第475話 『鼎立』

 慶応五(明治二)年六月一日(1869年7月9日) 京都 貴族院

 発議以来、勘定奉行の選出は一向に進展を見せなかった。




「これはこれは、掃部頭殿。ご多忙の折にいかなる用向きにござろうか」

 宇和島藩伊達宗城は、藩邸を訪れた井伊直憲を意味深な笑みで迎えた。

「伊予守(伊達)殿、回りくどい話は抜きにいたそう。こたびは勘定奉行の一件で参った」

 直憲は挨拶もそこそこに、単刀直入に本題を切り出した。

 腹の探り合いは、時間さえもったいないのである。

「ほう。して子細はいかに(具体的には)」

 宗城はあくまでとぼけてみせる。

 直憲の行動は無理もない。

 勘定奉行の選出が発議されて以降、議会は大きく揺れていたのである。

 徳川の世を重んじる小栗上野介を推す『公議政体党』と、抜本的な改革を求める由利公正を立てる『日本公論会』。両者の議席は競り合い、互いに過半数には届かずにいた。

 その行き詰まった状況を見て、これまで日和見を決め込んでいた者たちが動いたのだ。

 いい加減何も決まらず無為な日々が続くのはもちろんだが、彼らの本音は別にあったのである。




「上野介(小栗)殿の才は認めるが、幕府の言いなりはご免だ」

「由利殿の考えは新しいが、いささか性急に過ぎておらぬか」




 そんな声を集めて旗頭となったのが、目の前の伊達宗城である。

 かつては四賢侯と呼ばれ、特に阿部正弘が老中首座の時には島津斉彬や松平春嶽、山内容堂と共に幕政に参画していた。

 しかしそれ以後は国政の第一線から離れている。

 その男が、今この京の政局で、再び中心に躍り出ようとしていた。




 直憲は内心の焦りを抑え、幕府が提示できる極めて具体的な札を切った。

「無論、ただとは申しませぬ。上野介殿が勘定奉行に就いた暁には、幕府への御借財について、返済の期限を延ばし、利を引き下げるなど格別なる条件にて取り計らいましょう」

 さらに直憲は畳みかける。

「加えて廻送かいそう令の件でご懸念のロウなどは、税を下げるなど便宜を図りましょう。また輸出においても兵庫商社を通じて同様に取り計らう所存にございます」

 幕府の統制力を背景とした現実的な利益そのものであった。

 宗城はその言葉をゆっくりと味わいながら茶をすする。

 そして、静かに首を横に振った。

「ありがたい。されど掃部頭殿、我が家中は潤いましょうが、他の御家中の方々を得心させるには至りますまい」

「と、仰せになりますのは」

「土佐守(山内容堂)殿は、しょう脳、和紙、材木、かつお節の輸出の際に便宜を図っていただきたいと仰せにございます。他にも家中ごとに様々な声がございましてな。我らはもはや、一つの藩の利では動けませぬ。党全体の利をお示しいただかねば」

 宗城の目は笑ってはいなかった。

 交渉は保留となり、彼は提示した条件を懐に入れつつも、決して首を縦には振らなかったのである。




『党』だと?

 直憲の頭に不安がよぎった。




 直憲が宇和島藩邸を訪れた知らせは、すぐに次郎の耳にも届いた。

 宇和島藩は人材交流の面もあり、大村藩とはどちらかといえば近しい藩である。

 もともと訪問は予定していたが、次郎は直憲の件もふまえて、宗城との会談に臨んだのだ。

「なるほど。掃部頭殿がさような申し出をなされたのでございますね。無理からぬことにございます」

 次郎はにこやかに話を続ける。

「されば我が党は駆け引きはいたしませぬ。もとより幕府のごとく便宜を図ることも能いませぬゆえ、我ら日本公論会は『富を生み出す技』を供しましょう」

 まさに単刀直入であった。

「ふむ。大村藩とは長き付き合いではあるが、富を生む技と申すか」

 宗城は興味深そうに身を乗り出した。

 何をするにも財源である。

「は。我が党が推す由利殿を後押ししていただけるならば、さよう、『殖産興業指南』を全ての藩に広く繰り広げまする。我が家中が成し得た石けんや新たなる塩の製造法、新たな農具や作物の栽培法。かかる技術の数々を、御家中をはじめ全ての家中へ広めまする」

