げ、各藩主を加えることから始めてはいかがでしょう」
「なるほど。さらば抗う勢も少なかろう」
「その後、憲法制定会議を設置し、新たな国家体制について議論する。それとともに法の整備も進めねばなりません」
「うむ」
憲法制定と議会拡張、国内の統一に向けて純顕と次郎の戦いが始まる。
第424話 (仮)『大政委任の勅令』

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