肥前

緊迫の極東と、より東へ

第508話 肥前より能登へ、日本初と東国の不気味な動き

天正元年(1572) 二月二十二日 筑前遠賀郡 岡湊 山鹿城 小佐々純正 小佐々領内では、特に海岸沿いの街道には信号所や伝馬宿を設置させている。 街道のコンクリート舗装は全部は終わっていないけど、信号所・伝馬宿・舗装の順に整備を続けているの...
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第507話 肥前より能登へ、肥前松浦郡にて新旧相まみえる夜

天正元年(1572) 二月二十一日 肥前松浦郡 浦村 日高城(唐津市浦字浦川内) 小佐々純正  発 治部大丞 宛 権中納言 秘メ 織田軍 二日 越前ニ 討チ入リケリ 杣山そまやま城ニハ 六日ニ 掛カリケリ 城兵 善ク争フモ 翌七日 未明 夜...
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第505話 明との冊封か小佐々との安保条約か。琉球は岐路にたつ

天正元年(元亀三年・1572年) 二月十五日 琉球 首里城皇帝勅諭琉球王國中山王尚元奉天承運皇帝制曰琉球與大明之交,非始今日。自洪武五年以來,世奉正朔,歲貢方物,歷二百載,未嘗廢弛。朕以天子之德,恤遠人之難,故遣兵戍衛,以安其邦。然而,近者...
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第503話 みせかけの和議と越後の龍を封ずる方法

天正元年(元亀三年・1572年) 二月三日  発 甲斐守(日高喜) 宛 権中納言(純正) 複 治部大丞(純久)  秘メ 越中 一向宗 利得ノ権 放チ(手放シ)難シニテ 和睦ハ 難シト 思ヘドモ 上杉トノ 戦 望マザル 模様ニテ 和睦ノ調停 ...
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第501話 悲報?朗報?リスボン王宮にて隣国の不幸を聞くセバスティアン一世

天正元年(元亀三年・1572年) 二月一日 ポルトガル リスボン王宮「陛下、東インド艦隊のフランシスコ・デ・アルメイダ提督より報告文が届いております」 セバスティアン1世は、昨年の三月にも小佐々領の状況を聞いていた。そのアルメイダからのさら...
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第495話 元亀から天正へ 純正と信長、連盟での奏上と勅書

元亀三年改め天正元年(1572年) 正月 かねてからの懸案事項であった元号であるが、純正と信長の連名により昨年奏上され、天正と改められた。 本来、天正への改元は元亀四年、つまり来年に行われるはず(史実)であったが、前倒しである。 歴史が大き...
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第488話 耐火レンガと反射炉への道

元亀二年 十一月十五日 信長は勅書に基づき、延暦寺や本願寺、伊賀衆や雑賀、松永弾正、そして朝倉義景に対して事実上の降伏勧告とも言える和議の申し出を行った。 条件は次の通り。 ・延暦寺は武装解除して賠償金二千貫。そもそも何の理由があって武装す...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第481話 親書とポルトガル交換留学生、そして明の張居正

元亀二年 十月四日 諫早城 小佐々純正 親愛なる小佐々純正殿、 貴殿の国書を拝読し、東インドの状況とイスパニアの脅威について深く理解しました。 しかし、残念ながら現時点で軍事支援をすることは、困難です。わがポルトガルとイスパニアは隣国であり...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第478話 純正の決断、織田信長か武田勝頼か

元亀二年 九月二十五日 諫早城 発 治部 宛 中将 秘メ 武田家 家臣 曽根九郎ト 申ス者 来タリテ ワレラト 誼ヲ 通ジテハ   盛ンニ 商イヲ 行ヒタシ ト 申シケリ 然レドモ ワレラト 織田ニ 盟約アリテ ソノ敵 武田ト 結ブハ 信ニ...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第475話 義昭、流浪将軍となる

元亀二年 九月二日 京都 室町御所 信長が義昭に提示した条件は二つであった。 人質を出す事と、異見十七箇条を認める事である。義昭にとってはどちらも認められるものではなかったが、交渉の余地はない。 なにせ和睦という体の降伏なのである。 そして...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第471話 五畿七道から五畿八道へ。蝦夷地開拓事始め。

