殿

転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第213話 『阿部正弘没。京都の病院設立とハリスの江戸参府希望』

安政四年六月十七日(1857/8/6) 瓢箪鯰ひょうたんなまずとあだ名され、譜代や幕閣からは陰口をたたかれた阿部正弘が、没した。開国派と攘夷じょうい派の調整役となり、批判はありながらも幕府の在り方と存続、そして日本の未来を考えた有能な政治家...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第212話 『築地海軍操練所と金属薬莢、そして輸血と血液保存 』

安政四年三月一八日(1857/4/12)  長崎に幕府の海軍伝習所が出来たのは、2年前の嘉永から安政に改元された1855年の8月の事である。 ただし、長崎が遠隔地ということと、日本人の人材が育ってきたこともあり、講武所内の組織の1つとして正...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第211話 『下手人とその波紋』

安政四年二月二十三日(1857/3/18) 大村藩庁『天諭攘夷じょうい義の誓い』 我ら天諭攘夷義士同盟は、ここに大村家中丹後守純顕並びにその一派に対する襲撃の所以を明らかにせん。 其その一、外夷いとの交易を推し進め、我が国の神聖なる土地を穢...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第210話 『天誅』

安政四年一月二十九日(1857/2/23) 江戸 大村藩邸「おお! そうかそうか! 謙三さんが『生茶葉蒸器械』と『製茶摩擦器械』の開発に成功したと! ? そうかそうか! 良い事じゃ!」 4か国会談が終わり、クルティウスは下田から長崎へと戻っ...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第209話 『落とし所と水戸の徳川斉昭』

安政四年一月四日(1857/1/29) 江戸城「それで、水戸殿はなんと仰せなのですか?」  牧野忠雅が堀田正睦(昨年12月に篤姫が輿入こしいれのため改名)に問う。「変わらぬよ。わしも昔から変わらぬが、あの御仁も変わらぬ。夷狄いてきなど我が国...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第208話 『オランダと同じように』

安政三年十二月七日(1857/1/2)~それまで 交渉は難航していた。 ハリスが言っている事も一理あるが、日本としては下田と箱館を開港して、各国の船に対しては便宜を図っている。食料や水、燃料などの必需品も迅速に補給できるように順次体制が整っ...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第207話 『武力衝突! ?』

安政三年十一月十日(1856/12/7) ~それまで「あいや待たれよ! 信濃守殿(井上清直)、どうか御静まり下さいませ! Dear Brooke, let's remain calm. Let's take a short break.(ブ...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第206話 『長崎の開港と居住権』

安政三年十月十三日(1856/11/10) 「さて、まず要求したいのは、長崎の開港と米国人の居住権である」 ハリスが口火を切ったこの議題については、イギリス・フランス共に要求に差異はなく、開港と居住権を求めるものであったが、しょっぱなから交...
『邪馬壱国の壱与~1,769年の眠りから覚めた美女とおっさん。時代考証や設定などは完全無視です!~』

第20話 『お前は誰だ』 

正元二年十一月九日(255/12/9⇔2024年6月16日20:00) 弥馬壱国の宮処(都)である方保田東原かとうだひがしばるに到着した6名は、その規模にまず驚かされた。 現代の整えられた住宅地とは全く違うが、数多くの竪穴たてあな式住居が建...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第205話 『交渉開始』

安政三年九月十五日(1856/10/13)  紆余うよ曲折を経て、次郎の軽快なジャパニーズブラックジョークから始まった日本の対4か国協議は、関係国が5か国で参加したという事もあり、序盤から難航を極めた。 ■日本側参加メンバー 全権 下田奉行...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第204話 『サー・タンゴノカミの実力』

安政三年九月十五日(1856/10/13) ~の半月前 江戸城「な、なんだこれは……」 老中首座を退いたとは言え、いまだ幕閣の中で発言力のあった阿部正弘は目を疑った。 確かに、意見は聞いた。幕政の参考にと、聞きはしたのだ。 立秋の候、伊勢守...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第203話 『通商条約の前に和親条約の改正』

安政三年八月十七日(1856/9/15)   イギリス・アメリカ・フランス・オランダの4か国艦隊が、各国の領事予定者を乗せて下田に着いた頃、中国では太平天国の乱が継続中であった。 イギリスは太平天国の首都(建都された南京・天京)を公使である...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第202話 『四ヶ国連合艦隊来航す』

安政三年七月十七日(1856/8/17) 大村藩庁  次郎はあまりの暑さに冷蔵庫の氷を舐め、特製のゴム袋に氷を入れて頭を冷やしてふうふう言っていた。  扇風機もなければエアコンもない。技術を軍事と産業に全フリしてるから、生活環境改善系の機械...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第201話 『山内容堂と大村藩海軍増強計画』

安政三年六月十六日(1856/7/17)  金属薬莢やっきょうの製造にあたり、その他の金属加工製品と同じく、それを加工する加工機械は、研究開発ならびに輸入が並行して行われていた。圧延機やプレス機の精度向上と大量生産である。『全ては模倣から始...
天下百年の計?

