第439話 『事件は迷宮へ、されど疑心暗鬼は深まり時は過ぎる』

 慶応四年五月三日(1868年6月22日)

「五兵衛よ、詳しく知らせよ」

 慶寧よしやすの問いに、五兵衛は頭の中で情報をすり合わせ、間違いがないか考えている。

 ただの風聞では片付けられない、不穏な意味合いを持っていると考えられるのだ。

「はい、申し上げます。風聞に過ぎぬかと存じますが、先月の琉球那覇港にての話にございます。琉球の元役人が、薩摩の人間ではないと見られる者と、幾度か人目を忍んで会談していた、とのしらせがございました」

 五兵衛の言葉は慎重だった。

 商人が扱う情報は常に真偽が入り混じっている。

 特に政治的な駆け引きの渦中にある琉球を巡る話となれば、その|信憑性《しんぴょうせい》は丹念に吟味しなければならない。

「薩摩の人間ではないとは、相違ないのか? 如何いかなる者か見当はつくのか?」

 悠然と構えていた慶寧の表情が鋭さを増してゆく。

 琉球との交易はアイヌ交易とならぶ藩の重要な収入源である。交易の形態は、日本が各国と通商条約を結んだ今もさほど変わってはいない。

 国内で鎖国論や攘夷じょうい論は消えたが、清国と日本は正式な国交がないために、琉球を介してしか輸入できないのが実情である。

 将来的には国交が結ばれるだろうが、現時点では必須なのだ。

「それが……定かではございません。ただ、その者が身につけていた着物の仕立てや、身のこなしから察するに、京大阪の者ではないかとの見方がございます。ですが……」

「何じゃ? まだあるのか?」

「はい。それが一度ではないのです。京大阪の者かと思えば、風体も言葉遣いも違う者が数名いたと」


 何だそれは?

 琉球を介した清との密貿易は薩摩藩の収入源であった。そこに薩摩人以外が入ってくるのもおかしい。

 今は各藩が貿易に長崎や横浜を利用しているのだから、わざわざ琉球貿易に参入してくる理由がないではないか。

 我が藩は先代の銭屋のときから貿易をしていたので分かるが、いったい誰が何のために参入してくるのか?


 慶寧の疑念は高まるばかりであった。

 それに元とはいえ琉球の役人が薩摩を介さずに、わざわざ人目を忍んで他藩の人間と会っているのである。

「会談の旨(内容)は?」

「それが……いかに銭を積もうとも、聞き出す事は叶いませんでした。ただ、二度三度と回を重ねるごとに、その男の顔つきが、何かを決したかのごとく引き締まっていったと申しております」

然様さようか」

 慶寧は皆目見当がつかない。

「いや、待てよ。いやいや、考えすぎであろう」

「殿、いかがなさいましたか?」

「いや、案ずるでない」


 京で不審火があり騒ぎになったと聞く。

 犯人の一人が琉球人だったようだ。

 いや、気のせいだろう。


 ■薩摩藩邸

 藩邸の一室では重苦しい沈黙が部屋の空気を支配していた。

 西郷隆盛は腕を組みながら庭の新緑を鋭く見つめている。

 隣では大久保利通と小松帯刀が卓上の白紙を凝視していた。

「慶喜ん奴め、やいおったわ」

 沈黙を破ったのは、西郷の低い声だった。

「罰も与えず、許しもせず。大村に妙な宿題を負わすっこっで(負わせる事で)、責めを果たさせたと見せかけおった。あいでは(あれでは)、だいも(誰も)文句が言えん」

 大久保は視線を動かさない。

 思考は慶喜の一手のさらに奥を読んでいたのである。

「西郷さあ。問題は、慶喜んやり口だけじゃなか。大村ん動きこそ、|解《げ》せん」

「……ん、ないごて?」

「あん大村が、幕府ん求めを易々とんだ。そいが奇妙じゃちゆうちょっとじゃ(それがおかしいと言っているんだ)。法を作れち言われ、はい、とびんた(頭)を下げた。まるで、はじめから決められちょった(決められていた)ごつ」

 大久保の言葉には、刺々とげとげしい疑念が込められていた。

「火事んゆえ(原因)を作ったんは大村。そん大村を、幕府がかぼうた。見方を変ゆれば、そうも取るっ(取れる)。もしや、ひそかに両者が手をきびったち考ゆったぁ(結んだと考えるのは)、いきすぎじゃろうか」

