技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ 第692話 『ウラジオストク(北領掌)、オホーツク(狩海)、ペトロパブロフスク・カムチャツキー(勘察加市)』 天正十年十二月十二日(1582/1/6) 織田信忠はスペインとの海戦以降、信長の命により美濃に戻り、家督を継いでいた。織田家の当主としてはまだ3年目ではあったが、信長は徐々に権限を委譲していったのだ。 これは何も信忠に限った事ではない。 小... 2024.06.12 技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第135話 『大村修理とジョン万次郎』(1851/5/16) 嘉永四年四月十六日(1851/5/16) 大村城下 <次郎左衛門>「なんと! ……これは、なんと様変わりしたものよ……」 殿の出府とあわせて江戸を発った弟君の修理様(大村純熈ひろ・当時は利純)は、嫡男の甲吉郎様が家督を継ぐとなってから、甲吉... 2024.06.08 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ 第686話 『おーやじ、なんばしょっとね?』(1581/2/7) 天正十年一月四日(1581/2/7) 肥前飯盛城 <純正> 昨年末、松浦の爺様が亡くなった。享年八十八。 史実より3年長く生きたけど、人間五十年の二人分の大往生だ。史実にいない俺が統一を推し進めたものだから、喪主は平戸松浦からの養子ではなく... 2024.06.06 技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ 第685話 『大日本政府、初年度予算(負担金)と電池』(1581/1/4) 天正九年十一月二十九日(1581/1/4) 肥前国 純アルメイダ大学 医学部研究室 東玄甫は解剖台の上のカエルに向かって立っていた。手に持っているメスの1本は切断用、もう1本は固定用だ。カエルの足を慎重に切り開き、筋肉を露出させる。 人体解... 2024.06.05 技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第129話 『江戸城御用部屋、上の間にて』(1850/12/2) 嘉永三年十一月十七日(1850/12/2) 江戸城御用部屋 上の間「大村丹後守純顕あき、命により登城いたしましてございます」「大村家中、太田和次郎左衛門にございます」 二人は老中首座の阿部正弘より呼び出しをうけ、江戸城にいた。 9月28日... 2024.06.02 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第128話 『江戸参府の儀と製茶』(1850/11/2) 遡って嘉永三年三月一日(1850/4/12) 大村政庁「さて、此度こたび皆を呼んだのは、来る九月の江戸参府の儀にて、大いに諮らねばならぬ題目があっての事じゃ。次郎左衛門、よいか」 いつも柔和な純顕あきには珍しく、少し険しい顔をしている。「は... 2024.06.01 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ 第680話 『紡績機の改良・発明。人類、空へ』(1580/9/15) 天正九年八月七日(1580/9/15) <純正> 俺が今世に転生して19年がたった。 その間に技術革新が発生し、その分野は多岐にわたった。軍事技術や兵器ばっかりに目が行くけど、昔の日本の明治維新と同じで、忘れちゃならない物がある。 紡績だ。... 2024.05.31 技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ 第678話 『艦隊の帰還と世界地図。大同盟の財源は?』(1580/6/27) 天正九年五月十六日(1580/6/27) 京都 大使館 発 南四(南遣第四艦隊) 宛 屋形 メ 籠手田湊(ポートモレスビー)ニテ 婆羅島(ボルネオ島)ヨリ南ヲ 随時哨戒中 新幾内亜ニューギニア島ヨリ東ノ島々ノ 沖合ニテ イスパニアノ艦影 見... 2024.05.29 技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ 第677話 『まず発議した。後はおいおい考えよう。見積もりいくら?』 天正九年四月三日(1580/5/16) 京都 大使館「まずは全体の法を決めねばならぬ。その後省庁をつくり、内閣をつくる」 純正は現在肥前国に設置された省庁を中央政府、仮に大日本幕府と呼ぼう。その中に省庁を同じように置く事を考えた。そして、行... 2024.05.28 技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第120話 『勝海舟と大村城下の下水道整備計画』(1850/1/8) 嘉永二年十一月二十五日(1850/1/8) <次郎左衛門> さて、確かこの頃の勝海舟は、どこだっけ? 本所から赤坂田町に移ってる頃だったかな。「御免候!」「はいよ。どなたかな?」「勝麟太郎殿にござろうか。それがし、肥前大村家中、家老の太田和... 