第455話 『再び、フィクサー次郎』

 慶応四年十一月上旬(1868年12月中旬)

 ・まずは幕府に公式に合議制を認めさせる(成功・貴族院)

 ・貴族院議場を幕府の権限を弱めるために本願寺に移設(論議中に騒動発生)

 ・無党派層の取り込み(進行中だが京都の騒乱のために進んでいない)


 本来次郎が薩長さっちょうと組んだ目的は、その影響を強く受けている藩を糾合して議席数を確保するためであった。その後、大村藩の経済的メリットを前面にだしつつ、徐々に勢力を拡大しようと考えていたのである。

 しかし思わぬところでボヤ騒ぎがあり、守護職屋敷の火災や升屋での騒動もあって、議会は空転していた。

 そこへ来ての昇叙しょうじょである。

 議会にて巻き返しを図った慶喜のせいで名ばかりの六衛督と弾正台であったが、京都の治安維持が目的である電信敷設と街灯の設置において、世論は大きく大村藩びいきとなった。


「日本の統治権は、もはや幕府(Taicoon)にはないのか?」

「我々が結んだ条約の相手は誰になるのだ?」

「六衛府とは何か。新たな軍閥か。内戦の始まりではないか?」

 京都で発せられた勅許の情報は、またたく間に電信網を駆け巡っていた。

 日本の政治中枢のみならず、異国の者たちが集う港町にも深刻な揺さぶりをかけていたのである。

 横浜をはじめとした箱館や長崎、神戸(2年前に開港)、新潟(今年2月開港)の各国領事館や公使館は混乱の極みにあった。

 日本の統治機構の頂点であると考えていた徳川幕府の権威が、朝廷の存在によって公然と否定されたのだ。

 帝、朝廷は儀礼的・宗教的に君臨するも、政治はあくまで幕府が行う。

 開港から現在までの政治的やり取りはすべてこうであった。

 彼らが築き上げてきた外交関係の根幹を揺るがす一大事なのである。

 断片的な情報が錯綜さくそうする中、各国の外交官たちが共通して突き止めた事実が1つだけあった。この前代未聞の政変の裏で糸を引いているのが、フィクサー次郎である。

 その結果、京都でアーク灯の設置計画を進め、同時に弾正台として内通者の調査に乗り出した次郎のもとに、各国からの面談要求が殺到することとなった。


「あーもう! 覚悟はしていたけど、やっぱりこうなるよね」

 次郎は、発電所の建設や電信網敷設の指揮を腹心の部下に任せると、急ぎ横浜へと向かった。

 日本の未来を決める戦場は、議会や京の都だけではない。


 ■江戸 フランス公使館

 公使のマキシム・アウトレイはレオン・ロッシュの後任で、ロッシュは6月に離日していた。

 次郎とアウトレイは面識がない。

 幕府の正式な外交官ではない次郎と面識がないのは不思議ではなかったが、アウトレイもロッシュ同様に幕府寄りであった。

「はじめまして、ムッシュ太田和。いきなりで申し訳ないが、これは一体どういうことなのか、説明していただきたい。我々フランス帝国が支援し、条約を結んだ徳川幕府の了承なしに政策を実行するなど……。確かに大村クランの技術はすばらしい。しかしそれは大君政府の技術でもあるのではないのでしょうか?」

