第401話 『移動と計算の革命』

 慶応三年五月十一日(1867年6月13日)万博会場

 晴れ渡ったパリの朝。

 日本パビリオン前には前日を上回る長蛇の列ができていた。昨日の電灯実演の評判が市内に広まり、多くの見学者が詰めかけている。

「兄上、もう門前にこれほどの人が……」

 隼人が窓から外を眺め、驚きの表情を見せた。

「予想通りだ。昨日の実演はパリ中に話題を広げたようだな」

 次郎はパビリオン内での最終確認をしながら答えた。自動車はすでに前庭に移動され、布で覆われていた。計算機も専用のブースに据えられ、最終調整が行われている。




「そろそろ開場だ。皆、始めるぞ」

 次郎の号令で、スタッフたちが位置に着く。

 パビリオンが開かれると、人々が一斉に押し寄せてきた。

「Bonjour! Bienvenue au pavillon japonais!」

(おはようございます! 日本パビリオンへようこそ!)

 日本側のスタッフがフランス語であいさつし、入場者を迎える。

 入り口付近では、渋沢栄一と五代友厚の姿も見えた。彼らはすでに大村藩のパビリオンを訪れていたが、今日の実演を特に楽しみにしていたのだ。

 なお、当然ながら、初日の実演も継続して行われている。

「これは次郎様、昨日は素晴らしい実演でした」

 渋沢が笑顔で次郎に近づいてきた。

「本日も楽しみにしております。特に、計算機には強い関心があります」

然様さようか。ありがとう。今日の展示もきっと気に入ると思うぞ」

 次郎が応じると、五代も加わった。

 渋沢は小栗に同伴して数年前に大村藩の技術視察をしており、五代に至っては大村海軍伝習所(海軍兵学校の前身)の卒業生である。

 当時は伝習所だったため、大村藩士と領民以外にも門戸を開いていたのだ。

(現在は海軍兵学校の初等海軍伝習課程のみ開放)

「薩摩でも西洋技術の導入に努めておりもす(います)が、大村家中の技術は一歩も二歩も先を行っちょいもすな(行ってますね)。特に、昨日の電灯……あいは(あれは)実にたまがりました(驚きました)」

 五代は目を輝かせながら言った。

 彼もまた、時代の変化を敏感に感じ取っている商人であり、薩摩藩の近代化に深く関わっていたのである。

「才助も相変わらずだな。薩摩藩の展示場も盛況のようではないか」

 次郎は五代の肩を軽くたたいた。

「うんにゃ(いいえ)、大村家中ん(の)展示には及びもはんじゃ(およびません)。わが家中ん出品は焼き物に焼酎、調度品に琉球ん産物など、伝統的なもんばっかいじゃ(ものばかりです)。大村御家中ん実演に比べれば……」

