姜維信繁

技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第666話 『北条軍上総上陸! 義重軍防戦一方となる』(1579/4/30) 

天正八年四月五日(1579/4/30) 上総 椎津城 「申し上げます! 敵襲! 北条にございます!」「なにい! ? 数は?」「数は不明! まず先手として千葉の二千が国境を越えて向かって来ております!」 「急ぎ備えを固めよ! 久留里城に遣いを...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第112話 『お茶の仕入れ先の拡大と製茶の機械化』(1849/5/22)

嘉永二年|閏《うるう》四月一日(1849/5/22) <次郎左衛門> さて、目的のお茶3万5千斤を調達するためには、効率よく産地を回らなくちゃいけない。近場では間違いなく嬉野茶なんだけど、実は生産量的には福岡の八女茶の方が多い(ようだ)。 ...
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第665話 『房総騒乱、義頼起つ』(1579/4/25)

天正八年三月三十日(1579/4/25) 久留里城 義弘没後 四十九日 義弘の四十九日の法要が終わった。 元服し里見義重となった梅王丸の前に立ち、一礼して去る一団があった。里見義尭たかの息子で義弘の弟であり、義重が生まれるまでは義弘の養子と...
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第111話 『目付の報告と缶詰製造。製造以前の問題とその改良』(1849/4/26)

嘉永二年四月四日(1849/4/26) 江戸城「なに? 禁は犯して居おらぬと?」 若年寄の遠藤但馬守胤統たねのりの報告を受け、阿部正弘は安心したような驚いたような表情をした。「は、目付からの知らせによると、測った長さも五百石に満たず、これで...
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第664話 『日ノ本大同盟の今』武田と畠山と里見(1579/3/8)

天正八年二月十一日(1579/3/8) 七尾城「殿、なにやらうれしい事でもあったのですか?」 側近である大塚孫兵衛尉連家まごべえのじょうつらいえの問いかけに、畠山義慶は穏やかな表情を浮かべる。「孫兵衛よ、わしが家督を継いで早十二年。長かった...
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第110話 『電信機の実験失敗』(1849/4/13)

嘉永二年三月二十一日(1849/4/13) 大村藩 久原調練場  次郎「おい! 大丈夫やろうな! ?」 信之介「わからん!」 次郎「わからんってお前! 殿の御前だぞ! この前は問題ないって言いよったやろう(言ってただろう)が!」 信之介「せ...
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第663話 『日ノ本大同盟の今』織田と徳川と浅井(1579/2/12)

天正八年一月十七日(1579/2/12)『日ノ本大同盟』 純正が天正元年に提唱し、小佐々・織田・武田・徳川・浅井・畠山・里見の七家で結成した合議同盟の事である。 経済・技術の交流はあるが、主な目的は各国の軍事行動の可否を決定する事と、軍事行...
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第109話 『島原藩主松平忠精と賀来惟熊、真田幸貫の書状にて大村藩の要請に応ず』(1849/2/28) 

嘉永二年二月六日(1849/2/28) 拝啓 立夏の候、主殿頭とのものかみ殿におかれましては、益々ご清祥の事とお慶び申し上げ候。 先日、大村丹後守殿(大村純顕)より書状を頂戴し、貴領内の宇佐郡佐田村に住まう賀来惟熊これたけ殿を招聘しょうへい...
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第662話 『海軍の再編成と陸軍の再編成。増員と人事異動』(1579/1/19)

天正七年十二月二十二日(1579/1/19) 諫早城 純正はフィリピン戦を見据えて、陸軍を8個師団編制、海軍を8個艦隊編制とする予定であった。 しかし勝利したものの、明への対応も含め、スペインがいつ盛り返してくるか分からない。そのため3個師...
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第108話 『ここで、今の大村藩の状況と幕府、その他全体を見回してみよう……なに? 御公儀の目付井戸弘道殿じゃと?』

嘉永二年一月十二日(1849/2/4) <次郎左衛門>「後藤殿、それでは今のところ我が藩の勝手向き(財政)は利がでている、で間違いござらぬか?」 俺は今、筆頭家老となって藩政を差配している。もともと影のフィクサー的なスタンスで行こうと考えて...
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第661話 『腕木通信と通信距離の延長、鉄道馬車から鉄道へ』(1578/12/15)