2024.05.24 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第119話 『次郎左衛門、武蔵国にて高林謙三に会い、隼人は加賀にて大野弁吉を口説く』(1849/11/25) 嘉永二年十月十一日(1849/11/25) <次郎左衛門> お茶の件はどうにかなったし、川越に来る途中にいろいろ考えてきた事があった。それは現在進行形で、これから10年、いやそれ以上、俺も含めてみんなが頭の隅に置いておかなくちゃならないこと... 2024.05.23 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ 第672話 『純正、惣無事令構想を打ち立てる。武田軍、信越国境より撤退す』(1579/7/19) 天正八年七月十九日(1579/7/19) 京都 大使館 「おわっ! だ、誰じゃ……て、平九郎? ごほん。御屋形様、いついらっしゃったのですか?」 不意に執務室で声をかけられた純久は、驚いて思わず名指しで呼んでしまった。「あはは。さっき。いい... 2024.05.23 技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第114話 『適塾の5人と賀来親子4人、そして前原功山』(1849/7/6) 嘉永二年五月十七日(1849/7/6) <次郎左衛門> 今日は定例(?)会議だ。議題はいろいろあるんだが……。 適塾から帰ってきた5人は、信之介の面接を受けて各部署に配属されていた。部署といっても明確に決まっているわけでもなく、総括を信之介... 2024.05.18 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第109話 『島原藩主松平忠精と賀来惟熊、真田幸貫の書状にて大村藩の要請に応ず』(1849/2/28) 嘉永二年二月六日(1849/2/28) 拝啓 立夏の候、主殿頭とのものかみ殿におかれましては、益々ご清祥の事とお慶び申し上げ候。 先日、大村丹後守殿(大村純顕)より書状を頂戴し、貴領内の宇佐郡佐田村に住まう賀来惟熊これたけ殿を招聘しょうへい... 2024.05.13 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第108話 『ここで、今の大村藩の状況と幕府、その他全体を見回してみよう……なに? 御公儀の目付井戸弘道殿じゃと?』 嘉永二年一月十二日(1849/2/4) <次郎左衛門>「後藤殿、それでは今のところ我が藩の勝手向き(財政)は利がでている、で間違いござらぬか?」 俺は今、筆頭家老となって藩政を差配している。もともと影のフィクサー的なスタンスで行こうと考えて... 2024.05.12 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第107話 『石炭の掘削費用と石油の上総掘り……&缶詰開発で儲かるか?』(1849/1/9) 嘉永元年十二月二十五日(1849/1/9) <次郎左衛門> この月、幕府より鍋島直正に長崎港防備に関する最終回答が伝えられた。 直正は防備の重要性を四年前から説き、堡塁ほうるいの建設を上書していたのだ。しかしその返書の内容は、同じく長崎警固... 2024.05.11 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ 第658話 『税制の改革と払い下げ。省庁再編と新規の設備投資』(1578/10/22) 天正七年九月二十二日(1578/10/22) 諫早城 <純正> 終わった……。5~6年後と考えていたスペイン戦が終わって、南方の脅威は去ったな。明も、まあよっぽどの事がないと行動は起こさないだろう。いま単独で俺たちに攻めてくるメリットがない... 2024.05.09 技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第101話 『国産か輸入か? 小規模から拡大するか、最大規模か?』(1848/9/28) 嘉永年九月二日(1848/9/28) <次郎左衛門>「あなた様、もう登城の刻限にございますよ」 お静の声で目が覚めた。太田和からの単身赴任じゃなくてよかったよ。実際に登城する時間に余裕を持って起こしてくれた。顔を洗ったり朝ご飯を食べたりの時... 2024.05.05 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第97話 『五教館大学設立と教授の選任、そして次郎の総括就任』(1848/3/25) 弘化五年二月二十一日(1848/3/25) <次郎左衛門> よし、つくろう。 会議室(仮称)に集まった俺たちは、五教館大学の設立に向けてのミーティングを行った。すでに母体のようなものはできあがっているんだけど、明確なくくりがない。 組織上は... 2024.05.01 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
Uncategorized 第94話 『鷹司政通の歌道と遊学生続々大村へ』(1848/2/9) 弘化五年(嘉永元年)一月五日(1848/2/9) 京都 関白・鷹司政通邸『春を待ち 朝廷の縁に 新しき 歳の始めの 冬麗らかな』 岩倉具視は関白・鷹司政通の前で丁寧に一礼をし、声を落ち着かせて歌を詠み上げた。「ほほほ。よきかなよきかな。そも... 2024.04.28 Uncategorized
