慶応五(明治二)年六月十三日(1869年7月21日)
「久しいな、次郎」
品というのは、やはり幼少期からの教育と環境の賜物なのだろうか。パリ万博に帯同させていた徳川昭武には、なんとも言えないオーラがあった。いや、次郎が昭武を帯同させたのか、それとも次郎が随伴したのか。
……些末なことである。
「これは民部大輔様、かようにむさ苦しいところにお越しになるとは、いかなる仕儀にございましょうや」
現場で指揮をとっている将校や兵士たちは演習を続けているが、次郎をはじめ周りの者たちは平伏して答えている。
次郎の態度は慇懃無礼ではない。
血筋の正統性は確かに変容してきてはいたが、衰えたとはいえ幕府が健在の今、教養と品位を備え、世が世であれば将軍にすらなりうる立場の人間である。
次郎は相応の敬意をもって迎えたのだ。
「次郎、頭を上げよ。このごう音の中では、儀礼も形なしだ。それに私はそなたの敵ではない。名分は検分ではあるが、私の用向きは解してくれると思う」
要するに落とし所を探りに来たのだ。
命じられた昭武にしてみれば嫌な役回りであったが、幕府側に彼以外に適任者がいなかったのも事実である。
昭武にとって次郎は非公式の師匠のようなものであった。
本来、パリ万博のあとに欧州で留学をする予定が、本人の強い希望で帰国したのち、大村藩にて国内留学をしていたのだから。無理を通して大村藩に滞在している以上、昭武も慶喜の要望を聞かざるを得なかったのである。
それに兄から弟への命は現代とは比べられないほど重く、しかも慶喜は幕府の要職にあったのだ。
「ははっ」
命じられて面をあげた次郎は、同時に人払いを願い出て、昭武もそれを容認した。
「次郎、いろいろ語らずとも、私が何を言いたいか解していよう?」
「は……」
名実ともに、という言葉があるが、これは名声や評判、そして実利や実力ともにという意味である。しかし現実的には実は大村藩にあり、幕府としては名をとらなければ存在意義がなくなってしまう。
実が取れれば名も取れるが、それが不可能なことは誰もが分かっていることである。
ただ、それを認めたくはないし、公言できないのだ。
「こたびの卒兵上洛(じょうらく)は我が家中の独断ではなく、御公儀の名の下許しを得て行ったと、左様な仕儀になさりたい、と?」
二人の表情から険しさは消えない。
次郎の言葉を昭武は黙って聞いている。
昭武は微かに目を細め、河原を吹き抜ける熱を帯びた風を受けた。次郎の言葉は、幕府が喉から手が出るほど欲している「正解」を、あまりにも無機質に、そして正確に射抜いていた。
「……さよう。兄上……いや、中納言様は、この演習を上様(家茂)の命による『公儀軍事検分』として記すことを望んでおられる。そなたが連れてきたこの兵たちを、幕府の徴命に応じた勤王の軍として世に知らしめることで、地に落ちた徳川の面目を繋ぎ止めたいのだ」
昭武の言葉には、身内をかばう甘えはない。慶喜を兄ではなく中納言と言い換えたことからもうかがえるが、それによってあくまで業務でここに来ており、他意はないと伝えたかったのだろうか。
聡明であり、温厚な人柄の昭武であったが、そこまでしなければ立ち行かない徳川の現状を、パリ万博から大村留学を含めた一連の体験によって理解していたのであった。
「されど民部大輔さま、それがしも我が家中も、はいさようでございますかと認め、きびすを返して大村に戻るわけにもまいりませぬ」
いかに相対しているのが昭武であってもだ。
今回の慶喜の家茂を用いた強引な手法は、大村藩主導の日本公論会はもとより、西国諸藩で幕府の専横を良しとしない藩にとっては許容できない、しかし表立っては反論できない行為である。
ここで幕府が次郎の行動を許容すれば、各藩の反論は一気に倒幕・廃幕、つまり幕府不要論に傾く。
本来次郎が目指していたのは血を流さないソフトランディング。つまりゆるやかに幕藩体制を瓦解させ、天皇を頂点とした議会制民主主義・立憲君主制を樹立することである。
しかし大村藩としても、ここで幕府の専横に歯止めをかけなければ、本当に武力倒幕でしか道が開けない、そういう事態になりかねなかったのだ。
■二条城
「さて安房守よ。左衛門佐はいかに処すであろうか」
慶喜と小栗上野介、そして勝海舟の3人は二条城のこぢんまりとした間で2人の会談の行方を見守っていた。
「さて、さようでございますな……」
勝はあごに手を当てて考える素振りをしているが、答えは決まっていた。
「まずはご破算にございましょう」
「なに?」
慶喜と上野介がほぼ同時に言葉を発した。
「僭越ながら申し上げますと、あの左衛門佐殿が、はい左様でございますかと中納言様の差配に身を委ねるはずがございません。もし、それほどに御しやすい御仁であれば、とうの昔に大村一藩の安泰のみを願い、領内の差配だけで満足されていたはずでございます」
勝の言葉に、上野介は苦々しい表情を浮かべた。
