第914話 『オスマン帝国の実情』

 慶長八年三月十五日(西暦1603年4月26日) コンスタンティノープル

 この時のオスマン帝国は、ハサン・パシャの威厳と宮廷の荘厳さとは反対に、国内外に敵を抱えている状態である。

 ハサンはグゼルジェ・マフムド・パシャ率いる騎兵隊の反乱を鎮圧したとはいえ、アナトリアでは1596年に再発したジェラーリの反乱の鎮圧に忙殺されていたのだ。

 外に目を向ければ、神聖ローマ帝国との戦いで戦費がかさんで財政を圧迫している状態である。

 15年前の天正十七(六)年八月十六日(1588/10/6)には、肥前国(現大日本帝国)とのソコトラ沖の海戦でアラビア・インド洋艦隊が大打撃を受けた。

 その結果アフリカ東岸からアデン湾はポルトガル、アラビア半島東岸を日本に制圧されていたのである。

 オスマン帝国の経済的打撃は計り知れない。

 サファヴィー朝と日本は友好国であり、完全にインド洋の制海権を奪われたオスマン帝国は、1590年の和平(史実)を前倒しせざるをえなかったのである。

 日本とサファヴィー朝を介さなければ東方の産物の入手が困難になり、これまでのインド洋交易が無に帰したのだ。

 今回のジュリアンとの会談は和議を結んでいるサファヴィー朝アッバース1世を介してである。

 インド洋交易を拡大し、日本との関係改善を求めるための会談でもあったのだ。




「閣下、電信の許可と協力をいただけるならば、まず何を望まれますか?」

 共同戦線を張ったフレデリックとジュリアンは、1か所に集まって協議の上、代表してフレデリックがハサンに質問した。

「……帝国の商人が、再びインド洋で交易できるようにせよ」

 ハサンは腕を組み、しばらく沈黙を保ったのちに重々しい声で応じた。

 廷臣たちの目が一斉に光を帯びる。

「沿岸を押さえているのはポルトガル、日本、そしてペルシアであろう。確かに今、交易は閉ざされてはいない。しかし我が帝国の商人は、貴殿らの国の商人から買わねばならぬ。そうしなければコショウにナツメグ、チョウジ、シナモンは手に入らぬからだ。我が帝国は自由で開かれた海を求める。その約束なくして、帝国の土地の貸与はない」

 フレデリックとジュリアンの胸に、その言葉は鋭く響いた。

 インド洋の制海権を失った後、オスマン商人が市場から締め出されている現実を2人は理解している。

 だが、宰相は弱みを見せない。

 要求するのは利益と公正な権利のみであった。

「良いでしょう」

 ジュリアンが前に出て即答した。

「何? 良いのか?」

 ハサンは驚いて聞き返すが、ジュリアンはまったく表情を変えない。

「はい。我が皇帝陛下は、すでにサファヴィー朝と深き友好を結んでおります。我が国もまた交易の拡大を望んでおりますので、オスマン商人に道を開くのも問題にないでしょう」

 フレデリックは横で黙って聞いていたが、動じない理由があった。

 オランダもまた日本と交易し、ポルトガルと日本が制海権を握っているインド洋で交易をしているのである。

 蒸気船の技術がそれをなし得ていたのだ。

 日本の場合、その優位性は言うまでもない。

 セバスティアンの英断によって今後はポルトガルの海洋交易は改善されていくであろうが、蒸気船による航海は、これまでの帆船による航海を旧式化させた。

 風待ちをしない分早く目的地に着くのである。

 価格競争において、オランダと日本は完全な優位性を保っていたのだ。

 そこに旧来の帆船によるイスラム商人が再び参入したとしても、勝負にはならない。

 しかし、それはまた別の話。

 聞かれていないのに言う必要はない。

「さらにもう一つ、休戦しているとは言え、アッバース1世は日の出の勢い。シャイバーニー朝を破ってホラーサーンを回復しております。閣下におかれましては、これ以上のサファヴィー朝の西進は望ましくないでしょう?」

 二枚舌外交ではない。

 サファヴィー朝には電信と交易における利益を、オスマン帝国には現状維持を。

 両方にメリットのある提案をしたのだ。




「我がネーデルラントからは、こちらを」




 フレデリックがハサンに見せたのは、パーカッションロック式のライフル銃であった。

 オスマン帝国で使用されているマスケット銃やフリントロック銃と違って、雷管を使った銃は日本とオランダにしか存在しない。しかしすでに旧式化してしまって、第一線から退いている。

 さらに供与、という部分が条件の要点であった。

 これによりオスマン帝国は東を気にすることなく、神聖ローマ帝国を相手にできる。




 ■リスボン

 王宮の広間は華やいでいた。格子窓から差し込む西日の光が、白い壁に金糸の|刺繍《ししゅう》を輝かせる。テーブルには山海の料理が並び、ブドウ酒の芳香が満ちていた。

「平九郎陛下。貴国の技術者が我が国で技術支援にあたっていただき、改めて感謝いたします。しかし、私が求める未来はそれだけではありません。電信によって世界と結ばれる未来です」

 純正は杯を置き、真剣なまなざしで応じた。

「この世界から戦をなくす、それが私の願いです。そのためには各国が手を取り合い、意思の疎通を密にしなければなりません。電信はそのために不可欠なのです。貴国の発展にも、できる限りの支援をいたしましょう」

 両者の間に交わされた言葉は重く、広間の空気を引き締めた。

「……ところで平九郎陛下。貴殿はネーデルラントの総督の弟君、フレデリック殿下とは面識があるのでしょう?」

「ええ。一段落したらネーデルラントへ向かおうと考えています」

「そうですか。貴殿は彼をどう思いますか?」

 突然の問いに純正は驚いたが、静かに杯を置いて少し考えた。

「……才気にあふれ、冷静沈着な人物です。常に感情を揺るがさず、合理的な判断を下すその姿勢に感心していました」

 自分の息子より年下のフレデリックに対しての、純正の飾らない意見である。

「彼の存在が我らの成功に不可欠だと確信しております」

 セバスティアンはその答えに満足そうにうなずいた。

「実は……彼と我が娘とで縁談を進めようと思うのです。先日その話をしたところ、まんざらでもない様子でした」

「何と! いやあ、めでたい! お互いに好き同士ならば申し分ないではありませんか。あとは……これが、いや、他国のことですのであまり言いたくはありませんが、ただの政略結婚にならなければ……」

「もちろんです。ただ、2人とも何度かあってますからな。その上での判断です」




 オランダとポルトガル。

 婚姻同盟になるのだろうか。




「……ううむ。これが本場のポルトガル料理か。甲乙つけがたいが、我が国の宴にも引けを取らぬ味わいだな」

 宮廷の厨房ちゅうぼうでは銀の大皿に盛られた干しダラ(バカリャウ)の煮込みが湯気を立てていた。

 香り高い豚肉のロジョエス、そして様々な香草とパプリカが絡み合った煮込み料理が食卓に供されている。

 信長もその洗練された味わいに舌鼓を打ち、新大陸からもたらされた香辛料の豊かな風味に感嘆していた。

「殿、お二人の会食に加わらなくてよろしいのですか?」

「ああ、硬い話は昼間済んだのでな。それにこたびは、わしはおまけ・・・じゃ。わはははは!」

 おまけ? 変なところで純正ナイズされている信長であった。




 次回予告 第915話 (仮)『純勝の恋と再びのコンスタンティノープル』

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