第913話 『コンスタンティノープルの合流 』

 慶長八年三月十四日(西暦1603年4月25日) リスボン

「ここがお主が以前より言っておったポルトガルの都か……」

 蒸気船の甲板から目前に広がる街並みを眺めながら、政権相談役の信長が深い感嘆の声を漏らした。

 白い壁とオレンジ色の屋根が丘陵に沿って連なり、活気ある人々が行きかっている。テージョ川の河口に開けた天然の良港は、世界中から集まった無数の船で埋め尽くされていた。

「そうです。キレイでしょう。活気に満ちている。ポルトガルはわが帝国に次いで、世界各地に領土を持つ大国ですよ」

 隣に立つ純正が答えた。

 その視線は政権相談役の信長と、隣で目を輝かせている嫡男の純勝へと注がれる。

 純勝は東北の復興を終え、火山の冬の業務が一段落したので志願してきたのだ。地震から3年がたったが、フレデリックによれば、今年から来年で山場を迎えて終了するらしい。

「父上! ご覧ください! 港には大勢の国民が集まってますよ!」

 純勝が手すりから身を乗り出して指さした。波止場には、自分たちの船団を歓迎するために集まったリスボン市民が、黒山の人だかりを成している。

 旗が振られ、歓声が風に乗ってここまで届いてきた。

 14年前の天正十八年一月十四日(西暦1589年2月28日)に、純正が初めて訪れた際とは、状況が全く異なっている。前回は予告なく訪問したので、現れた巨大な蒸気船は港全体を大混乱に陥れたのだ。(※天正への改元は史実より1年ずれている)

 しかし今回は、大西洋に浮かぶマデイラ諸島のフンシャル港にて補給を行い、先触れを出している。ポルトガル側は万全の態勢で、国賓として日本の皇帝一行を迎える準備を整えていたのだ。

 船がゆっくりと波止場に接岸すると、待ち構えていた国王セバスティアン一世が、廷臣たちを従えて前に進み出る。その表情は遠来の客に対するただの儀礼ではなく、真の盟友を迎える喜びに満ちていた。

 舷門が開き、タラップが降ろされる。

 純正を先頭に、信長、純勝、そして日本の技術者たちがポルトガルの大地に第一歩を記した。

「平九郎陛下。お待ちしておりました。ようこそ、我がポルトガルへ」

 セバスティアンは歩み寄って純正の手を両手で固く握った。

「セバスティアン陛下。貴国の温かい歓迎に心から感謝します。貴殿の指導の下でポルトガルが新たな時代へと歩み出したと聞きました。我が帝国は祝福し、また全力で応援します」

 純正もまた力強く握り返す。

 2人の君主の間には、言葉以上に雄弁な深い信頼が通い合っていた。




 ■オスマン帝国 コンスタンティノープル

「さて、どうしようかな」

 フレデリックは帝国首都の1軒の宿屋で頭を抱えていたが、元外交官の腕の見せどころである。




 翌朝、フレデリックは通訳と護衛数名を伴って、イスタンブール旧市街の中心にそびえるトプカプ宮殿へ向かった。

 街路には隊列を整えたイェニチェリ兵が並んで、大やりを斜めに構えて武威を示している。石畳を踏みしめるたびに、彼の胸中には交渉の重圧がのしかかった。

 宮殿の中庭を通されると、案内役の侍従が低い声で告げる。

「大宰相が謁見の間にてお待ちです。帝国の威信を損ねる答えは許されません」

 忠告を受けながら、フレデリックはゆっくりとうなずいた。

 厚い扉が開かれると、奥に座すのは大宰相ダマト ・イェミシュ・ハサン・パシャをはじめとする帝国高官らである。豪華な絨毯じゅうたんの中央には、燭台しょくだいの明かりが淡く揺れ、緊張の空気が満ちていた。

 ハサンは切れ長の目を向け、無駄のない調子で口を開く。

「ネーデルラントの賢人と聞く。異教の国々の仲間割れは我が帝国に利するところではあるが、スペインより独立した昨今、貴国はわが帝国に何の利益をもたらすのであろうか。神聖ローマ帝国との戦いのさなかである。事と次第によっては善処しよう」

 フレデリックは卓の脇に立って胸の奥で深呼吸を繰り返した。帝国の重臣たちが一斉に注ぐ視線は試金石を突きつけ、軽々しい言葉を許さない。

 彼は懐から紙を取り出し、壇上の卓布へそっと広げた。

 描かれているのは電信線の構想図であり、ヨーロッパからアジアへ至るまでの経路が克明に示されている。紙面の上をなぞる指はわずかに震えていたが、本人の声に迷いはなかった。