第733話 『北常陸県、那珂湊にて三大名と』

天正十六年二月二十五日(1587/4/2)北常陸県 那珂湊 湊御殿 那珂湊は下野国那須郡から常陸国を貫流して太平洋に注ぐ那珂川の河口部に位置し、水戸などの同河川流域と海路を結ぶターミナルとして栄えていた。 とは言っても、規模で考えれば堺より...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第200話 『功山と宇和島藩』

安政三年五月十四日(1856/6/16) 伊予 宇和島城 伊予宇和島藩主伊達宗城は幕末の四賢侯と呼ばれ、松平春嶽・山内容堂・島津斉彬とともに積極的に幕政に参加した事で有名であるが、今世では少し違う。 史実と同じように阿部正弘に幕政の改革を訴...
天下百年の計?

第732話 『吉原県吉原湊』

天正十六年一月十八日(1587/2/25) 地震発生から1年と2か月が経ったが、純正は地震が発生してすぐに決定をした。 向こう10年間を復旧期間とし、全域の復旧ならびに新規の高層建築の建造を禁止したのだ。もちろん、計画していた大阪城も例外で...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第198話 『安政二年のオランダ風説書と鹿児島藩、薩摩海軍』

遡ること8か月前の安政二年六月二十五日(1855年8月7日) 安政乙卯おつう賀蘭風説別段風説書 今年はオランダも平和で隣国はじめヨーロッパ諸国と親しく交わり、交易・航海共に活発である。 1854年末から1855年初にかけて暴風雨に見舞われ、...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第196話 『一触即発、大村藩改易か?』

安政二年十二月二十五日(1856/2/1) 江戸城 老中御用部屋「本音が、でたな」 堀田正篤まさひろの言葉に次郎は心の中で深呼吸をする。表情を崩さぬよう注意しながら視線を合わせると、正篤は手にしていた扇子を膝の上に置き、じっと次郎を観察した...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第195話 『対談、老中首座堀田正篤』

安政二年十二月二十五日(1856/2/1)~の数日前 <次郎左衛門>「あーもう面倒臭えなあ、あそこ息が詰まるんだよ。魑魅魍魎ちみもうりょうが跋扈ばっこするっていうの?」「なに21世紀の人間が非科学的な事を言ってんだよ」「いや、いま令和じゃね...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第194話 『堀田正睦老中首座となり、蝦夷地上知再燃す』

安政二年十一月十七日(1855/12/25) 神に祈るしかない、というのはこの事なのだろう。 次郎は消火器や雲龍水の設置によって地震の被害を少なくしようと試みたが、確かに効果がなかったとは言えない。しかし、藤田東湖らの死因は倒壊による圧死で...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第192話 『第12代アメリカ東インド艦隊司令長官ジェームス・アームストロング』

安政二年八月二十四日(1855/10/4)  ようやく涼しくなってきた十月(旧暦八月)の四日、大村藩庁海防掛に驚くべき電信が入った。 発 瀬戸台場 宛 海防掛 我 異国船 発見セリ 指示ヲ願フ 大村藩領内の瀬戸村の台場からの電信である。 来...
天下百年の計?

第729話 『平穏無事と、相成るか』

天正十四年六月十九日(1585/7/16) 安芸 日野山城 「然様さようか。……純正が然様な事を」  病床にあった吉川元春は、純正の仕置きに対して短くそう言った。  鬼吉川の名に恥じない猛将で名をはせた元春も病気には勝てない。純正の事は表向...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第191話 『鉄道が欲しい!』

安政二年七月十二日(1855/8/24)  大村藩ではライケンらオランダの教官による授業を受ける前から、洋式木造帆船の建造を行い、その航海技術の習熟を次郎の経験と知識、そして深澤組(捕鯨)の協力で行っていた。 それを海軍の創設と考えると、十...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第190話 『飛龍丸献上』

安政二年五月二十九日(1855/7/12)  次郎は松前藩への軍事教練と併せて、共同で北方の警備体制を整えた。 ・久春古丹クシャンコタンのロシア軍陣地を焼却。 ・南樺太のクシャンコタンを大泊と名づけ、整備。 ・択捉島単冠ヒトカップ湾と国後島...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第189話 『1,500トン級軍艦を買うか造るか』

