第367話 土佐安芸郡一揆③独立、なるか?

一国一城 西国の動乱、まだ止まぬ
一国一城

 永禄十二年 十一月十日 土佐 安芸郡 安芸城

「殿、これからどうなさいますか」

 家老であった黒岩越前守の息子、黒岩掃部(30)である。

「若と言われ続けてきて、いきなり殿は慣れぬな」

「は、しかし安芸家の復興のためには慣れていただかなくてはなりませぬ」

 元服したばかりの千寿丸あらため十太夫はわずか12歳である。傍らには弟の鉄之助がいた。鉄之助にいたっては8歳だ。

「兄上……」

「鉄之助よ、何も心配するな。この兄に任せておけ」。

 弟を安心させるためにそうは言ったものの、十太夫自身も不安で心が押しつぶされそうである。

「まずは、要求を下げよう」

「え? 触れを認めさせるのを止めるのですか」

「そうではない。すでに二週間われらは訴えてきたが、憎き敵の元親は、使者もよこそうとはせぬ。われらの言い分に耳を傾けるつもりはない、という事だ」

 安芸十太夫弘恒は、これは一揆ではなく挙兵だ、という。

「まず飲むまいと思うておった触れの中身よ。ならばわれらで実現するしかあるまい。小佐々家中となって、われらの国はわれらで治むるのだ」

 現代風に言えば、要するに独立国宣言である。それを農民の力を借りてやった。

 安芸郡の石高は三万石程度。長曾我部元親が領する香我美郡、長岡郡、土佐郡、吾川郡をあわせると十四万七千石になる。

 これだけみれば、まず安芸十太夫の軍に勝ち目はない。

 しかし多くは農兵である。普通に考えれば千の兵を動員できれば十分だが、自らの生活がかかっているのならば、動員数も伸び、士気も上がる。

 総勢四千にも膨れ上がった。それが安芸城を中心に郡全域に広がっている。

 対して長宗我部軍は普通の状態での動員兵力は五千。

 そのうち徴兵が三千七百であるが、無理をして搾り取れば一万かそれ以上は可能だったかもしれない。しかし、安芸郡の噂は他の郡にも広がりつつある。

 集まるはずがない。それに攻めるのは敵国ではなく、となりの郡である。士気は当然低い。

 畑山元季(19)は安芸城の前線である穴内城へ入り防備を固め、野根国長(29)は三好へ備えるため野根城を固めている。

 姫倉豊前(49)は奈半利城に入った。野根城と安芸城の連絡のためである。

「では、どうなさいますか?」

 黒岩掃部が尋ねると、

「そうだな、では元親に勧告しようではないか。われら安芸家が安芸郡を治める、と」

 と答えた。十太夫は現在の長宗我部の状況では条件を飲むこともできず、攻める事もできないと考えていたのだ。

「要望を飲む気がないなら、われらとしても無駄な戦などしたくはない。元親の首はほしいが、今はその時ではない。もっと力を蓄えなければ」。

 掃部は十太夫の年齢に似合わないその頭脳明晰さに驚きを隠し得ない。
 
「横山紀伊、岡林将監、専光寺右馬允、小川新左衛門、小谷左近右衛門ら裏切り者は許せぬ」

 父を殺され、約束を破って殺そうとしてきた元親と、裏切りの家臣への怒りは収まらない。

「一戦交えるならば必ずや討ち取らん。帰参を願い出てきても、許すことまかりならぬ」

 やがて十太夫の考えを伝える使者が岡豊城に向かった。

 ■岡豊城

 土佐の中央部、長岡郡にある岡豊城は長宗我部家代々の居城である。その岡豊城の居室で、長宗我部元親は一揆、もとい安芸旧臣の蜂起の対処に頭を悩ませていた。

 本来であれば鎮圧するのであろうが、農兵主体の一揆を母体としているうえ、安芸郡は統治してわずか一年。領民は旧主の安芸国虎への思いが消えておらず、そのために団結しているのだ。

「殿、いかがなさいますか」

 弟であり右腕の吉良親貞が元親に聞く。

「今思案しているところじゃ」

 元親は苦虫を噛み潰したかのような顔をしている。

「国虎のときと同じく、調略によって攻めるが上策と考えるが、あの時とは状況が違う。敵の結束固く、幼い当主を盛りたてようと一致団結しておる」

「さようでございますな。しかし、だからといって、奴らの条件を飲むなど、できるはずもありませぬ」

「その通りだ。それゆえ思案しているのだが、案がない事もない」

「どのような策でしょうか」

 なに、たいした策ではない、と前置きをしたあとで元親は話し始めた。

「まず、使者を送る。そして条件について話し合いたい、と告げるのじゃ。やつらもこのままでは厳しいと思うておるじゃろう。東には三好もおるでな」。

「その後はどうするのですか?」

「条件を交渉して、ある程度は自治を認め、そして徐々になし崩しにして取り込んでいくのじゃ」

「うまくいくかどうかわからんが、まずは鎮めねばならぬ」

 ため息混じりだ。なぜこうなったのか? と言わんばかりである。

「長引けば周りに付け入る隙を与えるであろうし、朝廷や幕府の覚えも悪くなろう。そうなれば土佐を治むる力なし、となってしまう」

「それは、まずいですな」

「その通り、西の一条は小佐々のせいで滅ぼす事はできなかったが、まだ三好攻めが残っている。厳しいところではあるが、弾正大弼の力を借りれば、なんとかなし得るであろう。口惜しいがな」。

 ■浦戸城

 もともと浦戸村周辺は、浦戸城の城郭都市としての面と、港湾としての面がうまく混ざりあった都市であった。小佐々の代官が赴任してきても、さほど行政的に大きな混乱はなかった。

 まず領民に対して布告を出し、軍役がないかわりに18歳から30歳の間に、2年間の徴兵制と、賦役と徴兵に対する賃金を支払うことを約束した。

 小佐々の文物がどんどん流入してくる。大きな船と南蛮風の出で立ちをした士官たち。最初は驚いていた領民も徐々に慣れてきたのだ。

 浦戸城の城内にはカノン砲、カルバリン砲、セーカー砲といった大砲が、飛距離別に備え付けられた。城郭は重要箇所と脆弱な箇所にはコンクリート施工が施され、租借地の外周は堀と土塁の整備が進められている。

「若、どうなさるおつもりですか」

 家臣からの問いに、浦戸城主兼浦戸租界の公使であり、領事の佐伯惟忠は、特に感情をあらわにせず、言った。

「そうだな。予想より少し早いが、起こるべくして起こったというところであろう」

 対長宗我部戦において、小佐々海軍の海兵隊が、領内に向けた触れを出しておいた。それがこうなるであろう事は、予測できた事である。

「いずれにしても殿(宗麟)はご存知であろう。われらは殿の指示に従うまでだ。一応、近況とあわせて報告しておこう。いつでも動けます、とな」

 浦戸湊には海軍の軍艦は停泊していない。しかし浦戸湊と安芸の川湊への輸送程度なら全く問題がない。人員も兵糧弾薬も輸送可能であった。
 
 長宗我部、小佐々、安芸、そして中央の諸勢力と隣国阿波の三好のせめぎあいが始まる。

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