 前代未聞の提案であった。

 機密とも言える技術を、無償で分け与えるのである。

 しかし、与えるのは大村藩においてはすでに旧式の方法であり、ライセンス契約みたいなもので、技術の優位性は揺るがない。

 腹は痛まないのだ。

 また、幕府のやり方は各藩個別に要求を聞く必要があるが、大村藩はそうではない。

 若干の差はあっても、平等に提供するのである。

 宗城は目を細めて次郎の顔をじっと見た。

「面白い。実に面白い考えだ。幕府が魚を与えると言うならば、貴殿らは魚の釣り方を教える、と。さようなことですな」

「御意。一時税を減らし善く遇したとして、それがいつまで続きますやら。さりながら富を生み出す術を身につければ、それは未来永劫続きまする。真に『実利』を重んじるならば、いずれに価があるか、よくよくお考えいただきますよう」

 宗城は深くうなずいた。

 しかし結論は急がない。

「確かに貴殿の申し出はめでたきなり(魅力的だ)。されど腹を空かせた者にとっては、明日の|馳走《ちそう》より今日の握り飯が欲しいもの。これもまた、一つの理ではござらぬかな。……この儀、しばし預からせていただく」

 次郎の提案もまた、宗城は保留にしたのだ。

 両陣営からの働きかけを受け、伊達宗城は沈黙を守った。




 その間も貴族院の論戦は空転を続ける。

 小栗と由利の議論はもはや出尽くし、議員たちの間には疲労と諦めの空気が漂い始めていた。誰もが、この不毛な日々がいつまで続くのかとうんざりしていたのである。




「議長、発言の許可を願いたい」

 宗城の声は、議場全体に響き渡った。

「許可します」

 次郎の許可を得ると、宗城はゆっくりと議場を見渡し、そして、はっきりと宣言した。

「本日、我らはここに、新たな政党の結成をお知らせ申し上げる。その名は、『済衆議会』」

 議場が大きくどよめいた。

「我らが党是は、非戦中立ならびに国益を最も重く考えまする。優先とでも申しましょうか。いずれにも与せず、ただ国家と民にとっての『実利』は何かを問い、その一点のみで行動する所存」

 次郎は顔には出さないが『やはり』と思い、直憲は直憲でしてやられたと感じた。

「ついては、勘定奉行選出においても、我らは是々非々の立場で臨む。いずれがより多くの『実利』をこの国にもたらすか。それを、我ら『済衆議会』が厳しく見定めいたす」

 いずれ、とは言うに及ばず公議政体党と日本公論会である。

 宗城はそう言うと、悠然と席に着いた。

 議席数80の、議会の行方を完全に左右する巨大な第3極の誕生である。

 公議党と公論会の二極状態は終わりを告げた。

 さらにそこに『皇国翼賛会』なる政党が現れて、4つの政党と無所属を合わせた状態となったのである。




 ※議席数 290議席 過半数 146議席

 ・公議政体党(50議席)
 徳川宗家を絶対的な棟梁と仰ぐ、中央集権国家の実現。

 ・日本公論会(薩長が減ったために43議席)
 身分や藩閥に囚われない公正な公論の形成。技術標準化(非軍事分野)と殖産興業の推進。

 ・済衆議会(せいしゅうぎかい)80議席。
 非戦中立・国益優先。

 ・皇国翼賛会(こうこくよくさんかい)30議席。
 尊皇“用”幕(そんのうようばく):幕府も議会も、全ては帝の臣下であり、朝廷の権威の下にあるべき。

 ・薩摩(2)長州(5)……棄権もしくは公論会寄り。

 ・岩倉派(10)
 公論会に入ってはいないが、基本的に連携。

 ・無所属(70)……是々非々。




 次回予告 第476話 『天動』

 勘定奉行選挙が行き詰まる中、公議政体党と日本公論会は、無党派層の鍵を握る伊達宗城への多数派工作を仕掛ける。

 幕府が提示する『今日の糧』か、大村藩が提示する『明日の富』か。

 両者の提案を保留した宗城は、突如として巨大な第三極『済衆議会』の結成を宣言。

 議会は4つの政党がにらみ合う、さらなる混乱へと陥った。

 そして次回、慶喜が若き将軍を奉じて上洛、ついに天動く。

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