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第93話 『佐久間象山、その後。純熈の側近と家督の行方』(1848/1/31) 弘化四年十二月二十六日(1848/1/31) <次郎左衛門> この月、水戸の徳川斉昭が外国人追放に関する意見書を提出した。昨年謹慎を解除されてから、2回目の意見書である。精力的だと言うほかはない。 幕政に参加したいとの権力欲か? いやいや、... 2024.04.27 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第92話 『隼人、長崎にて浅五郎を介し大島高任と手塚律蔵を知る』(1848/1/21) 弘化四年十二月十六日(1848/1/21) 玖島くしま城下 火術方 火術方は組織上精煉せいれん方の下部機関ではあるが、独立して洋式軍事調練を主とする部門である。 高島秋帆と立石昭三郎が中心となって訓練を行っており、ゲベール銃からミニエー銃に... 2024.04.26 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第90話 『儀右衛門、蒸気機関事始め。洪庵、長崎にて奥山静叔に会し、一之進への紹介を頼む』(1848/1/19) 弘化四年十二月十四日(1848/1/19) <次郎左衛門> さて、誰がいるか? あれからずっと考えている。招聘しょうへいする技術者のリストは次の通りだ。 ・味田孫兵衛……現在地は美濃。堆朱ついしゅカメラと呼ばれる最初期のカメラの製造者。 ・... 2024.04.24 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第87話 『村田蔵六、次郎左衛門と会す。岩倉具視、次郎左衛門の勧めにて鷹司政道の歌道へ入門して頭角を現せり』(1847/11/18) 弘化四年十月十一日(1847/11/18) 夜 玖島くしま城下「こ、これは……あれは何ですか?」 すでに夕方だったために、川棚から玖島城下へ向かい、登城するのは遅かった。そのため1泊して、翌朝登城しようというのだ。「ああ、ガス灯ですね。まだ... 2024.04.21 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第86話 『局所麻酔薬コカイン製造現場からはじまる村田蔵六の大村見学記』(1847/11/18) 弘化四年十月十一日(1847/11/18) 玖島くしま城 本年度収支報告(見込み含む) ※歳入 石けん・椎茸しいたけ販売利益……140,016両 石炭……33,516両 塩……3,996両 鯨……37,068両 真珠……780両 合計 2... 2024.04.20 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第81話 『なるほど、天才だね。だけど大村には君以上の者は3人居るし、君くらいの者は両手で足りないくらい、いるよ』(1847/1/1) 弘化三年十一月二十五日(1847/1/11) 信濃松代藩 産物会所「おお、そうだ。これであれば遜色あるまい」 身長180cmはあろうかという一人の大男が、職人が持ってきたガラスの器を手に取り、満足そうにうなずいている。その男が傍らの机に置い... 2024.04.15 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第78回 『捕鯨船の寄港と漁場問題』 (1846/8/26) 弘化三年七月五日(1846/8/26) 京都 <次郎左衛門> 今年初めに事業として展開を始めた捕鯨船団が帰ってきた。 8隻の65トン級の捕鯨船は船団を組み、玄界灘なだ・五島灘・角力灘すもうなだといった通常の漁場をはじめ、南シナ海や太平洋に... 2024.04.12 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第71話 『長崎台場と造船所。ガス灯の研究』(1846/1/26) 弘化二年十二月二十六日(1846/1/26) 玖島くしま城 弘化三年の、つまり来年の参勤交代であるが、純顕すみあきは老中首座の阿部正弘に、長崎湾と外海沿岸に台場の建設を建白する。 受理されるか却下されるかはわからないが、見積もりが必要である... 2024.04.05 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第69話 『エーテルはもうできた。コカの葉からコカイン単離、局所麻酔薬をつくろう』(1845/8/21) 弘化二年七月十九日(1845/8/21) 次郎邸 <次郎左衛門> さて、製鉄のめどはたってきた。多分、あと2~3年でカノン砲が作れるだろう。その後はペクサン砲だな。それから後はいろいろあるが、元込め施条式が主流になる。 アームストロング砲だ... 2024.04.03 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
Uncategorized 第68話 『炭素鋼ドリルによる切削と口径を統一した芯金による鍛造製造』(1845/8/6) 弘化二年七月四日(1845/8/6) 長崎 イギリス船サマラン号が長崎に寄港した。 警護にあたっていた佐賀藩は、幕命にしたがい薪と水を給与し食料を与え、直正は以下を命じた。 ・藩領である伊王島、香焼島・蔭かげノ尾島(現香焼町で陸続き)、高島... 2024.04.02 Uncategorized
