慶応三年五月二十日(1867年6月22日)万博会場
まだ多くの市民が眠りについている早朝、日本パビリオンでは特別な準備が進められていた。
今日は一般公開ではない『限定技術展示』の日。欧州の鉄工業関係者や技術者だけを招待した特別なデモンストレーションが行われる予定なのである。
「隼人、準備は順調か?」
次郎が会場の中央に設けられた特設ステージを確認しながら尋ねた。
「はい、兄上。アーク溶接の装置は無事に組み立てが終わりました。電源も問題なく供給できます」
隼人は専用の作業服を着て、複雑な装置の最終調整を行っていた。その隣では廉之助が、溶接するための鉄板のサンプルを並べている。
「核心となる部品は全て内部に隠してあります。外からは決して見えないようにしました」
廉之助が補足する。
装置の各部は黒塗りの金属カバーで覆われ、内部構造が見えないよう工夫されていた。
「今日は誰が来るんだ?」
「主にフランスとドイツの鉄工業関係者です。特にギュスターヴ・エッフェルも来ると連絡がありました」
「エッフェル? エッフェル……あのエッフェルか!」
「? 兄上、あの、とは何でしょうか」
「え、ああ、いや、何でもない。気にするな」
次郎は意味深な表情を浮かべた。
エッフェル塔を設計することになる建築家との出会いは、歴史的にも重要な意味を持つだろう。
「それと、昨日の特許庁での申請は無事に済みました」
「よし、これで安心して技術を披露できるな」
次郎は前日に申請した特許について満足げにうなずいた。
アーク溶接技術の基本原理と応用法に関する特許を、フランスで申請していたのだ。これにより、今日の実演で公開する内容は法的に保護された状態になる。
このアーク溶接技術だけではない。
電話もグライダーも自動車も電磁波も。
展示・実演したすべての技術の特許を各国に申請していた。
もちろん、技術的な詳細は極力控え、なるべく概念だけに抑えた上での提出である。ドイツやイタリア、その他の国交がない国は幕府が歴訪して条約を締結する運びとなっている。
その後に申請するのだ。
「技術漏洩対策の最終確認をしましょう」
隼人が声を低めて言った。
「ああ、入場者の選別は?」
「招待状と身分証明書の二重確認を行います。また、入場時に厳密な持ち物検査も実施します。特に筆記用具や絵具、紙などのスケッチできるものは全て預かることにしました」
「溶接作業自体は?」
「半透明のついたてを設けています。作業の様子は影の形としてのみ見えますが、細部は分からないようになっています」
「実演後にできたものは?」
「全て回収します。また、質問への回答も一般的な原理のみにとどめ、具体的な数値や詳細な手法は明かさない指示を全スタッフに徹底しました」
次郎は満足げにうなずいた。
技術を見せることと秘密を守ることの微妙なバランスが、今日の成功の鍵となるだろう。
「御家老様」
森山が駆け寄ってきた。
「最初の来客が到着しました。フランス北部・西部・南部・東部鉄道、パリ・オルレアン鉄道、パリ・リヨン・地中海鉄道各社の技術者たちです」
「案内してくれ」
次郎は身支度を整え、来客を迎える準備をした。
時間が経つにつれ、招待した技術者たちが次々と到着する。
フランスとドイツを中心に、オーストリア、ベルギーなどからも専門家が集まってきていた。
彼らは皆、大村パビリオンで行われる謎めいた『鉄を繋ぐ技術』に強い関心を示していたのである。
入場者全員が着席すると、扉は厳重に閉められ、外部からの不法侵入を防ぐために警備員が配置された。また、各参加者は簡単な守秘義務の誓約書にサインを求められた。
「皆様、お集まりいただきありがとうございます」
次郎はフランス語で挨拶を始めた。初日のデモンストレーションで失敗しないよう、あいさつ文は事前に練習した発音で話す。
フランスに到着して以降、次郎はお里と同じホテルでフランス語も教えてもらっていたが、デート以降厳しくなったのは言うまでもない。
しかしそれも、愛情の表れであった。
「本日は、私たち大村藩が開発した『アーク溶接』という技術をご紹介します。この技術は、従来の鍛冶や鋳造とは全く異なる方法で、金属を接合するものです」
次郎は、聴衆の反応を確かめるように、ゆっくりと部屋を見渡した。
集まっているのは、欧州の鉄鋼産業や鉄道・造船業界を牽引する一流の技術者や実業家たちである。
彼らの表情には、期待と同時にまだ見ぬ技術への懐疑的な色も見て取れた。
