天保十三年十一月十一日(1842/12/12) 江戸 水戸藩邸
「ふふふ。そう畏まらずとも良い。礼をわきまえ接する者は、貴賤を問わずに話を聞き、よいと思えば取り入れる。それがわしの流儀であり、いまのこの世に要るものだと考えておる」
水戸藩主の徳川斉昭は、幕末の藩政改革に成功した名君のひとりであるが、筋金入りの攘夷派であった。
今年、ちょうど天保十三年から来年にかけて青銅砲を75門鋳造して、1853年のペリー来航後に、そのうち74門を江戸湾防備のために幕府に献上している。
もうすでに国防意識が高く、攘夷に芽生えていたとしても過言ではないだろう。
「そういえば丹後守殿は、異国船打払令に異議を唱えて上申したそうであるな。中身はつぶさに知らぬが、異国船をむやみに打払うのではなく、以前のように薪や水を与えて返せば良い、と」
しまった、と次郎は思った。自らが純顕に提案して実行してもらった事が、純顕の足を引っ張る事になったのだろうか。
「案ずるでない。わしは先ほど言うたように、考えが違うからと申して、それすなわち交遊を結ばぬという事はない。人それぞれ考えがあっての事。理由も聞かずに耳を塞ぐは愚の骨頂である」
次郎の顔に安堵の表情が見えた。
しかし、口ではいいように言っても心の中でどう思っているかなどわからない。
同じ条件なら心証の良い方を選び、ともすれば悪条件でも心証を優先するのが人間なのだ。
当時の日本における攘夷論は、アメリカ・イギリス・ロシア・フランスなどの西洋諸国の接近に対応する海防論の一部として生まれ、排外思想として展開された。
それはキリスト教を禁止する政策とも結びついて、外国との貿易は日本で有益な物を外国の無益なものと交換するだけだ、という有害無益論として見られたのだ。
儒学思想(朱子学)に基づく水戸学の影響を受けた攘夷論は、欧米を夷狄と卑しむ華夷思想を基盤として、神聖なる日本の文化が侵略されるという危機感から生まれたとも言える。
さらに日本は神国であるというナショナリズムが台頭し、攘夷論と結びついた、いわゆる尊王攘夷論が形成されていくのだ。
いずれにしても御三家である斉昭を説得して幕閣とのつなぎをつくり、次回の恩赦に長英を加えてもらわなければならない。
「はは。さすがは英邁にて名君たる水戸様にございます」
まずはこれを、と次郎は最高級の石けんを差し出した。手土産にもってきたのだ。
「ほう、これは……最近巷ではやっておるしゃぼん、いや石けんと申したか」
「は。わが大村の特産にございますれば、お近づきのしるしにご笑納くださいませ」
次郎達が開発した石けんは、高級品から廉価版まで製造され、江戸市中でも人気の品となっていたのだ。
「それで……わしは回りくどい事が苦手での。こたびは、いかがしたのじゃ?」
「では、単刀直入に申し上げます」
「うむ」
そう言って次郎は今回の訪問の主旨を伝えた。
「高野長英、という人物をご存じでしょうか」
「高野、長英? ……無論、知っておる。攘夷を批判し幕政に異を唱える罪人であろう?」
「罪人、と仰せになりますか」
「仰せもなにも、御政道を脅かす事、それすなわちこの日本を脅かす事に他ならぬであろう」
「然に候わず(そうではありません)」
次郎は短く反論した。
「なに?」
「そもそも、彼が記した『戊戌夢物語』は幕府を批判したものでも、攘夷を批判したものでもありませぬ。お読みになりましたか?」
「いや、読んではおらぬが」
「今では禁書となっておりますが、その中では幕府の異国に対する御政道をたたえております。その中で、もし交易を断った場合の報復の危険性を示唆しているにすぎませぬ」
「……」
「その果てとして、中身に物申す形で『夢々物語』や『夢物語評』などの書物が巷にあふれ、幕府の異国への危うしという考えをつのらせる事になったのです」
斉昭は黙って聞いている。しばらくの沈黙の後、短く言った。
「して、その物語が幕府に抗うものでなかったとして、お主は何が言いたいのじゃ?」
「は。水戸様のお力をもって、高野長英の恩赦のお力添えを願いたく存じます」
ふ、ふははははははは! と突然斉昭が笑い始めた。
「何を申すかと思えば、そのような事、できるわけがなかろう」
そう言って一笑に付したのだ。
「なにゆえにございますか」
「我らは御三家、将軍家の縁戚とはもうせ、幕政に関わる事はない。今ここで幕政にしゃしゃり出ては、上様の御不興を被ることになるではないか」
次郎は、今はそうかもしれない、と思った。
事実斉昭はペリー来航により幕政に参画し、開国派の大老井伊直弼と対立するのだ。
「なにも直にとは申しておりませぬ。水戸様のお力と縁を頼りに、幕閣の方々をご紹介いただければと存じます」
「……お主、いったい何を考えておるのじゃ? そうまでして高野とやらを恩赦で赦免させて、なんとする?」
「彼の和蘭国に関する知識は、今の日本で最も秀でているとも言えるでしょう。他に彼の国の事情に通じている者は何名かおりますが、その者達を活かし、この先の日本に役立てぬ道理はありませぬ」
「それは……丹後守殿も同じ考えなのか?」
「それがしごときが殿のお考えを代弁するなど恐れ多き事にございますが、家老として、いささか藩政の役に立つ助言はしております」
「ふむ」
斉昭は次郎の人間性と考えを見抜こうと、じっと考え、目をそらさずにいる。
次郎としては冷や汗ものであったが、無礼な物言いさえしなければ、仮にも一藩の家老である自分は殺される事はないと考えていた。
大口の取引先との交渉と同じだ。
そう考えれば少しは気が楽になった。……気がした。
「されど奴らは、開国だ交易だと、この神国たる日本を夷狄に売り渡さんとするような考えではないか」
「然に候わず。売り渡すのではありませぬ。それはあくまで、策のひとつに過ぎず、大局を見誤ってはなりませぬ」
「ほう、お主はこのわしに大局を論ずるか」
しまった!
「滅相もございませぬ。されど水戸様は、兵学者の高島秋帆先生に藩士を門下として入門させ、大砲をつくり洋式銃陣を藩士に学ばせては、造船の計画を立てていると聞き及んでおります」
「ほう、なかなかに耳ざといではないか。されどそれはあくまで攘夷のため、国を開き夷狄にこびて商いをするためではない」
今度は次郎が深く息を吸い込み、吐いた。
「それで、異国を打払い、勝てまするか?」
徳川斉昭、さすがに手強い。
次回 第55話 斉昭の説得と幕閣の懐柔
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