第424話 『大政委任の勅令』

 慶応四年(明治元年)二月二十八日(1868年3月21日)

 次郎と純顕は今後の国政を提言するために江戸に向かったが、その途中京都において、国事御用掛となっている岩倉具視と面会した。

 国事御用掛は朝廷に国事を議するために設けられた役職で、国事御用書記を引き継いだ役職である。

 文久二年十二月九日(1863年1月28日)に設置されて現在にいたる。

 岩倉具視は、右大臣の鷹司輔煕と一緒にいた。

 純顕は岩倉に挨拶をした後、帰国挨拶の参内のために席を外している。


「岩倉様、お久しゅうございます。蔵人くろうどただいまフランスより戻りましてございます」

「おお! 次郎はん、お久しぶり! お疲れ様どした!」

 次郎はフランスからの土産を岩倉に渡し、朝廷の近況を確認する。

「して、いかがにございますか。近ごろの朝廷と御公儀の有り様は」

 パリの万博や各国の様子を話すと岩倉は喜々として聞き入っていたが、国内情勢に話が変わるとその表情は一変した。

「どないもこないもあらしまへん。公武合体とは名ばっかりやあらしまへんか。この御用掛にしたかて、朝廷内で国事を論ずるためのもの。公儀の合議とやらにくますのんが筋やろう? それがまったくあらへん」

 次郎も以前から気にかかってはいた。

 朝廷からの意見具申が何度あっても、幕府は理由をつけては却下していたのである。それでも次郎や純顕が会議に出席した際の議題は取り上げられることが多く、意見も反映されていた。

「近ごろは十を提じても一も実りません」

「それは……」

 次郎は考えたが、岩倉にも言っておく必要があると思い、今後の構想を話しだす。

「大変難儀ゆえ、御用掛の皆々様におかれましては、至極ご不便をおかけいたしました」

 別に次郎のせいではない。

 せいではないのだが、なぜか幕府の代弁者になってしまった。

 実際のところは代弁者でも何でもないのである。

「実を言えば、御用掛の皆様には御下向いただく形となりまする。されどこの先は、より朝廷の意をくんだ政ができるよう、公儀に提言をする所存にございます。殿とそれがし、帰国の報告もございますが、そのためにこれより、江戸に参府いたす所存」

「ほう……そらまた、いかなる儀にございますのん?」

 史実で岩倉具視が描いた政体と明治政府が違ったように、次郎と岩倉が描く政体には違いがある。

 しかし通過点は同じであった。

「なるほど。そらおもろい。さすが次郎はんだ」

 岩倉は笑顔で答えたが、ふと思い出して語り始めた。

「気がかりで、右大臣(鷹司輔煕)様と反対したんどすけど、朝廷内に公儀の手の者が入り込んどったのか、勅を出してもうたんどす」

「勅?」

 嫌な予感がした。

「勅とはいかなる?」

「大政委任の宣旨どす」

「大政委任の宣旨? ?」

 次郎が驚いたのも無理はない。

 大政委任論とは、松平定信が高まる尊王論を抑えるために、『将軍は天皇から日本国を統治する権限を委任されている』と改めて主張した理論だ。

 70年前の話である。

 もっとも、江戸幕府として公式に発表はしていない。

 近年表舞台に現れたのは、将軍家茂が京都御所に参内して政務委任への謝辞を述べたときである。

 しかし、孝明天皇は佐幕派であり、公武合体で親戚になっていたために、大きな影響はなかった。

 明文化されていなかったのが、明文化されたのだ。


 しまった……。

 安藤信正、あのタヌキめ。

 いや、キツネか? イタチか?

 どうでもいい!