 アウトレイの顔は穏やかだが、返事次第では考えがあるといわんばかりであった。

 なるほど、と声には出さずにジェスチャーで示した次郎は語りかける。

「はじめまして公使。座ってもよろしいか?」

 開口一番で質問されたので、2人とも立ったままであった。

「ああ、これは失礼、どうぞ」

 次郎は笑みを浮かべて座る。

「公使。これは我が国の内政の問題です。大日本帝国の政府は政府であり、何も変わりません。今は徳川党が政権を握っているにすぎないのです」

 次郎は初めて、対外的に日本を『大日本帝国』と表現した。

 帝国とはいわゆる広大な領土において複数の民族を統治する国家である。

 皇帝を頂点とするが、エンペラーを帝と訳して、帝が君臨し統治は政権がするとの意味で使ったのだ。

 いわゆる大政委任論である。

「……それは、詭弁きべんではありませんか? 大村藩が薩摩や長州と結託して徳川の政府を転覆させようとしている、との噂もあります」

「ははははは!」

 次郎は一笑に付した。

「公使、貴国にも政権交代があって選挙があるでしょう? 現在はナポレオン3世陛下が統治なされているが、その前は大統領であって、首相が3回変わっている。同じですよ。それに、我が帝国の政府を転覆させる革命ではありません。条約も保証も返済も、何も変わりません。むろん、大村藩からの技術供与の件も変更ありません」

 次郎の言葉にアウトレイはしばらく沈黙してしまった。

 話には聞いていたが、その理路整然とした説明に驚きを隠せないのである。

 特にフランスの政情を引き合いに出された点に内心では舌を巻いていたのだ。東洋の島国の一藩士が、欧州の複雑な政治体制を正確に理解している。

 その事実がアウトレイの目の前の男への警戒レベルを一段階引き上げた。

「……ムッシュ太田和。あなたの言わんとすることは理解できます。政権の交代ですか。しかし我が国でさえ、その過程でどれほどの血が流れたことか。貴国の『政権交代』が内乱に発展する危険性はないと、断言できますかな?」

 アウトレイは探るような視線を次郎に注ぐ。

「? 血が流れたのですか?」

 次郎はあえて確認した。

 アウトレイの口から詳細を聞いたうえで答えようとしたのだ。

 質問を質問で返す。

 このあたりが次郎のしたたかなところである。

「?」

 アウトレイは次郎の意外な問い返しに黙ってしまった。

 この男がフランス革命の血に塗られた歴史を知らないはずがない。

 明らかにこちらの出方を探るための意図的な無知の表明だ。彼は内心で警戒を強めつつも、相手の土俵に乗るしかなかった。

「……ムッシュ太田和、ご冗談を。我がフランスが共和国となり、そして再び帝政へと移行する過程で、どれほどの国民がギロチンの露と消え、あるいは戦場で命を落としたか……。旧体制を覆す行為は、必ず国家に深い傷跡を残します。権力の空白は常に血によって埋められる。それが歴史の常ではありませんか」

 アウトレイは、フランスの栄光の裏にある暗い歴史をあえて重々しく語った。日本の改革者に対し、革命の恐ろしさを説いて動きを牽制けんせいしようとの意図である。

 話が終わるのを、次郎は神妙な面持ちで聞いていた。

 そして深くうなずくと、静かに口を開いた。

「なるほど……。貴重な歴史の教訓、感謝いたします、公使。その血の歴史、我々も書物を通じて学んでおります。そしてそれこそが、我々が最も避けねばならないと肝に銘じているのです」

「ほう?」

「そもそも貴国と我が国では王朝の流れ、すなわち元首たる国王、皇帝の属する王朝の歴史が違います。公使、貴国はフランスを冠する国号の国から、それよりも過去に遡っても構いませんが、最古の王朝はいつから、そして何代変わりましたか?」

 アウトレイは次郎の意図が読めなかった。

 政権の転覆や空白は国家として最も危険な時期であり、避けなければならないのは間違いない。

 それがなぜ王朝の歴史と交代の回数が関わってくるのだろうか?

