家臣

転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第131話 『幕府のその後と2号ドックと2番艦。江戸四人衆』(1851/1/3)

天正九年十月二十三日(1580/11/29) 工房の中は工具の音と共に、試行錯誤が続く中での緊張感が漂っていた。加工職人は金属の短冊状の板を慎重に扱いながら、曲げて筒状に成形する作業に取り組んでいる。「この金属板をしかと丸めることができれば...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第684話 『注射器の開発と北条・イスパニア・ポルトガル』(1580/11/29)

天正九年十月二十三日(1580/11/29) 工房の中は工具の音と共に、試行錯誤が続く中での緊張感が漂っていた。加工職人は金属の短冊状の板を慎重に扱いながら、曲げて筒状に成形する作業に取り組んでいる。「この金属板をしかと丸めることができれば...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第680話 『紡績機の改良・発明。人類、空へ』(1580/9/15) 

天正九年八月七日(1580/9/15) <純正> 俺が今世に転生して19年がたった。 その間に技術革新が発生し、その分野は多岐にわたった。軍事技術や兵器ばっかりに目が行くけど、昔の日本の明治維新と同じで、忘れちゃならない物がある。 紡績だ。...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第126話 『鍋島直正の苦悩と島津斉彬の決断。幕府は如何に?オランダ風説書』(1850/8/9)

嘉永三年七月二日(1850/8/9) 江戸城 一右同説ニ而者にては東印度海並に唐国海に英吉利イギリス海軍左之通り相備有之由あいそなえありのよしに候。(同記事によると、東インドおよび中国近海における英海軍は以下の通り) 十五隻 和蘭オランダ海...
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第125話 『冷蔵庫の改良とダゲレオタイプかカロタイプか』(1850/6/22) 

嘉永三年五月十三日(1850/6/22) 佐賀城「なに? そんな馬鹿な? そのような物、見た事も聞いた事もないぞ! ……いや、待て。待て、待て……」 佐賀藩主、鍋島直正は考えている。 佐賀藩が今製造して改良中の反射炉を、大村藩ではすでに仕上...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第677話 『まず発議した。後はおいおい考えよう。見積もりいくら?』

天正九年四月三日(1580/5/16) 京都 大使館「まずは全体の法を決めねばならぬ。その後省庁をつくり、内閣をつくる」 純正は現在肥前国に設置された省庁を中央政府、仮に大日本幕府と呼ぼう。その中に省庁を同じように置く事を考えた。そして、行...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第669話 『上杉景勝と上杉景虎。そして氏政への上洛命令』(1579/5/27) 

天正八年五月二日(1579/5/27)  越後の龍、上杉謙信が死んだ。その知らせは越後のみならず近隣諸国に知れ渡り、周辺の諸大名はその動静を固唾を呑んで見守り、あるいは行動に移した。 が、今世は違った。 純正が信長と同じ立場で東に武田と上杉...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第668話 『小田原城の北条氏政と椎津城と佐貫城』

天正八年四月五日(1579/5/1) 夕刻 小田原城 小田原城は天下の堅城。総構えの城は何重もの広大な堀に囲まれ、その中に街がある。史実では豊臣秀吉の小田原攻めを前に構築されたようだが、今世ではすでに出来上がっていた。「こりゃあ大したもんだ...
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第113話 『閏四月マリナー号、和蘭の自由化の影響を伝えわが国も!となるが・・・』(1849/5/29)

嘉永二年閏うるう四月八日(1849/5/29) <次郎左衛門> やっべ……重大な事を思いだした。 あやうく国際的な信頼を失う所だったよ。そう考えれば、全部じゃないけど|辻褄《つじつま》があうんだ。何の事かって? あの膨大なお茶の輸出量の爆上...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第665話 『房総騒乱、義頼起つ』(1579/4/25)

天正八年三月三十日(1579/4/25) 久留里城 義弘没後 四十九日 義弘の四十九日の法要が終わった。 元服し里見義重となった梅王丸の前に立ち、一礼して去る一団があった。里見義尭たかの息子で義弘の弟であり、義重が生まれるまでは義弘の養子と...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第664話 『日ノ本大同盟の今』武田と畠山と里見(1579/3/8)