天正七年十一月十七日(1578/12/15) 諫早城 純正は内政の拡充の一環として技術革新を推進していたが、科学技術省主導の最新技術ではなく、今できる新しい技術はないかと考えていた。  長年純正の頭を悩ませていた通信距離の延長、通信時間の短...
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第107話 『石炭の掘削費用と石油の上総掘り……&缶詰開発で儲かるか?』(1849/1/9)

嘉永元年十二月二十五日(1849/1/9) <次郎左衛門> この月、幕府より鍋島直正に長崎港防備に関する最終回答が伝えられた。 直正は防備の重要性を四年前から説き、堡塁ほうるいの建設を上書していたのだ。しかしその返書の内容は、同じく長崎警固...
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第660話 『明国と北条』(1578/12/2) 

遡って天正七年八月十七日(1578/9/18) 「申し上げます! 呂宋にて、シーバンニャ(西班牙・Hispania・イスパニア)艦隊壊滅! 小佐々に敗れたそうでございます!」 紫禁城にて首輔である張居正は忙しく業務をこなしていた。 税制改革...
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第106話 『鍋島直正の憂鬱』(1849/1/9)

嘉永元年十二月十五日(1849/1/9) <次郎左衛門> 石油の運上金の相場がわかった。 石油96石(17,280ℓ・9千600升)で米48石(4,800升)分。今(嘉永元年)の米の相場だと、1石で銀89匁8分だから48石で4千310匁4分...
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第659話 『中浦ジュリアン、伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルチノとともにセバスティアン一世に謁見す』(1578/11/7)

天正七年十月二十二日(1578/11/7) ポルトガル リスボン王宮 王の臣下を先頭に、リスボンの荘厳な王宮の廊下を歩く一団の中に、四人の少年の姿があった。三年前の天正四年十二月十八日(1576/1/18)に長崎を出港した伊東マンショ、千々...
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第105回 『蝦夷地の石炭と越後、松代、相良の油田。買い占めへの道』(1848/11/27)

嘉永元年十一月二日(1848/11/27) <次郎左衛門> 適塾の5人が戻ってきた。 洪庵先生の体調は問題ないようだけど、毎月の食事と運動の記録は送って貰っている。そしてその5人は、帰郷の喜びを味わわせる暇もなく、信之介のところに問答無用で...
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第658話 『税制の改革と払い下げ。省庁再編と新規の設備投資』(1578/10/22)

天正七年九月二十二日(1578/10/22) 諫早城 <純正> 終わった……。5~6年後と考えていたスペイン戦が終わって、南方の脅威は去ったな。明も、まあよっぽどの事がないと行動は起こさないだろう。いま単独で俺たちに攻めてくるメリットがない...
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第104話 『高島秋帆、毅然とした態度で幕閣と相見え、後進に道を託す』(1848/10/22)

嘉永元年九月二十六日(1848/10/22) 江戸城 高島秋帆は幕閣からの求めにより江戸に参府し、登城していた。いつの世にも、権力者と言うものは下の者から見ると勝手なものだ。まるで何事もなかったかのように振る舞っている。「高島秋帆、命により...
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第657話 『落胆あれば喜びあり』(1578/9/13)

天正七年八月十二日(1578/9/13) 諫早城「御屋形様! 急ぎお知らせしたき儀がございます!」 忠右衛門が興奮した面持ちで純正に目通りを願ってきた。傍らには一貫斎と源五郎政秀もいる。「おお叔父上、いかがなされた。一貫斎に源五郎まで」 純...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第103話 『宇田川興斎と上野俊之丞の試行錯誤と質問攻めに、辟易する精煉方惣奉行。ヤン・カレル・ファン・デン・ブルークに丸投げする』(1848/9/30)

嘉永元年九月四日(1848/9/30) <次郎左衛門> 第一、蒸気缶スチームハンマー、蒸気缶付属一具 第二、右蒸気缶の為の焔えん炉二個用諸用品 第三、台場台付ブレットロル銅鉄竿板製造器六個 第四、ブレットル適用之の焔炉を築造する諸品並びに鋳...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第656話 『対スペイン戦の反省と軍事改革と再編成』(1578/8/12) 

