慶応五(明治二)年二月十六日(1869年3月28日) 京都 大村藩邸
本日は夜も遅いので、と言って分かれた翌日、居室で先に口を開いたのは純顕であった。
「次郎。昨日は詭道と申したが、つぶさにはいかなる手を打つ。公議政体党は数で我らを上回る。中立の諸藩も賛同するとは考え難いぞ」
純顕の指摘は的確であった。
議会の現状は、大村藩を中心とする日本公論会にとって決して有利ではない。薩摩と長州が離脱した今、徳川恩顧の譜代や親藩で固められた公議政体党が数では多い。
雌雄を決するのは、どちらにも与せず日和見を続ける諸藩の動向であった。
「確かに、人は変わるを恐れまする。さりながら恐れてばかりいてはこの先立ち行きませぬ。加えて御料所の議会差配は、諸大名になんら失はありませぬゆえ、理と利をとけば勝ち筋はございます」
次郎は厳しいながらも勝てない戦ではないと考えているのだ。
「まずは諸大名の所領はそのままにて何ら変わりませぬ。これは外様のみならず、譜代旗本御家人の俸禄まで、変わらぬのです。すなわち、変わるのは御料所が幕府の差配内から議会に代わる事実のみ。加えて大奥の費えも将軍家の費えも只今のままにございます」
家康以来、贅沢三昧な将軍はいた。
しかしそれさえしなければ十分に生活できる予算と、大奥の費用、さらに旗本や御家人の所領や俸禄もそもままである。将軍家の威光を落とさずに済むのだ。
大奥の費用は和宮の降嫁で負担が増えたが、それでも25万両で石高に換算すれば2万5千石となる。
仮に将軍の生活費が同額として5万石。
中奥(将軍の生活空間兼政務執行場所)の側用人をはじめとした人員は含まれない。
明治維新の際の静岡藩立藩の際は、旗本や御家人をすべて養う必要があったので解雇しなければならなかったのだ。
しかし、今回はそれがない。
そのため諸大名に実害はないが、もし法案成立に難色を示すとすれば、それは徳川将軍家が事実上政権の財政を手放す事実である。
これまでの250年日本を統治してきたのは徳川家であった。
その根幹たる財政を手放す事実は、大名たちにとって想像の及ばぬ事態の変化なのである。長年染み付いた徳川への忖度が、理屈を超えて判断を鈍らせるだろう。
「理屈の上ではしかり。されど諸藩の多くは理では動かぬ。徳川家の威光は未だ衰えておらぬ。その機嫌を損ねることを何よりも恐れるはずだ。その恐れをいかにして取り除くのだ?」
「殿の仰せのとおり、徳川二百五十年の威光は、今なお諸大名の心を縛る大きな鎖にございます」
次郎は純顕の懸念を真っ直ぐに受け止め、静かに頷いた。
「さりながら殿、多くの藩は、言葉には出さずともその心の内では既に答えを出しているはず。もはや今までの幕府ではない、と」
その言葉に、純顕ははっとした顔で次郎を見た。
「加えて自らに失なく、徳川将軍家の威光を損ねず、諸侯が政に参画しうる政策に異は唱えぬでしょう」
「うむ……」
■尾張 名古屋城
「おお、久しいの、蔵人……いや、今は左衛門佐殿じゃな。極めて例のなきことなれど、お主の功を考えればさもありなん。……して、今日はいかがした?」
謁見の間では次郎が平伏して徳川慶勝に挨拶をしていた。
「は、さればこの左衛門佐、大納言(慶勝)様にお願いの儀これあり、罷り越しましてございます」
「硬いのう……ああ、そうそう、先日彦馬が届けてくれた写真機、あれはよいの。気に入ったぞ。……それで、なんじゃ。随分と難しい顔をしておるな」
慶勝は隠居してはいたが依然藩政には影響力を保っており、貴族院には藩主である弟の|茂徳《もちなが》がいたので、京都の情報もある程度知ってはいた。
しかし、2つの法案に関しては知らなかったのである。
「恐れながら申し上げまする。こたび、議会において二つの法案が上程される事となりましてございます。その一つは『公儀御料所管理法案』。幕府御料所を議会の差配に移すものでございます。いま一つは『幕府|除目《じもく》開放法案』。幕府の役職を才ある者に限りて広く開くものでございます」
慶勝はしばらく黙っていたが、あからさまに不快な顔をした。
