第22話 『石けん販売の今後と領内でしばしの休養』(1837/8/2)

 天保八年七月二日(1837/8/2) 太田和村 <次郎左衛門>

 腕は、ほぼ完治した。

 包帯も外して風呂にもそのまま入れる。触ると少し痛いが、腕をグルグル回しても違和感はない。

 一之進からは煎じ薬だけは絶対に忘れるなと口をすっぱくして言われているので、飲んでいる。

 まずい。

 あれから俺の周りには足軽兵が警護として4名付くようになった。

 殿の怒りはすさまじいものがあったみたいだ。もの凄いテコ入れの捜査があったんだけど、実行犯は見つかってない。

 そりゃそうだよね。

 もう藩外に逃亡しているはずだ。警護に関しては、また色々と物議をかもしたようだけど、殿は押し切って腕の立つ者をつけてくれた。

 ありがたいね。その恩には報いないといけない。

 俺の立場は、わかりやすく言うと外様大名だ。

 一門でも譜代でもない。厳密にいうと関ヶ原前から従っていたから譜代ではあるんだけど、石高が特別だったんだ。

 あ、これは徳川幕府でのルールだった。大村藩とは関係ない。

 普通は城下に住んで、お城勤めをする人間がエリートね。馬廻り以上がいわゆる上級家臣団で藩政に携わる。

 郷村給人である俺は、領地に住んでそのまま治めるから、藩政に携わる事がない。江戸幕府で伊達や前田、島津が外様で下に見られてたのと同じイメージかな。

 今回の件、一時は死ぬかと思ったけどみんなのおかげで助かった。

 石けんに関してもあっちはあっちでやるようだし。まあ、好きにしてくれ。殿からは傷が治り次第、例の如く毎月15日に登城するように命じられている。

 今月は休んで、来月から登城すっかな。

 

 自分的には元気なんだけど、病人扱いされる事ってない? 今まさに俺がそんな状態。リハビリってことで許してくれよ。

「一之進、何書いてるの?」

 見ると一之進は紙を一面に広げ、筆でなにやら図面のようなものを書いている。

「うん、この時代で作れそうな手術器具一式な。薬は無理でも、金属製の器具は作れるだろう?」

 鍛冶屋に持っていくつもりなんだろう。なにやらメスにペアンにコッヘル……。

 わからん。ドラマで聞いた事はあってもそれが何を意味するかなんてわからん。あ、それからすぐに作れそうなものが1つあった。縫合用の針だ。

 パッと見で釣り針となにが違うのかわからんけど、専門家である一之進にしてみれば、全く違うんだろう。横に細かく寸法や注意書きが書かれてあった。

「次郎、思った事言っていい?」

「ん、なんだ?」

 真顔の一之進が怖いが、聞いてみる。

「幕末に医者がタイムスリップするドラマがあったやろ? あれから原作の漫画も読んだんだけど、良くも悪くも、へえ~って感じだったんだ。あるあるとか、いやいやないやろう? とかな。今の俺がまさにそれ! わかる?」

 いや、わからん。

 わからんけど、言わんとしたい事はわかる。まさか自分がそうなるとは、という思いと、今の医者があの時代に生きたら本当はどうなるんだろう? を実体験している事。

 多分誰も経験したことないだろう。

「ああ……うん。ただ、何か意味があるんだろうから、俺も含めてみんな、できる事をやるべきだと思うぞ」

「そうだな!」

 そう言って一之進はまた紙に書き続ける。俺の容体が落ち着いてから、村人に案内されてそこら中を歩き回って薬草を採取しているらしい。

 一之進のために敷地の一部を薬草園にしよう。

 

「お疲れ様~」

「あ、次郎君、無理しちゃダメだよ」

「大丈夫大丈夫。一之進もひとまずは安心って言ってたんだから」

 お里は心配性だ。そして気が利く。

 いや、この場合女性の嗅覚といった方が正しいだろうか。やましいことは一切ないけど、妻の静に気を遣っているのがわかる。

 距離を保って心配してくれるのだ。

 ああ、もちろん父親として夫として、優先順位は妻であり子供だよ。過ごす時間も一番多い。

 千代丸が元服した頃は平和に……いや、がっつりペリーやん。幕末動乱やん。

 ふとお里の机を見ると、翻訳中の説明書があった。ページは100ページを超えている。

「え? もうこんなに翻訳終わったの?」

「うーん、辞書があったからね。専門用語の訳し方は知らないし、鉄鋼関係は詳しくないから、日本語を新しく作るにしても仮称だし……」

 まあそうだよね。宇田川榕庵恐るべし。

「あんまり根詰めないでね」

「ありがとう。次郎君も無理しないでね」

 ぐっと親指をたてたジェスチャーをしてお互いに笑う。

 

「おーい。お前はまた、何をそんなに考え込んでいるんだ?」 

「あー、前に話していた石けんの製法だよ」

 なんか良くわからんけど、もっと原価を安くして、高品質のものを簡単につくる方法あるのか?

