慶応四年八月十五日(1868年9月30日) 京・薩摩藩邸
「和戦両様? 詳しゅう申せ、帯刀」
「は」
久光の低い声には未だ納得できない苛立ちが表れている。帯刀は主君の視線を真っ直ぐに受け止め、覚悟を決めて口を開いた。
「は。まず『和』ん道。そいは我らもまた、言論ん場に立つ事にございもす」
「何? 丹後守や慶喜ん真似事をせよち(せよと)申すか」
「真似事ではございもはん。彼らん土俵に乗っとじゃなく、我らは我らん正義を掲ぐっとです」
至誠公議……言葉だけの巧みな議論や、特定勢力の利権のための『偽りの公議』を排し、真心をもって帝の下での真に公平な国政を実現する。
しかしその実は『尊皇討奸』。
慶喜や次郎が主導する議会を偽りの会議と断じ、薩摩主導の新体制をつくる計画であった。
帯刀の言葉に大久保が続く。
「帯刀さあん仰せん通りかと。加えっせぇ(加えて)、好都合な風も吹いちょります。京ん市井では『典薬寮は、朝廷をないがしろにしちょい』『利権を独占すっためん策謀や』ちゅう噂が広まっちょります。こん民の声を、我らが『至誠公議』ん大義名分とすっ事も出来もんそ」
しかし、久光の表情は晴れない。
「そいで、奴らん数を覆せっち(覆せると)申すか」
「……そいは、かないもはん(叶わないでしょう)。故に……」
帯刀が言いよどむと、今度は西郷がゆっくりと重い口を開く。
「故に、戦の備えも要りもんそ」
その言葉には有無を言わせぬ重みがあった。
「じゃっどん、大村には勝てもはん。そい故あくまでも敵は幕府としてん戦備え。和ん仮面をつけ、戦の牙を研ぐ。そいこそが、今ん薩摩がとっべき(とるべき)道と存じもす」
西郷の言葉が議論に決着をつけた。
久光はしばらく天井を見上げていたが、やがて意を決して命じる。
「良か。そん策、決まりじゃ。西郷よ、国許へ戻って支度せじゃ。いつでん動くっよう(いつでも動けるよう)、精兵を選りすぐり、準備を怠っな。帯刀、一蔵よ、他ん藩に説いて回れ」
「 「 「はは」 」 」
命令が下された瞬間、薩摩藩の進むべき道は定まった。
■慶応四年八月二十日(1868年10月5日)
二条城は日の高いうちから異様な熱気に包まれていた。
慶喜の呼びかけに応じ、会津藩主・松平容保(京都守護職)、桑名藩主・松平定敬(京都所司代)の兄弟をはじめ、譜代や親藩の代表者が集結していたのである。
大広間の中央に進み出た慶喜は、居並ぶ諸大名の顔をゆっくりと見渡し、静かに語り始めた。
「各々方、ようお越しになった。今、我が国は未曾有の変革の期にある。先般、朝議にて可決された『重要技術管理法案』は、大村藩の家老である太田和次郎左衛門が示した案である。彼の者の功は、某もまた正しくみなす(評価する)ものである」
慶喜は、単に大村藩を糾弾はしない。
したい気持ちがあろうがなかろうが、できないのだ。
あからさまに反対すれば今後の幕府の見通しが瓦解する。そのために最初に評価し、常にオブラートに包んで本音と建前を使い分けているのだ。
まず相手の功績を認めて、自らの度量の大きさを示し、聴衆の警戒心を解いたのである。
慶喜は言葉を続ける。
「然りながら各々方に問いたき儀あり。誰であり、如何に優れていようと、一つの藩、一人の人間の手に委ねられたままで、真に公の物と言えるであろうか?」
「……」
慶喜は具体的な藩の名前は出さない。
問題を『個』と『公』の対立へと昇華させたのだ。
それは誰の目にも明らかな大村藩の力を、『優れた、しかし危険性を秘めた個(藩)の力』と暗に位置づける、巧みな問いかけであった。
「優れた力は諸刃の剣である。ひとたび道を誤れば、国を富ませる力ではなく、国を歪める力ともなりうる。然ればこそ我らは、常に『公』のために使われるよう見守り、導き、そして時には律する責があるのではなかろうか」
容保が深くうなずいた。
その言葉は、彼の忠誠心と責任感に強く響いていく。
慶喜は、自らの行動を嫉妬や対立ではなく『公のための責務』として定義し、静かに正当化していった。
「某が考える議会とは、まさしくそのための場である。個の熱意が荒ぶる事なく、我ら諸藩が心を一にして知恵を出し合い、帝の御心に沿う、真に公平な『公論』を成すための場に他ならない。そのためには何よりもまず、議事を滞りなく進めるための秩序と作法こそが求められる」
『秩序と作法』
定敬が兄の容保と目を見交わした。
慶喜が何を言わんとしているのか、誰もが理解し始めていたのである。
「某が二条城を議場として供し、奏上の役目を引き受けようと申し出たのも、全てはそれを成すためである。この国の議は私情や党派に流されず、厳粛かつ公正に進められるべきであり、ただ一点の忠誠心からに他ならぬ」
この発言は、権力掌握のための策謀を『議会の秩序を守るための献身』として、誰もが反対しにくい大義名分で完璧に覆い隠していた。
最後に、慶喜は声を一段と張り上げ、結党の目的を宣言する。
「本日結成する『公議政体党』は、争いのためではない。我らが目指すは、帝の下での『秩序ある公議』を成す事にある。優れた力も、正しい『器』に収められてこそ真の宝となる。我らは『器』を作る礎となろう!」
「おお……!」
慶喜は大村藩の力を認めつつも、その力をコントロールする権利は公の秩序を代表する我々にあると、強烈なメッセージを発信したのである。