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。 第624話 『日ノ本大同盟内の経済格差と移住問題』(1576/2/9) 天正五年一月十日(1576/2/9)永禄四年四月(1561)に、沢森平九郎政忠として転生して15年がたっていた。その治める版図は北は北海道の北西岸、南は鹿児島県のトカラ列島、東は静岡県の吉原湊(租借地)に、西は五島列島までに及んでいた。小佐... 2024.04.01 北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。 第623話 『中浦ジュリアンの元服と洗礼。遣欧使節団?』(1576/1/18) 天正四年十二月十八日(1576/1/18) 諫早城寒く、それでも晴れ渡った天気のもと、数えで14歳になる中浦小佐々甚吾じんご(中浦ジュリアン)の元服式が行われた。小佐々甚吾純吉である。本来は純正の姉である幸の息子、幸若丸の元服式と同時に行わ... 2024.03.30 北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第63話 『斉昭の蟄居が解かれ、秀才、大村に集う』(1845/1/4) 天保十五年十一月二十六日(1845/1/4) 玖島城下「次郎殿、いや、失礼いたしました御家老様。これはまた、勇ましい限りにございますな」「先生、どうか、どうか以前のように次郎とお呼びください」「ははは。そうは言っても難しゅうござるな。何と言... 2024.03.28 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。 第618話 対イスパニア戦、再び?(1575/2/20) 天正四年一月十日(1575/2/20) 諫早城『フィリピン全土占領の大儀とそれに付随する戦略会議』が純正の主導で開催された。 開催というより議題に上った案件で、最重要課題の一つだったために、特別に時間を割いたのだ。「フィリピン全土を占領した... 2024.03.23 北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。 第616話 電気のその後のライデン瓶とジエチルエーテルの冷凍庫?(1575/1/30) 天正三年十二月十九日(1575/1/30) 諫早城『磁気的現象と電気的現象についての考察:天正元年六月一日(注:ユリウス暦1572/7/10):太田和忠右衛門藤政』天正元年(1572)六月一日に発表された論文なのだが、これは今まで忠右衛門が... 2024.03.21 北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第56話 『佐久間象山に知己を得、大村に帰っては洋式帆走捕鯨船の完成』(1842/12/17~1843/5/16) 天保十三年十一月十六日(1842/12/17) 江戸 某所「だからな、まずもってこの日本の沿岸部、主要な港に防衛のための砲台を据え置かねばならぬ」「なるほど」 居酒屋の片隅で、数人の同僚なのか部下なのかわからない男達を前に語っている男がいた... 2024.03.21 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第53話 『高野長英と徳川斉昭』(1842/12/12) 天保十三年十一月十一日(1842/12/12) 江戸 <次郎左衛門> 9月26日に大村を出発して、俺たちが江戸についたのは11月11日だ。 俺の上京、じゃなかった江戸参府の同行には目的があった。それは長英さん(高野長英)の見舞いに行くこ... 2024.03.18 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第52話 『根回しと高島秋帆逮捕の失敗』(1842/10/31) 天保十三年九月二十八日(1842/10/31) <次郎左衛門> 俺は今回の江戸参府に同行したが、その前に、やるべきことがあった。『根回し』だ。 史実では高島秋帆先生が今年の五月に告発され、十月には外国人との交友の罪で投獄された。それを防ぐの... 2024.03.17 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。 第607話 連合艦隊司令長官 深沢勝行(1574/8/18) 天正三年八月二日(1574/8/18)小佐々城新たに編成された第四、第五艦隊の陣容は以下のとおりである。■第4艦隊(呉) 連合艦隊司令長官 深沢勝行大将 第4艦隊司令長官 佐々清左衛門加雲中将第41戦列戦隊(41bd) 74門戦列艦 富士(... 2024.03.12 北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。 第606話 新型戦列艦の就役と艦隊編成(1574/8/17) 天正三年八月一日(1574/8/17)小佐々城 一室 小佐々家は本家と中浦小佐々家、そして松島小佐々家の三家がある。 純正が本家の家督を継ぐ前から分かれてはいたのだが、11年前の永禄六年、葛の峠の戦いで本家の世継ぎと分家の当主二人が全て討死... 