慶長五年九月十日(1600年10月16日)
純正は、新しく編成した戦略会議室の面々と蒸気船に乗って関東地方安房県館山へ向かった。
「おお、これはなんとも……」
「話には聞いておったが、真に風もないのに動いておるの」
武藤喜兵衛(真田昌幸)と曽根虎盛は新たに加わったメンバーだが、ともに54歳である。
両名とも武田信玄・勝頼・信勝の3代に仕えた功臣だが、純正が新内閣に参加させたのだ。
2人が乗っているのは最新鋭のスクリュー蒸気船。
全長60メートル、幅10メートル、機走速力は10ノット(18.2km/h)に達する。
船体はコールタールで防腐処理を施した漆黒の色合いで、3本マストと中央の黒い煙突が天高くそびえ立っていた。
純正は義重から書状を受け取って数日後には、海路で安房国館山へと向かった。
この迅速な対応は、信長の『そりゃ平九郎、お前も悪いぞ』との発言が純正の胸に深く刺さっていたからに他ならない。
政策変更の合理性だけでは、人の心は動かせないのだ。
信長の言う『しこり』を残さないために、純正は自ら説明責任を果たす決意を固めたのである。
里見義重との間に生じた齟齬への対処は、今後の帝国における協力者たちとの信頼関係を築くうえで重要な前例となるだろう。
■同日 諫早 帝国政府庁舎
純正が不在の諫早では、新内閣による閣議が開かれていた。
部屋の隅には、ただ黙って議論を聞く織田信長の姿がある。
信長は公式の閣僚ではない。
あくまで相談役として、新しい時代の評定を目に焼き付けているのだ。
この日の議題は、喫緊の課題である『前の反乱で主家を失った、数千数万に及ぶ元武士たち』の処遇と再編である。
彼らは罪人ではない。しかし職を失った巨大な集団であり、処遇を誤ればそのまま社会不安の種となりかねなかった。
財務大臣の太田屋弥市が分厚い資料を手に口火を切る。
「各々方に諮りたいのは、彼の者らを如何に救い、帝国の新たな担い手として組み入れるかにございます。本日、財務省と内務省で共に作りし草案をご用意いたしました。骨子は、彼らに一時金を支給し、希望者には帰農・帰商のための元手を与える旨(内容)にございます」
「財務大臣、その案はあまりに温情に過ぎますぞ。彼の者らは確かに罪人ではございませぬが、帝国において、戦時でもないのに禄を食む特権階級はいりませぬ。他の民となんら変わりはない」
弥市の発言を遮り、陸軍大臣の波多隆が口を開いた。
一貫した合理性のある波多の言葉は、議場に冷水を浴びせかける。
彼の思考の中では、数世代にわたる武家の誇りや伝統などの無形の価値は、国力を示す数字の前では意味をなさない。
もともと波多氏は肥前の名家であったが、純正の覇業の最初期に服属し、官吏となっている。
その彼にとって、旧大日本国の武士階級は帝国にとって整理・再分配すべき人的資源であり、非効率なコストでしかなかったのだ。
古参の譜代であり、常に効率を追求してきた肥前出身の閣僚たちにとっては、むしろ当然の帰結である。
波多は自身の論理の正しさを微塵も疑わず、具体的な案を提示した。
「某の案では、まず全ての元武士の身分を解き、一般の民と同じとする。その上で、帝国が要ると認めた才を持つ者だけを、試験を経て『軍人』または『官吏』として召し抱える。ゆえにその他の者は自力で生きる道を探させるべきではなかろうか。これが最も無駄がなく、公平な差配であろう」
波多が言い終わると、経済産業大臣の岡甚右衛門や内務大臣の太田小兵太利行など、肥前組の重鎮たちが深くうなずいた。
彼らにとって波多の言う『公平』こそが、旧時代の情実や縁故の悪習を断ち切る、新しい帝国の礎となるべき理念だったのである。
しかしその冷徹な論理が、旧来の価値観を持つ者たちの怒りに火をつけた。財務次官の蒲生氏郷が、顔を真っ赤にして席を蹴り立ち上がる。
「波多殿、それは公平などではなく切り捨てではないか! 何代も武家として生きてきた者たちに、何も説かず助けもせねば、ただ誇りを踏みにじり、路頭に迷わせるだけである! それでは帝国の民として我らを支えるはずがない!」
氏郷の怒りは彼一人の感情ではない。
同様に、昨日まで織田や徳川の将として生きてきた者たちにとって、波多の案は自分たちの過去と生き方さえも否定されるに等しい侮辱であった。
場の空気を察し、通信大臣の本多正信が、冷静な声で氏郷に続く。