「なんだ。今のやり方じゃまずいのか?」

 信之介は腕を組み、筆を鼻に挟んでむむむ、とやっている。こいつもベタだな。

 あ、そうだ。鉛筆。鉛筆作れんかな。筆は、正直使いづらい!

「まずくはない。ただ油にしても灰にしても石灰にしても、人手がかかるし手間暇かかるだろう?」

「まあ、確かにな。で、どんな方法があるんだ?」

「まずルブラン法。これは、多分ヨーロッパで今使われているんじゃないかな? 塩化ナトリウム、塩だな。これを硫酸と混合して加熱するんだが、この過程で塩化水素ガスが発生する」

「それは……やばいやつ?」

「うん、有毒」

「だめやん!」

「それから石けんの原料の炭酸ナトリウム(ソーダ灰)と同じ量の硫化カルシウムができるんだけど、これもだめ」

「あ、じゃあ却下ね!」

 金になっても人体に悪いんじゃだめだ。環境問題ってどんだけ悪い意味で先取りだよ!

「次は?」

「ソルベイ法」

「ソルベー法?」

「うん。原料として石灰石(炭酸カルシウム)・アンモニア・食塩(塩化ナトリウム)・水を使う。最初に食塩水をアンモニア塩基性条件下で二酸化炭素と反応させて炭酸水素ナトリウムをつる。次にそれを熱分解して炭酸ナトリウムをつくる。その後に二酸化炭素が大量にいるから、石灰石をコークスと一緒に1,000℃で焼いてつくる。そしてこれまでの工程で副産物としてできた塩化アンモニウムと、水酸化カルシウムとを反応させてアンモニアとして戻す。アンモニアはまた使う。これで……」

「ちょい! ちょいちょい待った! これ、ものすんげえ手間暇かからん?」

「かかるなあ……」

「人もいるし、設備投資もいるやろ?」

「いるなあ……」

 信之介、お前機械みたいなしゃべり方すんなよ。

「じゃあ、とりあえず保留……次は?」

「あーとーはー。電気がいるんだけど……」

「……却下っぽいけど、一応言ってみて」

「3つあるけどまず1つ目は水銀法で……」

「水銀? 有害?」

「ん、まあ現代日本じゃ、この方法では作らない」

「じゃあ却下2つ目は?」

「隔膜法っていって、鉄の棒を陰極、陽極には不溶性金……まあいいや黒鉛ね。黒鉛を置く。両極室を石綿などの隔膜で分離して、食塩水を電解、電気を流すとね、鉄の棒の方に……マイナスね。水酸化ナトリウムと水素があつまってプラスには塩素があつまる」

「おー電池とか電気はちょっとムズそうやけど、よさげじゃね?」

「でも純度が低い。さっきの水銀法より水酸化ナトリウムの純度が低いから、イオン交換膜法ができてから、そっちにとってかわられた」

「イオン膜?」

「うん」

「あ、いい。なんか無理っぽそう。いいや。他は?」

「あとは、そうだな。……酸性白土、モンモリロン石、モンモリロナイトだな」

「もんも……何て?」

「モンモリロナイト。それを使えば、石灰石も灰もいらんよ」

「まじか! いや、鉱物っぽいけど、近場にあるん? それから鉱山っぽい事せんとダメなんやないん?」

「うーん、酸性白土は粘土やけん、そのまま掘ればいいんじゃ? モンモリロン石は石やからね。ツルハシとか、そんなのがいるかもしらんけど」

「うーん、ちょっと待って!」

 

「お里! 長崎の、大村藩の鉱物資源ってわかる?」

「……まあ、大体は。地元だからね」

「酸性白土は? モンモリなんとか石は?」

「酸性白土は……わからんけど、モンモリロナイトなら、波佐見にあるんじゃない? 確か何かで読んだ事ある。でも具体的にどこにあるかわからないから、波佐見っていっても広いからね。あ、早岐だったかな? 白岳?」

 

「信之介! 保留第2弾。そるべ法ともりろん石は一応候補でいろいろ考えといて」

「ほーい」

 

 いや、なかなかに難しい。なーに、まだまだ時間はある。石けんをつくりながら、じっくり考えよう。

 次回 第23話 『モリソン号警告についての幕府の見解と、聞役としての動き』

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