慶応三年五月十八日(1867年6月20日)フランス・パリ
パリ万博の日本パビリオン内に設けられた小さな会議室。
緊張感と熱気が入り混じる空間で、渋沢栄一主催の研究会が始まろうとしていた。
この集まりは、当初、大々的に開かれる予定だったが、現実的な制約から規模を縮小し、主に幕府使節団と各藩の関係者を対象とした小規模な研究会という形になっていた。
壁には「士魂商才」と大きく書かれた掛け軸が下げられている。
「皆様、本日はお集まりいただき、ありがとうございます」
渋沢栄一は緊張した面持ちで挨拶を始めた。彼自身、初めての欧州訪問であり、フランス語に堪能というわけではない。
そのため、フランス語通訳の通訳が隣に控え、必要に応じて手助けする体制だった。
「私がこれからお話しする『士魂商才』とは、武士の精神と商人の才覚を兼ね備えた新しい日本人の姿です。御公儀に仕える身として公言するのは難し考えではありますが、現在の世界情勢と日本の立場を考えれば、避けては通れない道だと確信しています」
渋沢の言葉に、部屋に集まった日本人たちは固唾を呑んで聞き入った。
参加者の大半は幕府使節団の若手役人と、各藩から派遣された留学生や技術視察団のメンバーだった。
その中には数名のフランス人やその他外国人も混じっていたが、彼らは通訳を介して話を聞いている。
万博開催前から、渋沢はパリでの研究会開催を望んでいたが、言葉の壁と現地の人脈不足から困難を極めていた。
そこで次郎が、ベルクールや駐仏オランダ大使館、少ないならがも滞在中に得た大村藩のパリでの足場と人脈を活用して、この場を設けたのだ。
「西洋諸国が強大な国力を持つのは、彼らが商業の力を国家の礎としているからです。日本もまた、商業の力を正当に認め、武士の道徳心と商人の実務能力を兼ね備えた人材を育成しなければなりません」
渋沢の熱のこもった言葉を、通訳が丁寧にフランス語に訳していく。
フランス人参加者は少数ながらも、この日本人の新しい思想に興味を示した表情で聞き入っていた。
そのとき、五代友厚が手を挙げる。
彼は薩摩藩の商業的活動を率いる立場にあり、上海での滞在経験と日本における貿易の経験から、西洋の商習慣にある程度は触れていたのだ。
「渋沢殿ん考えに賛同すっ(します)。オイが上海で見聞したところによれば、西洋人の商売手法はオイ達んもん(物)とはまっで異なっ(まるで異なる)。アイドン(彼ら)は組織的に動き、大規模な資本を集めて事業を展開しちょい(しています)。オイ達も同様ん方法を学ぶ必要があっやろう(あるでしょう)」
五代の発言に、部屋からはさまざまな反応が起きた。幕府の役人からは懸念の表情も見られたが、多くの藩の代表者たちは頷き、同意を示していた。
薩摩弁に関しては五代も多少考えて喋っていたし、薩摩藩は史実と同じように中央にも進出し、初めて聞く方言ではなかったために、大きな齟齬は発生していない。
「されど」
会場の一角から、大村藩の家老、次郎が立ち上がった。渋沢と五代の話を真剣な面持ちで聞いていた彼が、ついに発言を求めたのだ。
「渋沢殿(篤太夫)、五代殿(才助)、興味深いご意見をありがとうございます。私も両者のご意見に基本的には賛同いたします。ただ、一点だけ付け加えさせていただきたい」
普段は才助と篤太夫と呼んでいるが、公式の場なので名字に殿をつけた呼び方である。
部屋の視線が次郎に集まった。
「『士魂商才』の考えは素晴らしいものです。されど、我らが目指すべきは単なる商業の発展だけではなく、『産業と技術による国家の自立』ではないでしょうか」
次郎は自らの席から立ち、より多くの人に聞こえるよう声を張って続けた。
「欧州列強の真の強さは、単なる商業の力ではなく、産業革命によってもたらされた『技術力』と『生産力』にあります。これはパリに来て、私自身が肌で感じたことです」
次郎は、最近自分たちが実演した自動車や計算機、グライダー、電信技術などを例に挙げ、それらが単なる商品ではなく、社会の基盤を変える技術であることを説明した。
「我らが目指すべきは、外国からの商品を買うだけの商業ではなく、自らの国で生産できる技術と産業の確立です。そのためには、武士の知識と気概、商人の実務能力に加え、『技術者の創造力』が不可欠なのです」
次郎の言葉に、渋沢と五代は強く頷いた。
特に渋沢は、次郎の発言に大きな共感を示した様子である。
「蔵人様のご指摘は非常に重要です。実は、私がこの数週間で見聞した中で最も印象的だったのが、株式会社という制度です。これは、まさに蔵人様のおっしゃるような大規模産業を育成するための仕組みなのです」
次郎を公式に蔵人と呼んでいる。五代も同様である。
渋沢は、パリ滞在中に現地の銀行家や実業家から聞いた株式会社の仕組みを、できる限り分かりやすく説明した。
このあたりの行動力はさすがといえるが、次郎の尽力があったのは他でもない。
個人の力では運営できない大規模な工場や、鉄道、船舶などの産業を、多くの人々の力を結集して運営する—その概念に、部屋の日本人たちは熱心に耳を傾けたのだ。
「オイ達武士が持つべき『商才』ては、単に利益を上ぐっ才覚だけじゃのうて、国家と民を豊かにすっ(する)産業を興す力であっ(ある)、ちゅう理解でよかどかぃ(いいでしょうか)」
若い薩摩藩士が質問した。
「そん通り」
五代が答えた。
「オイ達武士が持つ『忠義』ん心は、本来、国と民のためにあっもん(あるもの)。そん(その)忠義を実現すっ(する)手段としっせぇ(として)、産業ん発展と技術ん向上を目指すとじゃ。上海で見た西洋商人の活動は、個人の利益だけでなっ(なく)、自国ん産業と国力を高むっことにも繋がっちょった」
議論は白熱し、予定の時間を大幅に超過した。
少数ながら参加していたフランス人実業家たちも、通訳を介して積極的に質問を投げかけていたせいもある。
「日本の身分制度は、産業の発展を阻害してきたのではないですか?」
あるフランスの銀行家が尋ねた。
「何を言うか!」
通訳を介して伝わった言葉に、幕府関係者の数人が刀に手をかけながら立ち上がった。
「お止めくだされ!」
まったく血の気が多い。
勘弁してくれよ。
次郎が怒鳴り、しかし、すぐに笑顔になってなだめる。
「ここは議論の場、ただの議論の場にございましょう。各々方は、まさか日本の恥をさらす気ではございますまいな」
言葉の齟齬があったのか、身分制度=徳川幕府ととらえらのか?
ともかく、一触即発になりかけた雰囲気は次郎によって避けられた。
ざわついた場内がおさまり、議論は続く。
次回予告 第406話 (仮)『研究会のその後とパリデート』

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