慶長四年十月四日(西暦1599年11月21日)
「斯様な仕儀にて、ここにいたっては、乱れ騒ぎし策も立たず(混乱の解決策もなく)、殿下にご足労いただくほかないと愚考した次第にございます」
純正の御前で平伏しているのは、1か月半前から大日本国国会で説明にあたっていた太田和利行と矢並舎人である。
「そう堅くなるな。表を上げよ」
純正は笑顔である。
喜ぶべきではないが、この事態を予測していたようだ。
転生人である純正が、歴史を、人の心を400年も進ませるのに限界を感じていたのは確かである。
それでも肥前国が問題なく統治されていたのは、純正が肥前の一領主であったころから、現在を見据えて徹底していたからだろう。
米本位制から金本位制へ。
領地ではなく俸禄で雇用し、中央集権を視野に入れて統治してきたからに他ならない。
その思想は、いまや隅々まで行き届いているのだ。
■岐阜城
「斯様な仕儀にて(こういった経緯で)、もはや上様御自ら会議に御出座いただくほか、この深い障りを解くこと能いませぬ」
信長は隠居して久しい。
5年前の暗殺未遂事件直後に体調を崩し、良くなっては悪くなるを繰り返していた。事実上は嫡男の信忠が織田家と織田州を主導し、大日本国会議にも出席している。
「上介(信忠)がおるではないか。余はこの身なれば、政は上介に任せておる。それに、よくよく話を聞いてみれば、太田和小兵太の言い分ももっともではないか。余も平九郎のごとく振る舞おうとし、一様に(同じように)試みたが、挙句(結局)出来ず仕舞いじゃった。あながち、間違うてはおらぬ」
信長はつまるところ、旧来の身分制度や慣習の捨てるべきは捨て、新たなものを取り入れなければ、肥前国と同じ繁栄はないと考えていたのだ。
しかし、さまざまな理由から15年では実現できなかった。
長重が直談判しているのは、織田州だけでなく、他の州の代表者も信長を担ぎだして交渉を有利に進めようと考えていたからである。
長重はその勢いに押され、ここにいた。
「ふう、あい分かった。平九郎とも久しく会うておらぬ。ただ今の有り様に鑑みて、合議に加わるとしよう。されど、その上で決まったならば、不平不満を申すでないぞ」
「無論にございます」
かくして、純正と信長を交えた会議の幕が切って落とされた。
■慶長四年十月十五日(西暦1599年12月2日) 京都 大日本国議会本会議場
「皆の者、久しいな」
純正が議場に入るとどよめきが起こった。関白太政大臣として、また肥前国王として、その存在感は圧倒的である。
続いて信長も入室した。
隠居の身とはいえ、大日本国副総理の肩書きを持つ彼の登場に、議場の空気が一層緊張する。
「殿下、上様、お忙しい中を御出座いただき、ありがとうございます」
丹羽長重が深々と頭を下げた。他の州の代表者たちも一斉に平伏する。
「面を上げよ。して、いかなる障りがあるのか、改めて聞かせてもらおう」
純正は上座に着くと、議場全体を見渡した。
その隣に信長も座る。
そこには19年前に大日本国を建国した際の面々とは大きく様変わりした顔ぶれが並んでいた。
世代交代が進み、当時を知らない者も多かったのである。
「殿下」
長重が立ち上がった。
「我らが申し上げたいのは、大日本国における各州の平等についてでございます」
「平等とな」
「はい。肥前州のみが海外との交易や技術協力で利を得、他の州は常に後れを取っているただ今の有り様(現状)を憂慮しております」
「何?」
純正は微動だにしない。
その横で信長も腕を組んで聞いている。
「さようか。では問う。そなたらは、肥前州と同じ政をしておるのか?」
「……申し訳ありません。仰せの儀が解せませぬ(おっしゃる意味が分かりません)」
「五郎左(丹羽)よ、そなたの言う『平等』とは、何を指すのか。肥前州と同じ技術水準、経済力、あるいは政の仕組みを望むことか?」
純正は穏やかな声で問いかけたが、その言葉には議場の空気を引き締める力が宿っていた。
長重は唾を飲み込み、深呼吸して答える。
「左様でございます。大日本国は一つ。しかるに、肥前州と他の州との間には、あまりにも大きな差がございます。これでは、大日本国を名乗るにふさわしくありません」
「ふむ、差があるは定かなり(確かに)。認めよう」
純正はうなずいた。
「されどその差は、肥前州が特別な遇を受けているから生じたのではない。我らが四十年にわたり、血と汗と涙を流して築き上げてきた至り(結果)である。学問を重んじ、技術を磨き、生業(産業)を興し、民を育ててきた至りだ」
純正は議場全体を見渡す。
多くの代表者は、彼の言葉に反論しようと口を開きかけたが、その眼光に圧倒されて言葉を飲み込んだ。
しかし、発言を禁じたわけでは断じてない。
「肥前州の技術や富を望むのは大いに結構。されどそれを手に入れるためには、相応の努力が要る。肥前州と同じく教育に力を入れ、生業を興し、民を安んじねばならん」
信長がここで口を開いた。
「平九郎の言うとおりよ。わしもかつて天下布武を掲げ、各地を平定した。されどそれは力によるもの。真の平定とは、民を富ませ、安んじることだと、平九郎を見て知った」
信長の言葉には経験に裏打ちされた重みが加わっていた。
「五郎左よ、では聞こう。もし、肥前州とまったく同じ益を望むなら、政の仕組みも我らとまったく同じにせねばならんぞ。能うか?」
