太田和

天下百年の計?

第712話 『大日本国銀行』

天正十二年十一月二日(1583/12/15) 肥前国庁舎 最上義光に送った質問状については、予想通りの回答がきた。要するに単なる軍事訓練であり、他領への侵攻の意図はまったくない、という事である。 真偽のほどは別として、純正は念のため、義氏に...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第163話 『次郎vs.ペリー 日本の事情とアメリカの事情』

嘉永六年五月二十日(1853年6月26日) 浦賀沖 サスケハナ号艦上「これは心強い。よろしくお願いいたす」 栄左衛門はそう言って、純顕と次郎の一行とともに改めてペリーに向き直る。日本側は純顕、次郎、香山栄左衛門の三名で、アメリカ側はペリー・...
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第162話 『サスケハナ艦上にて対峙する』

嘉永六年五月二十日(1853年6月26日) 浦賀沖「提督、奴らはどうするでしょうか」 ブキャナンがペリーに尋ねると、ペリーは葉巻をふかしながら静かに言う。「ふむ。琉球の件があるので慎重に行動しなければならないが、臆することはない。奴らにはこ...
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第161話 『13日早まったペリー来航』

嘉永六年四月二十四日(1853年5月31日) 奄美大島「重畳ちょうじょう重畳。予想通りだ。さすが薩摩隼人、よくやってくれた。これでペリーも強硬な態度は出来ないだろう。琉球でこうなのだから、わが国に対しては対応を和らげてくるはずだ」 就役した...
天下百年の計?

第711話 『最上の馬揃えと商人の動き』

天正十二年九月十八日(1583/11/2) 新政府庁舎 武田州……清水湊8万貫 徳川州……大浜湊10万貫 浅井州……小浜湊7万貫 里見州……館山湊9万貫 畠山州……七尾湊8万貫 大宝寺州……酒井湊6万貫 各州から港湾整備の予算申請が出たが、...
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第159話 『一触即発! 琉球にて』

遡る事嘉永六年二月十九日(1853/3/28)  鹿児島城「おお! これは肥前の宰相、太田和次郎左衛門殿! お会いしとうござった!」 少し|慇懃《いんぎん》無礼気味に見えるが、次郎はそれを感じつつも低姿勢で応対する。「はは。英明なる豊後殿に...
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第156話 『蒸気機関の改善と消火器』

嘉永六年一月十九日(1853/2/26)  次郎は越後の油田の開発を続けていたが、どうしても運上金がネックであった。 石油の産出98石につき米48石(77両)の比率なのだ。これが本来ならいくらになるかというと、臭水くそうず(石油)1石で3....
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第155話 『アーク灯・ガス灯・ランプの棲み分けと石油コンビナート』

嘉永五年十二月十日(1853/1/19)  精煉せいれん方の電力開発方は、信之介が残した初期のダイナモ(発電機)の改良を続けていた。 アーク灯の点灯には成功したものの、膨大な電力が継続的に必要なために電池では限界があり、安定した電力の供給が...
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第151話 『スクリューと九条幸経』

嘉永五年六月七日(1852/7/23) 大村藩 精煉せいれん方 スクリュー研究室  象山が加硫によるゴムの安定化に成功した事と、潤滑油の開発が終了したことで、スクリュー製造の目処がたってきた。研究室内では実験結果を詳細に記録しながら、象山が...
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第149話 『浦賀と朝廷』(1852/4/20)

嘉永五年三月二日(1852/4/20) 浦賀湊みなと シュッシュッシュッシュッ、ガシャンガシャンガシャンガシャン……。 幕府の命を受けて次郎たちは浦賀湊で停泊し、使者を待っている。湾内には幕府が建造した晨風しんぷう丸をはじめとした小型の洋式...
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第148話 『江戸と打抜き蓋底の発明(開発)』(1852/4/18)

嘉永五年閏うるう二月二十九日(1852/4/18) 数ヶ月前の夜、仕事を終えた二人はいつもの料亭『川棚屋』で一杯やっていた。 佐久間象山は酒は飲むが、最近は研究所に入り浸りで、それどころではなかった。それでも気晴らしの必要性を感じたので、同...
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第147話 『万次郎の帰国と大阪』(1852/2/29) 

