天正十八年一月十四日(1589/2/28)
元亀二年(1571年)から開発が始められた炸裂弾とその砲は、日夜国友一貫斎を中心として研究開発がなされていたが、すでに18年の歳月が流れていた。
一貫斎は、純正の叔父であり、肥前国の科学技術省大臣である太田和忠右衛門の門下である。
陸海軍工廠の責任者である一貫斎は、その他の研究開発とともに、この砲弾ならびにライフル技術、そして大砲の研究をしていたのだ。
「もう少しじゃ、もう少しで完成するはずじゃ」
一貫斎は髭をなでながらつぶやく。
最大の課題は、炸裂弾の信管であった。発射の衝撃に耐え、かつ目標に到達するまで爆発しない繊細な機構が必要だったのだ。
■ポルトガル リスボン
「殿下、ようやく、ようやく着きましたな」
長崎の湊をでてから53,443kmである。2年近くの航海を経て、ようやく友好国ポルトガルの王都であるリスボンへ到着したのだ。
ポルトガルとは永禄五年(1562年)の遣欧使節の派遣以来国交があるのだが、30年近くたって初めての訪問である。それでも、小佐々領の拡大によるインドやアフリカの地の領有がなければ、あり得なかったであろう。
「リスボンの空気は、噂に違わぬ清々しさでございます」
空気の味や匂いが、日本の長崎とヨーロッパのリスボンで違うかどうかはわからない。
直茂はもちろん、純正でさえ初めてのヨーロッパである。前世の純正は海上自衛隊時代にアメリカ西海岸とハワイ、グアムは行ったことがあったが、ヨーロッパは初めてである。
蒸気軍艦4,000トン級の戦艦が1隻、印阿艦隊から選抜された護衛部隊の重巡3,000トン級1隻に軽巡2,000トン級1隻、小型機動艦1,000トン級(駆逐艦?)3隻と補給艦1隻の合計7隻の艦隊であった。
艦隊は帆走を止め、もうもうと煙を上げながら汽走に切り替えてリスボンの港に入港する。
ところがリスボン港の見張り台で黒煙が確認されるやいなや、港は一瞬にして大騒動となったのだ。まるで黒船来航のような様相を呈し、軍隊まで出動する有り様である。
混乱に包まれた人々は驚愕し、恐怖さえ感じていた。
セバスティアン1世は報告を受けると、すぐさま側近たちを集めて緊急会議を開いた。
「これは……まずは迎撃態勢をとれ、それからだ」
港では、急遽集められた軍隊が配置につき、沿岸砲台も警戒態勢に入った。市民たちは、恐れと好奇心が入り混じった表情で、接近する艦隊を見つめている。
一方、肥前国艦隊の旗艦艦上では、純正が状況を冷静に観察していた。
「直茂」
と純正は鍋島直茂を呼んだ。
「どうやら我らの着到が予想以上の騒ぎを引き起こしているようだ。速やかに使者を送り、我らの意図を伝える必要がある」
本来であれば事前に通達していれば問題は起きないはずである。しかしケープタウンやインドのカリカットから伝令を出したとして、どれくらい時間がかかるかわからない。
伝令の到着に調整するような形で航海の計画をたてるなど、本末転倒である。それならばそのまま向かい、近づいてから意図を知らせる方がマシだ。
直茂は純正の言葉にうなずき、即座に行動に移った。
「承知いたしました。直ちに使者の準備を整えます」
純正は艦橋から港の様子を注視しながら、さらに指示を出す。
「艦隊は沿岸の砲台に注視しつつ、安全を確かめた後に錨泊せよ。威圧的にならぬよう注意し、全艦にポルトガルの国旗を掲揚するように。我々の友好の意図を示さねばならん」
しばらくして小型の使者船が旗艦から出発し、リスボン港の港内へ進んでいった。使者の船には同じように小佐々家の家紋とポルトガルの国旗が掲げられ、平和的な意図を示している。
使者船が岸壁に近づくと、使者は両手を広げて武器を持っていないことを示し、ポルトガル語で大声で叫んだ。
「我々は友好の使者として参りました! 肥前国王が貴国を公式訪問するためにやってまいりました! 我々に敵意はございません!」
この言葉を聞いたポルトガル側の緊張は和らいだが、依然として警戒は解かれなかった。セバスティアン1世は側近たちと共に港に急行し、自ら状況を確認したのである。
「はじめまして、肥前国王ヘイクロウ・コザサにございます」
「ポルトガル国王セバスチャン1世です。遠路はるばるご苦労様でした」