純正の問いかけに、長重をはじめとした一同は戸惑いの表情を見せた。
「政の仕組みとは、いかなるものでしょうか?」
「まず第一に、オレの家臣は所領を持ってはおらぬ」
ざわめきがおきた。
「無論、例外はある。島津や大友、毛利などの大身は十万石ほどはある。されどその他はすべて蔵入地(直轄地)じゃ。残りはすべて俸禄で賄っている。入米(年貢・税収)も、政も、軍事も、すべて諫早の政庁が一まとめにして管理している。織田州でそれができるか?」
長重の顔が青ざめた。
「加えて年を追うごとにその石高は減り、代わりに毎年談合を行いつつ、俸禄を決めておる」
織田州の重臣たちは皆、代々の領地を持っている。それを没収するなど、考えただけでも家中が大混乱に陥るのは明らかだった。
「良いか? 領地を召し上げると考えるからいかんのだ。そもそも所領とは何ぞや?」
純正は、居丈高になった長重にではなく、議場全体を見渡しながら問いかけた。
その声はあくまで穏やかである。
「それは、家臣に与える俸禄であり、務めを果たした代(対価)であろう。兵を出し、政を行い、民を安んじる。その代として与えられてきたのが所領だ。ならば、その役目を果たせば所領でなくとも良いではないか」
長重は明らかに狼狽している表情を見せる。
「されど代々受け継いできた土地を……」
「代々? 誰から受け継いだのだ?」
純正の鋭い問いかけに、長重は言葉に詰まった。
「その……先祖代々……」
「お主の先祖が誰から拝領したのかと聞いておる。中将殿(信長)からか? その前の守護代からか、斯波氏からか? そもそも、その土地は誰のものだ?」
信長がここで口を開く。
「殿下の仰せのとおりじゃ。領地とはそもそも、主君が家臣に恩賞として分け与えた土地である。されど、それゆえに統治の礎が揺らぎ、下剋上の世となったのだ。かく言うわしも、人のことは言えぬがな」
信長は自嘲気味に笑った。
「然なり(そのとおり)」
純正はうなずいた。
「肥前州では、土地はすべて国のもの。家臣はその管理を任されているに過ぎん。管理をしかとなせば、俸禄として相応の報酬を与える。これの方が理に適っておろう?」
純正は、自分ですら所有者ではないと言っているようにも思える。
実際、自分より効果的に統治できる者がいれば、ぶっちゃけた話、誰でも良いのだ。
そもそも、家族や親類縁者、知人や家臣が幸せに暮らせれば良い。
そんなささやかな願いが、思いのほか大きくなったのである。
もちろん、所有欲がまったくないといえばウソになるかもしれない。
しかし、自分以外に自分以上の政治が(21世紀の政治)できる者がいないのも、事実であった。
「されど、それでは家臣の忠義の心が……」
別の州の代表者が心配そうに言った。
「忠義の心?」
純正は小さく笑った。
「領地があるから忠誠を尽くす? それは忠義ではなく、己の利のためではないか。真の忠義とは、理念や大義に対するものであろう」
純正は振り返って議場を見渡す。
家臣も霞を食べて生きているわけではない。
そのため領地の代わりに対価としての俸禄は払うのだ。
「肥前州の家臣たちは、領地がなくとも命がけで戦う。なにゆえだと思う?」
「……なぜでしょうか」
「自分たちが理想とする国を作るためだ。民を豊かにし、技術を発展させ、平和で繁栄した国を築く。そのために働いている」
純正の声には深い確信が込められていた。
「領地による束縛ではなく、志による結束。これこそが真の国作りではないか。それに、働きに応じて俸禄も増える」
純正は忠義と言うが、ただ働きではない。その点は何度も念押ししている。
信長が大きくうなずいた。
「されど、殿下」
長重は顔を上げ、議場を見渡した。
ここにいる者たちの多くが、同じ思いを抱いているのを感じ取れる。
不安でしかない。
もしかすると、欲をかかず現状維持に甘んじていれば良かったと、考えている者もいるのかもしれなかった。
「我が織田家の家臣団は、代々の所領を礎として結束してまいりました。それを一朝一夕に変えれば、家中の大混乱を招きかねません。殿下が肥前にて四十年をかけて築かれたものを、我らが短き間で成せますでしょうか」
しばらく万座がざわついたが、純正は何も言わない。
信長も目をつむって黙りこくっている。
「はて、これは異な事を。これまでいったい何をやってきたのだ? オレは各州の政に事細かく口入れ(介入)はしなかった。国の政として予算を組み、都度会合を開いては教育や商い、年貢や街道の整え、新しき生業に金を費やしてきたのではないか?」
純正の指摘は的を射ている。
確かに政策を実施してきたが、肥前国のそれとは規模をはじめ比べ物にならない。
純正は国策の成果やプロセスの報告を受け、チェックしていた。しかし、各州の自治に関しては、任せていたのが現状である。
結局のところ、やらされている政治だったのだろうか?
教育の予算にしてみても、それが純粋に投下され、身分に関係なく、本当に領民の教育レベルが上がったのだろうか?
さまざまな疑問が残りつつ、会議は続いた。
次回予告 第878話 (仮)『根深き溝』

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