第477話 曽根九郎左衛門尉虎盛、小佐々治部少丞純久と相対す。

曽根九郎左衛門尉虎盛、小佐々治部少丞純久と相対す。 第2.5次信長包囲網と迫り来る陰
曽根九郎左衛門尉虎盛、小佐々治部少丞純久と相対す。

 元亀二年 九月二十一日 京都 在京小佐々大使館

「大使、曽根九郎とおっしゃる方がお見えになっています。お通ししますか?」

 曽根、九郎? 左衛門尉? 誰だ? そう純久は思った。思い当たる節がない。

「わかった。通しなさい。ああ、飲み物も用意して」

 純久は佐吉にそう言って、九郎を通す。もちろん、身辺の確認は怠らない。腰の物を預かり大使室へ向う九郎は責任重大であった。

「初めてご尊顔を拝しまする、曽根九郎左衛門尉虎盛と申します」

「治部少丞です。さて、初めてにござるな。どこの御家中の曽根殿にござるか」

 至極当然の質問であったが、その答えに純久は驚いた。

「は、武田大膳大夫様にございます」

 直接の敵ではないものの、敵国の同盟国に単身乗り込んでくるとは……。

「! それがし、今まさに、自分の耳を疑ったのだが、真に武田殿の御家中か?」

「は、神明に誓うて、相違ございませぬ」

 まっすぐ純久を見る九郎の目は、嘘をついている様には見えなかった。

「うむ、そうか。では、曽根殿、こたびはどのような用件かな」

 純久は嫌な予感を感じつつ、九郎に用件を聞く。

「は、さればわが殿大膳大夫様におかれましては、近衛中将様と誼を通じ、通商を結び盛んに商いを行いて、ゆくゆくは盟約を結びたいとのお考えにございます」

「あいや待たれよ」

 予想はしていたが、こうも堂々と言われると清々しい。しかし納得するかどうかは全くの別問題である。

「貴殿はわが小佐々が、先だって武田家が戦った織田家や徳川家と盟約を結んでいることを、知らぬのか?」

「存じております。その上であえて、お願いにあがっているのです。治部少丞様ならびに小佐々家としては判に迷う事かと存じますが、われらは戦いを望んでいるわけではありませぬ」

 九郎は自信に満ちた顔で純久に話しかける。

「判に迷うも何も、おしなべて考えれば論外じゃ。なにゆえ同盟国の敵と手を携えねばならぬ。その上盟約など結べようか」

 純久の言葉はもっともである。決して怒っている訳ではなく、淡々と語っている。

 小佐々と織田はお互いの利害が一致した為に同盟を結んだが、それは純正が願う天下静謐、誰にも邪魔されずに好きなことができて、安全に暮らせる社会を作るためなのだ。

「仰せの通りにございます。然りながら、それがしの言に偽りなし。亡き信玄公も、山国甲斐ゆえに貧しく、豊かさを手に入れるために駿河に攻め入り申した」

 ここは、これに関して言えば純久も理解ができる。世は戦国乱世である。弱肉強食の時代において、三国同盟の一角といわれた義元が信長に討たれた。

 跡継ぎの氏真を暗愚として、同盟の継続を考えた場合に、継続するよりも破棄をして駿河に攻め入った方が良い、と判断しての決断である。

 不義理と言われようが、生き延びるための選択である。

 しかしそれは、今の勝頼が置かれている状況と似ている。

 信玄は西上の際、氏康なき後の氏政と盟を結び、謙信と和睦をした。しかし、謙信と氏政にしてみれば、信玄だからこそ盟約を結び和睦をしたのだ。

 代替わりして家督を継いだ勝頼と、同じように接するべきなのか? 仮に氏政や謙信が破ったとしても、自らが駿河に攻め入った武田家に、それを非難する名分はない。

 名分など、どうとでも上書きできるのだ。

「然りながら織田徳川と争うなど、徳川が盟約を破らなければ、そもそも信玄公もお考えではなかったのです」

「それはいったい、どのような事かな? それがしは、大井川を境に東を武田、西を徳川が切り取るとの密約がなされておったが、武田がそれを破りてさらに西に進んだ、と聞き及んでおるが」

 純久は言葉の陣取りゲームのような、ある種の感覚を覚えた。ここで言質をとられてはまずい、慎重に慎重を重ね、言葉を選ばなければならない、と。

 しかし九郎はいたって真面目であり、持論を展開する。

「それに関しましては、確かに齟齬がございました。起請文にてしかと境目を決めれば良うございました。然りとてそれをいうならば、徳川殿も同罪にござる」

 純久はこの段階で口を挟むのは得策ではないと判断した。

 相手の意図がはっきりしないときに、自分の意見を言ってしまえば、それにあわせて相手が言い分を変えてくる。

 つまり、相手の言い分を全部吐き出させ、言質をとった後、反論しようという作戦である。反論の種は多いに越したことはない。

 そのため、じっくりと聞いたのだ。

「そのあいまいなる取り決めにて起きた、秋山伯耆守様の遠江への別働隊の侵攻にござるが、これは信玄公自ら謝罪を行い、お互いに起請文と血判を交わしております」

「うむ」

「その後も人質の交換などで行き違いはあり申したが、これはわが武田家としては、徳川家に対して行った事にて、盟約に背いた事にはなりませぬ」

 然りながら、と九郎は続けた。

「徳川殿は勝手に氏真と和睦をし、あまつさえ北条とも和睦したのです。これはわが武田にとっては由々しき事態、駿河を治むるに、北条や氏真との勝手なる和睦はありえませぬ」

 事細かに持論を述べる九郎には、一遍の曇りもない。逆にそうでなければ使者は務まらないであろう。

「その上あろう事か、われらの敵であった上杉と結び、北と南よりわれらを挟みて攻めんとしたのでございます。さらには織田とわれらを仲違いさせる策を用いました」

 純久はまだ何も言わない。

「この行いが、われらが徳川は信ずるに値せずと考え、遠江へ兵を進むる大義名分となったのでございます」

「……」

「……」

 どうやら九郎の言い分は終わったようだ。

 暗に織田・徳川は信ずるに能わず、真に信ずべきはわが武田である、とでも言うのだろうか。さすがにそれは飛躍しすぎているか?

 それが純久の感想であったが、次の言葉で短くまとめた。

「あいわかった。然りながら事が事ゆえに、それがしの独断では決めかねる。九郎殿の言い分、武田家としての大義はわかり申した。国許に判を仰ぐゆえ、しばらく待たれよ」

 

 発 治部少丞 宛 近衛中将

 秘メ 武田家 家臣 曽根九郎ト 申ス者 来タリテ ワレラト 誼ヲ 通ジテハ 盛ンニ 商イヲ 行ヒタシ ト 申シケリ

 然レドモ ワレラト 織田ニ 盟約アリテ ソノ敵 武田ト 結ブハ 信ニ背キ 易キニ非ズ 御屋形様ノ オ考へヤ 如何ニ

 秘メ

 

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました