第466話 『御料所差配詮議方と幕府除目詮議方』

 慶応五(明治二)年四月一日(1869年5月12日)

 1週間たっても、慶喜に対して伊達慶邦からの返事はなかった。

 東北の遊説の行程は知らせてあったので、電信を使えばすぐに届くはずなのに、である。

 慶喜は考えた。

 返事がない……すなわち迷っている。

 もしくは声を大にはしないが、反対しているのだ。

 徳川こそが公儀、公儀こそが日本であり、その安泰が日本の安寧である。

 慶喜の持論であったが、どうやら時勢が許さなかったようだ。

 認めるのは腹立たしかったが、大村藩の実績を考えればさもありなん、そう考えるほかはない。

 遅ればせながら、である。

 思ってはいたが認めたくはない。その思いが天領を議会の管理下に置く次郎の考えに、拒否反応を起こしていたのだろう。

 舌鋒ぜっぽう鋭く説いて回ったが、独りよがりの感は否めない。

 そこで慶喜は大幅に方針転換する。




 反対、ではなく、時期尚早としたのだ。

 公儀御料所は、すなわち公の財源に間違いない。

 しかし、議会管理下ですぐに・・・無駄なく有効に運営できるかと言えば、断言はできないのだ。

 その点幕府であれば250年の実績がある。

 天領の管理をすべて大村藩が行えば、有効活用は可能かもしれない。

 しかしそうなると、どうしても大村藩の専横と映るし、諸藩もいい顔はしないはずだ。

 要するに、いずれやるにしても段階的に移行するべきだ、と主張を変更したのである。

 公儀政体党と親藩譜代の数を入れれば過半数は間違いない。

 その路線で勝海舟にも電信を送り、自身も奥州を再度訪問し直したのだ。




 ■慶応五(明治二)年四月一日(1869年5月12日) 京都 貴族院議事堂内 公儀御料所詮議方

 本会議場とは違って少人数用の部屋ではあったが、室内を満たす緊張はむしろ濃密であった。

 集まったのは公議政体党と日本公論会の議員たちだけではない。末席には幕府の勘定方から派遣された数名の役人たちが、分厚い帳簿の束を前にして控えていた。

 議員ではないが、詮議方においては議員の発言より重い意味を持っていたのである。要するに日本の財政をその指先で長年動かしてきた、実務の専門家たちであった。

「……では、これより詮議方を開会する。議題は、公儀御料所管理法案」

 詮議長の落ち着いた声が、室内の緊張を一層高めた。

 指名を受けて日本公論会に属する大村藩勘定奉行の根岸主馬(41)がおもむろに立ち上がる。彼は、次郎より託された理念を、よどみなく述べ始めた。

「本法案の趣旨は、公儀の財たる御料所を、定めし家中の手から離し、公の官府である議会の差配内に置く儀にございます。財政を明るくするは富国強兵の礎。これなくして、我が国が列強と渡り合う事はかないませぬ」

 理路整然とした説明であった。

 しかし、それを受け止める公議政体党の議員たちは余裕の表情である。

 やがて、公議政体党の重鎮である井伊掃部頭直憲が静かに口を開いた。

 史実において彦根藩は減封されているが、今世では家禄はそのままで譜代筆頭である。

「御料所が公の財源である点に異論は挟みませぬ。今も昔も変わりませぬからな。天下を論ずる議会が、これを差配すべきである大義も、得心しております」

 その発言は公論会の議員を少なからずどよめかせた。真っ向から対立すると誰もが予測していたからである。

 直憲は構わずに話を続けた。

「されど障りはそこではございませぬ。果たして……できたばかりの今の議会に、その重責を即座に担うだけの力が備わっておりますかどうか。二百五十年にわたり、幕府が培ってきた差配の仕組みと験あってこそではございませぬか。これを一夜にして捨て去り、乱れなくして営めると、貴殿は断ぜらるる(断言できる)のでござろうか」

 慶喜の方針転換が見事に反映された主張である。

 反対ではなく時期尚早。

 この一点に論点を絞り込んできたのだ。

「無論、拙速に進めるべきではございません。さればこそかように詮議の場を設け、委細を詰めるのではありませんか。新たな仕組みを築けば、障りではなくなりまする」

 主馬は反論するが、直憲の譲歩に対する戸惑いが隠せない。

 ここで、詮議長が末席に控える幕府の役人たちに視線を向けた。

「実務を司る勝手方の見解を伺いたい」

 指名されたのは百戦錬磨の勘定組頭、加藤丹後守であった。その後ろには渋沢栄一もいる。




 あ!