「まさに。彼らをただの無職の者としてとらえるのではなく、これまで培ってきた秩序や誇りを尊びつつ、新たな時代に根付かせる策こそ真の和であり、国家の安定に繋がる道であろう」
その言葉は、氏郷の感情的な叫びを、国家統治の視点からの正論へと昇華させる力を持っていた。
議場は、完全に2つの陣営に分かれた。
旧来の武士階級を『整理すべきコスト』と見る肥前組と、『救済し、再教育すべき元仲間』と見る新規編入組。
どちらも国の未来を思っての発言であったが、根底にある人間観、社会観があまりに異なっていた。
肥前組も、もともとは同じ旧来の考え方である。
しかし40年の長きにわたって、完全に考え方が変わっていたのだ。
議論は平行線をたどり、互いの正義がぶつかり合うだけで、解決の糸口は全く見いだせない。重苦しい沈黙が、議場を支配し始めている。
その、誰もが次の言葉を見つけられずにいた膠着状態を破ったのは、部屋の隅で置物同然に座っていた男、織田信長であった。
「少し良いか」
静かな一言が議場の全ての音を消し去った。
全ての閣僚が、驚きと畏怖の入り混じった表情で信長に視線を集中させる。
信長は無表情で論戦の中心にいた波多と蒲生を交互に見た。まるで子供の|喧嘩《けんか》を眺める大人の、冷めた視線である。
「何れの言い分も、一理ある。然れど二人とも、現が見えておらぬな」
信長はまず波多に向き直った。
その言葉は波多の論理の最も脆い部分を容赦なくえぐり出す。
「波多殿。お主の言う『公平』は正しい。然れど正しすぎるゆえに、人の心が分かっておらぬ。何も持たぬ者をいきなり荒野に放り出せば、如何なるか。徒党を組んで牙を剥く。その方がよほど高くつくぞ」
次に氏郷に視線を移す。その声には先ほどとは違う、どこか突き放したような響きがあった。
「忠三郎(氏郷)。お主の言う和は心安しである。然れど安きに過ぎて、国の財政が分かっておらぬ。ただでさえ戦の後だ。数万もの人間を、いつまでも何も問わずに養う金は何処にある? お主の情けは国を滅ぼす」
両者の主張をそれぞれ非現実的な空論と一刀両断した信長は、腕を組み、答えはとうに分かっていると言わんばかりに続けた。
「わしが平九郎(純正)ならば、斯様に致す。まず、道を二つ用意するのだ」
信長の言葉に全ての閣僚が息をのむ。
対立する2つの意見ではなく、全く新しい第3の道は、誰も思いつかなかった案であった。
「一つは帝国の臣となる道。鉄砲の扱いや算術にたけた者、治水技術や操船の術など帝国の役に立つ能力を持つ者は、試験の上で新たな役職と働きに応じた禄を与える。これは、お主たち肥前組の言う通りだ」
信長は、まず波多たちの合理性を肯定してみせた。だが、彼の真骨頂はその先にあった。
「加えて今一つは帝国の民となる道だ。試験落第者や武士身分にこだわらない者には支度金を支給し、街道整備や新田開発の公共事業で職業訓練を受けさせる。働きながら新技術を学び、給金を得て次の仕事を探す機会を与える救済策だ」
信長の案は、冷徹な選別と、温情ある救済を見事に両立させていた。
肥前組の言う能力主義と、新規組の言うセーフティネット。
二つの対立する正義を、信長は一つの現実的な政策へと昇華させてみせたのだ。
「帝国の臣となるか、民となるか、己で選ばせる。然れど何れの道を選んでも、帝国のために働かぬ者は、ただの一人も食わせてはやらぬ。帝国は、去る者を追わず、来る者を拒まず。然りながら役に立たぬ者を養うほど、甘くはない。これこそが信賞必罰である。違うか?」
信長の言葉に反論できる者はいない。
提示した案は現実的であり、そして何よりも、誰もが納得せざるを得ない公平さを備えている。
しばらくの沈黙の後、財務大臣の太田屋弥市が、深々と頭を下げた。その声には安堵と敬服の感情が込められていた。
「……中将様。ご指摘、肝に銘じました。直ちにその方針で、具体的な制度設計と予算案を再作成し、皆様に提示いたします」
採決の結果は、当然のごとく満場一致であった。
信長の一声が、理念の対立で行き詰っていた議論を、具体的な政策へと大きく前進させたのである。
新旧の対立の根は残った。しかし戦後処理を早急にしなければならない現実が、否応なく彼らを同じ方向へと向かわせたのだった。
次回予告 第897話 (仮)『江戸と館山』

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