第110話 『電信機の実験失敗』(1849/4/13)

 嘉永二年三月二十一日(1849/4/13) 大村藩 久原調練場 

 次郎「おい! 大丈夫やろうな! ?」

 信之介「わからん!」

 次郎「わからんってお前! 殿の御前だぞ! この前は問題ないって言いよったやろう(言ってただろう)が!」

 信之介「せからしかってな(うるせえ)! 世の中完璧なもんはなか(ない)って言うやろうが!」

 次郎と信之介が、目と口と顔の全てを使って声に出さずに会話している。

 晴天の久原調練場に設置されたのは、信之介が考案し製造した電信機に、宇田川興斎やヤン・カレル・ファン・デン・ブルークのアイデアのもと改良された(信之介は途中で止めた)ものだ。

 ダニエル電池8個をつなげた電信機であるが、送信側と受信側に、同じ物が設置された。

 距離は約500mで、手前には純顕と次郎、そして信之介がいる。家老と他の城詰めの藩士が見守る中、500m先には宇田川興斎とブルークがいて調整を行っている。

 こちらで無作為に文をつくり発信する。向こう側で受信した物を紙に書き、持ってこさせて純顕に見せ、間違いがないかを確かめる方法だ。

 純|顕《あき》は次郎に尋ねる。

「誠に、わしが書いた文言が向こうにいる者どもに伝わるのじゃな? にわかには信じられぬが、それが異国の技術とやらなら、われらにできぬはずはない。されどいささか信じがたいの」

 わはは、と笑いながら語りかける純顕は楽しそうだ。

「は。では殿、何を伝えましょうか? 初めは短きが良いと存じます」

 長い文章で間違えでもしたらどうしようもない。短く、正確に伝えるのがミソだ。次郎はそう願った。純顕は傍らにあった紙に筆で文字を書く。短文のようだ。

 信之介が電信機の前に座り、次郎は純顕から受け取った紙の中身を確認して信之介に渡す。
 
 それを読んだ信之介は深呼吸をして、係をみてうなずく。係は旗を振り上げ、向こうの旗が揚がって了解のサインが来たのを確認して、旗を振り下ろす。

 それと同時に信之介はおもむろに電信機の電鍵を叩き始めた。

 ツートンツー ツーツーツー トンツートンツーツー……。




 受信機がカタカタと音をたててテープ状の紙に印をつける。宇田川興斎は紙をゆっくりと巻きとりながら文が終わるまで続ける。紙が破れないように、慎重に引きながら最後を待つ。

「ふうっ……」

 興斎は緊張のあまり唾を飲み込んで息を吐いた。
 
「-・- --- ・-・-- ・・ ・-・-・ --・-・ ・-・-・ -・-・ ・-・--  -・ -・--- -・ --・」
 
 書き取ったモールス信号を、ゆっくりと解読し始める。
 
「ワレ……我、デンシンニテ……電信にて、タエタリ……堪えたり?」

「ドウシタ?」

 ブルークが覚えたての日本語で聞いてくる。

「いえ……わかりませぬ。『我、電信にて、堪えタリ』だと? 日本語になっていない。いかがしたのだ?」

 ブルークは電信機を確かめ、異常のないことを確認する。興斎はしばらく考えていたが、右手に赤旗を持ち、縦横に数回振って消信信号を送り、手旗で『サラ』を送った。

 もう一度送れ、の合図である。




「いかがした?」

「いえ、なにか不具合が生じたようです。もう一度送れ、との合図にございます」

「なに?」

「殿、ご心配には及びませぬ。誠に届いておらぬのであれば、こちらが送っておる最中に停止の旗を振るはずにございます」

「うむ」

 次郎はもっともらしい事をいったが、考えられる可能性としては信号は届いたが、解読できない、もしくは理解不能な文であったという事だ。

「信之介、再送だ。再送しろ」

「いかがなされた(どうした?)」

「いいから! もう少しゆるりと送るのじゃ」

「……」

 信之介は黙って電鍵を叩いた。俺が設計した電信機が故障など……そう思っていたのだ。

 ツートンツー ツーツーツー トンツートンツーツー……。




「きた!」

 興斎は再びゆっくり紙を巻き取り、解読する。

「ワレ……我、デンシンニテ……電信にて、ツタエタリ……伝えたり。伝えたり!」

「したり! したり!」(やった! やった!)