2024.03.11 北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え 第602話 東西本願寺と加賀、紀伊の服属(1574/5/11) 天正三年四月二十一日(1574/5/11) 太田和利三郎(治部少輔)政直や日高甲斐守喜、伊集院掃部助忠棟をはじめとした小佐々家外務省の渉外担当官は、多くを語らず、ただ聞かれた事のみを答えた。 これは可、これは非という形の説明に終始したのだ。... 2024.03.07 内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え 第600話 戦争と平和(1574/2/17) 天正三年一月二十六日(1574/2/17) 摂津 石山本願寺「なんと! そのような事できようはずがない」 本願寺顕如は七里頼周の報告を聞き、鼻で笑うかのように言い放った。「されど従わねば、われらは小佐々の敵となりますぞ」「わかっておる。され... 2024.03.05 内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え 第599話 加賀一向宗、騒乱の幕引き(1574/2/10) 天正三年一月十九日(1574/2/10) 加賀「では三河守殿、どうあっても織田家との|諍《いさか》、弓を伏せて越前討ち入りを取りやめる気にはなりませぬか」 太田和利三郎政直はもう二刻(4時間)も話し込んでいる。それでも七里三河守|頼周《らい... 2024.03.04 内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え 第598話 バッタ型脱進機と壱式時計の完成。加賀侵攻の是非に関する合議 天正二年九月十日(1573/10/5) 肥前諫早城 時計製作研究所織田主導の真の平等合議同盟というべき条件を書き連ねた条約締結に向け、光秀と虎盛が各国を回っている頃、肥前諫早城下にある時計製作研究所では一人の男が奮闘していた。3年前の元亀元... 2024.03.03 内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第37話 『鯨組の復活とペニシリン』(1839/11/26) 天保十年十月二一日(1839/11/26) 肥前彼杵そのぎ郡 江島村『深澤』ではなく『益富』と掲げられた屋敷では、見かけでは20歳になるかならないかという男が、他の男衆に声をかけながら作業を行っていた。「御免候、こちらに深澤太郎殿はおられる... 2024.03.02 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第36話 『唐津一揆の結末と捕鯨。深澤家鯨組の復活』(1839/11/03) 天保十年九月二八日(1839/11/03) 佐賀城「その後、唐津の件はいかがあいなった?」「は、やはり佐渡守様(唐津藩主小笠原長和ながよし)の説得には応じず、一揆勢は御公儀の沙汰を待つとの事でございます。しかして唐津藩は藩兵二百五十人余りを... 2024.03.01 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第34話 『まじで何が売れるだろう? 高炉の件は鍛冶屋と波佐見の窯焼き職人&炭焼き職人に任せようかな』(1839/08/20) 天保十年七月十二日(1839/08/20) 玖島城下 次郎邸 <太田和次郎> 次郎邸、といっても新築ではない。 本邸と、お里用の小さな部屋(家)が隣同士になるような土地と屋敷を購入して、あくまで隣の女主人のような形にしたのだ。 同じ屋根の下... 2024.02.27 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え 第594話 一貫四百五十匁(約12ポンド)一貫斎砲と五馬力蒸気機関 天正二年五月二十三日(1573/6/22) 肥前 川の近く 某所 ぐわんぐわんぐわん……。どがしゃんどがしゃんどがしゃん……。 水車を動力とした大型切削機械が二つ並んでいる。 ぐわんぐわんぐわん……。どがしゃんどがしゃんどがしゃん……。「先... 2024.02.26 内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第33回 『藩政改革と新たな商品開発。精錬方も』(1839/06/12) 天保十年五月二日(1839/06/12) 肥前 玖島くしま城 次郎左衛門 断った。 ありがたく拝命いたします、と言った直後の居室での会合で、俺は即断った。「殿、それがしはまだ家督も継いでおらぬ十七の若輩者。また、継いだとて郷村給人にございま... 2024.02.25 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え 第593話 女真派遣団の帰国と蝦夷地開拓 天正二年四月十二日(1573/5/23) 諫早城 二年前の夏に始まった蝦夷地の開拓と入植は順調に進んでいた。 蝦夷地交易を独占的に任せている太田和屋弥次郎の交易船の運航とあわせて、人員の輸送も行われたのだ。 まずは大首長チパパタインの勢力圏... 2024.02.25 内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え