第431話 『老兵と風聞』

 慶応四年(明治元年)四月一日(1868年4月20日) 江戸城

「おお、おお……。左衛門尉(川路聖謨)、それに下総守(水野忠徳)に信濃守(井上直清)、淡路守(村垣範正)まで……。よくぞ参った」

 慶喜の眼前には、黒船来航以来の激動期に、日の本の外交をその双肩で支え続けた老練な官僚たちが、揃って平伏していた。

 かつては外国奉行として辣腕を振るい、次郎と共に諸外国と丁々発止の交渉を繰り広げた、幕府が誇るべき実務者である。

 十数年の年月が経ち、全員が一線を退いていた。

 最初に顔を上げたのは、一行の中でも最年長である川路聖謨だった。その顔には深い皺が刻まれているが、眼光の鋭さはいささかも衰えていない。

「中納言(慶喜)様におかれましては、ご健勝のこととお慶び申し上げます。我ら、隠居の身にございますが、昨今の日の本の有り様を座して見過ごすこと能わず、罷り越しました次第にございます」

 その言葉は静かだが、有無を言わせぬ重みがあった。

 彼らは、慶喜が呼びつけたのではない。

 自らの意志で、この城にやってきたのだ。

 それは、もはや幕府の屋台骨が一線を退いた人間を必要とするほど、きしんでいる証左でもあった。

「恐れ入ります、中納言様。此度は建白致したき儀がございます」

 川路の言葉に慶喜の表情が僅かに強張る。

「如何なる儀じゃ?」

「フランスのロッシュ公使殿が、技術協定の履行について、甚だ深き憂慮を示されているとの事でございます。帰国次第、実務の者どもによるつぶさなる(具体的な)談合を執り行う手筈が滞っておると。交渉は大村クランのムッシュ太田和と行ったが、取り次ぎ先は幕府ではないのか? と」

 一線を退いているとはいえ、後任の外国奉行が意見を求めに来ることも多く、外交の近況は把握していたのである。

 特に今回の内容は完全に大村藩の技術がメインとなっており、イギリス以外は大村藩抜きでは立ちゆかないのだ。

「他の国も同じにございます。新たに何かを求めてくるのではなく、早急につぶさなる協議を執り行いとの事にございます。中納言様、大老院の儀にて丹後守殿が国許にお戻りになったのは聞き及んでおります。その後、如何なのでしょうか? 早急に消息(連絡)をとるべきかと存じます」

 慶喜の顔が青ざめた。

 ちょうどその件で幕閣と話し合っていたのである。

「中納言様、大村藩は既に幕政から離れております。我らの知る限り、蔵人殿は各地の諸藩を回っておられるとか。これは明らかに、公儀に対する不信の表れではございませんか」

 村垣範正が補足した。

 彼もまた、国際情勢の変化に敏感な外交官として、現状の危険性を十分に認識している。

「諸外国は日本を一つの国家と考えております。然りながら政における分裂が彼らの知るところとなれば、まず公儀の信はなくなり、終には大村藩と直にやりとりをする様になりまする。然すれば国を取次ぎとした金は入らなくなり、公儀が唯一の政府ではなくなりますぞ」

 慶喜は無言で老臣たちの言葉を聞いていた。

 彼らの指摘は的確であり、反論の余地がない。大政委任の宣旨に酔い、現実を見失っていた自分の愚かさを、今更ながら思い知らされる思いだった。

 やがて重い口を開く。

「では、各々方はいかがせよと申すのか?」

 川路が即座に断言した。

 その声には、一刻の猶予も許されないという切迫感が込められている。

「大村藩との和解が急務にございましょう。丹後守殿と蔵人殿に深く謝罪し、合議制を復活させる。それ以外に道はございません」

「謝罪? わしに非はないぞ」

「無くてもです。非はなくとも言葉の齟齬があり、中納言様の真の意が伝わってなければ同じなのです」

 宣旨の権威があったとしても、国が分裂しては意味が無い。

 外交官ならではの実務的な判断だった。

「中納言様、宣旨は確かに重しにございます。然りながらより重しは、公儀が日本の唯一の政府であり、日本を統治している事実なのです。その為には大村藩の協力は神掛けて(絶対に)要るのです」

 誰も、何も言わない。

 その言葉に全てが含まれているのだ。

「……分かった。丹後守との和解に努める。ただし、幕府の権を損なわぬようせねばならぬ」

 川路は安堵の表情を見せる。この決断がいかに重要であるかを理解していた。

「賢明なご判断です。我らも微力ながら、お手伝いさせていただきます」

「然れど、つぶさには(具体的には)如何すればよいのだ?」

「議会は開催するのです。これは丹後守殿と同じ考えにて、公儀は大村藩と弓引くつもりは毛頭無いとまずはしかとお伝えすべきでしょう。大老院の解散を理由にお帰りになったのでございますから、しこりは無くなるかと存じます」