天正七年七月九日(1578/8/12)  純正はマニラにて戦勝の祝賀会を行った。 本土に戻ってからもっと盛大な祝賀会があるだろうが、全員を連れて帰るわけにはいかない。そこでマニラに残る艦隊と陸軍のために開いたのだ。捕虜も同じである。 捕虜収...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第102話 『次郎の苦悩と久重の苦労。ハルデスの不安』(1848/9/29)

嘉永元年九月三日(1848/9/29) <次郎左衛門> 結局のところ造船所は、規模を変えずに佐賀の三重津海軍所方式でやることとなった。費用はポルトランドセメントと石材の諸々の費用を引いて、8万2千115両885文で見積もられた。半分だ! あ...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第655話 『凱旋と織田家』(1578/7/5)

天正七年六月一日(1578/7/5) サン・ペドロ要塞「なんだ、これは。これがあのサン・ペドロ要塞なのか……」 城壁は全周囲で崩れ落ち、かろうじて陥落していないが、すでに風前の灯火であるのは誰の目にも明らかであった。艦砲射撃で無力化された砲...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第101話 『国産か輸入か? 小規模から拡大するか、最大規模か?』(1848/9/28)

嘉永年九月二日(1848/9/28) <次郎左衛門>「あなた様、もう登城の刻限にございますよ」 お静の声で目が覚めた。太田和からの単身赴任じゃなくてよかったよ。実際に登城する時間に余裕を持って起こしてくれた。顔を洗ったり朝ご飯を食べたりの時...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第654話 『レイテ沖海戦~終~艦隊合流と有終の美』(1578/6/24)

天正七年五月十九日(1578/6/24)キャンカバト湾 スペイン軍「閣下! 艦隊のほとんどが撃沈、拿捕だほされ、もう戦えません!」 傷を負った士官がオニャーテに駆け寄って告げる。小佐々軍の来襲を受け、なんとか一晩持ち越したものの、艦隊は惨憺...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第100話 『ヘルハルト・ペルス・ライケンとヘンドリック・ハルデスならびに招聘技師総計109名』(1848/9/6) 

弘化五年八月九日(1848/9/6) <次郎左衛門> この月、越前藩において西洋式の大砲が鋳造された。内容は十三吋インチカルロンナーデ砲(カノン砲)、十五吋ホーイッスル砲、二十五吋モルチール砲である。 なるほどな、と。 事の始まりは今年の4...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第653話 『レイテ沖海戦~伍~起死回生と窮途末路』(1578/6/23)12:00

天正七年五月十八日(1578/6/23)12:00 接敵地点より南へ20km カバリアン湾沖東22km地点 「提督! 前方に艦影あり! 敵艦と思われます! 多数!」 ゴイチ艦隊旗艦の見張りが大声で報告する。「ちくしょう。もう来やがったか」 ...
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第99話 『幕府、和蘭からの軍艦と大砲の購入が頓挫し、国産に切り替える』(1848/7/28)

弘化五年六月二十八(1848/7/28) 江戸城 オランダ国王兼オラニエ・ナッソウ家、ルクセンブルク大公であるウィルレム二世は、謹んで江戸の幕府の最高権威である殿下に書を心から捧げる。  願わくは殿下の一読を賜り、お役に立つ事を祈る。  貴...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第652話 『レイテ沖海戦~四~千変万化。機を見るに敏であれ』(1578/6/23) 09:00 

天正七年五月十八日(1578/6/23) 09:00 カバリアン湾沖東18km「司令官! 敵、カバリアン湾ではなくなおも北上、アナハワン沖へ北上しております!」 「なに! ? ばかな! 敵の本隊はカバリアン湾におるのではないのか? なぜ北上...
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第98話 『豊前国宇佐郡の賀来惟熊と平戸・福江・大村・島原同盟?』(1848/4/13) 

弘化五年三月十日(1848/4/13) <次郎左衛門> 拝啓 弥生の候、兄上様におかれましては、益々ご清祥の事とお慶び申し上げ候。 さて、公儀にて藩の発展に資するべく人材招聘しょうへいの旅に出ており候処、豊前の国宇佐の地に行き着き候。 当地...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第651話 『レイテ沖海戦~参~接敵! スリガオ海峡!』