 五代は期待に満ちた表情で、前庭に置かれた布のかかった展示物を見つめた。




 東京や関西の人からは考えもつかないだろうが、九州とひとくくりにしても、南部と北部、特に宮崎・鹿児島と熊本以北の方言は別だと考えてもいい。

 沖縄にいたっては琉球王国だったのだから、いわずもがなである。

 次郎には前世で宮崎と鹿児島の同期がいた。

 それに大河ドラマをよく見ていたので、何とか聞き取れるのだ。




 五代は藩を出て江戸や大坂での商取引や、(日本語が分かる)外国人と接するにつれ、多少は話し方が変わってきている。




 午前10時。

 パビリオン前庭に集まった群衆の熱気は最高潮に達していた。

 フランス人だけでなく、ヨーロッパ各国の要人、技術者、そして好奇心に満ちた一般の人々が、固唾をのんで実演を見守っている。

 次郎と隼人、廉之助が布を外しにかかると、群衆からどよめきが起こった。

 姿を現したのは、真新しい四輪自動車だった。黒と赤に塗装された流線型の車体は、これまでの馬車とは全く異なる形状をしている。

 四輪の上に小型のエンジンを搭載し、座席と操縦装置を備えているのだ。

 外見は木製の座席と金属フレームを組み合わせた簡素な作りである。

 しかし、車輪には革新的な空気入りゴムタイヤが装着され、前方には円形のステアリングホイールが取り付けられていた。

 会場からは英語・フランス語・ドイツ語・オランダ語など、さまざまな言語で興味津々の声が上がる。

 蒸気自動車の存在は知られていたが、それらは大型で重く、煙と蒸気を大量に噴出させるものが多かった。

 目の前のこの車両は、あまりにもコンパクトで洗練されていた。

 廉之助が前に出て、通訳を介して説明を始める。

「これは蒸気ではなく、内燃機関を動力として動く自動車です。蒸気機関とは全く異なる原理で動きます」

 観客たちは首をかしげ、互いに顔を見合わせる者も多かった。蒸気機関と違う動力とは何なのか、理解に苦しむ様子である。

 廉之助は続けた。

「この自動車には、ボイラーがありません」

「おおお!」

 彼は車体を一周し、あえてボイラーがない点を強調した。

 これに驚きの声が上がったのである。

「代わりに、石油から精製した液体燃料『ガソリン』を使用します。この燃料は、機関の中で空気と混ざり、小さな爆発を起こします。その力で車輪を回すのです」

 彼はエンジンの小さな模型を持ち出し、ピストンが上下に動く仕組みを実演した。専門的な説明は避け、視覚的に理解しやすい説明を心がける。

「ご覧ください」

 廉之助は操縦席に座り、エンジンの始動準備を整えた。

 点火装置のレバーを調整し、燃料供給バルブを開いた後、助手が車体前方のクランクハンドルを力強く回す。

 数回目の回転で、小気味よいパンパンという爆発音とともにエンジンが始動した。その素早い始動に、観客からは驚きの声が上がったのである。

 特に、大量の煙や蒸気を排出しない点が、大きな違いとして目に留まった。排気口からは薄い煙が出るだけで、従来の蒸気機関車や蒸気自動車と比べて非常にクリーンなのである。