「これまでの金属接合は、叩き合わせる鍛接や、熱で溶かして流し込む鋳造、そして鉄板を鋲で留めるリベット接合が主でした」
次郎は、ステージに用意された鍛冶用の金槌や溶かした金属の入った坩堝、そしてリベット打ちの工具とサンプルを指差す。
「しかし、これらの方法にはそれぞれ限界があります。鍛接や鋳造は大規模な構造物には不向きで、リベット接合は多くの手間と時間を要する上、接合部が弱点となりやすい。特に、複雑な形状や薄い金属を精密に、かつ強固に接合するのは非常に難しい」
聴衆にざわめきが起きた。
なぜなら、19世紀から20世紀初頭にかけて、リベットは巨大な橋・船舶・機関車・高層ビルなどの建設に広く使用されていたからである。
確かに重量の増加や強度の問題、そして非効率性が問われれば、問題となるだろう。
問われれば、である。
しかし、溶接技術自体が過渡期以前の時期であり、現状での最善の技術が否定されたことからの違和感が生じたのだ。
リベット技術は現状における最良の技術であり、多くの技術者たちの誇りでもある。
次郎はそのざわめきを理解したように、やや言葉を和らげた。
「もちろん、リベット技術は素晴らしい成果を上げており、その重要性は今後も変わりません」
笑顔のまま続ける。
「しかし、技術は常に進化するものです。特に、複雑な形状や薄い金属を精密に、より効率的に接合する方法があれば、それは新たな可能性を開くのではないでしょうか」
この言葉に、技術者たちは少し緊張をほぐした様子でうなずいた。
次郎は現状の技術を否定するのではなく、新たな選択肢を提案しているのだと理解したからだ。
「そこで私たちは、全く新しい原理を用いた接合技術を開発しました。それがアーク溶接です」
次郎はステージ中央に置かれた装置へと移動した。
それは、大きな蓄電池と、そこから伸びる太いケーブル、そして先端に電極を取り付けた器具から構成されていた。装置の核心部は黒い布で覆われ、内部構造が見えないようになっている。
「この装置は、電気の力を利用します。蓄電池から流れる強力な電流を、電極と金属の間に流すことで、非常に高温の電気の火花……すなわち『アーク』を発生させるのです」
会場全体に再びざわめきが起こった。
次郎は全体を見回し、そのざわめきが、沈黙となった瞬間を狙って呼びかける。
「それでは、実演を始めましょう」
半透明のついたてが設置され、その後ろに隼人と廉之助が移動した。
彼らは特殊な手袋と暗い色のガラスが付いたマスクを装着している。ついたての向こうでは彼らのシルエットのみが見える状態だった。
「このマスクは強い光から目を保護するためのものです。皆様にも保護眼鏡をお配りしますので、必ず着用してください」
助手たちが来場者に保護眼鏡を配った。
次郎は続ける。
「アーク溶接は、強力な電気の力を利用して金属を溶かし、接合する技術です。電気がアーク放電という形で発生させる高熱が鉄を溶かし、冷えると強固につながります」
ついたての向こうで、廉之助が二枚の鉄板を作業台に固定する様子が見えた。
隼人は電極を持ち、装置のスイッチに手をかけている。
「では、始めます。皆様、光が非常に強いのでご注意ください」
スイッチが入った瞬間、強烈な青白い光が閃き、半透明のついたてを通して部屋の中が照らされた。
光の強さはついたてを通しても十分に感じられ、会場全体が一瞬青白く染まる。
観客たちは思わず目を細めた。
ついたての向こうでは人影がシルエットとして揺れ動き、時折、金属が赤く熱せられる様子も透けて見える。
しかし、溶接の具体的な作業—電極の角度、移動速度、溶接棒の送り方などの技術的詳細—はついたての効果によって巧みに隠されていた。
観客には『金属が熱で溶かされて接合される』という基本的な概念は伝わるものの、実際にそれを再現するための具体的な技術や手法は見えない仕組みになっていたのである。
次郎の周到な準備により、『見せる』ことと『秘匿する』ことのバランスが絶妙に保たれていたのだ。
数分後、閃光が収まり、隼人と廉之助がついたての前に出てきた。
廉之助は溶接部分が冷えるのを待って、接合された鉄板を高く掲げる。
「ご覧ください。2枚の鉄板が1つになりました」
廉之助は接合部分の強度を証明するため、強く曲げようとしたが、鉄板は折れない。助手が持ってきた大きなハンマーで叩いても、割れることはなかった。
確かな強度を見せたのである。
会場から拍手が沸き起こり、次郎は次の実演に移った。
「アーク溶接の応用例として、船舶の建造における活用法を紹介します」