天正八年二月十一日(1579/3/8) 七尾城「殿、なにやらうれしい事でもあったのですか?」 側近である大塚孫兵衛尉連家まごべえのじょうつらいえの問いかけに、畠山義慶は穏やかな表情を浮かべる。「孫兵衛よ、わしが家督を継いで早十二年。長かった...
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第109話 『島原藩主松平忠精と賀来惟熊、真田幸貫の書状にて大村藩の要請に応ず』(1849/2/28) 

嘉永二年二月六日(1849/2/28) 拝啓 立夏の候、主殿頭とのものかみ殿におかれましては、益々ご清祥の事とお慶び申し上げ候。 先日、大村丹後守殿(大村純顕)より書状を頂戴し、貴領内の宇佐郡佐田村に住まう賀来惟熊これたけ殿を招聘しょうへい...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第655話 『凱旋と織田家』(1578/7/5)

天正七年六月一日(1578/7/5) サン・ペドロ要塞「なんだ、これは。これがあのサン・ペドロ要塞なのか……」 城壁は全周囲で崩れ落ち、かろうじて陥落していないが、すでに風前の灯火であるのは誰の目にも明らかであった。艦砲射撃で無力化された砲...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第100話 『ヘルハルト・ペルス・ライケンとヘンドリック・ハルデスならびに招聘技師総計109名』(1848/9/6) 

弘化五年八月九日(1848/9/6) <次郎左衛門> この月、越前藩において西洋式の大砲が鋳造された。内容は十三吋インチカルロンナーデ砲(カノン砲)、十五吋ホーイッスル砲、二十五吋モルチール砲である。 なるほどな、と。 事の始まりは今年の4...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第634話 『織田水軍から織田海軍へ、イスパニア情報の収集』(1577/10/13)

天正六年九月二日(1577/10/13) 岐阜城「何? 小佐々から参陣の求めが来ただと?」「は、これよりイスパニアなる南蛮の国と戦をするゆえ、海軍の参陣を求めると。水軍とは呼ばず、海軍と。されど強いるものではなく、判は委ねるとのことで、その...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第77回 『プロパンガスか都市ガスか?』(1846/8/2)

弘化三年六月十一日(1846/8/2) 大砲鋳造方  15回目の操業である。 高炉2双4炉、反射炉2双4炉による同時溶解を行った。鉄は合計7,200kgを投入し、36 ポンド砲が1 門できた。鉄湯の流動性は全ての炉が良好という訳ではなく、差...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第626話 『北緯42度条約と日ノ本大同盟会議』(1576/9/26) 

天正五年九月一日(1576/9/26) 小佐々海軍 探険艦隊 旗艦艦上 「小佐々家北方探検艦隊司令官、伊能三郎右衛門にござる」「同じく副将、間宮清右衛門にございます」「北条水軍大将、梶原備前守にござる」「同じく、副将の清水太郎左衛門にござい...
肥前争乱、淘汰するものされるもの

第91話 後藤惟明の苦渋の決断

永禄七年 六月 武雄城 後藤惟明 父上が殺され、兄上も弟も幽閉されている。今の武雄後藤に、俺の居場所はない。養子の意味がないのだ。 ただでさえ疎んじられてきた。実子も問題なく成長している。このままではいずれ廃されるか、もしくは……。 どう考...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第622話 『織田家の聖アルメイダ大学卒業生と、在諫早大学生』 (1575/10/17)

天正四年九月十四日(1575/10/17) 岐阜城 6年前の永禄十二年に小佐々領へ向かった留学生のうち、大学の部の9名は卒業し、2年前に帰ってきていた。信長の命で『岐阜大学』を設立したのだ。 また彼らは、織田領内では小学・中学・高校という教...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第609話 加賀と越中西部の自治について言問を行う(1574/9/17)