「……御料所を議会に? 左衛門佐、除目はともかく徳川が御料所を手放すなどありえぬ。親藩や譜代が同じるわけがなかろう。加えて、いかなる仕儀にてさような事となったのだ?」
慶勝の問いは鋭く、次郎に向けられた視線には非難の色すら浮かんでいる。
次郎は平伏したまま、事の次第を順を追って説明し始めた。
「は。事の発端は、中納言(慶喜)様より主君|六衛督《ろくえのかみ》様(純顕)に老中職、加えてそれがしには勘定・外国・海軍の三奉行並に任じたいとの仰せがございました」
「なに、六衛督殿とお主を政権に迎え入れると言ったのか……。なるほど……」
慶勝は即座に慶喜の懐柔策を見抜いたが、詳細は語らない。
次郎は静かに頷く。
「大納言様のご明察通りにございます。されど我ら、そのお役目をお受けするにあたり、二つの条件を付けさせていただきました」
「条件じゃと?」
「は。一つは、幕府の財政の礎たる公儀御料所を議会の管理下にお移しいただく事。いま一つは、家格門閥を問わず、全ての幕府の役職を才ある者に門戸を開いていただく事。この二つにございます」
その言葉に慶勝はしばらく絶句した。
それまで浮かべていた穏やかな表情は消え、謁見の間の空気が一瞬にして張り詰める。慶勝は次郎を射抜くような鋭い視線で、静かだが底冷えのする声で言った。
「……左衛門佐。お主正気か。中納言への返答どころか、公儀を解体せよと言うに等しい。……不敬であろう」
次郎の言葉は、親藩の重鎮である慶勝にとって、到底聞き流すことのできない一線を超えていた。
その顔には明確な不快感が浮かび、次郎の真意を測りかねる厳しい光が宿っている。
「中納言が激昂したであろう事は、火を見るより明らかじゃ。いや、それより前にお主のその考え、断じて受け入れがたいものぞ」
「ははっ。仰せの通り中納言様は激なされ、話は一度立ち消えとなりました」
次郎は慶勝の怒りを正面から受け止め、動じることなく事実を述べた。
その態度に慶勝はわずかに眉を動かす。
ただの暴論ではない、何か深謀遠慮があっての流れなのだ。
慶勝は感情を抑え、詰問を続ける。
「当然であろうな。さらば何ゆえ、今更その議案が上程される運びとなる。そこが解せぬ」
「は。さらば申し上げまする。対座する前に中納言様に呼び止められましてございます。その時『そなたの案、議会が是とするならば、徳川はそれに従おう』と仰せになったのでございます」
慶勝は今度こそ言葉を失った。
そして、全ての点を繋ぎ合わせるかのように、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「なるほどのう……」
今回も慶勝は多くを語らない。
慶喜の狙いも見抜いたうえで、あえて語らないのだ。
「左衛門佐。お主もお主じゃ。勝ち筋は見えたのか? さような勝ち目の薄い罠に、何ゆえ乗った? 断ることもできたはずであろう」
「お断りすれば、それは議会制度の否定になりまする。我らが掲げた武力によらぬ言論での国造りの大義を捨てることに他なりませぬ」
次郎の静かだが強い意志のこもった声が、謁見の間に響いた。
慶勝はしばらく黙って次郎を見つめていたが、やがて腕を組んで深く考え込む。
親藩の重鎮として、徳川家の安泰を願わぬはずがない。しかし、慶喜のやり方はあまりに危うく、諸藩の反発を招き、かえって内乱の火種を大きくしかねない。
「……して、わしに何をせよと申すのだ。徳川一門筆頭たるこのわしが、徳川の礎を揺るがす議案に与せとでも申すのか」
「然に候」
「何?」
それまでの探るような空気が一変し、鋭い怒気が謁見の間を満たす。
「左衛門佐。お主、たわけたことを申すな。わしが誰であるか、分かっておるのか。徳川宗家に弓引けと、そう申すか」
次郎は微動だにしない。
平伏したまま、しかし凛とした声で答えた。
「滅相もございませぬ。それがしは、大納言様にこそ、徳川将軍家をお救いいただきたいのです」
「救う、じゃと?」