「いったい、何を聞きたいのですか?」

「いえ、言葉通りです。それをお互いに理解しないと前に進めません」

 次郎の落ち着き払った態度に、アウトレイは押されるように思考を巡らせた。

 フランスの王朝の歴史をフランク王国まで遡れば、メロヴィング朝やカロリング朝がある。

 その後フランス王国のカペー朝、ヴァロワ朝、ブルボン朝……。幾度とない断絶と闘争があった。

 そしてブルボン朝を倒した革命、いわゆるフランス革命を経て共和制となり、ナポレオンによる帝政、王政復古、七月革命、二月革命……。

 フランスの歴史は、権威の転覆と断絶の連続であった。

「……我が国の歴史は、闘争の歴史です。王家は何度も変わり、革命によって倒されもした。それが何か?」

 アウトレイはやや苛立ちながら答えた。次郎が何を言いたいのか、まだつかめない。

 答えを待って次郎は静かに、しかしはっきりとした口調で語り始めた。

「ありがとうございます、公使。では、我が国の話をいたしましょう。我が国において、国の頂点に立つ天子様の血統は、神話の時代からただの一度たりとも変わっておりませぬ」

「……何?」

 アウトレイは思わず聞き返した。

 一度も、変わっていない?

「ええ。政治を司る者は、時代と共に移り変わりました。古くは藤原氏が摂政・関白として、次に平氏、そして源氏が鎌倉に幕府を開きました。その後は足利氏、織田氏、豊臣氏と続いて現在の徳川氏へと、政治の実権を握る者は変遷してまいりました」

 次郎は、指を折りながら丁寧に説明した。

「しかし彼らは皆、等しく天子様よりその権威を預かる『臣下』に過ぎないのです。将軍職も、天子様から任命されて初めて正当性を得る。つまり、政権担当者が変わっても、国家の根源たる王朝は二千年以上も不動なのです」

 アウトレイはぞくりと鳥肌が立った。

 これまで彼ら西洋人が理解していた『ミカド』と『タイクーン』の二重権力構造。それは、単なる宗教的権威と世俗的権力者の並立ではなかった。

 日本の国家構造の、揺るぎない『いかり』だったのだ。

「ご理解いただけましたか、公使。我々が今行おうとしているのは、フランスで起きてきた国家の根幹を覆す『革命』では断じてない。あくまで、天子様の下で政を預かってきた政権担当者の徳川家が、役目を終えて議会を中心とした新たな『政権担当者』へと移行する」

 ただそれだけのこと。

 国家の頂点は微動だにしないのだから、フランスが憂慮する権力の『空白』は起こり得ないと説明したのである。

 次郎の言葉は、アウトレイの抱いていた懸念を根本から覆す説得力があった。

 なるほど、だからこの男は『政権交代』と言ったのか。王朝が転覆しない以上、革命ではなく統治機構内の交代劇に過ぎない。

「……信じられない話だ。1つの王朝が、2千年も続いているとは……」

「事実です。そして天子様をお守りし、この歴史的な政権移行が、血を見ずに平和裏に行われることを見届ける。それこそが、帝直属の組織である『六衛府』の真の役割なのです」

 次郎は穏やかな笑みを浮かべたままアウトレイを見つめた。

 アウトレイはもはや反論の言葉を持たない。

「なるほど……理解しました。ムッシュ太田和、あなたの説明は論理的ですね。本国には正確に報告しましょう。日本の改革は、我々が考える革命とは全く異質の、極めて安定した基盤の上で行われている、と」

「ご理解いただき、感謝いたします」

 次郎は深々と一礼し、フランス公使館を後にした。

 馬車の中で窓の外に流れる江戸の街並みを眺めながら、確かな手応えを感じている。

(万世一系の帝。これこそが、他国の干渉を防ぎ、国内を1つにまとめるための、最大の切り札だ……)


 続くアメリカ・ロシア・イギリス・オランダ等の列強も同様の対応で乗り切ったのである。


 ■鹿児島藩庁

「殿、長崎の蔵屋敷より至急電にございます」

 小松帯刀が、藩庁電信所から送られてきた電信文を藩主忠義と横にいる久光に伝えた。

「何? 読み上げよ」

 久光が命じ、忠義はうなずいた。


 ――発 長崎蔵屋敷 宛 鹿児島藩庁

 秘密裏にイギリス人商人から取引の申し出あり。必ずや要望に添えると申しけり候――


「何? 今さら何を……」

「……」


 次回予告 第456話 (仮)『ガウワーも知らなかった』

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