安政五年十一月七日(1858/12/11)
大村藩領内では道路整備が行われ、人、馬、馬車、籠などの通行に耐えうるレベルにまで達していた。しかし他の地域は例え天下の台所、京の都といえども、整備はされているものの、そのレベルはお粗末なものであった。
そのため上洛の際も江戸出府の際も、籠もしくは馬に頼らざるを得なかったのだ。
しかし次郎も襲撃の後、警護を見直さなくてはならなかった。個人的には2回目の襲撃なのだ。籠の前後左右に鉄板を貼り、周囲には簡易的ではあるが防刃防弾の処理が施された衣類を着た藩士が控えている。
当然、銃は装備済みである。次郎にとっては恐怖であったが、前世の自分に幕末の自分が勝っているのだろう。だからと言って行動を自粛する事はなかったのだ。
■京都御所 陣座
「次郎さん、そないに固くなることあらしゃいません。用向きはしかと伝えておりますから」
「然様でありましゃる。関白様は麻呂の息子幸経の養父なれば、なんら案ずる事はあらしゃいません」
「有り難き幸せ。そう仰せいただくと、それがしも肩の荷がおりまする」
上座側の右手に座るのは鷹司政通(従一位先の関白・太閤)、その下座には岩倉具視(正四位下・侍従)が座っている。やがて上座左手に三条実美(正四位下・右近衛権少将)があらわれ、上座には九条尚忠(従一位関白)が座った。
「関白殿下、右近衛権少将様におかれましては益々ご健勝の事とお慶び申し上げます。それがし、大村丹後守様家中、家老の太田和次郎左衛門と申します。無位無官の者なれど、斯様な場において拝謁の栄誉を賜り、恐悦至極に存じ奉りまする」
政通と岩倉に言われたものの、そこは言葉のあやであろう。次郎は平伏して2人に挨拶をした。実美が尚忠に目配せをして、尚忠が言う。
「次郎左衛門とやら、苦しゅうない、面をあげよ」
2回断り、3回目で次郎は上体をおこして尚忠に正対した。
尚忠は次郎を見つめ、静かに口を開く。
「遠路くれぐれと(はるばる)上洛、大儀でありましゃる。然て、こたびの用向きであるが……」
「は。近ごろの御公儀の行い、あまりに厳しとの点つかる(批判される)事これ多し。このままでは天下を揺るがす大事となるのではと案じております。もとより、御公儀の行いに対して点つく事能う身の程ではないと存じてはおりますが、ひとえに天下国家の安寧のため、奏上いたしたく、お願い申し上げます」
次郎は背筋を伸ばし、落ち着いた声で続ける。
「神戸の開港を別の地へ変えること、大阪の開市を遅らせる事、これはただ今御公儀が米利堅国と交渉しておりまする。問題は先頃処罰を受けた松平越前守(春嶽)様、尾張権中納言様(徳川慶勝)、水戸権中納言様、水戸の当代権中納言様、一橋刑部卿様の隠居・謹慎・登城禁止の罪の減免の勅を賜りたくお願い申し上げます」
冷静な表情を保ちつつも、鋭い眼差しで次郎を見つめる実美が口を開く。
「次郎左衛門とやら、なおなおに(率直に)申せば、公儀の内輪揉めに麻呂達朝廷の口入れは要るのでありましゃるか? 彼の者等の争いは彼の者等で解くべきではあらしゃいませんか」
「確かに、御公儀内の問題ではございますが、国家を安んずるためには……」
次郎は慎重に言葉を選びながら答えたが、その言葉を遮るように、実美の声が響いた。
「国家を安んずるためにですと? 勅もなく約を結びし公儀に、然様な資格はありましゃるか?」
場の緊張を和らげるように、政通が穏やかに介入した。
「まあまあ少将殿(三条実美)。そう声を荒らげずともよいではありませぬか。それに考えようによっては、これは我らにとっても良い機会ではないかと考えましゃる」
「太閤様、それは如何なる事でありましゃるか?」
どうやら次郎にとっての助け船を政通が出したようである。
「此処なる次郎左衛門は、実のところ、公儀の今の力を弱めた方がよいとの考えにありましゃるぞ。お上を頂きに、公儀はなくならずとも形を変え、我ら公卿と公儀を含む有力大名とで、合議にて政を行うのが良いとの考えにありましゃる」
三条実美は政通の言葉を受けて、一瞬黙り込んだが、すぐに疑問の色を浮かべた表情で口を開いた。
「太閤様、それは、次郎左衛門が公儀の力を弱めることを望むと申しておるのであらしゃいますか?」
「誠でありましゃる。ただ今のような強き権を用いて公儀の下に大名や公家があるのではなく、皆平等に口論するのでありましゃる」
政通は穏やかな笑みを浮かべながら、次郎の方を見ては再び静かに口を開いた。
「これは、少将殿もお望みの事ではあらしゃいませぬか」
魑魅魍魎が跳梁跋扈し権謀術数が渦巻く朝廷である。言葉の節々に意味が込められているのだ。三条実美は幕府を倒し王政復古にて完全な新政府を作ろうとしている。
しかし幕府の力はいまだ強大である。倒すためには自らも力を蓄え、同じく敵の弱体化を進めなければならない。次郎の案で処罰を減免すれば、確かに幕府の権威は低下する。
実美の野望に一歩近づくのだ。
実美は目を細め、じっと次郎を見つめた。その表情からは、複雑な思考が頭の中を巡っている事がうかがえた。
「うべなるかな(なるほど)……確かに、公儀の権威が下がることは望ましい。然れど、単に罰を減ずるだけで、それが現となろうかの」
次郎は慎重に言葉を選びながら答える。
「罰を減ずるは始まりに過ぎません。これを機に、公儀の権を徐々に弱めていくのです」
岩倉が口を挟んだ。
「公儀の権を下げることはすなわち、朝廷の権を高めると同じにありましゃるな。……真に……巧妙な策でありましゃる」
上座でじっくりと話を聞いていた尚忠は、深く考え込んだ様子で言う。
「然れど、その程(過程)で国が乱れることは避けねばならぬ」
実美はしばらく目をつむって考えていたが、再び口を開いた。
「では次郎左衛門よ、つぶさには(具体的)如何なる手立てを考えておるのだ?」
「まずは罰を減ずるを成し、朝廷の権を示します。その後、公儀と諸大名、加えて公卿様方が皆等しく政を論じる場を設けていく。徐々に新たな政の形を作り上げていくのです」
次郎は背筋を伸ばし、決意を込めた表情で答えた。
「ふむ……如何なさいますか、関白様」
「そうであるな。良き考えではないか。ひとまずお上に上奏申し上げるといたそう」
「有り難き幸せにございます」
次郎は平伏し、会談は終了した。
次回 第228話 (仮)『三度の襲撃と文明の利器』
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