嘉永五年二月十日(1852/2/29) <次郎左衛門>  万次郎さんは年末を待たずに、去年の11月に土佐に帰っていった。  商人同士のやり取りは、乾堂くんと慶ちゃんに任せてはいるんだけど、やっぱり面通しはやったほうがいいらしい。二人ともけっ...
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第145話 『その頃の幕府と各藩』(1852/1/31)

嘉永五年一月十一日(1852/1/31) 江戸城 この頃の幕府と言えば江戸湾の台場構築と、大村藩へ盛んに幕臣を派遣して、技術の吸収に邁進まいしんしているところであった。しかし肝心の財政再建は遅々として進まず、第七台場まで造成予定の台場は、第...
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第144話 『アーク溶接と場所請負商人』(1852/1/11)

嘉永四年十二月二十日(1852/1/11) 精煉れん方 理化学・工学研究所 信之介研究室  信之介は夜も眠らずに研究室にこもっていた。目の前には、数ヶ月かけて組み立てた発電機がある。手のひらで優しく機械をなぞりながら、信之介はこれが次世代の...
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第139話 『蒸気缶と工作機械。台場造成と海軍伝習所』(1851/9/19)

嘉永四年八月二十四日(1851/9/19) この月の17日に、上野俊之丞が亡くなった。陽気で明るく、ムードメーカー的な存在で、年齢を感じさせない気さくな性格は、誰からも好かれていたのだ。  葬儀はしめやかに行われた。上野彦馬は14歳。五教館...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第692話 『ウラジオストク(北領掌)、オホーツク(狩海)、ペトロパブロフスク・カムチャツキー(勘察加市)』

天正十年十二月十二日(1582/1/6) 織田信忠はスペインとの海戦以降、信長の命により美濃に戻り、家督を継いでいた。織田家の当主としてはまだ3年目ではあったが、信長は徐々に権限を委譲していったのだ。 これは何も信忠に限った事ではない。 小...
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第135話 『大村修理とジョン万次郎』(1851/5/16)

嘉永四年四月十六日(1851/5/16) 大村城下 <次郎左衛門>「なんと! ……これは、なんと様変わりしたものよ……」 殿の出府とあわせて江戸を発った弟君の修理様(大村純熈ひろ・当時は利純)は、嫡男の甲吉郎様が家督を継ぐとなってから、甲吉...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第686話 『おーやじ、なんばしょっとね?』(1581/2/7)

天正十年一月四日(1581/2/7) 肥前飯盛城 <純正> 昨年末、松浦の爺様が亡くなった。享年八十八。 史実より3年長く生きたけど、人間五十年の二人分の大往生だ。史実にいない俺が統一を推し進めたものだから、喪主は平戸松浦からの養子ではなく...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第685話 『大日本政府、初年度予算(負担金)と電池』(1581/1/4)

天正九年十一月二十九日(1581/1/4) 肥前国 純アルメイダ大学 医学部研究室 東玄甫は解剖台の上のカエルに向かって立っていた。手に持っているメスの1本は切断用、もう1本は固定用だ。カエルの足を慎重に切り開き、筋肉を露出させる。 人体解...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第129話 『江戸城御用部屋、上の間にて』(1850/12/2)

嘉永三年十一月十七日(1850/12/2) 江戸城御用部屋 上の間「大村丹後守純顕あき、命により登城いたしましてございます」「大村家中、太田和次郎左衛門にございます」 二人は老中首座の阿部正弘より呼び出しをうけ、江戸城にいた。  9月28日...
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第128話 『江戸参府の儀と製茶』(1850/11/2)

遡って嘉永三年三月一日(1850/4/12) 大村政庁「さて、此度こたび皆を呼んだのは、来る九月の江戸参府の儀にて、大いに諮らねばならぬ題目があっての事じゃ。次郎左衛門、よいか」 いつも柔和な純顕あきには珍しく、少し険しい顔をしている。「は...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第680話 『紡績機の改良・発明。人類、空へ』(1580/9/15) 