遡って元亀二年 七月十九日 蝦夷国 松前「夏だというのに……まったく暑くありませんね。旦那様」「そうだな、藤兵衛。まあ、これだけ北に来ればそうなるのだろうな。私にとってもここまで北に来るのは初めてなのだ」 九州の肥前から蝦夷地の松前に向うに...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第466話 青銅砲から鋳鉄砲へ、純正、難題を一貫斎に投げかける

元亀二年 七月十七日 諫早城 純正は先日、野田城陥落の報をうけ、京都の大使館内が騒然となったという報せを受けた。いや、野田城の陥落自体は問題ではない。問題はその後なのだ。 将軍義昭が挙兵した。 やっぱりか、と純正は思ったが、こればかりはどう...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第464話 異国との交錯と得体の知れない小佐々家の存在

元亀二年 七月十二日 小笠原諸島 父島「隊長! 何を言っているんだ! ? こいつらが俺たちの船を沈めたんだ! 敵だ! 敵は殺さなければならない!」 いったい何を言っているんだ?  守備隊長のフェルナンド・アルバレス・デ・トレドはもとより、ル...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第462話 友、勝行の変貌と純正の決意:マニラ沖海戦の教訓と課題

元亀二年 七月五日 諫早城「殿、肥前介様がお見えになりました」「うむ、通せ」 諫早城の執務室で政務を執っている純正のもとに、海軍総司令の深沢肥前介勝行が現れた。 勝行は官位には全く関心がなかったが、西国を統べる大国小佐々の閣僚が無位無冠では...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第459話 ポルトガル東インド艦隊から見るイスパニアの野望と小佐々軍の奮闘

遡って元亀二年 四月二十五日 マカオ「何い? 小佐々艦隊がイスパニアの艦隊を破っただと? 誤報ではなかろうな?」「は、間違いございません! また、ミゲル・ロペス・デ・レガスピ総司令官は戦死との事」「なんと!」 マカオのポルトガル商館の近くに...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第451話 吉田郡山城にて、一体何を拠所とするのか?

元亀二年 四月八日  三河方面の山県・秋山の別働隊と、遠江の信玄本隊からなる武田の西上軍は、服属を願い出てきた将兵や降伏した城の兵をあわせると、七千人あまり増加していた。 三河では奥三河の山家三方衆、遠江では北遠江の天野景貫らをはじめとした...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第441話 天下分け目の策謀

元亀元年 十二月八日 信長は純正と会談した後、十二月に入って再び伊勢長島へ入った。 一向一揆が鎮圧されたのは、そのすぐ後である。 文字通りの殲滅戦であり、兵糧攻めのあと最後の長島城に一揆衆をあつめ、降伏後、根切りにしたのである。 戦後処理を...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第433話 変革の時

元亀元年 十一月二十二日 伊予 湯築城 元親は純正の発言の意図が理解できない。「それは一体、どう言うことなのでしょうか?」「言葉通りの意味である。宇喜多殿とは使者を通じて、服属したいとの旨を承っており、了承したのだ。その際、この毛利家との四...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第430話 力と政治

元亀元年 十一月二十二日 伊予 湯築城  戦国時代初、関係各国の代表、いわゆる首脳が集まる会談が伊予の湯殿城で開催された。甲相駿三国同盟でも3人である。10人はまずないだろう。 どこで開催するか迷った純正であったが、諫早城はさすがに遠すぎる...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第429話 西国騒乱!?史上最悪の兄弟喧嘩。完膚なきまでに叩きのめされる。

元亀元年 十一月十五日 吉田郡山城「本気で呑むというのか、隆景」 諫早城で純正との会談を終えて戻ってきた隆景は、輝元と元春、ならびに恵瓊ほか数人の重臣にその内容を告げた。 小佐々と四分六(毛利が四:感覚的な表現)の同盟を結ぶことを提案してい...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第428話 京都大使館にて信長と純正と純久と、そして佐吉