 やりやがったな。


 ■江戸城

「こ、これはいかなる仕儀にございましょうや?」

 登城した純顕と次郎を待っていたのは、がらんとした御用部屋であった。

 後見職の将軍慶喜と安藤信正の他は、老中院の面々しかいないのである。

「いかなる仕儀も何も、ご覧のとおりにござる」

 嫌な予感がする。

 次郎はとてつもなく嫌な予感がした。


 実は、次郎がパリに滞在していた間、国内では重大な政治的亀裂が生じていたのである。

 発端は渡欧使節団の船団編成における不手際だった。

 宇和島藩、土佐藩、福井藩、加賀藩、仙台藩の船舶が技術的問題により航海を断念し、帰国を余儀なくされた件である。

 さらに加賀藩船のサラワク王国での遭難事故とその後の救助劇も、幕府の海外派遣能力に対する疑問を増幅させていた。

 諸藩の不満は根深い。

 そもそも開国以前から、オランダとの貿易は大村藩、佐賀藩、福岡藩のみに限定されており、他藩には機会が与えられていなかった。

 長崎海軍伝習所や築地つきじの操練所も幕臣優先の方針が貫かれ、諸藩士の入門は制限されていたからである。

 外国からの軍艦や武器の輸入も同様で、幕府の許可なしには自由な取引ができない体制が続いていた。

『兵備輸入取締令』は、いまだ廃案になっていない。

 これらの制約が軍艦操艦技術や近代化の遅れを招いたと、雄藩側は強く主張していたのだ。

「それは確かに。御政道の非を論ずるわけではございませぬが、それもまた真にございましょう。軍艦を造るにしても操るにしても、一朝一夕には成りませぬ。時が足りなかったのは|真《まこと》にございます」

 次郎はそう話すが、幕府側の認識はまったく異なっていた。

 対外的な難題は次郎の技術外交によってほぼ解決されている。フランスとの1,800万ドル協定をはじめとする各国との技術供与協定により、財政問題も改善の見通しが立っていた。

 オランダとアメリカ、ロシアを含めれば、1,500万ドル程度の利益(名目上の取り分)がある。それに加えて借款ならびにファンドによる投資で、600万ドル以上が見込まれているのだ。

 アラスカやカナダへの投資利益も考えると、幕府再建に必要な資金的メドは立ち、もはや諸藩の協力を仰ぐ必要性は薄れたと判断している。

 合議制は緊急避難的な措置であり、国際的な信用も回復した今、従来の幕府中心体制に戻すべきだとの認識が強まっていた。

 決定的な亀裂が生じたのは、京都での酒席での出来事である。

 将軍後見職の慶喜が酔った勢いで諸侯を愚弄する発言をしたのだ。

『天下の大愚物・大奸物だいかんぶつ

『所詮は田舎大名』

 などの言葉が諸藩代表の怒りを買い、合議制からの離脱を決定的にしていた。


「そ、それは中納言様(慶喜)! 言い過ぎにございましょう! 御大老の皆様が立腹なさるのは至極当然にございますぞ!」

 確かに失言であった。

 慶喜は酒の席とはいえ反省はしていたが、本質的な対立は避けられないのだろう。謝罪も撤回もしていない。

 むしろ酒の席での戯れ言ざれごとを見過ごす程度の器量もないのか、と考えているきらいもある。

 この政治的混乱の中で、朝廷から大政委任の宣旨が発せられたのは、幕府側の巧妙な工作の結果だった。

 松平定信以来の大政委任論を明文化して、将軍の統治権限を天皇の権威により正統化し、諸藩の反発を抑え込む狙いがあったのである。


「して、他の大老の皆様はいずこに?」

 次郎が恐る恐る尋ねると、安藤信正が笑顔で答える。

「ああ、諸藩の方々であるか。国許くにもとへお帰りになられた」

「! 何ゆえにございますか?」

 純顕の声が上ずり、視線が信正から慶喜へ移った。

「帰ると仰せの方を、無理に引き留めても仕方ございませぬ。それに朝廷より大政委任の宣旨を賜った今、従来の政道に戻すのが筋かと存じます。もともと火急の際に設けた仮の措置に過ぎなかったのでございますから」

 慶喜が落ち着いた様子で説明した。

「されど中納言(慶喜)様、これまでの約定では合議により……」

「約定などと申しても、勅書は新しきを重きとせねばならんであろう? それに従ったまでじゃ。なにか、道理に合わぬ事があるか」

 慶喜は丁寧ながらも冷たい口調で言う。

「外国との難題も片付き、財政の目途も立ったのじゃ。わざわざ諸藩のご機嫌を取る必要もなかろう」

 次郎の頭に血が上った。

 技術外交の成功が、まさかこんな形で利用されるとは。

 では――。

 次郎が言葉を発しようとした瞬間。

「では、今後一切、わが家中は御政道には関わりませぬ。御免。次郎、帰るぞ」

「え? は、はは」

 すっと立ち上がり、一礼して退座しようとする純顕と次郎に一同はあぜんとした。


「ま、待たれよ丹後守殿、話はまだ終わっておらぬし、貴殿も話す事があるのではございませぬか?」

 安藤信正が叫んだ。


 次回予告 第425話 (仮)『決別か否か』

コメント

タイトルとURLをコピーしました