「使者は誰が適任か?」

 川路の提案は、格式を重んじる当時の政治慣習を踏まえたものだった。

「渋沢篤太夫殿が既に諸藩を回っておられますが、より格の高い使者が必要でしょう。できれば御三家の方に」

 慶喜は頷いた。

 慶勝なら、パリで交渉にも同席している。

「尾張の大納言様に頼んでみよう」

 先日、大老院解散の件で問い詰められた慶喜は、貴族院構想を立ち上げることで納得してもらったのである。

 この老臣たちの説得により、慶喜はようやく現実的な判断を下すことになった。

「中納言様、一刻の猶予もございません。大村藩がよからぬ動きを見せる前に手を打たねばなりません」

「あい分かった」

 慶喜は、重々しく頷いた。

 外交という現実を前に、意地やプライドなど何の役にも立たない。そして何より、大村藩を完全に敵に回すことだけは、絶対に避けねばならない。

「対馬守(安藤信正)、聞こえたな。尾張の大納言(慶勝)様を、大村丹後守への和解の使者として遣わす。直ちに手配せよ」

 信正は、安堵の表情で深々と頭を下げた。

 これで、最悪の事態は避けられるかもしれない。

「ははっ。して、大納言様には、如何にお伝えいたしましょうか」

 慶喜はしばらく腕を組んで考えた。

 ここで自分が全面的に非を認めたとなれば、幕府の威信は地に落ちる。かといって、言い訳がましい態度では、純顕の心は動かせまい。

「斯様に伝えよ」

 慶喜は、言葉を選びながら話し出す。

 先般の儀、我が真意が伝わらず、丹後守殿に不快な思いをさせたことは、我が不徳であった。

 ついては、改めて両家のしこりを無くし、日本の未来のため、共に手を取り合いたい。

 まずは、此度の外交問題について、早急に実務者協議の場を持ちたいと願っている。

「これで如何だ、左衛門尉(川路)」

 直接的な謝罪の言葉を避けつつも、非礼を認めて対話を求めるという、慶喜のプライドと現実的な判断がせめぎ合った、ギリギリの落としどころだった。

「御意。それであれば、丹後守殿も、無下には扱いますまい。まずは、対話の席に着くことが肝要にございます」

 慶喜は安堵の息をついたが、問題は山積みである。

 その時、障子の向こうから慌ただしい足音が近づいてきた。許しを待たず、勢いよく開かれた襖の向こうに立っていたのは、別の老中だった。

 その手には受信されたばかりの電信紙が握られている。京の所司代から送られてきた、ほんの四半刻(30分)前の最新情報であった。

「申し上げます! 京にて、不穏な噂が……!」

 老中から電信紙を受け取った慶喜は、そこに記された文章に文字列に目を走らせる。

 ――京にて不穏な風聞多くあり。

 薩摩長州兵力を以て事を起こす声ありて、守護職所司代警戒強化中――

 広間が、しんと静まり返った。

 実際に兵が増強されたわけではない。

 だが、薩摩と長州が朝廷工作に行き詰まっていたとするならば、次に武力という手段に訴えるであろうことは、火を見るより明らかだった。

 慶喜は、わなわなと震える手で電信紙を握りしめたが、やがてその目に、決意の光が宿った。この『噂』を、絶好の好機と捉えたのだ。

「……面白い。風聞を流して我らを脅すか、島津、毛利……。ならば、その風聞使わせてもらう」

 あくまで噂であり、自然に広まったのかわざと拡散させたのかは分からない。

 もちろん、事実兵力動員の事実はなかった。

「対馬守(信正)、大納言様への使いは定めし(予定)通り進めよ。丹後守との和解は急がねばならん。然れどそれだけでは足りぬ! この火種は、私が直に京に赴き、消し止めてくれる!」

「なっ……中納言様ご自身が、京へ……! ?」

「然り(そうだ)」

 慶喜は、居並ぶ一同を見渡して宣言した。

「対馬守、ただちに中川宮様へ電信を打て! 『将軍後見職・徳川慶喜、帝に急ぎ奏上したき儀あり。近日中に京へ向かう』と! 加えて上洛の支度を急がせろ!」

 慶喜は、家臣たちに自らの計画の概要を明かした。

「私が京で帝に奏上するのは、この二つだ。一つ、薩長の不穏な動きから帝をお守りするという大義名分のもと、将軍後見職の任を一時返上すること。加えて今一つ、その代わりに、帝の御身辺を警護するための新たな役職、禁裏御守衛総督に、この私を任じていただくことだ」

 その場にいた誰もが、息をのんだ。

 将軍に次ぐ権力を手放すふりをしながら、実際には帝の身辺を物理的に掌握し、薩長の朝廷工作を完全に封じ込める。

 これは、守りでありながら、極めて攻撃的な一手だった。

「玄蕃頭(永井尚志)を呼べ。あの者を連れて行く」

 慶喜は付け加えた。

 永井は、冷静沈着な切れ者であり、朝廷との交渉も何度も成功させている。

「左衛門尉、各々方にも新たな命を下す。外国奉行に復帰し、この外交交渉の全権を担え。私が京で盤面を固める間に、お主たちは大村の次郎と渡り合い、交渉を有利に進めるのだ。よいか、この戦、二正面から向かう策で行くぞ!」

「ははっ!」

 老臣たちの力強い返事が、広間に響いた。

 慶喜は守勢から一転、自ら政争まっただ中の京へ飛び込むことで、政局の主導権を完全に握り返そうとしたのである。

「ウソかほんまかはどうでもええ。誰が言うたか、広めたかなんてどうでもええ。一度疑い出したらきりがあれへん。疑り深なることはあっても、その逆はあれへんのやから」

「次郎、ただ今戻りました」

「うむ、ご苦労であった。して、如何であったか」

「は……」

 ちょうど次郎が若狭から陸路で京都へ入り、藩邸で純顕と会談している時であった。

次回予告 第432話 (仮)『禁裏御守衛総督』

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