「大宰相閣下。私が持ち込んだ物は異教の玩具ではありません。帝国にとっては鋼の剣よりも確かな力となるでしょう」

 言葉を終えると同時に、フレデリックは図面の一角を押さえて領土を縦断する経路に重きを置いて説明し始めた。

 各地を統治する総督への命令伝達や国境での防衛指示、交易路の監視や電信はそれらを速め、帝国の結束を強める――その一点を確実に印象づけなければならない。

「バカバカしい。できるわけないではないか」

 重臣の中には腕を組み、首をかしげて露骨に嫌な顔をする者もいた。

 今まで火と煙でしか通信を試みていない彼らにとって、一瞬で命令が届く話は容易に信じ難いのである。広間には不信と驚きとが入り交じり、緊張が漂ったままだった。

 フレデリックは視線をそらさず、言葉を重ねる。

「遠く離れた戦場であっても即座に知らせを届けられる。そのとき勝利を手繰り寄せるのは、誰でしょうか。電信の糸は、帝国を今日と明日とで別の姿に変えるのです」

 静寂のあと、大宰相ハサンがゆるやかに身を乗り出した。

 彼は断罪ではなく、慎重に考えを巡らせている様子である。宰相府の重責を担う彼にとって、その提案が広大な領土の不安を解消する手段になるならば、決して無視できない。

 ついに低い声を発した。

「……今日は真に不思議な日であるな。貴殿と同じ提案をしてきた東方の異教徒がおったぞ」




 え?

 何だそれ。

 どういうことだ?

 東方の異教徒? が、電信?

 間違いなく日本じゃないか。




「ちょうどよい。連れてまいれ」

「はは」

 ハサンの指示を受けた側近が退室して、しばらく時がたった。

「ネーデルラントの使者よ、こちらが東方から来た日本帝国の使者、中浦甚吾ジュリアン殿である」




 中浦ジュリアン? ? ?




 フレデリックの目が丸くなったのは言うまでもない。

 天正少年使節団の、あの、中浦ジュリアンである。その傍らには高山右近、小西行長もいた。

「Iucundum est te convenire. Nomen mihi est Iulianus Nakaura et ex Iaponia sum. 」
(はじめまして、日本から参りました。中浦ジュリアンと申します)




 え? 何だコレ? ラテン語か? ……中浦ジュリアン! ?




「Iucundum est te convenire. Nomen mihi est Fridericus ex Nederlandia. Huc adsum nomine Gubernatoris Generalis. 」
(はじめまして、ネーデルラントのフレデリックと申します。総督の名代で来ています)

 ジュリアンは右近と行長と話している。

 黙って聞いているハサンではあったが、あまり長くなると機嫌を損ねかねない。日本の使者の意図は不明だが、フレデリックはひとまずは切り上げて電信敷設の本題に入りたいところであった。

「Ex qua terra estis? Ex Iaponia iussu Imperatoris Maiestatis Suae venimus. ……Exspecta paulisper. Dixistine Fridericum……? 」
(どちらの国の方ですか? 我々は日本から皇帝陛下の命にて来たのです。……ちょっと待ってください。フレデリック……と言いましたか?)

 フレデリックは転生時は6才。

 前世では日本語・英語・オランダ語が話せた。

 しかし、この13年の間にラテン語を習得したのだ。

 まだまだヨーロッパで重要であった。

 日本では、はじめはラテン語やポルトガル・スペイン語が主流だったのだが、純正の意向で英語やオランダ語へウェイトが変わっている。

 それでも、ジュリアンをはじめとしたキリスト教(カトリック)の聖職者にはラテン語が必須であった。

「はい! おお、何と言うことか。私は電信を東方に広げるために来たのです。平九郎陛下も同じ考えで?」

「そのとおりです」

 フレデリックは飛び上がって喜んだ。

 オスマン経由の電信網敷設も、純正はフレデリックと同じく考えていたのである。

「じゃあ話は早い!」

 フレデリックは日本とオランダが同じ目的で謁見していると、通訳を介してすぐさまハサンに知らせた。




「ほう? 詳しく聞こうではないか」

 フレデリックとジュリアンによる、外交合戦の始まりであった。




 次回予告 第914話 (仮)『オスマン帝国の実情』

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