1561年~1565年(忘備録)

1561年(永禄四年)
4月 
転生
蠣浦の海戦

5月
石けんの製造・販売開始
鉛筆の研究製造開始
綿花増産計画(同時にふとん製造)
硝石製造の研究開始
「ナタ目」法による椎茸試験栽培
同「種駒」式栽培研究開始
切り干し大根の生産製造・研究開始
びわ・パン・麦酒・ジャム・ぶどう酒の研究開始

6月
波多・内海・福田氏と不可侵条約
横瀬浦港湾整備・隠蔽陣地ならびに石原岳堡塁の整備

8月
《《宮の前事件》》 発生
糞尿・堆肥獲得のため養鶏、養豚(イノシシ)、養牛(搾乳)開始

9月
流下式枝条架併用塩田の研究開発、実用開始
油による稲の害虫駆除で生産高2割増
菜種による米の裏作開始

11月
大島・崎戸から五島灘における捕鯨を1組300名で開始
油種別石けん研究開始
コタツ実用化

12月
神代勝利を支援
計画植林開始

1562年(永禄五年)
1月
崎戸において石炭の試験採掘開始(露天掘り)

4月
ルイス・アルメイダ 横瀬浦来訪
山葡萄 葡萄酒試験提供
簡易水洗 汲取式トイレ実用化
航海術、測量術、砲術等の簡易的な学校設立(陸・海軍)

5月
横瀬浦 開港 トーレス来訪
遣欧使節団 派遣
南蛮人によるガラス技術の開発促進
葡萄酒、ジャム等の製造開始

6月
堺より鉄砲鍛冶、薩摩より造船職人を招致
鉄砲、大砲、軍船ならびに南蛮船の国産化研究実施
(鋳造、鍛鉄両方)
資金不足のため 捕鯨組を1組から3組に増設
菜種による石けん増産、販売開始

7月
塩増産開始 3倍
望遠鏡の実用化 石原岳堡塁ならびに各城に設置
ガラスの量産化と温度計・湿度計の研究開始
コンクリートの研究開始 部分的に使用
レンガの研究開始
フリントロック式火縄銃の研究指示
醤油、味噌、酢の増産研究

11月
マカオからの貿易船到着
硝石生産安定化 硫黄・木炭の安定供給と火薬・弾薬製造開始
サトウキビ・さつまいも栽培研究開始
絹の直接買付に失敗
マカオに商館設置 貿易せずとも情報収集の拠点とする
中国・宋代~の技術文献の大量購入を依頼

12月
フリントロック式火縄銃実用化
鍛鉄式大砲の実用化
ペニシリン製造研究開始
後装式大砲の問題点と改善の研究開始(雷管含む)
鋳造式大砲の射程改良研究開始
蒸気機関の研究開始(あくまで研究)
時計の開発研究

1563年(永禄六年)

1月
有馬・大村連合軍 龍造寺氏に敗北

2月 
葛の峠の合戦 横瀬浦攻防戦 佐世保湾海戦
大村純忠 敗走 沢森軍 松浦・針尾軍に勝利
測距儀の実用化、実戦運用

4月
海軍伝習所
陸軍調練所
正式発足

5月
沢森 針尾・佐世保・松浦の仕置を行う
石高36,824石 人口24,000人
平戸にて条約調印 波多不可侵条約更新、伊万里・志佐不可侵条約締結
松浦隆信切腹、嫡男、次男出家幽閉
沢森政種次男 千寿丸 平戸松浦の養子となる
鍛鉄による艦砲の実用化 試験運用成功

くじらの捕獲量増加 6組編成となる

第二回遣欧留学使節団 派遣

7月
沢森平九郎政忠 五代目小佐々弾正大弼純正となる
宮の村 大村純忠へ返還 キリシタンの村になる
大串鉱山接収、開発
北松浦郡にて石炭採掘開始

二段式ポンプ(手押し)
石炭の野焼法によるコークス生成
レンガ
高炉(反射炉)
鋳造による一体型の大砲(カルバリン砲他・長射程高精度)の研究開発

八月
予算会議
新型織り機の研究開発開始
アラブ種導入
伝令犬研究開始

陸軍 五個連隊編成
海軍 三個艦隊編成

醤油、味噌、酢の増産開始

9月
所領拡大にて菜種の生産量拡大
「小佐々領内諸法度」制定

1564年(永禄七年)

1月
アルメイダによる医学校設立。

5月
温度計の実用化
しいたけ種駒式栽培開始
ペニシリン薬効実験継続
(アルメイダ医学校薬学部研究室)
注射器製造研究開始
顕微鏡製造研究開始

第三回遣欧留学使節団 派遣

10月
須古城攻防戦
三城城攻防戦
鶴城攻防戦

12月
武雄後藤と攻守同盟締結

1565年(永禄八年)
1月
小佐々領 人口四万を越える
石高59,824石

京都大使館設立
 朝廷へのロビー活動開始

二段式ポンプ実用化 製塩に利用
注射器開発継続中
セメントの試験品完成 性能改良とともにコンクリート利用研究
セメントを用いた土の強度向上による舗装道路の研究
ペニシリン 継続研究
レンガ 材料選別と生成過程による温度の順次向上研究
大砲 鋳造の技術向上による前装填の大砲研究開始
時計の製造、実用化に成功、量産化開始

4月
200トン級艦船建造開始
100トン級艦船2隻建造
上記3隻にて練習艦隊編成予定
120トン級順次建造艦隊編成
200トン~500トン級の建造技術開発

5月
志佐領併合
石高八万七百十六石となる

第四回遣欧留学使節団 派遣

8月
にごり酒に灰を混ぜると澄んで味がまろやかになる事を発見
研究開始

10月
対馬宗氏、五島宇久氏と攻守同盟締結

11月
塩田津の湊をめぐり龍造寺と開戦
激戦となるが龍造寺隆信を打ち取る

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