元亀元年 十一月十五日 京都大使館「そうか、そこまできたか。まったく、あの公方ときたら、こちらが何も言わぬのを良い事に」 と信長。「どうされるのですか」 短く返事をする純正。「こうなれば、事と次第によっては所司代を辞任されたほうが良いのでは...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第427話 純正上洛ス 将軍義昭二問フ

元亀元年 十一月一日 京都 室町御所 発 純久 宛 近衛中将 秘メ 公方様ヘ 宇喜多ノ 使者 謁見セリ 御教書ヲ 当家 ナラビニ 毛利 山陽 山陰 各大名ニ 送ルトノ 風聞アリ 内容ハ 播磨、美作、備前ノ 輩ハ 毛利ノ家人 タルベシ トノ事...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第426話 純正と秀安 裏の裏の裏の話

元亀元年 十月二十日 諫早城 小早川隆景との会談を終えた数日後、純正は朝食を食べ終わって、コーヒーを飲んで新聞『肥前新聞』を読んでいた。 第一回の遣欧使節が帰国したとき、グーテンベルクの活版印刷機を輸入していたのだ。 その後印刷機の仕組みを...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第425話 小早川隆景、伊予から豊後、そして肥前へ。小佐々純正という男③

元亀元年 十月十四日 小会議室に案内された隆景は、様々な調度品に驚く。 壁には見たこともない絵が掛けられ、テーブルの上には何やら球体の置物がある。そして上座の席の奥には大きな振り子時計があった。「さ、どうぞお座りくだされ。普通の茶と紅茶、こ...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第424話 小早川隆景、伊予から豊後、そして肥前へ。小佐々純正という男②

元亀元年 十月十四日 発 石宗山陽 宛 総司令部 秘メ 宇喜多ノ 使者 戸川秀安 輝元ニ 会ヱリ 詳細ハ 不明ナレド 浦上ノ 名代ニ アラズ マタ 両川ハ 不在ナリ 一○○七 秘メ 経由 門司信号所 一○一一 午三つ刻(1200)「うむ」 ...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第423話 小早川隆景、伊予から豊後、そして肥前へ。小佐々純正という男

元亀元年 十月十四日 隆景は翌日の八日の朝から安芸倉橋島へ向かい、そこからさらに船に乗った。 忽那の島々をへて伊予鹿島城下へ着いたのは九日の夕刻である。 一泊して湯殿城下を経て、喜多郡の佐多岬半島の佐田浦、三崎浦までは街道がすでに整っており...
新たなる戦乱の幕開け

第421話 毛利の両川、吉川元春と小早川隆景

元亀元年 十月七日 吉田郡山城 「なんだ、どうするのだ?」「それは、右衛門督様のお心次第にございます」 意味深な発言で言葉を濁す秀安であったが、輝元の歓心を買うのには十分であった。「右衛門督様がこのまま小佐々の軍門に降り、独立独歩たる戦国の...
新たなる戦乱の幕開け

第414話 宇田川松庵のボイルの法則

元亀元年 九月二十日 肥前  昨年の永禄十二年十月に、太田和忠右衛門藤政と源五郎秀政が水銀による大気圧の発見、ポンプによる真空の作成や空気圧の原理を実験で立証した。 その後、宇田川松庵も忠右衛門と源五郎秀政の実験を参考にして、大学の研修室で...
新たなる戦乱の幕開け

第413話 元亀元年の浦上宗景への詰問状

元亀元年 九月十五日 諫早城「殿、大使館より定時通信にございます」 京都大使館に配属されている情報省の職員(忍び)から定時報告があった。 京都~堺湊、阿波湊~土佐宿毛湊、豊後佐伯湊~肥前諫早城間はすでに街道が整備されており、駅馬車も走ってい...
新たなる戦乱の幕開け

第408話 織田信忠と留学生の夏休み

元亀元年 七月二日 岐阜城「まったく戦になりませぬ」 岐阜城の居室で信長と話しているのは、嫡男の勘九郎信忠である。「ほう、どのように違うのだ」「は、われらが戦をする際は、まず斥候を出して相手の動きを探ります。籠城するのか野戦なのか、野戦なら...
新たなる戦乱の幕開け

第407話 元亀通宝=永楽通宝?