「あの御仁が求めているのは、徳川の面目を立てることではございません。徳川という……あくまでもかの御仁の言葉を借りればにございますが……」
胸筋を開いて、無礼講とはいっても、思ったことをそのまま言えば打首もあり得る時代だ。
「その旧弊を、いかに傷をつけずに歴史の奥底へ仕舞い込むか。中納言様が上様(家茂)の名を持ち出されたことは、左衛門佐殿からすれば、対話の盤面を強引に崩されたも同然。面白かろうはずがございません。さりながら……」
「されど安房守どの。ここで奴が折れねば、公儀は賊を討つ名目で兵を動かさねばならん。それは奴が最も忌む、無用の内乱を招くことになるのだぞ」
途中で割って入った上野介の言葉に、勝は即座に反論した。
「さればご破算だと言うのです。第一、いま御公儀が大村と争って勝てるのでございますか? 数十年前ならいざ知らず、かの家中の強さはこの京にいるすべての藩と民の知ることになり申した。負けると分かっている戦に、誰が味方しましょうや」
大阪湾に鎮座する大村艦隊。国内ではまず製造不可能なアームストロング砲やクルップ砲、最新鋭の小銃を備えた部隊にマキシム機関銃。誰が見ても勝敗は明らかである。
強烈な批判ともとれる勝の現状の提示は、2人を硬直させた。
「ご破算とは、さきの議会で余が示した憲法のことか?」
「さに候。かの憲法は優れたものなれど、左衛門佐殿が考える憲法とは逆にございましょう」
慶喜が議会にて発表した憲法は西周が起草したものであり、三権分立の形をとっていた。
しかし実際は大君(家茂)が立法・人事・裁定の強力な権限を掌握し、実質的な主導権を握る体制案である。
諸藩の統治や軍事権は当面維持されるが、将来的な中央集約が図られており、御料を大幅加増したうえで安堵して牙を抜いているのだ。これは天皇の権限を制限して議会を主体にするものであるが、幕権は大幅に強化される。
次郎が目指すものとは似て非なるものであった。
「あれはこの時勢で、公儀の行く末を考えれば唯一の道である。それをご破算などと……」
慶喜の顔が歪み、上野介も口を真一文字に結んでいる。
「……仕切り直しにございましょう」
3人の間に沈黙が流れたあと、勝が言った。
「仕切り直し、とな」
「は」
慶喜の短い返事に勝は続ける。
「そもそも、左衛門佐殿は御公儀を倒して自らが天子様を奉じ奉り、政権を奪おうなどとは考えておりませぬ。しかと議論をし、万機公論をもって御政道となす、これが左衛門佐殿のお考えにございましょう」
慶喜も上野介も、勝の考えに異論はない。実際そのとおりなのだから。
「さればこそこたびの議題草案。朝廷を敬う尊王を建前としながらも、その力を削ぎ懐柔し、幕権を強むる法に他なりませぬ。三権分立とは確かに聞こえはよろしいが、左衛門佐殿が考える公議輿論のあり方とは似て非なるものにて」
「安房守殿……」
「安房守よ」
苦虫をかみつぶしたように声をかけた上野介の横で、黙って聞いていた慶喜が口を開いた。
「その方、幕臣であろう。公儀による合議のあり方に異を唱えるのか」
「さに候わず」
立場上幕臣であるがゆえに、この場にいて幕府の延命策に頭を抱えなければならない勝海舟は、なんとも言えない、複雑な心境で言葉を続けた。
「こと、ここにいたっては、どのあたりを落としどころとするか。ご破算となれば徒労に終わってしまいますが、それでも大村と戦い京を火の海にするよりマシにございます」
「……」
「……」
「ここは左衛門佐殿の考えを受け入れ、実はそもそも取れないのでございますから名をとり、時間を稼ぐ他ございますまい。そうして十年、二十年、いや、百年かかろうとも御公儀の柱を盤石にすべきかと存じます」
そんなことが不可能なのは、勝は重々承知していた。
あり得ない。
しかし、これしか方法がないのだ。
「民部大輔さまも、それを踏まえたうえでお話なさっておいでかと存じます。いかなる結果になろうとも、甘んじて受け入れられますよう」
「……(うむ)」
■大村軍陣地
「では次郎よ、その方の望みは何であろうか」
「望み、でございますか……」
議題草案の全撤廃を要求するのか、それとも折衷案を提案するのだろうか。はたまた武をもって勢いのまますべての流れを変えるのか。
……武を用いないなら、さらなる要求をもって幕権の形骸化を目指すのか。
次回予告 第489話 『無理難題』
大村軍の演習地に現れた徳川昭武は、不本意ながらも幕命に従い、上洛を「幕府の検分」として記録することで徳川の面目を保とうとする妥協案を提示する。
一方、二条城で勝海舟は、幕権強化を狙う慶喜の憲法案では内乱を招くと指摘。
幕府が生き残る道は、最低でも案を一度「ご破算」にし、次郎の土俵での「仕切り直し」を受け入れることだと、慶喜と小栗に進言する。
昭武から「望み」を問われた次郎が提示したのは、幕府を組織・人事から無力化する無理難題であった。


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