 これはまずい。




 大村藩側に座っていた次郎は厳しい顔をした。

 丹後守は、ゆっくりと立ち上がると議員たち一人一人を見渡して、やがて手元の分厚い帳簿を開いた。

「恐れながら根岸殿に申し上げます。仰る理屈は理屈として承りました。されど御料所の差配は、帳面の上だけで動くのではございませぬ」

 静かな声だが重みがあった。

 根岸主馬もお里の下で十分に経験を積んだ猛者であったが、丹後守の後ろに控えるのは渋沢栄一である。

 油断は禁物であった。

 渋沢は次郎に気づいたのか、会釈する。

 次郎にとっては居心地が悪い。

 対する渋沢はどう思っているのだろうか。

「例えばこの木曽の御用林。ここから産する木材は、江戸城の修繕だけでなく、全国各地の治水や作事工事にも用いられます。その材木の切り出しや差配、管理には長年かけて築き上げた人のつながりが要りまする。加えて文書にはならぬ約束事もございます。これを明日から議会が差配すると仰せでも、誰が山を仕切り、川の普請を差配いたすのでございましょうか」

 丹後守は別の帳簿を指し示す。

「また、佐渡の金山に生野の銀山。その収益は幕府の歳入の柱でございますが、同時に、鉱山で働く数千の者たちの暮らしを支えるための費えもはなはだ多きにございます。この入りと出の差配を、果たして諸藩の利害が渦巻く議会で、滞りなく行えるや否や。一つを定むるに幾月もかかれば、その間に鉱山の営みは立ち行かなくなり、多くの者が路頭に迷いましょう」

 彼の言葉には、飾りも美辞麗句もなかった。

 ただ、日々の実務から得られた揺るぎない事実だけが存在したのである。

 理念だけでは人は食えず、国は治まらない。その淡々とした報告は、法案が内包する理想の裏にある、複雑な現実を委員たちの眼前に突きつけたのだ。

 主馬は新しい財政管理の手法や中央集権的なシステムの効率性を説き、再反論を試みる。

 しかし丹後守が次々と繰り出す具体的な数字と長年の慣習の前では、どこか空虚に響いたのだ。

 その隙を丹後守は見逃さない。

「各々方。これこそが、我らが時期尚早と申し上げるゆえんでございます。まずは議会内に財政を学ぶための所を設け、幕府より実務の者を指南役として招き、数年をかけて知識と験を積ませる。その上で徐々に権を移していく。それこそが、国を乱さぬ唯一の道ではございませんか」

 議論の主導権は完全に公議政体党が握っていた。

 大義名分で譲歩し、実利で相手を封じ込める。慶喜らしい老かいな戦略であった。

 人間は変化を嫌う。

 個人差はあっても、慣れ親しんだ習慣や考えを変更するのは、やはり抵抗があるのだ。




「詮議長。しばし、……四半刻(約30分)ほどやすらい(休憩)といたしませぬか」

「許可いたします」

 次郎の言葉に議長が休憩の指示を出した。




「次郎様、いや……蔵人……左衛門佐様。それがし、仰せの儀は重々理解しております。さりがなら幕臣ゆえに命に背く事能いませぬ。幕府にも左衛門佐様にも恩義のある身ゆえ、平にご容赦いただきとう存じます」

「よい。己が務めを果たすがいい。されど、お手柔らかにの」

 次郎はニヤリと笑い、渋沢もそれに応えた。




 この日の詮議は双方の主張がぶつかったまま結論を見ずに終わった。




 次回予告 第467話 (仮)『本会議』

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