第388話 『結局、とサラワン王国』

 慶応二年十一月三日(1866年12月9日) バタヴィア

「やや! 今なんと? ……我がんこ? なんか? 無理やり……最初……めん、つ?」

 各藩がそれぞれの方言と共通語で翻訳するが、さっぱり分からない。

 分からないが、次郎が感情をあらわにしていることは、どうやら理解できたようだ。

「う、あーごほん。つまりは、皆々様は港があった方が心安んじると仰せですが、それはつまり、イギリスに対して借りを作る事となりまする。えー、そもそも、航行できない船で来るべきではなかったと。そういう事にございましょう? 蔵人くろうど様」

 ようやく笑いが収まった中牟田倉之助が、内容をじっくりと吟味しながら通訳して話し始めた。

然様さよう各々方おのおのがた、それがしはいささか疲れ申した。勝様、あとは御公儀の差配にてお決め下され。そもそも、それがしと大村家中が決めるべきものではございませぬ。甲吉郎様、よろしいですか」

 顔を覆って頭を抱えていた次郎も冷静さを取り戻し、勝と幕府に丸投げした。

 純武は静かにうなずく。

「え? いや……れど……」

「良いですか、勝殿。くれぐれも国益を第一にお考え下さい」

 次郎はそう言いながら、勝の耳元に近づいてささやいた。

「(加賀藩の艦は嵐で遭難し、土佐藩の艦船は機関の故障に見舞われました。然りながら亀山社中の運用の力は及第点。これらを踏まえ、今後の処遇をいかがいたすかにございます)」




 実は、次郎の心の中ではすでに結論が出ていた。

 土佐藩を除くすべての艦船は、日本に帰す。

 イギリスに寄港地を提供されれば弱みになるからだ。

 日本の艦隊は遠洋航海の技術を持たないためにそうしたのだ、という誤ったうわさが広がる可能性もある。

 まったく根拠がなければ否定もできる。しかし、事実が混ざっているのだから始末が悪い。

 次郎は、日本を出港する際にもっと強く反対しておけばよかったと、何度も後悔していた。

 土佐藩に関しては、機関の部品交換が可能だったため、しばらくの間は問題ない。

 それに艦の航行は亀山社中のメンバーが担当しているため、他の藩と比べると経験値に大きな差がある。

 また、万が一トラブルが発生しても、一隻だけであれば何とか対処できる。

「では、大納言様(徳川慶勝)、各家中への沙汰は、これでよろしいでしょうか」

「うむ。わしは船の事はよく分からぬゆえ、勝に任せる。重々熟慮の果ての答えであろうからな。障りなしじゃ」

「はは」

「では、各御家中の皆様に、公儀としての沙汰をお知らせいたします」

 次郎と純武はここにはいない。

 全員が勝の顔を注視している。

「土佐守様の御家中の船以外は、これをもって終わりとし、日本に帰るものとする」

「なんと!」

「ばかな事を!」

「なにゆえに土佐だけが?」

 驚きと落胆の声が次々と上がる。

「土佐藩の艦は機関修理を完了し、航海を続ける事あたうと認められました。他の藩の艦につきましては──」

「待たれよ! 我が天保録てんぽうろくも整備が終わったと聞いたが!」

 宇和島藩の伊達宗孝が声を荒らげた。

 すると他の藩も次々に続く。

「然に候。すべての御家中の船の修理が終わり申した。障りとなるのは今後にございます」

「さらば、何ゆえに土佐藩のみ共に進み、我らは戻らねばならぬのだ?」

「理由は二つ」

 勝はこれで納得しなければ、日本に戻った際の処分も考慮していた。

「まずは練度。土佐は亀山社中の者が中心となって動かしております。彼の者等は年の半分以上、あるいは三分の二を海の上で過ごしており、間違いなく他の御家中より抜きんでておりましょう。現にさきの嵐も切り抜けました。マストや帆に失損傷はほとんどござらぬ」

 じっくり、ゆっくりとそれぞれの名代、艦長の顔を見ながら続けた。

「次に機関ですが、修理部品の有無でございます。入港後に確かめましたら、それぞれの艦内には整備用の部品がほとんどござらん。港で点検や修理するにしても、限りがあり申す。これより先はフランス領土と中立国のブラジルにございますぞ。交換能う部品があるとは思えませぬ」

 南海丸にはシャフト系の部品はなかったが、それ以外の部品はそろっていた。

 他の藩は経費削減を優先しているのか、日本近海の航海だけを考慮しているのか、予備の部品がほとんど用意されていなかったのだ。

 部品交換が必要な場合は、そのまま放置せざるを得ない。

「では伺います。この有り様で、いかにして欧州まで航海するのですか。もし障りあらば、事は一家中の問題に非ず。日本国全体の障りとなりますぞ」

 勝は再び全員をじっくりと見渡した。




「あい、分かった(く……無念)」

 宗孝が納得したので、しぶしぶ他の藩の名代も納得した。

 艦長と乗組員はオランダ商船に案内されて日本へ帰国となり、名代やその他の随行員は各艦に分乗してヨーロッパを目指す形となった。




 ■慶応二年十一月十日(1866年12月16日)サラワク王国 クチン

「これはこれは、ようこそおいで下さいました。サラワク王国、国王代理のチャールズ・ブルックです」

「日本国全権のジロー・オオタワです。このたびは誠にありがとうございました。貴国のご対応に対し、わが国を代表して心より感謝申し上げます」

「いえ、とんでもない。さあ、ささやかなパーティーの準備が整いましたので、こちらへどうぞ……」

 ブルックは次郎を籠絡するためにパーティー会場に誘おうとするが、次郎はまったく相手にしない。

「ご配慮いただきありがとうございます。しかし、私が一番気にかけているのは、同胞の安否です」

「それなら、ぜひお越し下さい」

 不審がる次郎をよそに、ブルックは会場へと進み、案内を始める。




「あ!」




 見ると、加賀藩の乗組員が歓待を受けているではないか。

「……!」

 出鼻をくじかれた。

 次郎はそう思いつつ、交渉のテーブルにつく。




 次回予告 第389話 『再び、エイベル・アンソニー・ジェームズ・ガウワー』

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