安政二年四月十四日(1855/5/29) 「寒い! さむいさむいさむい! 無理! むりむりむり!」 次郎は誰もいないところでそう叫び、人がいるところでは心の中で叫びながらプチャーチン一行を大泊まで送り、それから樺太のロシア人開拓港への移送を...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第188話 『次郎、ロシアへ』

安政二年二月十八日(1855/4/14) 江戸城「何故なにゆえにございましょうや」「控えなされ太田和殿」 次郎は安政東海地震の際の救援活動も人道的に行った。  医療物資の運搬やけが人の治療など諸々である。次郎はそれを誇示するつもりは毛頭なか...
天下百年の計?

第728話 『毛利だけの優遇措置とも言える』

天正十四年五月二十二日(1585/6/19) 諫早城 100万石を超える毛利の所領の差配は簡単ではない。もちろん、前述のように警察機構は独立して各国に設置され、各郡、各村に署を置き派出所をおいて治安維持にあたっている。 しかしそれ以外は自治...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第187話 『安政二年の正月』

安政二年一月二日(1855/2/18) 日本は去年、まずアメリカと三月三日に和親条約を締結した。  次いでイギリスとは八月二十三日に結び、オランダとは十一月二十三日に締結。ロシアとは元号が替わって安政元年となる十二月二十一日に締結した。 ま...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第186話 『日露和親条約』

安政元年十二月二十一日(1855/2/7)~遡ること数ヶ月前「絶対にダメです! 馬鹿ですか? 阿呆あほうですか?」 次郎はそう叫びたいのを必死に我慢して、地道に交渉にあたっていた。プチャーチンに対してではない。日露和親条約締結における日本全...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第185話 『次郎の思惑、クルティウスの思惑』

安政年十二月一日(1855/1/18) 嘉永七年の十一月二十七日に、安政への改元が行われた。 増え続ける外国船来航と、内裏の火災、そして安政地震の始まりである伊賀地震など、凶事が続いたことが理由である。幕府はアメリカと通商は結ばなかったもの...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第184話 『大村藩か、幕府か。オランダか、米英仏か』

嘉永七年十月十一日(1854/11/30) 長崎 オランダ商館「商館長、今後はどうするのですか?」 スンビン号で日本にやってきたファビウス中佐は、クルティウス商館長に尋ねた。「どう、とは? 通商に関して言えば、大村藩は大得意様であるし、幕府...
天下百年の計?

第726話 『上知か転封か減封か』

天正十四年三月二十五日(1585/4/24) 京都「お久しゅうございます治部少輔じぶのしょう(純久)殿」「おお、これは……直江殿、これはこれは……十年以上、天正の初め以来にござろうか」 肥前国の庁舎と新政府の庁舎は近い。  そのため純久は以...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第182話 『四賢侯、山内容堂と島津斉彬』

嘉永七年八月二十日(1854/10/11)  京都「いやほんま、次郎さんの神通力には目を見張るものがありましゃるの。雲龍水に消火器、前もって備えておったからこそ、これだけの災いで済んだのであろうの」 京都の大村藩邸からは一之進肝入りの医師団...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第181話 『四賢侯、松平春嶽と伊達宗城』

嘉永七年七月二十九日(1854/8/20)  越前福井城「左膳よ、左内からの上書じゃ」 越前福井藩主である松平慶永(春嶽)は改革派の家老岡部左膳に対して、帰郷していた橋本左内からの上書を見せた。 福井藩は慶永が藩主となる前は守旧派である松平...
天下百年の計?

第725話 『奥羽越三州同盟』

天正十四年二月二十四日(1585/3/25) 出羽国 置賜郡 米沢城 場内は殺伐とした雰囲気でありながらも、一つの目的を持って|怱々《そうそう》たる面々が集まっている。 南部大膳大夫だいぜんのだいぶ信直、斯波民部大輔みんぶのたいふ詮直あきな...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第180話 『幕府対松前・大村藩。松前征伐とかならんよね?』

嘉永七年七月五日(1854/7/29) <次郎左衛門> さて、幕府はどうでるかな? 江戸時代の奉行は寺社奉行・勘定奉行・町奉行の三つに分かれていて、そのうち領内の都市部(町方)の行政・司法を担当する役職が町奉行。 幕府以外にも各藩に寺社奉行...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第179話 『攘夷論者徳川斉昭』

嘉永七年六月十一日(1854/7/5) <次郎左衛門> なんとか和親条約は落ち着いたけど、幕末日本史はこっからなんだよね、本番。幕府の中身はちょっとわからんけど、朝廷も今のところは開国肯定佐幕派だし、西国諸藩もおとなしいもんだ。 俺の仕事は...
天下百年の計?