元亀元年 六月某日 諫早城 三年前の永禄十年十一月より、純正は小佐々領内で撰銭令を発布して貨幣の流通を促進していた。 金一枚が金十両、金一両が四分で、それが十六朱となり銀一枚と同じ価値になる。銀一枚は銀五十匁で銭四貫文、すなわち四千文となる...
新たなる戦乱の幕開け

第406話 正確な時計とライフル銃と気球と石炭ガスにコークス①

元亀元年 六月のある日 諫早城 時計製作研究会 小佐々領内では、永禄五年(1562年)に南蛮船が横瀬に寄港してから、機械式時計の研究と開発が進められてきた。 最初に宣教師よりもたらされた時計には分針がなく、一日に半刻(1時間)以上のズレが生...
新たなる戦乱の幕開け

第404話 正四位下近衛中将源朝臣小佐々平九郎純正となる、のか?

元亀元年 六月十日 諫早城 小佐々純正 いや、近衛中将って、俺は検非違使もやってるんだよ? え? 兼任? いいよ、別に。肥前から動かないから。どうせまた叔父上から嫌み言われるんでしょ? いやだよ。 そもそも近衛大将とか中将って誰かやってなか...
新たなる戦乱の幕開け

第402話 若江三好家と摂津三好家と阿波三好家

元亀元年 五月二十二日 摂津 ※野田城「なんですと? 気でもふれたのですか大叔父上?」 そう声をあげるのは阿波三好家当主であり、日本の副王と呼ばれた三好長慶の弟、三好実休の息子である※三好(彦次郎)長治である。「気などふれておらぬ※彦次郎(...
新たなる戦乱の幕開け

第397話 フランシスコ・デ・アルメイダとバルトロメウ・ディアスの驚嘆

元亀元年 四月 諫早城「先生! お元気でしたか!」「先生! お変わりなく!」 行く先々で海軍伝習所時代から兵学校への変遷の際に学んだ生徒が声をかけてくる。なつかしさのあまり涙を流す者もいた。 拝啓 親愛なるわが王 セバスティアン一世陛下  ...
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第396話 第一次信長包囲網……ならず?

元亀元年 四月 結局連合軍は義景に打撃を与えることなく、浅井長政は朝倉義景と和議を結び、近江へ戻った。 それに対し信長は何も言わなかった。義景は目の上のたんこぶであったが、いますぐに排除しなければならない敵ではない。 それに加賀の一向一揆に...
新たなる戦乱の幕開け

第394話 六分儀の完成と、果てしなき正確な時計への渇望

元亀元年(1570) 三月 諫早城 三好日向守(長逸)殿、並びに三好下野守(宗渭)殿、岩成主税助(友通)殿 既に御聞きと存じ候えども、先の先の将軍を弑し奉りし大罪のため、御幕府より追討の命を受け候。その執行はそれがしの一任となる旨、肝に銘じ...
新たなる戦乱の幕開け

第391話 永禄十三年の謹賀新年 衝撃の事実と信長と長政、そして三好だよ。

永禄十三年(元亀元年・1570年) 正月 十五日 京都 肥前諫早での配下諸大名(?)の年賀の挨拶を受けた後、純正は戦会のメンバーとともに京都に来ていた。 元旦に純久が名代として御所と室町御所に年賀の挨拶にはいっていたが、改めて純正も参内し挨...
新たなる戦乱の幕開け

第389話 西園寺公広と土居清良

永禄十二年 十二月二十八日 諫早城 十二月十日に宇都宮豊綱の造反並びに職務怠慢が公になり追放された。 その後引き続き長谷口から南の黒瀬城へ向かう街道は封鎖され、南の板島城から北へむかう吉田口、東の三滝城からの土居口も同様に完全に塞がれたのだ...
新たなる戦乱の幕開け

第388話 群雄たちと小佐々純久

永禄十二年 とある日 在京小佐々大使館「大使、また来てます」 大使館の洋間、昼休みに佐吉と将棋を指している純久のもとに、一人の訪問者があった。最近、遠方からのお客様が増えましたね、と佐吉が言う。 純久はそれどころではない。36対6で圧倒的に...
新たなる戦乱の幕開け