天正七年五月十日 マゼラン湾 夜間ずっと降り続いていた雨が止み、霧が晴れた頃に小佐々連合艦隊は出港した。第四艦隊は東進して、カ二ガオ海峡を抜けてミンダナオ海に入る。 その後パナオン島南端のサン・リカルド岬を経て北上する。 本隊である第一連合...
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第97話 『五教館大学設立と教授の選任、そして次郎の総括就任』(1848/3/25)

弘化五年二月二十一日(1848/3/25) <次郎左衛門> よし、つくろう。 会議室(仮称)に集まった俺たちは、五教館大学の設立に向けてのミーティングを行った。すでに母体のようなものはできあがっているんだけど、明確なくくりがない。 組織上は...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第650話 『レイテ沖海戦~弐~作戦決定セリ、小佐々艦隊出撃ス』

天正七年五月九日 マクタン島 マゼラン湾 第一連合艦隊旗艦 穂高「さて、まず一つ目だが、皆の意見を聞かせてもらいたい。包囲攻撃作戦の利点と欠点を洗い出していこう」 純正は全員を見渡して、発言した。 艦隊総司令の勝行が率先して意見を述べる。 ...
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第96話 『上野俊之丞と宇田川興斎の大村藩舎密探索紀行』(1848/2/29) 

弘化五年一月二十五日(1848/2/29) <次郎左衛門> 最初は大丈夫大丈夫! だと思っていた招聘人材。 緒方洪庵に本を貸し出して村田蔵六に佐久間象山と、だんだんビッグネームが大村にきていることに、怖さを感じながら……頭の中でいくつものI...
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第649話 『レイテ沖海戦~壱~情報の取捨選択と生かし方が命運を分ける』

天正七年五月九日 マクタン島 マゼラン湾 第一連合艦隊旗艦 穂高「御屋形様! 偵察小隊が戻ってきました!」「よし、聞こう」 純正は全艦隊司令官と信長を含めた全幕僚の作戦会議を招集した。「敵の戦力はおおよそですが、1,000トン級が3隻で砲は...
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第95話 『佐久間象山大村に着き、隼人肥後にて人を探す』(1848/2/20)

弘化五年一月十六(1848/2/20) 玖島くしま城 <次郎左衛門> 佐久間象山がやってきた! 地震の災害復旧で忙しくてこれないかと思っていたのに、奇跡だ!「御家老様におかれましては、ますますご健勝の程、お慶び申し上げます」 ……。「また、...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第648話 『嵐の前の静けさ……レイテ沖海戦プロローグ』

天正七年五月五日 マクタン島 マゼラン湾 砲撃直後 砲撃の轟音ごうおんが響く中、偵察艦は全速力で退却を開始した。水しぶきを上げながら、急いで安全な距離を保つことを目指す。小佐々艦隊の圧倒的な火力に直面し、フアン艦隊の偵察艦内では怒号が飛びか...
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第94話 『鷹司政通の歌道と遊学生続々大村へ』(1848/2/9)

弘化五年(嘉永元年)一月五日(1848/2/9) 京都 関白・鷹司政通邸『春を待ち 朝廷の縁に 新しき 歳の始めの 冬麗らかな』 岩倉具視は関白・鷹司政通の前で丁寧に一礼をし、声を落ち着かせて歌を詠み上げた。「ほほほ。よきかなよきかな。そも...
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第647話 『長蛇の列とタブゴンの戦い』

天正七年五月三日 レイテ島南部 タブゴン パパン! パパパパーン……。 タブゴン湾を見渡せる150mほどの丘の上から、散発的に銃撃が小佐々軍の偵察分隊に加えられている。しかし、幸いな事に距離は500mを超えているようだ。当たらない。 敵だと...
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第93話 『佐久間象山、その後。純熈の側近と家督の行方』(1848/1/31)

弘化四年十二月二十六日(1848/1/31) <次郎左衛門> この月、水戸の徳川斉昭が外国人追放に関する意見書を提出した。昨年謹慎を解除されてから、2回目の意見書である。精力的だと言うほかはない。 幕政に参加したいとの権力欲か? いやいや、...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第646話 『ファーストコンタクト イン レイテ』