天正三年九月三日(1574/9/17) 5月に行われた合議において、越中の旧本願寺勢力の所領である礪波となみ郡については、当初畠山義慶よしのりの管轄下に置くのが良いのではないかとされたが、義慶は辞退した。 家臣からは要望があったようだが、足...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第39話 『アヘン戦争と国内事情』(1840/1/16) 

天保十年十二月十二日(1840/1/16)  この時、イギリスは産業革命による資本の蓄積や南北戦争の戦費調達のために、銀の国外流出を抑えなければならない状態であった。 そのような状態にも拘かかわらず中国からは茶や陶磁器、絹を大量に輸入してい...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第595話 織田家の技術革新と加賀・紀伊問題 

天正二年六月二十八日(1573/07/26) 志摩国答志郡とうしぐん 船津村「ふふふ、壮観よの、嘉隆。あの一番大きな船はいかほどあるのだ?」「は、大型の安宅船程はございましょうか。他の船は小早と関船の中ほどにございます。しめて十隻にあいなり...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第593話 女真派遣団の帰国と蝦夷地開拓

天正二年四月十二日(1573/5/23) 諫早城 二年前の夏に始まった蝦夷地の開拓と入植は順調に進んでいた。 蝦夷地交易を独占的に任せている太田和屋弥次郎の交易船の運航とあわせて、人員の輸送も行われたのだ。 まずは大首長チパパタインの勢力圏...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第28話 『坂本龍馬の支援者・小曽根乾堂の父、小曽根六左衛門』(1838/2/9)

天保九年一月十五日(1838/2/9) 長崎「お慶よ、石けんじゃが、お前に聞くのもどうかと思うが、このまま商いを続けても大丈夫なのか?」父の太平次はお慶の事を、九歳にして商いにおける神童と感じてはいたが、やはり長年営んできた油問屋に未練があ...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第588話 報復行動の可否と恩賞の基準

天正二年 一月十六日(1573/02/18) 近江国蒲生郡  日ノ本大同盟合議所「では敵から討ち入られた時は如何いかが致すのでしょうか」 徳川家の青山忠成が発言し、石川数正もそれを後押しする。 これは何も軍事行動だけとは限らない。 隣接国か...
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第27話 『高島秋帆の一番弟子、平山醇左衛門との出会い』(1838/1/10)

天保八年十二月十五日(1838/1/10)玖島くしま城「佐賀武雄鍋島家が郎党、平山醇左衛門じょうざえもんと申します。このたびは謁見の栄誉を賜り恐悦至極に存じます」 長身である。 とは言ってもこの時代で考えればというくらいで、165cmでお里...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第585話 合議制による銭の力で日ノ本一統。(1572/12/05)

天正元年 十一月一日(1572/12/05) 諫早城 「すなわち知行ではなく、銭にて報いると?」「その通り」「然されど、銭の配分なり、いずれの大名に如何いかに銭をまわすかなど、後々差し障りがございませぬか?」「無用じゃ」 純正には腹案がある...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第584話 純正の大義名分と信長の大義名分(1572/12/05)

天正元年 十一月一日(1572/12/05) 諫早城 「さてみんな、集まってもらったのは他でもない。例の如く小佐々家の今後の基本方針と、織田・武田・徳川・浅井・畠山・里見に対する外交姿勢について論じたいからである」 集まった閣僚の表情は十人...
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第22話 『石けん販売の今後と領内でしばしの休養』(1837/8/2)

天保八年七月二日(1837/8/2) 太田和村 <次郎左衛門> 腕は、ほぼ完治した。 包帯も外して風呂にもそのまま入れる。触ると少し痛いが、腕をグルグル回しても違和感はない。 一之進からは煎じ薬だけは絶対に忘れるなと口をすっぱくして言われて...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第580話 武田大膳大夫勝頼の野望

天正元年(1572)九月二日 甲斐 躑躅ヶ崎館「わしは、其方そなた達あっての武田じゃと思うておる」 武田家第十七代当主で、甲斐源氏二十代目である武田勝頼は、重臣を前にそう言った。 馬場美濃守(信房)に山県三郎兵衛尉(昌景)、高坂弾正(昌信)...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第579話 純正の同盟国の事情。畠山義慶と佐渡の儀。