第386話 毛利との密約と宇都宮豊綱

永禄十二年 十二月十日 伊予 喜多郡 大須城「やあやあ、これはこれは、左衛門督様。このようなところまで、総大将がどうされたのですか」 宇都宮豊綱は伊予の喜多郡を領しており、小佐々配下となったあとは、仕置きにより東部のみを領すことになっていた...
新たなる戦乱の幕開け

第385話 1568年のポルトガルとフリントロック銃

遡ること一年、1568年8月 リスボン王宮 永禄十年(1567年)に派遣した第六回遣欧留学生の代表者が、ポルトガル国王セバスティアン一世に謁見した。 セバスティアン一世にとっては、日本人の留学生の使者に会うのは六回目であるが、滞在している留...
西国の動乱、まだ止まぬ

第380話 遠い西の彼方へ。長宗我部元親の驚嘆の九州肥前紀行②

永禄十二年 十一月二十日 午一つ刻(1100) 府内「これをこうやって送るのです」 そう言って宗悦は代金と書面を係に渡す。係は料金を確認して書面を伝達役に渡し、伝達役は何やら小屋を出て近くの見張り台まで走る。 見張り台の上では係は旗を振って...
西国の動乱、まだ止まぬ

第379話 遠い西の彼方へ。長宗我部元親の驚嘆の九州肥前紀行

永禄十二年 十一月十八日 辰三つ刻(0800) 浦戸城「これは宮内少輔様、いかがされましたか?」 佐伯惟忠は知っていたがわざと聞いた。先日の件をどう思っているのか聞きたかったのだ。「無礼ですぞ、いかに小佐々家中の方といえど、許せませぬ」 家...
西国の動乱、まだ止まぬ

第378話 長宗我部元親の決断と明智光秀の苦悩、織田信長の構想

永禄十二年 十一月十七日 岡豊城「どうであった、親貞、親泰」 岡豊城の評定の間で、長宗我部元親は人払いをして三人だけで話す。近習もいない。「どうもこうもありませぬ。まったく話になりませぬ」。 そう話すのは元親の弟で次兄である吉良親貞だ。「浦...
西国の動乱、まだ止まぬ

第370話 フロギストン説と酸素説 留学生の熾烈な眠気との戦い

永禄十二年 十一月 肥前 純アルメイダ大学 化学部 講義室 「さて、今日は原点である化学とはなんぞや? という事について考えていきたいと思います」 そう語るのは、純アルメイダ大学の化学部教授の宇田川松庵である。 第二期遣欧留学生としてヨーロ...
西国の動乱、まだ止まぬ

第356話 小佐々領の第一次農業改革と第一次産業革命

永禄十二年 十月二十三日 諫早城 永禄九年の八月に始まった領内の街道のコンクリート舗装は、肥前においてはほぼ主要な街道で終了している。政庁である城同士をつなぐ街道と、湊や信号所のある地点間での舗装だ。 主要街道から始めているが、筑前、筑後、...
西国の動乱、まだ止まぬ

第352話 第六天魔王信長と純久

永禄十二年(1569年) 十月二十三日 京都大使館 島津が小佐々に敗れ、条約を結んでから十日後。大使館の大使執務室では、純久が書類の山に埋もれながら仕事をしていた。 以前純正に願いでて、検非違使と所司代の人員を増やす事ができたのだが、まだ足...
肥薩戦争と四国戦役

第347話 九州平定セン、然レドモ先ハ尚長シ……。②

十月十九日 午三つ刻(1200) 日向国紫波洲崎村(宮崎市折生迫)  な! 祐青すけきよが目を見開き純正を注視した。「めっそうもございませぬ! 誰がそのような事を。許せませぬ」。 純正は落ち着いて祐青を制止した。 「修理亮よ、余はその方が嘘...
対島津戦略と台湾領有へ

第290話 ルイス・フロイス meets with 信長

永禄十二年 四月 京都 妙覚寺 数日前二条城の造営をしている現場を視察に行った際に、信長は布教をしている宣教師の一行に出会った。 それを見て信長は思い出した。 フロイスという宣教師が訪ねて来たら、話を聞いてほしいと小佐々純正から紹介されてい...