第400話 『移動と計算の革命(前夜)』

 慶応三年五月十日(1867年6月12日)万博会場 日本パビリオン

 電灯の実演が終わり、パリの夜も更けようとしている。日本パビリオンの初日は大成功を収め、スタッフたちは疲労と達成感が入り混じった表情で片付けを終えていた。

「みんなご苦労、明日も早いから、今夜はゆっくり休んでくれ」

 次郎の言葉に、スタッフたちは感謝の表情を見せながら退出していく。パビリオン内に残った次郎・隼人・廉之助・お里は、明日の準備と同時に最終確認をしていた。

「明日は自動車と計算機の展示だな。準備は問題ないか?」

 次郎の問いに、廉之助が自信満々に答える。

「全く何の障りもございません。エンジンの調整も終わり、燃料も十分に確保しました」

「兄上、計算機も障りありませぬ。ただ今、最終の確認を終えたところです。間違いなく渋沢殿が興味を示すと思いましたゆえ、為替計算の実演準備も抜かりありません」

 隼人も机に広げた図面を指しながら補足した。

「よし。明日はさらに多くの見学者が来るだろう。今日の評判が広まっているはずだ」

 お里はお茶をいれながら、楽しそうに笑う。

「ジロちゃん、今日のフランス人たちの表情は本当に面白かったわね。電灯がついたときの驚き方といったら!」

「ああ、まるで魔法でも見たような顔だったな。明日の自動車はもっと衝撃を与えるだろう」

 次郎はそう言って、遠い目をした。

 前世の記憶と、この時代の現実が混ざり合う不思議な感覚。

 ガソリン自動車も計算機も、前世では100年以上前の技術だ。しかし、この時代の人々にとっては、まさに革命。

 自分たちが生み出した成果が世界を驚かせ、そして変えていく。その実感は、何物にも代えがたい喜びと興奮をもたらしていた。

 ようやく、ここまで来た。

 図らずも起こった日英戦争で、イギリスはもちろん、列強に日本(大村藩)の技術力を見せつけ、見下されない程度にはなった。

 今回の万博ではそれに拍車をかける。

 開国のソフトランディングはすでに達成した。

 あとはいかに内戦を防いで国内の政治形態を安定させ、武力に頼らず、国際社会の仲間入りを果たすかの段階に入ったのだ。

「それにしても、……ジャン君は、本当に驚くほどの知識量ね」

 お里がル・アーヴル港から付いてきた少年、ジャン・フィリップ・デュポンとのやりとりを思い出して言った。

「ええ、正直驚きました。単なる子供の好奇心の範疇はんちゅうには収まりませぬ。学者や職人のごとき質問をしてきました」

 隼人も真剣な顔でうなずく。

 彼の研究分野にまで踏み込んでくる少年の存在は、ただごとではなかった。

「まるで、どこかの研究所の研究者ではないかと思いました」

 廉之助も加わった。

 彼は、ジャンがカルノーサイクルについて言及した件に衝撃を受けていたのである。

 熱力学の理論は、当時のフランスでも最先端の分野であり、それを14歳の少年が理解しているとは、考えにくかったからだ。

「しかし、フランスならエコール・ポリテクニークだろうが、年齢が足りん。それに声をかけてきた連中は、間違いなくヤツらだろう? 特例で学生だったとしても、それならなおさら声をかける必要がない」

 次郎の推論は正論であった。

 彼らがジャンに接触してきたのは、別の目的があるからだ。背後にフランス政府、あるいはそれに準ずる組織の影が見え隠れする。

 さすがにイギリスのようなことはないと思うが、警戒を怠ってはならない。

「よし、ジャンには同じ連中が再び来ないか見張りをつけよう。それより明日の準備だが」

 気を取り直した次郎は、隼人と廉之助に視線を向けた。

「自動車の展示は、パビリオンの前庭で実演も行う。計算機は内部での展示だ。計算機は、今回の出品物の中でも最も機密性の高い物の一つゆえ、取扱いにはくれぐれも注意をせよ」

