第393話『大鯨と神雷』

 慶応三年一月八日(1867年2月12日)喜望峰沖

 荒れ狂った嵐は二日後には収まり、何事もなかったかのような晴天である。日本艦隊は旗艦『知行』中心に、洋上に停泊していた。

 ・大村藩海軍・旗艦『知行』

 ・同二番艦『大成』

 ・同補給艦三隻

 ・幕府海軍『富士山』

 ・同補給艦『神速丸』

 ・薩摩海軍『翔鳳丸』

 ・長州海軍『壬戌丸』

 ・佐賀海軍『孟春丸』

 ・土佐海軍『南海丸』

 『大鯨』と『神雷』の姿はない。

「各々方、『大鯨』と『神雷』のえい航索切断はそれがしの判にございました。ゆえに二隻は小舟ゆえ、漂流とあいなりましてございます」

 次郎は苦痛を押し殺している。

 あの決断が本当に良かったのか、自問自答しつつ発議していたのだ。

「つきましては、この先の艦隊の方向(性)を決めるべく、発議いたしたく存じます」

「議論の要なし! 何を悩むことがありましょうや。速やかに二隻を探すべきにござろう」

「さよう、何十人もの同胞を見捨てたとあっては、日本の恥にございます。折から万博へ向かうのです。なおのこと探さねばなりませぬ」

 後藤象二郎と坂本龍馬が発言し、国沢新九郎も同意する。

 その横で山内豊範がまとめるように大きくうなずき、加賀の前田慶寧が、全体を見渡して話を続ける。

「よろしいでしょうか? それがしも土佐の御家中のお考えに同じまする」

 次郎と純武は立ち上がり、深々と頭を下げた。

「では蔵人殿、いかにして探すのだ」

「はい、まずは艦隊を二手に分け、いずれも二手に向かいますが、一体は東へ、一体は南東へ向かいます。されど燃料と食料の事がございますれば、一ヶ月を限りとし、発見能わねば、レユニオン島へ戻り、補給をうけるべきかと存じます」

「北へは探さぬのか?」

 素朴な疑問を徳川慶勝が投げかけたが、勝が側によって小声で耳打ちすると、なるほどとうなずいている。

 捜索の人員やその他が潤沢にあるのならば、わずかな可能性を考えても全方位を探すべきであろう。

 しかし、現状では足りないのだ。

 南へ流れるアガラス海流を考えるならば、北に進めば陸地は近いが、燃料消費が極めて大きいからである。

 また、途中で燃料が切れれば再び流され、結局南東方向へ漂流する可能性がある。

『大鯨』と『神雷』の艦長ならば、限りある燃料を使って逆行する可能性は低いだろう。

 しかし、『南東へ』という言葉が艦長たちの顔を歪ませた。

 南へ進めば、再び嵐に遭遇するかもしれないからだ。 

「では、一方は『知行』『富士山』『翔鳳丸』『壬戌丸』、他方は『大成』『孟春丸』『南海丸』とし、補給艦は二隻隻ずつ分けましょう」

 勝海舟が提案すると、次郎は静かに頷いた。

 嵐の影響で艦は微かに揺れている。

「気圧計の値は?」

「29.8インチまで回復しております。しばらくは荒天の心配はないかと」

 航海長の報告に、顕武は深くため息をついた。

 だが今は、一刻も早く『大鯨』と『神雷』を発見しなければならない。

「では早速、捜索を開始いたしましょう」

 次郎の言葉に全員が頷いた。

 窓の外では、落ち着きを取り戻した海面に陽光が煌めいている。しかし次郎の胸の内は、決して穏やかではなかった。

■慶応三年一月十六日(1867年2月20日)プリンスエドワード島

 嵐の発生から十日がたっていた。

 水雷艇『神雷』は、かろうじて島の入り江に漂着した。二日前のことである。

 艦体は無事だったが、乗組員たちは深刻な脱水症状を呈していた。

「水を……水を探せ」

山田英三艦長の声は、かすれていた。

島に漂着するまでの間、極限まで切り詰めた水と食料の制限が続いたのである。

島は岩がちで、樹木は少なかった。

しかし幸いなことに、小さな渓流を見つけることができた。新鮮な水を飲んだ乗組員たちは、ようやく生きる実感を取り戻したのである。

「ペンギンの卵がございます。それに貝も豊富にございますぞ」

 水兵たちは手分けして食料を集め始めた。寒冷な気候ながら、なんとか生きていける環境はあった。

 ペンギン・アザラシ・アホウドリなど、食用になるものはなんでも捕獲したのである。

「艇長! 見てください! あそこ! あれは、船じゃありませんかね?」

 潜水艦『大鯨』が同じ入り江に姿を現した。

 二日遅れての漂着であったが、『神雷』『大鯨』ともに奇跡的な生存である。

「無事だったか!」

 乗組員同士の歓喜の声が響く。

 しかし喜びもつかの間、現実が二つの艦の乗組員たちを襲った。

「艦長、第二機関士の熱が下がりません」

『神雷』には脱水症状の者が二名。『大鯨』にも高熱を発する者が一名いた。医療器具も薬品も限られている。

「ここには港湾設備などありませぬ。修理も難しゅうございます」

 艦の指揮官同士話し合ったが、とるべき選択肢などない。

 仮にここで燃料と食料・水を完全に補給したとしても、レユニオン島にはたどり着けないのだ。

 救助を待つしかない――。

 その言葉を、誰もが胸に抱いていた。荒涼とした島で、二つの艦の乗組員たちは助けを待ち続けることになる。

 寒風が吹きすさぶ中、彼らの視線は果てしない水平線に向けられていた。

「御家老様! あれをご覧下さい! 狼煙ではありませんか?」

 次郎は見張りから報告を聞くやいなや、双眼鏡で海上を確かめる。この方角に流れてきたなら、この島しかないと、次郎は考えていたのだ。

「おお! おおおおお! あれはまさしく!」

 艦橋全体に喜びの声が上がり、すぐさま全艦に通達された。

次回予告 第394話 (仮)『再開、そして再出発』

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