廉之助が船体の一部を模した複雑な形状の鋼材を持ち出した。
従来なら鋲で接合している部分を、アーク溶接で接合した完成品を示したのである。実際の溶接過程は見せず、結果のみを披露することで、技術の核心は守りながらも、その効果は明確に伝わるようにしたのだ。
「この技術により、船体はより堅牢に、そして水密性も向上します。また、作業時間も大幅に短縮できます」
正式な強度試験を行ったわけでない。
ただ溶接でつながった鉄板を見せられただけである。
技術者のほとんどが半信半疑であったが、少なくともその可能性があり、大村藩(日本)は実用化へ向かっていると示したのだ。
実演が進むにつれ、会場の熱気も高まっていく。
特にフランスの技術者たちは熱心にメモを取りたがっている様子だったが、入場時に筆記用具を預けていたため、口頭での質問を準備するしかなかった。
デモンストレーションが終わると、質疑応答の時間が設けられた。最初に手を挙げたのは、一人の背の高い男性だった。
「ギュスターヴ・エッフェルです。素晴らしい技術を見せていただき、感謝します」
次郎は丁重にお辞儀をした。エッフェルは続けた。
「この溶接技術は、我々が計画している鉄骨構造の建築にも応用できるでしょうか? 特に高さのある構造物において」
「はい、可能です」
次郎は自信を持って答えた。
「実際、我々は船舶だけでなく、建築分野での応用も研究しています。特に高層構造物においては、従来の鋲接合よりも安全性と強度が格段に向上すると確信しています」
エッフェルの目が輝いた。
彼の頭の中には、すでに未来の高層建築の姿が浮かんでいるようだ。
他の技術者からも次々と質問が飛んだ。
電源の問題、必要な装置、安全性、コスト、習得の難しさ……。
次郎たちは丁寧に回答していったが、技術の核心に関わる部分については巧みに一般論で答え、具体的な数値や手法には言及しなかった。
質疑応答が終わりに近づくと、次郎は一歩前に出て、改めて参加者全員に向き合う。
「本日は皆様に新しい技術の可能性を見ていただきました。アーク溶接は、船舶・建築・鉄道などあらゆる産業に革命をもたらすでしょう」
さらにゆっくりと言葉を選びながら話を続けた。
「この技術の開発過程で我々は多くを学びました。そして同時に、技術は国の礎であり、安易に共有すべきではないことも理解しています」
会場の空気が変わった。
多くの技術者たちは、日本が持つ技術の詳細な情報提供や共同開発の申し出を期待していたのだ。
しかし、次郎の言葉は別の方向に向かっている。
「大村藩、そして日本は閉鎖的な国から開かれた国へと変わりつつあります。我々は世界と交流し、互いの強みを尊重し合う関係を築きたいと考えています」
次郎は特にエッフェルに視線を向けた。
「個別の技術協力については、相互信頼と尊重を基盤とした協議を通じて進めるべきでしょう。今日の場は、可能性を示すための第一歩に過ぎません」
この明確な姿勢表明に、会場からはさまざまな反応があった。技術の詳細を期待していた参加者は若干失望の色を見せたが、多くの重鎮技術者たちは理解を示す表情だった。
「次郎殿、あなたの慎重さは賢明です。私も自身の技術を守りながら、なお発展させる難しさを知っています」
「ありがとうございます」
「個別にお話できる機会があれば幸いです。私の構想している建築について、あなたのご意見をうかがいたい」
「喜んで」
この短いエッフェルとの会話が、後に歴史的な協力関係へと発展する最初の一歩となった。
展示会場を去る技術者たちの表情は様々だった。
技術の詳細を知りたいと思っていたフランスの産業関係者たちは、やや不満そうな様子を見せている。
一方で、本当の技術者たちは日本の姿勢に敬意を示していた。技術を守りながらも交流を図る—それは彼らも直面している課題だったからだ。
廉之助は片付けをしながら、隼人に小声で言った。
「あれで良かったのか? もう少し協力的な姿勢を見せた方が……」
相変わらず、一回り以上年が離れている隼人に対してタメ口である。
「いや、兄上の判断は正しい」
隼人は静かに答えた。
「本当に価値のある技術は、簡単に手に入るものではない。それを理解する者だけが、私たちと真の協力関係を結ぶことができるのだ」
大村藩の万博における技術展示が、今後のヨーロッパ、世界をどう変えていくのだろうか?
次回予告 第408話 (仮)『医療の進歩』

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