第394話 『再会、そして再出発』

 ~慶応三年一月十九日(1867年2月23日)プリンスエドワード島

「おお! 司書よ! 繁太郎も無事か! 良かった。……本当に良かった」

 南東方面の探索にあたっていた『知行』をはじめとする分艦隊六隻は、入り江に投錨とうびょうして上陸を開始していた。

 深沢司書と繁太郎は兄弟であり、次郎が最初期に藩の財政再建と海軍設立のために頼った、深沢太郎勝行の親類である。

 本家筋である深沢義太夫家も藩士であった。

「御家老様、病人が三名おります。二名は脱水症状、一名は高熱でございます」

 次郎はすぐに長与俊之助に目配せをした。

「承知いたしました。すぐに診察いたします」

 俊之助は看護師と共に医療器具の入った革かばんを手に、さっそうと小舟に乗り込んだ。

「繁太郎、両艦の損傷は?」

「はい、『大鯨』『神雷』ともに、大きな損傷はございませぬ。ただし、燃料と食料が……」

 次郎は繁太郎の言葉が終わる前にサッと手を挙げた。

「あい分かった。すぐに補給艦から必要な物資を運ばせる。それより、お前たちよく頑張った。この島にたどり着くまでの判断が適切だったからこそ、全員が無事だったのだ」

 両艦の艦長は深々と頭を下げたが、二人は決して縁故によって昇進し、長として新鋭艦を任されたのではない。

 実力ではい上がってきた海軍士官なのだ。

「さて、補給が済み次第、レユニオン島に向かう。他の分艦隊にも合図を送れ」

 次郎の声が響く中、乗組員たちは黙々と作業を続けた。


『この地に初めて日本の艦船が到着し、上陸したことを記念する。また、この地は無主の地であり、ここに領有を宣言する』




 事前にオランダ士官、フランス士官に確認の上である。

 了承を受けた、というよりも、誰も宣言していないのに、止める権限はないからだ。

 正直なところ、この島を領有したところであまりメリットはない。環境は良いとは言えず、辛うじて上陸はしたが、港湾整備の継続も厳しい。

 有人定住はもちろん、恒久的利用も難しいのだ。

 しかし、何がどう転ぶか分からない。




 ■レユニオン島(フランス領)

 南東方面の捜索艦隊は、出港後、洋上で東方面の分遣艦隊を探しながら北上した。東方面の捜索艦隊と運良くランデブーした上での寄港である。

 本来、捜索作戦は一ヶ月続け、成果がなければレユニオン島に戻る二ヶ月がかりの計画であった。

 幸いにも早期に発見でき、合流もできたために、一ヶ月半での寄港となったのである。




「父上、かなり遅れましたね」

「然り(そうだ)。ただ今は(慶応)三年二月十一日(西暦1867年3月16日)であるから、いずれにしても初めの計画どおりの航海では、三月はかかろう」

「されば、いかがなさいますか」

 艦隊運用の速度に関しては、もっとも遅い艦の速度によって左右される。

 大村海軍の艦艇は最高速度14.2ノットで佐賀海軍の艦艇は13ノット。幕府海軍以下の艦艇は8ノットである。

 大村海軍と佐賀海軍以外の艦艇の巡航速度が5.6ノットのため、それで計算していたのだ。

 海上の風向風速にもよるが、艦隊の基本速度を7ノットで計算しなおせば、補給と点検修理に各一週間と考えて、最低二ヶ月半で航行可能であった。

 荒天が疑われる場合はさらに速度を上げて、その海域を大西洋に向けて通過する。




「勝様、こたびはかよう(このように)にして航海の計画を練りましたが、いかがでございましょうか」

 次郎は純武を伴って士官室へ向かい、各艦の艦長と今後の航海計画を練っている。

蔵人くろうど殿の案、妥当かと存じます。ただし、一つ申し添えたい」

 勝は静かにうなずきつつ、会議室の面々を見渡した。

「はい」

「荒天時の速度は今少し余裕を持たせてはいかがでしょう。確かに速度を上げれば海域を早く抜けられますが、それだけ艦体への負担も大きくなる。特に、補給艦は慎重に」

 勝の言葉に、薩摩藩の川村純義が賛同してうなずいた。

「さよう。補給艦を失えば、全艦隊が行き詰まる。それより遅くとも確実な航行の方が得策かと」

「されど」

 佐賀藩の中牟田倉之助が口を開いた。

「万博への到着が遅れすぎては本末転倒。あまりに慎重になりすぎるのも、いかがかと存じます」

 万博は……。

 次郎はそう言って全員を見渡した。

「我らの大いなる目的ではございますが、まずは一隻の落伍らくごもなくたどり着かねばなりませぬ。わが藩の補給艦は軍艦には劣りますが、それでも12~13ノットは出まする。機関の安全うんぬんを論じても、それがために嵐からの脱出が遅れたならば、本末転倒ではございませぬか」

 機関の負担や故障は、嵐を脱出してから考えればいい。

 勝海舟は太平洋横断の際に嵐を経験しているはずである。最悪、機関が全損したとしても、帆走は可能なのだ。考慮する優先順位が間違っている。

 そう次郎は思った。

「勝様、補給艦の何を大事になされておるのですか?」

 勝は次郎の問いかけに、わずかに目を細める。

「蔵人殿、公儀の補給艦は大村家中の艦とは違い、速度も性能も及ばぬのだ。もし、荒天で機関に障りが出れば、すぐに修理できるとは限らぬ」

「されど勝様、嵐から逃れられぬまま沈没するよりは、機関の損傷を覚悟で逃げ切る方が得策ではありませぬか? それに、仮に機関に被害が出たとしても、帆走すれば良し」

 口論ではない。

 お互いに持論を述べて、ディベートしているのだ。

 他のメンバーは黙って聞いている。

「……うむ。荒天時は確かに帆を畳んで機関のみでの航行となる。そのときは速度を上げて危険海域から脱出するしかあるまい。補給艦の機関への負担は気がかりだが、沈没の危うさを考えれば、それも致し方なかろう」

 勝は腕を組み、眉間にシワを寄せた。

 当初の慎重論から一歩踏み込んだ勝の決断に、川村と中牟田が顔を見合わせる。

 大村海軍の父である次郎と、幕府海軍の父、海舟の経験に基づく判断がかみ合ったのだ。

「では、補給艦への計らいは必要としても、荒天時は速度を上げて脱出する。これで異論はございませぬか」

 次郎の提案に全員がうなずき、航海計画はこれで固まった。

「さて、では補給と整備が済み次第、出港いたしましょう」




 レユニオン島の穏やかな海面が静かに波打っていた。




 次回予告 第395話 (仮)『フランス最大の軍港、ブレスト』

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