第440話 『典薬寮と理化学研究所』

 慶応四年五月四日(1868年6月23日)

脚気衝心かっけしょうしん……にございますか。にわかには信じがたい診立てですな」

 藩医は困惑した表情で首をひねっている。

 薩摩藩邸に戻った小松帯刀は、藩医に大村藩病院での診断結果を報告していた。

 横には心配そうに見守る西郷と大久保の姿がある。

 脚気は江戸患いとも呼ばれ、決して珍しい病ではない。しかし、それが帯刀ほどの重臣をここまで苦しめている原因とは、にわかには結びつかなかった。

 ましてや、食事を変えれば治るなどの話は彼の知識にはなかったのである。

「大村ん医者が、ないか(何か)得体ん知れん薬でん売りつけようちゅう魂胆ではありもはんか? 食いもんで治るなおど、聞いた事もなか……」

 藩医は漢方医ではない。

 蘭学らんがくを学んで西洋医学の知識も豊富なのだ。

 薩摩藩は西洋技術の導入に積極的で、軍事力と技術力では国内で5本の指に入る。

 しかし、軍事技術と経済技術にリソースを投入するあまり、医学分野での近代化は若干遅れていたのだ。

 そのため一之進が推進する食事療法にも懐疑的である。

「んにゃ、あん者ん目は真であった。わしん体を隅々まで調べ、よどみなっ(なく)病ん名を告げた。そん診立てに迷いは微塵みじんも感じられなんじゃ。そいに院内には食いもんで治ったちゅう患者が何人もおったんじゃでな」

 帯刀は藩医の疑念を静かに遮った。

 一之進の診察は、彼がこれまで受けてきた診察とは全く異なっていたのである。体の各所を丁寧に調べ、生活習慣までを問い、病の根源を探ろうとする姿勢。そこには紛れもない確信があった。

「じゃっどん、帯刀さあ。食事を変えるだけで、こん病が良うなるちゅうんは、どうも……」

 西郷も納得しきれない様子で口を挟んだ。

 薩摩は火山灰土壌で米がとれにくく、下級武士はさつまいもでしのいでいる現状である。しかし、帯刀は若くして家老職に抜擢ばってきされていたのだ。

 食生活が白米中心となるのは自然の流れである。

「そいから、おいん(私の)持病も労咳ろうがいん気があっで、しっかり療養して食事に気をつくっ(つける)よう、献立まで考えてくれたど」

「……試してみる価値はある」

 沈黙を守っていた大久保が低い声で言った。

「大村は、医学においてん日本で最も進んじょる。そん大村ん医者ん診立てじゃ。根も葉もなか戯言ざれごとではなかじゃろ。そいに、食事を変えて療養すっだけじゃ。帯刀さあはこん薩摩に必要な人。治ってもらわんにゃならん」

 大久保の合理的な言葉に場の空気は落ち着きを取り戻した。

 確かに失うものは何もない。

 帯刀自身も、わらにもすがる思いであった。

「……そうじゃな。利通さあん言う通りじゃ。きゅう(今日)から食事を改めてみる。薬も、五代に頼んで取り寄せてもらうど」

 帯刀の言葉に西郷もそれ以上は何も言わなかった。

 こうして薩摩藩邸の台所では、藩の重臣のために玄米や麦が炊かれ、野菜中心の食事が用意される前代未聞の事態が始まった。

 この小さな変化が、薩摩藩首脳の健康、ひいては彼らの判断に影響を与えていく事実を、まだ誰も知る由はない。


 ■慶応四年六月二十三日(1868年8月11日)加賀 金沢

「真か?」

「は、相違ございませぬ」

 加賀藩隠密おんみつ森口清六郎の口から発せられたのは、薩摩藩邸放火の犯人が、やはり琉球で出くわした元王府役人である事実だった。


 さて、如何いかがすべきか?

 隠密の報告と照らし合わせると、五兵衛の言葉通りである。

 しかも、琉球との交易は藩の財政の屋台骨であるから、変な風聞で加賀藩の関与を疑われては困るのだ。


「殿、それだけではありませぬ」

「何じゃ?」

「薩摩藩邸の他、幕府の総督屯所ならびに長州藩邸、公家くげ屋敷の犯人にも、同じ風体の者が関わっている由にございます」

「何じゃと?」

 森口の情報だと4人全てに同じ人物が4~5人接触し、資金やガソリンの提供は当然として、家族の面倒をみるための莫大ばくだいな費用も前金で支払っている。

 さらに、何人も人を介しているが、その途中の仲介者はすでに海外に逃亡している事実も突き止めたのだ。

 幕府や大村藩の捜査と同様に、首謀者まで行き着くのは困難である。

 が、この情報は抱えておくには大きすぎると慶寧は判断した。

「あい分かった。大儀である。此度こたびの調べはここまでじゃ」

「はは」


 すでに同じ報せは自ら得ていようが、幕府と大村にはそのまま伝えるといたすか。

 これで大村への借りは少なからず返せよう。

 幕府にはたまたま別件で知り得た、とでも言うておくか。

 そこから我が家中を探る余裕など、今はあるまい。


 ■大村藩邸

 藩邸には穏やかな空気が戻っていた。

 奥座敷で主君・大村純顕と向き合った次郎は、湯呑ゆのみを置くと静かに口を開く。

「中将様(慶喜)は、我らに法の草案を作れと命じられました。れど、これは単にガソリンの管理を我らに委ねる話ではございません。日本の未来の産業を、我らの手で図れ(計画せよ)と命じられたに等しいのです」