天正元年(1572)八月十五日 能登 七尾城  発 修理大夫 宛 権中納言 秘メ……○▽■ぐしゃぐしゃぽい……。  平九郎、元気ですか?  いや、最初は例の通信文で書こうとしたんだけど、あれ、いくら暗号っつったってダダ漏れでしょ?  それに...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第12話 『城内の石けん反対派と純顕の改革』(1837/4/3)

天保八年 二月二十八日(1837/4/3) |玖島《くしま》城「鷲わし之助、少し前より気になっていたのだが……」「なんでございましょう?」 玖島城内で、藩主を除いた会議が行われていた時の会話である。「お主、近ごろ、なにやら良い香りがするが、...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第9話 『+五万石達成!なのか?まずは藩主様から始めよう』(1837/1/21)

天保七年 十二月十五日(1837/1/21) 太田和村 (次郎目線) 製造実験は3人に任せて販売計画を練って、十日が過ぎた。 今月は登城はない。来月の正月の挨拶とあわせて登城し、翌二月から十五日の登城になる。 灰汁の原価計算をして、多めに見...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第569話 難航する交渉と上杉小佐々代理戦争の余波

天正元年(1572) 四月十五日 富山城  「……他国に軍いくさに出ず、守るに要るだけの最も少なき軍旅を養えればよい、と分きたる(理解している)が、よろしいか」 利三郎のこの言葉が頭から離れない須田満親は、難航した初日を振り返って二日目を迎...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第5話 『そもそも弱小五万石の大村藩が、隣の佐賀藩三十五万石に勝てるのか?』(1837/1/9) 

天保七年 十二月三日(1837/1/9) 明け六つ半(0710) 玖島城下 旅籠 酒は飲んだが、なぜか早起きできる日があるのは前世とかわらない。 酒の相性が良かったのかつまみが良かったのか、頭痛はない。不思議だ。ともあれ空が明るくなる前に目...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第4話 『転生早々いきなりの無茶振りと、大村藩影のフィクサー誕生』(1837/1/8) 

天保七年 十二月二日(1837/1/8) 明け八つ(1336) 玖島城「さて次郎よ、人払いしたのは他でもない。そなたに頼みがあっての事なのじゃ」 俺はもの凄く嫌な予感がしたが、まずは聞いてみる事にした。「ははっ。それがしに能う事なれば、何な...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第1話 『転生したら幕末の大村藩下級藩士!大村純顕と純熈に仕えて、西欧列強に対抗する。』(1837/1/6) 

天保七年 十一月三十日(1837/1/6) 肥前大村藩 「あいった! ……いたたたた」 頭がズキズキする。 痛みで目をつむって、頭を押さえる。 二日酔い特有の痛みだ。おかしいな。俺昨日そんなに飲んだかな? いや、最近は宅飲みで、しかも缶ビー...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第561話 和睦交渉を左右する所口湊の海戦と七尾城の戦い

天正元年 四月六日 巳の一つ刻(0900)「なんぞ(何だ)あれは? 如何いか様にも(どうみても)兵船ではないか! 然しかも、上杉の兵船、船手衆ではないか!」 来島通総と得居通幸が、七尾湾に停泊する三百艘の上杉水軍の軍船を発見したのだ。「なに...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第560話 城生城の落城と鎌田政年の討死。両軍、和議となるか?

天正元年 四月五日 酉四つ刻(1830) 越中 戸波村~鷲塚村 島津軍 巳の四つ刻(1030)から始まった島津軍と上杉軍の戦闘は、巧みに離合集散を繰り返して互角のまま推移していたが、もう間もなく日没になろうかという頃、唐突に終わりを告げた。...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第559話 立花道雪の包囲vs.上杉謙信の包囲

天正元年 四月五日 午三つ刻(1200) 能登 輪島沖「兄上、然れど昨日の三国湊は妙でしたね。煙が上がってました。君子危うきに近寄らずで、通り越して塩屋湊に寄りましたが、なにかあったんでしょうか」「助兵衛(来島通総)よ、いや殿。いい加減慣れ...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第556話 純正、婦負郡南部、新川郡南西部を服属させる

天正元年(元亀三年・1572) 四月五日 京都 大使館 発 敦賀信号所 宛 権中納言 複 治部少丞 秘メ 敦賀ニテ 数多ノ 兵船 アリ 帆ノ 紋二ヨリ 奈佐 毛利 小早川 村上 他 山陰 山陽ノ 船手衆 ト 認ム 秘メ 発 権中納言 宛 敦...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第554話 上杉謙信に後手後手の小佐々純正。起死回生、なるか?