■京都 大村藩邸
次郎は藩主の純顕に報告していた。
二条城からもたらされた結党式の報告書には、慶喜の演説が一語一句、詳細に記されている。
「……以上が、本日結成されました『公議政体党』の次第にございます。その数、およそ五十藩。加えて、これが党首たる中納言様(慶喜)の演説にございます」
純顕は次郎が差し出した報告書に目を通し、深く息を吐いた。
「……見事なり。一言も我が藩を非難せず、それでいて、我らの力を御するための『器』を自らが作ると宣っておる。まこと手強い相手ぞ、蔵人」
「は。某も同感にございます。中納言様は我らを敵と見なすのではなく、我らの力を管理すべきと据えました(位置づけた)。加えてその道理の正しきを『公の秩序』として唱えて(主張して)おります。正面から反論するのは、悪手にございましょう」
「うむ。ならば如何する」
「中納言様の党に処するため、我らもまた、我らの理念を掲げる旗を立てる儀、お許しいただきたく存じます」
「許す。して、その名は?」
純顕の許可を得た次郎は、新たな組織の名を告げた。
「『日本公論会』。身分や藩閥に囚われず、国の未来のための公正な議論を行う場を目指します」
純顕は静かにうなずいた。
■京都 小松帯刀邸
藩邸とは別に設けられた帯刀の屋敷は、薩摩の重要人物が人目を忍んで密議を交わす場として使われていた。
その一室で、屋敷の主である小松帯刀と大久保利通が向き合っている。彼らの前には、国許の西郷隆盛から届いたばかりの密書が置かれていた。
「利通さあ、慶喜も次郎様も、ついに動き始めたな」
帯刀が、庭に面した障子に目を向けたまま静かに言った。
長崎の伝習課程で次郎とは面識があり、西郷も大久保も言葉を交わした経験がある。
「ええ。こいで京ん政は、二つん党が取り仕切っ事になりもすな。我らが手をこまねいちょれば、蚊帳ん外に置かるっだけ」
大久保の言葉には強い危機感が表れていた。
「しっせぇ(それで)、吉之助さあからん(からの)書状にはないと(何と)?」
「軍備はつつがのう進んじょると。抜かんなと書いてありもした」
軍備が着々と増強されている旨が記されており、遠い薩摩の地で膨れ上がる武力の重みが、京にいる彼らの肩にも重くのしかかる。
徳川慶喜の『公議政体党』、そして大村藩が組織しつつある『日本公論会』。
二大政党の結成は、薩摩を政治的に孤立させかねない危険な動きであった。
「さて、利通さあ。我らん次ん一手は如何に」
帯刀の問いは、膠着状態を打ち破る具体的な策を求めていた。
大久保は数日間練り上げてきた策を、自信に満ちた落ち着いた口調で述べる。
「は。実は……。先日国父様にはああ言いもしたが、我らん敵はあくまで幕府。大村藩じゃらせん(ではありません)」
「うん」
「故に表向きは大村藩に迎合すっかたちで徒党を組み、幕府を追いやった後に政ん中心に我が藩を持っていっと(いくのが)が最善手かと存じもす」
大久保の言葉は室内に満ちていた重い空気を一変させた。
これまでの薩摩藩の立場からは一線を画する、大胆で柔軟な発想である。
帯刀は庭に向けていた視線をゆっくりと大久保に戻した。冷静な瞳の奥で驚きと興味が交錯している。
「……ほう。大村藩ん党に、我らが加わっちゅうとな。そんた(それは)、国父様が許しやるじゃろうか」
大村藩の軍事力と経済力は、誰もが知っている。
久光も当然知っている事実である。
しかし、薩隅2カ国を統べる大藩の国父として、主導ではなく小大名の風下につくのが、生理的に許せないだろうと言うのだ。
「下につくとじゃごぜもはん。利用すっとでごわす。大村藩が掲ぐっ『日本公論会』ちゅう神輿を、我らが担ぎ、ほして我らが望ん方向へ動かすとじゃ」
許してもらわなければならない。
それより他に薩摩が生き残り、主導権を取る可能性はないのだから。
大久保の策の全貌は、極めて巧妙な二段階の構造を持っていた。
まず、中立を掲げる大村藩の『日本公論会』に薩摩藩も参加、あるいは極めて緊密な連携を申し出る。
その狙いは、慶喜の『公儀政体党』に対抗する議会内の巨大な勢力を形成する点にある。
大村藩が掲げる公正な議論の場で、薩摩藩は誰よりも過激に、そして執拗に、幕府の非道を糾弾する急先鋒として振る舞うのだ。
あくまで是々非々の立場から、薩摩の主張に理があれば、大村藩は無下に退けるわけにはいかない。
大久保はその大村藩の公正さを逆手に取り、議会の流れを徐々に、しかし確実に、討幕へと誘導していこうとしていたのだ。
「なっほど(なるほど)な。次郎様は、あっまで(あくまで)言論によっ解決を望んであっど。じゃが、我らはそん中で、徳川を追い詰むっためん(追い詰めるための)火種を、次々投じていっちゅう(いく)訳か」
帯刀は、大久保の策の恐るべき本質を正確に見抜いていた。
巨大な船である大村藩に乗り込みながら、その舵を密かに乗っ取り、自分たちの目的地『討幕』へと針路を変えさせる。
大村藩の力を利用し尽くす、極めて高度な政治戦略であった。
次回予告 第445話 (仮)『第1回貴族院と事件』

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