天正九年八月七日(1580/9/15) <純正> 俺が今世に転生して19年がたった。 その間に技術革新が発生し、その分野は多岐にわたった。軍事技術や兵器ばっかりに目が行くけど、昔の日本の明治維新と同じで、忘れちゃならない物がある。 紡績だ。...
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第678話 『艦隊の帰還と世界地図。大同盟の財源は?』(1580/6/27) 

天正九年五月十六日(1580/6/27) 京都 大使館 発 南四(南遣第四艦隊) 宛 屋形 メ 籠手田湊(ポートモレスビー)ニテ 婆羅島(ボルネオ島)ヨリ南ヲ 随時哨戒中 新幾内亜ニューギニア島ヨリ東ノ島々ノ 沖合ニテ イスパニアノ艦影 見...
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第677話 『まず発議した。後はおいおい考えよう。見積もりいくら?』

天正九年四月三日(1580/5/16) 京都 大使館「まずは全体の法を決めねばならぬ。その後省庁をつくり、内閣をつくる」 純正は現在肥前国に設置された省庁を中央政府、仮に大日本幕府と呼ぼう。その中に省庁を同じように置く事を考えた。そして、行...
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第120話 『勝海舟と大村城下の下水道整備計画』(1850/1/8) 

嘉永二年十一月二十五日(1850/1/8) <次郎左衛門> さて、確かこの頃の勝海舟は、どこだっけ? 本所から赤坂田町に移ってる頃だったかな。「御免候!」「はいよ。どなたかな?」「勝麟太郎殿にござろうか。それがし、肥前大村家中、家老の太田和...
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第119話 『次郎左衛門、武蔵国にて高林謙三に会い、隼人は加賀にて大野弁吉を口説く』(1849/11/25)

嘉永二年十月十一日(1849/11/25) <次郎左衛門> お茶の件はどうにかなったし、川越に来る途中にいろいろ考えてきた事があった。それは現在進行形で、これから10年、いやそれ以上、俺も含めてみんなが頭の隅に置いておかなくちゃならないこと...
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第672話 『純正、惣無事令構想を打ち立てる。武田軍、信越国境より撤退す』(1579/7/19)

天正八年七月十九日(1579/7/19) 京都 大使館 「おわっ! だ、誰じゃ……て、平九郎? ごほん。御屋形様、いついらっしゃったのですか?」 不意に執務室で声をかけられた純久は、驚いて思わず名指しで呼んでしまった。「あはは。さっき。いい...
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第114話 『適塾の5人と賀来親子4人、そして前原功山』(1849/7/6) 

嘉永二年五月十七日(1849/7/6) <次郎左衛門> 今日は定例(?)会議だ。議題はいろいろあるんだが……。 適塾から帰ってきた5人は、信之介の面接を受けて各部署に配属されていた。部署といっても明確に決まっているわけでもなく、総括を信之介...
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第109話 『島原藩主松平忠精と賀来惟熊、真田幸貫の書状にて大村藩の要請に応ず』(1849/2/28) 

嘉永二年二月六日(1849/2/28) 拝啓 立夏の候、主殿頭とのものかみ殿におかれましては、益々ご清祥の事とお慶び申し上げ候。 先日、大村丹後守殿(大村純顕)より書状を頂戴し、貴領内の宇佐郡佐田村に住まう賀来惟熊これたけ殿を招聘しょうへい...
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第108話 『ここで、今の大村藩の状況と幕府、その他全体を見回してみよう……なに? 御公儀の目付井戸弘道殿じゃと?』

嘉永二年一月十二日(1849/2/4) <次郎左衛門>「後藤殿、それでは今のところ我が藩の勝手向き(財政)は利がでている、で間違いござらぬか?」 俺は今、筆頭家老となって藩政を差配している。もともと影のフィクサー的なスタンスで行こうと考えて...
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第107話 『石炭の掘削費用と石油の上総掘り……&缶詰開発で儲かるか?』(1849/1/9)