 興斎は叫んだ。

 我電信にて伝えたり、本邦初の電信文である。興斎は喜びを露わにし、書面に文を書いて従者に渡して次郎に届けさせた。




「おお、見事だ! まさに今、電信で送った文そのものではないか!」

 次郎から文書を渡された純顕は、興奮気味に続けた。

「次郎よ、これでもう馬を駆けずとも、昼夜問わず文のやり取りができるのだな?」

「は。その通りにございます。これさえあれば例え千里離れていようとも、間近で話しているかのように、己が心を通わすこと能うのです」

 おおお、とそこにいた全員が喜びの声をあげ、拍手喝采となって次郎も純顕も満面の笑みである。まるで|狐《きつね》に化かされたかのような、信じられないという声が上がっている。

 つんつん……。

 ツンツン……。

「ん? なんだ信之介」

「正確には千里は無理」

「は? 何で?」

 ひそひそトークがはじまった。周りは喜びの渦中である。

「信号の減衰」

「は? なんて?」

「信号の減衰。これ以上電線を延ばせば、信号が減衰して正確に届かないばかりか、送受信すらできなくなる」

 信之介は淡々と答える。

「んーな馬鹿な事あるか。歴史上何百キロも、ああそうだ。大西洋だってモールスの時代に電信で通じていただろう?」

「うん」

「は? 言ってる事矛盾してるぞ」

「できないとは言ってない」

「じゃあできるようにしてくれよ」

 はぁぁ、と信之介はため息をついた。何にもわかっちゃいない、とでも言いたげだ。

「あのさあ次郎。なんでもかんでも俺がやったら意味がないだろう? 興斎だって自分で考えて試行錯誤しないと成長しない。次郎、お前は俺以下の、俺が教えないと何にもできない人材が欲しいのか?」

「う……」

 確かに信之介の言うとおりだ。科学者全員が信之介の言う通りの事しかできなかったら、信之介個人の負担が大きいばかりか、科学の発展は難しい。

「なに、心配はいらんよ。興斎は優秀だし、ブルーク先生にしたって素人じゃないんだ。それに多分、その秘密は世界で解明されている」

「そうか。わかった」




 次郎は気を取り直し純顕に告げる。

「殿、ごらんのように電信は歴史を変えまする。より完全にするには今少し時をいただきますが、必ずや近いうちに領内すべての地で電信が使えるようになるでしょう」

「うむ。頼むぞ次郎、信之介」

 純顕は二人を見、笑顔で言葉を投げかけた。

 こうして大村藩ではモールス信号を用いた電信が、実用化へと動き出したのである。




 次回 第111話 (仮)『缶詰製造とその改良』

 -研究経過-
 
 ■精|煉《れん》方
  ・電信機の距離延長研究。
  ・電力、発電、蓄電、アーク灯……水力発電。
  ・ゴムの性質改善による品質向上。
  ・既存砲の更なる安定化とペクサン砲の開発。
  ・造船所(ハルデス他)建設地の造成。
  ・蒸気機関の性能向上と艦艇用の研究。
  ・ゴムの品質向上研究と生成したゴムによるゴーグルの製作。
  ・ソルベイ法におけるアンモニアの取得方法について研究。
  ・写真機の研究開発。
  ・魚油の硬化、けん化の研究 
   
 ■五教館大学
  ・石油精製方法、缶詰製造法、焼き玉エンジンの研究開発。
 
 ■医学方
  ・下水道の設計と工事を行い、公衆衛生を向上させる。
 
 ■産物方
  ・石炭、油田の調査。
  ・松代藩に人を派遣し、採掘の準備に入る。(越後は価格交渉、相良油田はさらに調査)

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