「このエンジンは、馬十頭分の力を持ちながら、馬一頭分のスペースしか必要としません。一度の給油で数十キロメートルの走行が可能です」

 廉之助はギアを入れ、自動車をゆっくりと前進させた。ゴムタイヤが地面を滑らかに転がる様子を、人々は驚愕きょうがくの表情で見つめる。

 蒸気機関の重厚な動きとは違い、軽やかで静かな走行が印象的だった。

 実演として、廉之助は前庭の周りを数周回った。エンジンのうなりと共に、タイヤが地面を蹴る様子に、観客からは拍手がわき起こる。

 特に技術者たちは熱心にスケッチしたり、メモを取ったりしていた。

 その中に、一人の少年が父親と共に立っていた。9歳ほどの金髪の少年で、その目は自動車のエンジンを食い入るように見つめている。

「あの少年、すごく興味を持っているみたいですね」

 隼人が次郎に小声で言った。

「ああ、子供の好奇心は純粋だ。将来、あの少年はどんな道を歩むのだろうな」




 自動車の実演が終わると、次に計算機の展示に移った。隼人が計算機の前に立ち、通訳を介してその仕組みと性能を説明する。

「この機械は、複雑な計算を瞬時に行えます。四則演算はもちろん、平方根や対数、三角関数まで計算可能です」

 木製のケースに収められた計算機は、文久元年(1861年)に山中信之介が設計し、田中久重が改良を重ねて製作を手がけていた。

 前面には数字キーと演算キー、上部には結果を表示する窓がある。

「人間が行う計算作業には常に誤りの可能性がありますが、この機械は常に正確な答えを導き出します」

 隼人は慎重に計算機のカバーを外し、内部の精緻な歯車やレバーを一部公開した。観客からは驚嘆の声が上がる。

「計算機の心臓部はこの歯車システムです。各歯車が数値を記憶し、演算に応じて適切に回転して計算を実行します」

 隼人はカバーを戻すと、実演として渋沢栄一が持参した複雑な金利計算の例題を、計算機を使って解いてみせた。

 通常なら熟練した計算士が数時間かけて解く問題が、わずか数分で答えが出る。

 渋沢は目を輝かせた。

「これは驚きです! 銀行業務や為替計算に革命をもたらすでしょう」

「銀行だけでなく、あらゆる産業で活用できます」

 隼人は続けた。

「船舶の航路計算、土木建築の設計、天体観測など、正確な計算が必要な場面で力を発揮します」

 そのとき、ジャンが前に出た。森山が彼の通訳をする。

「僕にも使わせてもらえませんか?」

 隼人は次郎に目配せし、許可を得てからうなずいた。

「どんな計算をしたい?」

「円周率を計算してみたいです。ウィリアム・ラザフォードの方法で」

 その専門的な言及に、見学に来ていた一部の数学者たちの間でざわめきが起きた。14歳の少年が高度な数学的手法を知っている事実に、驚きを隠せなかったのだ。

 隼人はほほ笑んで森山を通じて計算機の操作方法を説明した。

 ジャンはすぐに理解し、複雑な計算に取りかかった。彼の手際の良さと理解力に、観客から拍手がわき起こる。




 昼食の休憩時間、次郎は渋沢と五代を招いて、パビリオン内の一室で一緒に食事した。

「次郎様、今日の展示も素晴らしゅうございました」

 渋沢は興奮気味に話し始めた。

「こと(特)に計算機は、これは誠に驚き入るばかりにございます。もしこれが世に広まれば、我が国における金のやりとり、商いの帳付けといった儀は、目覚ましく速やかになりましょう。ただ今の為替の計算や、帳簿の仕分けにかかる手間を思うに、そのありがたみは計り知れぬほどにございます」

「そん通り(そのとおり)です」

 五代もうなずいた。

「薩摩でん(でも)、商いの取引ん(の)手間をなくすは重き題目となっちょいもす(なっています)。特に国際貿易においては、正確かつ迅速な計算、こい(これ)が不可欠じゃ」

 次郎は二人の言葉にうなずきながら、計算機の将来性を語る。

「こたびは始まり過ぎんよ。追々さらに小さくなり、町の普請場や学校でも用いられるであろう。わが友である信之介は、やがては各々の家庭にも行き渡らせたいと言うておった」

「家庭にまで?」

 渋沢が驚いた表情を見せた。

「そこまで行き渡れば、国民全体の計算の才と教育の質が上がります」

 次郎の言葉に、二人は深く考え込んだ。計算機が社会に与える影響の大きさを実感したのだ。

「自動車ですが……」

 五代が話題を変えた。

「あい(あれ)が実用と化せば、運送や人ん(の)行き来がめまぐるしゅう変わりもん(変わるでしょう)。蒸気機関車よりも小さか(小さい)、各々でん持ち得っ。(各個人で所有できる)殊にばい煙や湯気が少なっ、(少なくて)すぐに動き出すっ点(出す点)は、わっぜすげかこっです(非常にすごいことです)」

 次郎はうなずいた。

「しかり、それが内燃自動車の最大の強みである。鉄道には線路が要るが、自動車は今ある道で問題ない。各々の移動手段として、世を根底から変える可能性を秘めておる」

「されど、燃料を調達し、道を整えることなど、課題も多かろうと存じます」

 渋沢が現実的な懸念を示した。

「しかり。新しき技を取り入れるには、常にかたし障り(難題)がつきものゆえに、我らは一歩ずつ進めねばならんのだ」

 次郎は自分で言っておいて照れくさかったが、まるで歴史上の偉人になったかのような錯覚がそうさせたのだ。

「はじめは軍事や産業に用いることから始め、おいおい一般へ広めていく。それに並行して、燃料を調達する道筋や、道を整えることも進めていく」

 渋沢と五代は感心した様子でうなずいた。次郎の長期的な視野と計画性に、深い敬意を示しているのだろう。

 午後の展示では、再び自動車の実演が行われた。今度は屋外の広場で、より長距離の走行披露である。

 廉之助は自動車を華麗に操り、旋回性能や加速性能を示した。

 観客は歓声を上げ、多くの人々が蒸気自動車やガスエンジンとは違う自走式の乗り物に魅了されていく。




 今日の自動車と計算機の実演は大成功であった。

 この評判が広まれば、今後予定されている実演にはさらに多くの来場者が見込める。

 基本展示は会期中常に公開しているが、特別実演は週に数回のみの貴重な機会として、閉幕の10月末まで実施していくのだ。

 展示の終了時間が近づくと、次郎は明日の予定を観客に告げた。




「明日は浮世絵と写真術の特別展示を行います。日本の伝統芸術と最新技術の融合をお楽しみください」




 次回予告 第402話 (仮)『空への挑戦』

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