如何いかなる事だ?」

 純顕が身を乗り出した。

 次郎はその問いを予期していたのか、自身の構想を語り始める。

 静かに、一言一句、新しい時代を創り上げる確固たる意志が込められていた。
 
「我らが届出るは、単なる一つの法ではございません。我が国の産業の全てに関わる、全く新しい法の仕組みにございます」

 次郎は指を折りながら概要を説明していった。


 提言された内容は3つの柱である。


 その1.工業製品の寸法と品質に関する国家統一基準として『標準規格』の制定。

 ねじの大きさや鉄の厚み、蒸気機関の管の直径などのあらゆる製品に統一基準を設け、大量生産と精密な機械製造が可能になる。

 その2.新たな発明や工夫をした者の権利を法で強く保護する『専売特許制度』の導入。

 優れた技術を持つ者が正当に報われる仕組みを整え、国民全体の技術開発意欲を刺激し、知恵が金銀以上の財産となる社会の創造を目指す。

 その3.産業に不可欠だが危険を伴う物質を管理する『危険物取扱法』の制定。

 ガソリンや火薬、強酸などの製造、貯蔵、運搬を厳格な規律下に置き、先に起きた事件の再発を防ぐ。


 次郎の構想は、もはや慶喜が意図したであろう『失態の落とし前』の範疇はんちゅうをはるかに超えていた。

 まさに近代産業国家の青写真である。

「……次郎。然様さような法を幕府がのむだろうか。そもそも彼の者らに、その旨(内容)がよくせる(理解できる)のであろうか」

「解せなくても構いませぬ。解せぬ程に深遠で、我らにしか用い得ぬ法ゆえにこそ、意味があるのです」

 次郎はきっぱりと答えた。

 そして、この壮大な構想実現のための具体的な策略を口にしたのである。

「これらの法を実に用いる組織として、古き寮を再興いたします。すなわち、朝廷の『典薬寮』にございます」

「典薬寮だと? 確かあれは、薬師くすし鍼師はりしを司る役所。一之進が西洋医学を導き入れておるが、そもそも形だけとなっておるのではないか」

 純顕の当然の疑問に、次郎は不敵な笑みを浮かべた。

「然に候。形ばかりゆえにこそ逆手にとり、『国民の健康と安全を守る』名目で責と権を広げさせまする。加えてガソリンや強酸などの新しき化学物質も『薬物』の一種として、典薬寮に管理させるよう上奏するのです」

 それは目くらましであった。

 古くからの権威ある役所の名を借りて、幕府や諸藩からの警戒心を和らげる。

 しかしその実態は全く新しく入れ替えるのだ。

 さらに重要な役所を朝廷内におけば、朝廷に対して貸しをつくれるので一石二鳥の策である。

「我らが開発した各種化学物質を正しく管理するには、理化学研究所で学んだ者でなければ務まりませぬ。管理職に就くための試験も、我らが作り行う。然すれば典薬寮の役人は、ほとんどが大村からの出向者で占められましょう」

 化学物質を取扱う部署に、幕府が入り込める隙はほとんどないのだ。

 慶喜は大村藩を法で縛ろうとしたが、次郎は法を運用する役所自体を、事実上大村藩の支配下に置こうとしているのである。

「中将様は我らに一つの蔵の鍵を管理せよと命じました。ならば我らは、その蔵の周りに我らにしか開けられぬ扉を持つ、巨大な壁を築き上げるまでの事にございます」

 慶喜の策をはるかに上回る、あまりにも大胆不敵な手である。

 純顕は腹の底から笑い出した。

「は、はは……。面白い。実に面白いぞ、次郎! やってみよ」

 その目には迷いのひとかけらもなかった。

 意図せずして、ふたたび大村藩が政権の中枢に入り込んでいくのである。


 ■佐賀藩

「大殿、京での顛末てんまつはお聞きになりましたか」

「うむ、聞いておる。然れど我らのあずかり知らぬ事。我らにはやるべき事が山程あるではないか」

「然に候」


 鍋島直正は名を閑叟と改めて家督を息子直大に譲り、技術革新に傾注していた。

 目の前には理化学研究所から届けられた書状が山積みである。


巷間こうかん(世間では)、理化学研究所と言えば大村であるが、我が佐賀の理化学研究所こそが、理化学研究所たらんと欲す」


 次回予告 第441話 (仮)『協力の申し出とその後』

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