「は。公儀御料所管理法案も幕府|除目《じもく》開放法案も、徳川将軍家の権威の失墜にはなりませぬ。公金の出所の差配を議会に移すだけにて、大奥も中奥も、旗本も御家人も俸禄はそのままにございます。ゆえに上様は無論にございますが、その他は何も変わらぬのです」
慶勝は次郎の言葉を鼻で笑った。
「左衛門佐。お主、わしを童とでも思うておるのか」
その声は低く、怒りを抑えているのが明らかであった。
「俸禄が変わらぬと? ならばそれで良いと申すか。障りはそこではない。徳川家が、その財の源たる御料所の差配を手放せば、実のところ生殺与奪の権を議会に明け渡すに等しい。権威とは、さような実権があってこそ保たれるものぞ」
次郎は慶勝の鋭い指摘をただ黙って受け止めていた。
慶勝の言う通りである。
次郎の言葉は、本質を巧みに隠した詭弁に過ぎない。
「お主のその策は、徳川家から牙を抜き、骨を抜き、ただ祭壇に飾られるだけの存在にせよと言うておるのと同じことじゃ。それを『救う』とは、片腹痛いわ」
「……大納言様のお言葉、一点の曇りもございませぬ。まさしく、それは実権の一部を手放すことにございます」
次郎は静かに、しかしはっきりと認めた。
顔を上げたその目には、強い光が宿っている。
「されどお伺いいたします。このままでは我らは議会で敗れましょう。さすれば徳川将軍家の威光は一時は保たれるやもしれませぬ。されど薩長は、必ずや武力に訴えましょう。さらば日本は内乱に陥りまするが、その時の将軍家と尾張徳川家がいかがあいなるか……。慶喜殿の策は、徳川家を滅亡へと導く、あまりに危険な賭けにございます」
次郎の言葉は、慶勝が心の奥底で抱いていた最大の懸念を、的確に抉り出した。
慶勝はすぐには反論の言葉を見つけられずにぐっと押し黙っている。
「長州一藩のみならいざ知らず。それが薩摩と結び、西国諸藩を大きくまとめて幕府に弓引けばいかがあいなるか? いかな幕府とて、容易には勝てますまい」
次郎の声は静かだったが、謁見の間の隅々まで響き渡る。
「との時、我が家中はいずれにも加わりませぬ。されど英国との戦を思い出されませ。日本を守り抜いたのは幕府にあらず、我ら大村であった事を、諸藩は忘れておりませぬ。一度戦となれば、どちらに付くが利か、算盤を弾く者も出ましょう。さすれば外様はおろか、東国の譜代とて一枚岩ではおりますまい」
脅しであった。
しかし、誰もが否定できぬ現実でもある。
大村藩の軍事力と経済力は、もはや幕府単独では制御できない域に達しているのだ。その大村藩が薩長と組む可能性を示唆された慶勝の顔から、血の気が引いていくのが分かる。
「……お主、わしを脅すか」
「滅相もございませぬ。ただ、起こりうる最も悪しき事態を申し上げているまで。この戦、一度始まってしまえば、誰にも止められませぬ。将軍家も尾張徳川家も、等しく戦火に焼かれましょう。それを避けるための道が、今、目の前に一つだけ残されておりまする」
次郎は再び平伏した。
「されどこの策、我ら大村だけでは成り立ちませぬ。外様がいくら将軍家のためと叫んでも、ただの言い訳にしか聞こえませぬ。然れど御一門筆頭たる大納言様が、『徳川家を救うため、未来のために、この痛みを受け入れる』とご決断なされば、話はまるで違ってまいります」
「……」
「大納言様の一声こそが、日和見を続ける諸藩を動かすのです。これは徳川への反逆に非ず。将軍家を真に安泰ならしめるための、真の忠義にございます。どうか、大納言様。御宗家の未来のため、お力をお貸しいただけませぬか」
次郎の言葉は、もはや単なる説得ではなかった。
それは慶勝の男の器量と、徳川家への真の忠義を問う魂の叫びである。
慶勝は長い沈黙の後、深く息を吐いた。
「……そなたの申すことは、分かった。では、つぶさには何をすればよいのだ」
「は、まずは中山道東海道の譜代の諸大名を説得していただきたく存じます」
「うむ……」
次郎の活動は続く。
次回予告 第465話 (仮)『慶喜、諸侯を巡る』

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