天正七年五月三日 レイテ島 カバリアン湾 スペイン軍基地 フアン艦隊からは3隻の偵察部隊が出港し、ゴイチの艦隊からは目が良い人員を厳選して見張り要員として派遣した。カバリアン湾のスペイン軍陣地からサンリカルドの岬までは約60kmである。 小...
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第92話 『隼人、長崎にて浅五郎を介し大島高任と手塚律蔵を知る』(1848/1/21)

弘化四年十二月十六日(1848/1/21) 玖島くしま城下 火術方 火術方は組織上精煉せいれん方の下部機関ではあるが、独立して洋式軍事調練を主とする部門である。 高島秋帆と立石昭三郎が中心となって訓練を行っており、ゲベール銃からミニエー銃に...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第645話 『イスパニアの戦力とその動向』

天正七年四月二十八日 レイテ島 カバリアン湾 スペイン軍基地「危険です! 私の部隊の見張りの報告では、湾の入り口付近で多数の艦影を見たとのこと。もし、我らがここにいることを知られたならば、敵はこぞって攻めてまいりますぞ!」 フアン・デ・サル...
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第91話 『尾上一之進、緒方洪庵と出会い秘薬完成す?』(1848/1/20)

弘化四年十二月十五日(1848/1/20) 玖島くしま城下 医学方「初めまして。大坂適塾から参りました緒方洪庵です」「え? あ、はい。尾上一之進と申します」 日本の医学史に名を残した医者は数多くいるが、幕末でその存在感をひときわ輝かせている...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第644話 『決戦!イスパニア艦隊』

天正七年四月二十三日 マクタン島~セブ島タリサイ 陸軍はマニラに守備兵として3千を残して、第4師団の1万2千がセブ島のサン・ペドロ要塞の南西8kmにある、タリサイの地に陣地を築いている。 地域の中央には南北にマナンガ川が流れており、狭いなが...
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第90話 『儀右衛門、蒸気機関事始め。洪庵、長崎にて奥山静叔に会し、一之進への紹介を頼む』(1848/1/19)

弘化四年十二月十四日(1848/1/19) <次郎左衛門> さて、誰がいるか? あれからずっと考えている。招聘しょうへいする技術者のリストは次の通りだ。 ・味田孫兵衛……現在地は美濃。堆朱ついしゅカメラと呼ばれる最初期のカメラの製造者。 ・...
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第643話 『スペインの要塞、陥落続く』(1578/5/26)

天正七年四月二十日(1578/5/26) セブ島-ボホール島海域 ネグロス島のシブラン堡塁ほうるいと、セブ島南のリローン堡塁を壊滅させた第一・第二連合艦隊は、マニラにて補給と同時に乗組員を休息させ、残りの堡塁と要塞の壊滅に向かっていた。 第...
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第89話 『佐賀藩主鍋島直正、伊東玄朴をして、和蘭より取り寄せたる種痘を藩内に広めけり』(1847/12/9)

遡って弘化四年六月二十八日(1847/8/8) 佐賀城 二日前の六月二十六日にオランダ船が長崎に来航し、聞役よりすぐに佐賀へ通達され、玄朴は長崎へ向かい種痘を受け取って佐賀へ戻ったのである。 史実ではこの年に依頼し、来年の嘉永元年に種痘を実...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第642話 『マニラでの織田海軍と南の戦局、明の動き』(1578/5/5)

天正七年三月二十九日(1578/5/5) マニラ「損害が順天丸だけでようございましたな」「うむ。お主の日々の鍛錬によって、よく船が動いたおかげじゃろうて」「ありがたきお言葉にございます」 マニラに帰港した織田艦隊は、艦艇の補修を行いつつ乗員...
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第88話 『信之介、ボルタ電池にダニエル電池……炭素アーク灯への道』(1847/11/21) 

弘化四年十月十四日(1847/11/21) 玖島くしま城 <次郎左衛門> さて困った。予想通り蔵六が留学したいと願いでてきた。 いや、留学自体はいいんだ。 誰もが知る維新の十傑で優秀な人材は、何人いてもいい。  大村益次郎は史実では長州陸軍...