 計算機は、文久元年(1861年)山中信之介の設計をもとに田中久重が開発に着手し、改良を重ねた。

 2年前の慶応元年(1865年)にプロトタイプは完成し、改良を重ねてきたのである。

 当初は人力でクランクを回していたが、後に蒸気機関や他の内燃機関による動作を模索し、現在は電力駆動に改善されていた。

 アラスカ開発に伴う膨大な収支計算や、航海中の複雑な天体観測、測量計算に威力を発揮している。

 その性能は、欧州のどの計算機よりも優れていると次郎は確信していた。

「はい、兄上。計算機は専用のブースを設け、厳重に管理いたします。操作は限られた者のみが行い、来場者にはデモンストレーションのみ行います」

 隼人が真剣な顔で報告した。

「よし、それで問題ない」

 次郎は満足げにうなずき、天井からつるされた電灯の柔らかな光の中で、最終確認を続ける。

「自動車の実演はいかがだ、廉之助」

「はい」

 廉之助が姿勢を正した。

「パビリオン前の区画は万博事務局から許可を得ております。されど走行可能な範囲は狭いようで、最大でも五十メートル程度です」

「十分だろう。人々に見せたいのは自動車が実際に動く事実だ。速度や走行距離ではない」

 次郎は自動車の設計図を広げながら言った。

「エンジンを始動させる前に必ず点検を。これは信之介が念を入れて確認して渡してきた最新版だ」

「ジロちゃん」

 お里が少し心配そうな表情で言った。

「あんまり一気に驚かせすぎると、恐れが敵意に変わるかもしれないわよ。昨日のフランス人たちの顔、最後は恐怖に近かったもん」

「お里、それを言ってしまえば今さらじゃないか。まあ、内部構造は見せずに外観と動きだけを公開するんだから、問題ないだろう。我らの目的は脅しではなく、日本の技術力への敬意を促すためだ」

 次郎の言葉に、全員がうなずいた。

「ところで」

 廉之助がふと思い出して言った。

「エコール・ポリテクニークの技術者たちだけでなく、今日はアトリエから絵描きたちも来ていましたね。浮世絵に強い関心を示していました」

「ああ、浮世絵の商売はすでに才助(後の五代友厚)が始めていたな」

「その五代殿が展示されていました。彼には商才がおありですね」

 五代友厚は、史実では薩摩藩士として遣欧けんおう使節団に加わり、ロンドン万博を見学している。しかし、今世では生麦事件との兼ね合いで渡英していないのだ。

 その代わり、上海での滞在や各国の商人から聞いた情報をもとに、浮世絵の可能性に着目していたのである。

 日本の伝統工芸品や美術品が欧州で高い評価を得ると確信し、薩摩藩のお膳立てのもと、大阪で貿易会社を設立し、浮世絵や薩摩焼などの輸出を画策していたのだ。

 今回のパリ万博にも、個人として、また薩摩藩のブースの一部として出品している。

「才助も相変わらずやり手だな。彼が日本の美術品を世界に紹介してくれるのは心強い」

 次郎はそう言って、パビリオンの一角にある美術品コーナーに目を向けた。

 そこは、昼間まで色鮮やかな浮世絵や精緻な薩摩焼が展示されていた場所だ。今は静まりかえっているが、日中は多くの見学者が感嘆の声を上げていたのを思い出す。

「北斎や広重の絵に見入っていた西洋の画家たちが多かったな。その中でも『神奈川沖浪裏』は人気のようだ。日本の美は、技術とはまた違った形で人々を魅了する。これもまた、我々が世界に示すべき事柄だ」

 お里がその言葉にほほ笑んだ。

「そうね。美しさは言葉を超えて伝わるもん。ジロちゃんたちの技術が世界を変えるなら、日本の美は世界を豊かにするわ」

 明日の展示に向けて、最後の準備が進められる。

 自動車は前庭に移動され、計算機は専用のブースに厳重に設置された。警備員が配置され、夜間の見学は制限される。

 静寂を取り戻したパビリオンの中で、次郎たちは明日への期待とわずかな緊張感を胸に、それぞれの思いに浸っていた。




 外では、夜空に星がまたたいている。

 遠くでは、パリの街の喧騒けんそうが聞こえてくるようだ。

 明日は、この街が、そして世界が、日本の革新的な技術に再び驚愕きょうがくする日となるだろう。




 次回 第401話 (仮) 『移動と計算の革命』

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