第724話 『会合衆の世界進出と九州五傑』

天正十四年一月十五日(1585/2/14) 堺「そう、それが最も難し事なのだ」 会合衆の議論は連日続き、白熱していった。 千宗易(利休)の提案に多くの者が興味を示す一方で、実現に向けての課題も浮き彫りになっていた。 山上宗二は腕を組み、目を...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第178話 『下田追加条約とクルティウスとライケン。長崎海軍伝習所について』

嘉永七年五月二十三日(1854年6月18日) 和親条約締結後の五月に、その細則として下田追加条約が締結された。次郎はこれにも同席したが、特に日本側に不利になるような重大な事項はなかった。 ざっくり書くと次の通り。 第一条 下田鎮台支配所(奉...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第177話 『ベッセマー法と風の便り』

嘉永七年四月二十七日(1854/5/23) 大村藩 精煉せいれん方 ※大村藩内、特に科学者同士の会話には現代用語(専門用語)が頻繁に使われます。「全く新しい炉をつくらなければならない」 信之介の言葉に、場がしいん、と静まりかえった。室内に漂...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第175話 『坂本龍馬との出会いと日米条約再交渉』

嘉永七年二月十日(1854年3月8日) 横浜「突然お伺いしたにも拘かかわらず、お目通り叶い、恐悦至極にございます。まずはその儀、伏して感謝申し上げまする」「う、うむ。苦しゅうない」(やっべ! 思わず声が出てしまった。知るはずのない若者の出現...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第174話 『黒船再来と坂本龍馬』

嘉永七年二月六日(1854年3月4日) 「Admiral Perry, what in the world are you doing here?(ペリー提督、あなたは一体、ここで何をしているのですか?)」 憮然ぶぜんとした表情で、笑顔ひと...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第173話『鋼鉄艦とベッセマー転炉。蒸気機関の改良と800トン級2隻建造へ』

嘉永七年一月二十四日(1854年2月21日)  現在の大村藩の造船所の利用状況は、下記の通りである。 零号ドック(ポルトランド・長さ62m幅21.5m深さ6m)……修理用。 壱号ドック(長さ122.5m幅25m深さ8.4m)壱(半分)……至...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第172話 『武士と町民、士官と下士官兵。身分と階級』

嘉永六年十二月二十六日(1854年1月24日) 「うーん……」 5分後……。「むむむむむ……」 次郎は頭を抱えていた。頭では分かってはいたものの、物事には順番と優先順位、それから段階を経て取り組んでいかなければならない事が多々ある。 藩内の...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第171話 『大船建造の禁の廃止と将軍家定の就任』

嘉永六年十一月二十六日(1853年12月26日) 大村藩庁「ようやくですな」「ようやくにござる」 次郎は海防掛の江頭官太夫と共にコーヒーを飲み、洋菓子を食べながら歓談している。 そう、ついに幕府が、ついに幕府が大船建造の禁を撤廃したのだ。ペ...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第170話 『江戸表にてプチャーチンと幕閣』

嘉永六年十月二十六日(1853年11月26日) 佐賀城「よし、それで大村家中とはつつがなく、渡りをつけた(交渉した)のだな?」「はは。大村家中は既に時津から伊木力村までは完工しております。我が家中としましては、伊木力から喜々津を経て、三浦村...
天下百年の計?

第718話 『三個師団と三個艦隊。汽帆船の艦隊編成へ』

天正十三年六月二十九日(1584/8/5)  陸軍に関しては北方は小樽に、印阿国はケープタウンとカリカットに駐屯地を設営して地域の防備と運営にあたる事となったのだが、三個師団の増強はそこまで時間はかからなかった。  小樽、ペトロパブロフスク...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第169話 『次郎を呼べよ』

嘉永六年九月二十四日(1853年10月26日) 「それで讃岐様、琉球はいかなる仕儀に御座いましょうや」「うむ、なんとか大村家中の御助力のお陰で面目を保つ事ができた。然れど以後如何いかが致すかは、よくよく考えねばならぬ」 讃岐とは島津家の一門...
天下百年の計?

第717話 『肥前国(州)陸海軍と大日本国陸海軍』

天正十三年五月二十二日(1584/6/30) 肥前州庁舎 大日本国陸海軍は、いわゆる肥前州陸海軍である。 各州の州軍はそのまま大名の私兵が運用される事になっているが、装備や規模、練度や士気の面で国軍よりはるかに劣る。州は独立国に等しい権限を...