天正元年 四月四日 日本海「(おい、誠に、これは同じ、海なのか?)……!」「ははは! だらしねえなあ旦那! それでも同じ海賊か? こんなもん凪なぎだ!」「やかましい! 何も言うておらぬではないか! いささか驚いておるだけじゃ! 軍いくさでは...
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第552話 阿尾城陥落の真実と能登所口湊

天正元年 四月四日 辰一つ刻(0700) 能登 射水郡 千久里城「おお! 無事であったか!」 庄川東岸(広上村)の道雪本陣で報告してきた家臣より、妻と嫡男の無事は聞かされていたが、実物を見てほっと胸をなで下ろす菊池武勝である。 千久里城は、...
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第551話 信長の計略と上杉包囲網なるか?

天正元年 四月四日 京都 大使館 発 在能番所(能登所口湊) 宛 権中納言 秘メ 立花殿 出立 畠山殿 合力 越中へ 向カフ 秘メ ○三三○ 秘メ 第四艦隊 出港後 帰港セズ ナホ 天気晴朗ナリ 秘メ ○三三一 発 越前堀江館 宛 権中納言...
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第547話 『晴天の霹靂 越前での一揆と書状。純正、謙信に敗れけり?』

天正元年 四月二日 京都 大使館純正の顔はいつになく険しい。対上杉戦に舵をきったものの、いったいどれくらいの期間戦が続くのか?早く終わるに越した事はない。もちろん、本当は長期戦というよりも経済戦で徐々に謙信を締め付け、撤退させる事が目的であ...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第542話 庄川決戦:島津義弘の挑戦

天正元年 四月二日 辰三つ刻(0800) 庄川西岸(能町村) 島津義弘陣「申し上げます! 敵、南一里半(約5.8km)の大門新村に陣を構えてございます!」「何? 南だと? やつら、我らを思い消ちたるや(無視しているのか)! ?」 物見の報告...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第539話 接舷乗艦と火矢攻撃、第四艦隊壊滅??

天正元年 四月一日 午一つ刻(1100) 立花道雪 陣中「殿、杉浦壱岐守様がお見えです」「何? 壱岐守殿が?」 九州の武士である道雪にとって、杉浦玄任(1517~)は見知らぬ人物である。道雪以外の、一番近い摂津三好衆にとっても知っている者は...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第534話 謙信との決戦近し! 越中国人の混沌と畠山義慶の参戦

天正元年 三月三十日 能登 所口湊「ご一同、それがしも合力いたしたく罷まかり越しました。何卒末席に加えてくだされ」 畠山義慶である。家臣団と合議の上、自らの手勢のみであれば、という条件つきで出陣となったのである。「畠山修理大夫義慶よしのりに...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第527話 上杉領経済封鎖 すべての津、浦、湊で津留をいたす。

天正元年 三月二十四日 越後 柏崎沖 佐々清左衛門加雲少将率いる、小佐々海軍第四艦隊の陣容は次の通りである。 旗艦 戦艦 霧島丸(500トン)  二番艦 重巡足柄(400トン)  三番艦 重巡羽黒(400トン)   四番艦 軽巡阿武隈(30...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第525話 越中をめぐる三つ巴、あるいは四?五?の戦い

天正元年(元亀三年・1572) 三月二十日  純正が発議した警察機構の発足については、同時にその教育機関についても言及された。 警保学校や消防学校、海上検非学校が設置され、将来的に幹部を育成するための大学校も検討されたのだ。 また、情報省関...