第552話 阿尾城陥落の真実と能登所口湊

 天正元年 四月四日 辰一つ刻(0700) 能登 射水郡 千久里城

「おお! 無事であったか!」

 庄川東岸(広上村)の道雪本陣で報告してきた家臣より、妻と嫡男の無事は聞かされていたが、実物を見てほっと胸をなで下ろす菊池武勝である。

 千久里城は、襲撃を受けた海沿いの阿尾城からわずか南西二里(7.854km)の地点ではあったが、襲撃した上杉軍の目的が城主家族の捕縛ではなかった為、難を逃れた。

 その代わりに城下や湊は略奪を受けたが、謙信にとって小佐々軍の兵力を削ぐ事が目的であったため、弱小国人の家族など価値がなかったのだろう。

「あなた様」

「父上!」

「おお! 十六郎! そなたも無事であったか! よくぞ生き延びた!」
 
 次々に落ち延びた家臣達に声をかける武勝であったが、当然見かけない者もいる。

「朝宗よ、采女うねめはいかがした?」

 家老の三善朝宗に武勝が聞いた。

「岩田殿は……岩田殿は敵を引きつけ、我らを逃しましてございます! ……おそらく今ごろは」

 三善朝宗・岩田采女・名越左馬助は菊池家の三家老であるが、池田城を三善朝宗、中村城を名越左馬助、飛滝城・早借城には岩田采女をおいて領内を治めていたのである。

「く、采女よ……。その方の忠義、忘れぬぞ! 朝宗、敵は何者じゃ! ? 確かに上杉なのか? 数はいかほどか?」

 家老の三善朝宗は武勝の問いに答える。

「敵は、敵は……竹に雀のあの紋は必ず(間違いなく)上杉にございました! 数は、しかと数えてはおりませぬが、百艘はあったかと」

「百……千から二千といったところか」

 考え込んでいる武勝に名越左馬助が聞いてくる。

「殿、いかがなさいますか?」

「知れた事、畠山殿の勢もおる。あわせれば四千はおるで阿尾城を奪い返しにいくのみよ」

「殿……いまさらではございますが、上杉に帰参の申し出をいたすのはいかがにございましょうや?」

「ば、馬鹿な事を申す出ない!」

 三善朝宗が左馬助に向かってどなる。

「三善殿、怒鳴らなくても聞こえております。それがしとて、降りたくて言うておるのではない。ひとえに家の継ぐ(存続・継続)を考えての事」

「左馬助、もう良い。この千久里城や阿尾城は越中から能登への通り道。降ろうが降るまいが、いずれにしても謙信に押さえられておろうよ。加えて修理大夫様の勢も与していただいておるのじゃ。いまさら寝返る事などできぬ」

 武勝は左馬助と朝宗の口論を止めさせる。

「では、いかがなさいますか?」

「まずは、阿尾城へ向かうしかなかろう」

「はは」

 畠山義慶と菊池武勝の軍は、家族の無事を確認すると阿尾城へ向かった。

 

「な、なんじゃあこれは! ?」

 畠山義慶をはじめ、菊池武勝もその郎党らも、目を疑った。

 上杉兵がどこにもいないのである。

 船も見当たらない。城は所々燃え落ちている箇所はあるが、修復すれば使える。湊も城下も同じである。略奪はあったようだが、乱暴狼藉(強姦や殺人)を受けた形跡はない。

「殿! との! とのお!」

 武勝には聞き覚えのある声が響き渡った。

「殿! おお! 三善殿に名越どのも! 無事でなりより! では奥方様は? 十六郎様は? おお! そうであったか。それは良かった!」

 武勝は状況がのみ込めない。

「采女よ。いったいどうなっておるのだ? つぶさに(詳しく)申せ」

「は、それでは申し上げまする。奥方様と十六郎様をお逃しし、それがしもこれまでかと思った頃、上杉勢の取り掛く(攻め寄せる)勢いが弱まったのでございます。まるで夢でも見ているようにございました」

「うむ。それで?」

「は、城内を見回したところ、上杉勢はなにかを見知った(確認した)上で退いたようにございます」

「見知る? 何を見知って退いたのじゃ?」

「それは……わかりかねます。誠、申し訳ございませぬ」

「謝らずとも良い。いかような事でも良いのだ。なにか、なにか変わった事、その時、あった事はないか?」

「然れば……然うですね。まず我らは城を守る事は無論の事、防ぎきれぬと思いました故、奥方様と若様を逃したのでございます」

「うむ、それは先ほど聞いた。……うん? それは、敵が城まで押し寄せ、すぐに退いたのではなく……なにがしか……例えば奥と十六郎がおらぬとわかって、退いた?」

「それは、なんとも申し上げられませぬが、探し回っていたのは確かにございます」

(上杉の当て所(目的)はこの阿尾城ではないのか? では何のために襲ったのだ? そして今は何処に?)

 

 ■同日 午一つ刻(1100) 能登 七尾城

「見よ! なんじゃあれは!」

 三百艘から四百艘はいるであろうか。上杉の竹に雀の家紋が記された軍船が湊を埋め尽くしている。

「百どころではない! どう見ても四百はおるではないか? いかがするのだ?」

 遊佐続光が叫ぶ。怒鳴ると言った方が正解かもしれない。

「言わぬ事ではない! そもそも上杉と争うなど、間違いであったのだ。今からでも遅くはないであろう。早う、使者を遣わして降るのじゃ。それより他に、われら、畠山が生き残る術はない」

 少しヒステリックになっている続光に、温井景隆が諫めるように言う。

「待たれよ。降るとして、殿は小佐々に与するとして越中へ向かったのだぞ。謙信も殿が小佐々に与しているなど、とうに知っておるであろう。如何様にして取り繕うのじゃ?」

「……」

 信長派の長続連は黙って二人のやり取りを聞いていた。

 小田原評定、となるのか?

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