嘉永元年十二月二十五日(1849/1/9) <次郎左衛門> この月、幕府より鍋島直正に長崎港防備に関する最終回答が伝えられた。 直正は防備の重要性を四年前から説き、堡塁ほうるいの建設を上書していたのだ。しかしその返書の内容は、同じく長崎警固...
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第658話 『税制の改革と払い下げ。省庁再編と新規の設備投資』(1578/10/22)

天正七年九月二十二日(1578/10/22) 諫早城 <純正> 終わった……。5~6年後と考えていたスペイン戦が終わって、南方の脅威は去ったな。明も、まあよっぽどの事がないと行動は起こさないだろう。いま単独で俺たちに攻めてくるメリットがない...
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第101話 『国産か輸入か? 小規模から拡大するか、最大規模か?』(1848/9/28)

嘉永年九月二日(1848/9/28) <次郎左衛門>「あなた様、もう登城の刻限にございますよ」 お静の声で目が覚めた。太田和からの単身赴任じゃなくてよかったよ。実際に登城する時間に余裕を持って起こしてくれた。顔を洗ったり朝ご飯を食べたりの時...
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第97話 『五教館大学設立と教授の選任、そして次郎の総括就任』(1848/3/25)

弘化五年二月二十一日(1848/3/25) <次郎左衛門> よし、つくろう。 会議室(仮称)に集まった俺たちは、五教館大学の設立に向けてのミーティングを行った。すでに母体のようなものはできあがっているんだけど、明確なくくりがない。 組織上は...
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第94話 『鷹司政通の歌道と遊学生続々大村へ』(1848/2/9)

弘化五年(嘉永元年)一月五日(1848/2/9) 京都 関白・鷹司政通邸『春を待ち 朝廷の縁に 新しき 歳の始めの 冬麗らかな』 岩倉具視は関白・鷹司政通の前で丁寧に一礼をし、声を落ち着かせて歌を詠み上げた。「ほほほ。よきかなよきかな。そも...
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第93話 『佐久間象山、その後。純熈の側近と家督の行方』(1848/1/31)

弘化四年十二月二十六日(1848/1/31) <次郎左衛門> この月、水戸の徳川斉昭が外国人追放に関する意見書を提出した。昨年謹慎を解除されてから、2回目の意見書である。精力的だと言うほかはない。 幕政に参加したいとの権力欲か? いやいや、...
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第92話 『隼人、長崎にて浅五郎を介し大島高任と手塚律蔵を知る』(1848/1/21)

弘化四年十二月十六日(1848/1/21) 玖島くしま城下 火術方 火術方は組織上精煉せいれん方の下部機関ではあるが、独立して洋式軍事調練を主とする部門である。 高島秋帆と立石昭三郎が中心となって訓練を行っており、ゲベール銃からミニエー銃に...
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第90話 『儀右衛門、蒸気機関事始め。洪庵、長崎にて奥山静叔に会し、一之進への紹介を頼む』(1848/1/19)

弘化四年十二月十四日(1848/1/19) <次郎左衛門> さて、誰がいるか? あれからずっと考えている。招聘しょうへいする技術者のリストは次の通りだ。 ・味田孫兵衛……現在地は美濃。堆朱ついしゅカメラと呼ばれる最初期のカメラの製造者。 ・...
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第87話 『村田蔵六、次郎左衛門と会す。岩倉具視、次郎左衛門の勧めにて鷹司政道の歌道へ入門して頭角を現せり』(1847/11/18) 

弘化四年十月十一日(1847/11/18) 夜 玖島くしま城下「こ、これは……あれは何ですか?」 すでに夕方だったために、川棚から玖島城下へ向かい、登城するのは遅かった。そのため1泊して、翌朝登城しようというのだ。「ああ、ガス灯ですね。まだ...
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第86話 『局所麻酔薬コカイン製造現場からはじまる村田蔵六の大村見学記』(1847/11/18)

弘化四年十月十一日(1847/11/18) 玖島くしま城 本年度収支報告(見込み含む) ※歳入 石けん・椎茸しいたけ販売利益……140,016両 石炭……33,516両 塩……3,996両 鯨……37,068両 真珠……780両  合計 2...
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第81話 『なるほど、天才だね。だけど大村には君以上の者は3人居るし、君くらいの者は両手で足りないくらい、いるよ』(1847/1/1)