宮殿までは約5kmであったが、セバスチャン1世と純正が宮殿に向かう間はさながらパレードのようで、沿道には安全が確認された異国の王を一目見ようと、いっそうの人だかりができていた。
馬車が進むにつれ、純正の目に様々な光景が飛び込んでくる。石畳の街路、色とりどりの衣装を着た人々、そして遠くに建つ教会の塔。すべてが新鮮で、心を躍らせた。
当日の夜は晩餐会が開催され、翌日には国王同士の会談が始まった。
「さてセバスティアン王、さっそく貴国を取り巻く情勢と、我が国の対外情勢に関する情報の共有といきたいところですが、如何でしょうか? 特にイスパニアとの関係と今後の考えをお聞かせ願いたい」
純正のストレートな質問にセバスティアンは率直に答える。
「私は9年前にイスパニア王室との婚約を破棄し、5年前にナバラ王アンリの妹であるカトリーヌ・ド・ブルボンと結婚しました。これによりフェリペ王は私の大伯母の息子(はとこ)ではありますが、これ以上血が濃くなることはありません。外交上の付き合いも最低限に留めています」
セバスティアンは慎重に言葉を選びながら続けた。
「ヘイクロウ王、現在のヨーロッパの情勢は非常に複雑です。主要国の状況を踏まえてお話しいたしましょう」
「お願いします」
「まず、オランダですが、オラニエ公の巧みな宥和政策により、南北が一体となって独立を果たしました。カトリックとプロテスタントの共存を実現し、急速に力をつけています」
純正は興味深そうに聞いていた。史実とは違った展開である。史実では南部は別行動でスペインの援助を受ける。
「なるほど……オランダの躍進は目覚ましいですね。彼らの海運力は脅威になりそうです」
歴史の流れとは違っていても、オランダが海運国家であることに間違いはない。今後数度にわたる英蘭(蘭英)戦争を戦って海上の覇権を奪い合うのだ。
「その通りです。次にフランスですが、ナバラ王アンリがフランス王として即位し、スペインと開戦しています。彼の宗教政策にも注目しています」
これも歴史と違っている。当時のアンリ4世は各地を転戦しつつパリ攻略を目指すが、果たしていない。ところが5年先の即位とスペインとの開戦まで進んでいる。
純正とセバスティアン1世の交流が、ここまで歴史を変えていたのだ。
『アンリ王の寛容政策は興味深いですね』と純正。
「そしてイスパニアですが」
セバスティアン1世は少し表情を曇らせた。
「アルマダの海戦でイギリスに敗北し、さらにネーデルランドとフランスとの戦いで苦戦しています。我が国とは血縁関係にありますが、その力は明らかに衰えています」
純正はうなずいた。
「スペインの凋落は、ヨーロッパの勢力図を大きく変えそうですね」
「ええ……。最後にイギリスです」
セバスティアンは続ける。
「エリザベス女王の下で海軍力を強化しつつ、プロテスタント国家として、オランダやフランスのユグノーとの連携を強めています」
「各国の状況が複雑に絡み合っていますね。……そして本題ですが、我が国は未だイスパニアと交戦状態にあります。貴国の状況を踏まえた上で、軍事同盟を結ぶことはできませんか?」
純正は考え込むように言った。
「……それは、非常に難しい質問ですね」
2人の会談は今後数回に及ぶ事になる。
■オランダ アムステルダム
重たい目をゆっくりあけた瞬間に、激しい痛みが走った。頭が割れるように痛み、喉がひどく渇いている。薄暗い天蓋の下でもがくように声を漏らすと、男の声が聞こえた。
初老の紳士服のような姿の男が立っている。
「殿下、目を覚まされましたか?」
殿下、だと? いったい誰の事を言っているんだ? 意味がわからない。それに……どこだ、ここは?
オレが現状の把握と情報収集に努めていると、部屋の外から大きな声が聞こえる。
「フレデリック! フレデリック! 無事なのか!」
バタンと大きな音を立てて部屋に入ってきた男は、これまた中世の貴族が着るような服を着ている。なんだここは? ドラマの撮影現場か? それにフレデリックとは、誰だ?
次回 第749話 (仮)『フレデリック・ヘンドリックと日葡安保条約締結なるか?』
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