「……」

 西郷は返事をしない。

 大久保の指摘は、彼の胸中にくすぶっていた疑念の火に油を注ぐものだった。

 もともと大村藩は反幕府ではない。

 大老院の解散の件でたもとを分かったが、基本的には幕府体制を維持しながらの議会制度が当面の目的である。

 さらに大村藩の圧倒的な技術力を背景とした幕府の延命は、薩摩にとって最悪の筋書きであった。

「いずれにせよ、もはや猶予はありもはん。慶喜は時間稼ぎをしちょっにすぎん。奴が朝廷と諸藩を手なずけ、幕府を中心とした新たな仕組みを固むっ前に、我らは動かんにゃならん」

 小松帯刀が足をもみながら、痛みを我慢して言った。

 当時の帯刀は倦怠感けんたいかんや手足のしびれ、歩行困難の症状が出ていたのである。

「だいじょっか、帯刀さあ。京都に来ちょっど、大村ん京病院で診てもろうたやどうや?」

「じゃっど(そうだ)、大村は敵じゃなかし、敵にしてはならん。五代と一緒に大村に行っとったじゃろ? 見知った者もおっとじゃらせんか(知り合いもいるんじゃないか)?」


「……確かにそうじゃな。そいも悪うはなかね」

 もう10年以上前になるだろうか。

 五代才助と小松尚五郎と呼ばれていた頃である。


 ■長州藩邸

 周布政之助は書状を前に思索にふけっていた。

 薩摩は武力倒幕の後に新政府の樹立。

 武力に頼らず政権を朝廷に返上させた王政復古が長州の藩論であった。

 しかし、幕府への不信感は同じである。

 慶喜の老獪ろうかいな政治手腕に対する警戒も強かったが、政之助の思考は大村藩の動向に向けられていた。

(結局、大村は幕府の軍門に下ったか……)

 政之助はそう思わざるを得なかった。

 謹慎を解かれ、法案作成の命令を受け入れる。

 政之助の目には、大村藩が幕府の権威を認めた上での恭順の姿勢に映ったのである。

 これまで幕府と対等、あるいはそれ以上の立場で渡り合ってきたはずの大村が、あっさりと服従したと受け取れたのだ。

(いや、あの太田和次郎左衛門が、それだけで終わるはずがない……)

 政之助は次郎と面識はない。

 しかし高杉晋作やその他の大村遊学組など、次郎と親しい者から様々な情報を得ていたのだ。

  長州は、大村藩が提唱した『貴族院』構想に一定の期待を寄せていた。

 武力に頼らず、言論によって幕府の権力を解体する。

 それは理想的な形の一つではあった。しかし、その旗振り役である大村藩自身が、幕府との関係修復の動きを見せている。


 これでは、梯子はしごを外されたも同然ではないか。

 表向きは恭順した態度を示して、何かを計画しているのか?

 おおっぴらにしてはいないが、薩摩はますます武力討幕へ傾斜していくだろう。

 その流れに乗るべきか。

 いや、危険だ。

 現時点で大村は、幕府の解体はもちろん武力倒幕など考えてもいない。

 ここはじっくりと大村の動きを見極めるべきだろう。


 政之助の迷いは、そのまま長州藩の迷いでもあった。

 洛中らくちゅう火災事件の政治的決着は、薩長さっちょうの足並みに、微妙な、しかし無視できない乱れを生じさせていたのである。


 ■大村藩邸

 一方、疑惑の渦中にある大村藩邸では、当の本人たちがのどかな午後を過ごしていた。

 謹慎が解かれて、藩邸内の空気は明らかに明るさを取り戻している。

 次郎は純顕と共に、藩邸の奥座敷で茶をすすっていた。

「然れど見事なものだな。中将様(慶喜)の一手は」

 純顕が感心した様子でつぶやいた。

「誰も傷つけず、誰の面子も潰さず、それでいて実利は取る。予想はしておったが、やはりその通りになったの」

「真に。然れど殿、相手が巧妙であればあるほど、こちらにもやりようが生まれまする」

 次郎は湯呑ゆのみを置くと、不敵な笑みを浮かべた。

 その目は既にはるか先を見据えている。

「お主、また何かたくらんでおろう?」

「殿、企みとは人聞きが悪うございます。幕府の言う管理する法はつくりますが、幕府が扱えぬ法を作ればよいのです」

「ほう? ほうほうほう? 何じゃそれは」


 悪代官と商人の絵面であるが、新しい法制度によって慶喜の策を逆手にとろうとする次郎の考えであった。


 次回予告 第440話 (仮)『新しい法と糸』

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