弘化三年十一月二十五日(1847/1/11) 信濃松代藩 産物会所「おお、そうだ。これであれば遜色あるまい」 身長180cmはあろうかという一人の大男が、職人が持ってきたガラスの器を手に取り、満足そうにうなずいている。その男が傍らの机に置い...
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第78回 『捕鯨船の寄港と漁場問題』 (1846/8/26)

弘化三年七月五日(1846/8/26) 京都 <次郎左衛門> 今年初めに事業として展開を始めた捕鯨船団が帰ってきた。  8隻の65トン級の捕鯨船は船団を組み、玄界灘なだ・五島灘・角力灘すもうなだといった通常の漁場をはじめ、南シナ海や太平洋に...
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第71話 『長崎台場と造船所。ガス灯の研究』(1846/1/26)

弘化二年十二月二十六日(1846/1/26) 玖島くしま城 弘化三年の、つまり来年の参勤交代であるが、純顕すみあきは老中首座の阿部正弘に、長崎湾と外海沿岸に台場の建設を建白する。 受理されるか却下されるかはわからないが、見積もりが必要である...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第69話 『エーテルはもうできた。コカの葉からコカイン単離、局所麻酔薬をつくろう』(1845/8/21) 

弘化二年七月十九日(1845/8/21) 次郎邸 <次郎左衛門> さて、製鉄のめどはたってきた。多分、あと2~3年でカノン砲が作れるだろう。その後はペクサン砲だな。それから後はいろいろあるが、元込め施条式が主流になる。 アームストロング砲だ...
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第68話 『炭素鋼ドリルによる切削と口径を統一した芯金による鍛造製造』(1845/8/6)

弘化二年七月四日(1845/8/6) 長崎 イギリス船サマラン号が長崎に寄港した。 警護にあたっていた佐賀藩は、幕命にしたがい薪と水を給与し食料を与え、直正は以下を命じた。 ・藩領である伊王島、香焼島・蔭かげノ尾島(現香焼町で陸続き)、高島...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第624話 『日ノ本大同盟内の経済格差と移住問題』(1576/2/9) 

天正五年一月十日(1576/2/9)永禄四年四月(1561)に、沢森平九郎政忠として転生して15年がたっていた。その治める版図は北は北海道の北西岸、南は鹿児島県のトカラ列島、東は静岡県の吉原湊(租借地)に、西は五島列島までに及んでいた。小佐...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第623話 『中浦ジュリアンの元服と洗礼。遣欧使節団?』(1576/1/18) 

天正四年十二月十八日(1576/1/18) 諫早城寒く、それでも晴れ渡った天気のもと、数えで14歳になる中浦小佐々甚吾じんご(中浦ジュリアン)の元服式が行われた。小佐々甚吾純吉である。本来は純正の姉である幸の息子、幸若丸の元服式と同時に行わ...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第63話 『斉昭の蟄居が解かれ、秀才、大村に集う』(1845/1/4)

天保十五年十一月二十六日(1845/1/4) 玖島城下「次郎殿、いや、失礼いたしました御家老様。これはまた、勇ましい限りにございますな」「先生、どうか、どうか以前のように次郎とお呼びください」「ははは。そうは言っても難しゅうござるな。何と言...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第618話 対イスパニア戦、再び?(1575/2/20)

天正四年一月十日(1575/2/20) 諫早城『フィリピン全土占領の大儀とそれに付随する戦略会議』が純正の主導で開催された。 開催というより議題に上った案件で、最重要課題の一つだったために、特別に時間を割いたのだ。「フィリピン全土を占領した...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第616話 電気のその後のライデン瓶とジエチルエーテルの冷凍庫?(1575/1/30)

天正三年十二月十九日(1575/1/30) 諫早城『磁気的現象と電気的現象についての考察:天正元年六月一日(注:ユリウス暦1572/7/10):太田和忠右衛門藤政』天正元年(1572)六月一日に発表された論文なのだが、これは今まで忠右衛門が...