第602話 東西本願寺と加賀、紀伊の服属(1574/5/11)

 天正三年四月二十一日(1574/5/11)

 太田和利三郎(治部少輔)政直や日高甲斐守喜、伊集院掃部助忠棟をはじめとした小佐々家外務省の渉外担当官は、多くを語らず、ただ聞かれた事のみを答えた。

 これは可、これは非という形の説明に終始したのだ。

 交渉などではない。応じるか応じないか、という二択である。

 加賀の本願寺はもとより、摂津の石山本願寺、そして延暦寺を含めた紀伊の各神社仏閣の勢力も、純正が提示した内容に応じる形となった。

 純正の性格上、みんなが仲良く平和にという理念は素晴らしいものがあったが、既得権益を捨てる事は簡単ではない。
 
 持てる者からすれば、それは変化であり忌むべき事だからだ。

 しかしその既得権益がゆえに、一部のものだけが富み、大多数が貧しい暮らしをするというのは間違っている。
 
 もちろん純正、いわゆる小佐々が完全に是ではない。

 寺領の没収や高利貸しの廃止、酒・油・味噌・醤油等の独占販売権の|剥奪《はくだつ》、開かれる市の地代徴収の廃止、関銭収入の撤廃。

 要するに全ての商行為を禁止し、神社仏閣の維持管理に必要な、最低限のもののみ許可をしたのだ。

「父上、これで本当によろしいのですか?」

 教如は父である顕如に再度確認する。

「……是知足也」
 
(『足ることを知る』と書いて『知足』。人間の欲望は限りがなく、求めるほど欲望が満たされない。そうすると苦悩が生じる。われらはそうならぬよう、多くを求めず今に満足し、ありがたいという感謝の気持ちを持つ事が大事)

 加賀や越中の本願寺をはじめ、延暦寺や紀伊の熊野三山などの神社仏閣は、そろって純正の条件に応じる起請文を書いた。

 そして期日をもって武装解除と賠償金の支払い、各権益の放棄に応じたのだ。

 

 ■京都 大使館

「このたびは苦渋の決断であったかと存じますが、金|蓮《れん》院|准后《じゅごう》様のご英断、誠に感服のいたりにございます」

 純久は比叡山延暦寺、第166代天台座主の覚|恕《じょ》にそう言って礼を述べた。

「とんでもない。思えば四年前に権中納言殿に文をいただいて、以後何も為すことができず、ここまで来てしまいました」

「それでもこのような決断は、簡単にできることではありませぬ」

 今回の経緯と今後を報告するべく参内していた覚恕であったが、その覚恕に驚くべき報せが入ってきた。

「申し上げます! 金蓮院准后様に火急の用件ありとの事で、叡山より御使者がお見えにございます!」

「いかがした? お通しするがよい」

 純久は使者を通すよう命じた。

「本山にて複数の大僧正の命の下、僧兵らが集まりて占拠し、探題大僧正様ほか、こたびの和睦に賛成した方々を幽閉しましてございます!」

「なんと! 愚かな……御仏に仕える者の所業ではない。伝教大師(最澄)様も嘆かれる事であろう。嘆かわしい」

「然れど金蓮院准后様、このままという訳にもいきますまい」

「……私が行って説得してまいります」

「危のうございます。われらが忍びの者を手配いたし、囚われた皆様をお逃しいたします。然れど……こたびの首謀者の方は、お|咎《とが》めなしという訳には参りませぬ」

「心得ております。私の不徳のいたすところではありますが、破門の上追放といたしますゆえ、なにとぞ命までは……」

「ご心配には及びませぬ。御屋形様は殺生を嫌います|故《ゆえ》」

 

 ■数日後 石山本願寺

「幸いな事に今の僧|伽藍《がらん》はそのままで良いとのこと。ご本尊やその他の仏具も同じである。みな、これを機に心を一新し、御仏の道を教え広める事に専念しようぞ」

 顕如は寄進された名簿やその他の寺に蓄えられている財産の一切を純正に公表し、破棄するものとしないもの、それらの整理を下の者に命じて行っていた。

「父上」

「なんだ教如よ。そなたも手伝いなさい」

「父上、これに」

「なにようか……うわ! 何をするか!」

 教如は周りに忍ばせていた僧兵に命じて父である顕如を捕らえ、監禁したのだ。

「教如よ、このような事をしてなんとする! この本願寺をなくすつもりなのか?」

「父上こそ、わたくしの再三の|諫《かん》言にも拘わらずお考えを改められませんでした。このままでは仏法の守護者たる我らが屈する事になるまする」

「なんと愚かな! 勝ち負けではないのだ。よいか、期日は迫っておるのだ。期日までに新たな起請文と目録を差し出し、仏具以外の財物を運び出さなければ、我らは滅びるのだぞ!」

 顕如は自らが囚われた事より、本願寺が純正に完全に敵対する事で、滅亡する事を恐れていたのだ。

「父上、純正は信長と違って人を殺せぬ心やさしき男と聞いております。われらが御坊に籠もりて抗えば、必ずやさらなる妥協の策を講じるはずにございます」

「何を馬鹿な事を! 三年前とは事の様(状況)が違うのだぞ! 朝倉は滅び、謙信は敗れて越後一国すらままならぬ。このような中で|如何《いか》にして織田よりも強き小佐々を相手に打ち合うというのだ! ?」

 三年前の元亀二年に本願寺が和睦した際は武田が退却し、松永弾正も降伏して隠居した。そのため本願寺は条件の緩和をもとめて純正に交渉するも、失敗したのだ。

 間違いなく状況は悪くなっている。

「まだです。まだ公方様がおられます。北条に匿われておりますれば、必ずや兵を挙げ、再び打倒信長、打倒純正の狼煙を上げるに違いありません」

「それは確かな証があるのか? 今さら公方様が何をしようと大勢は変わりはせぬ。それは氏政もわかっていよう。いかに関東の雄とはいえ、上洛する利がないではないか。証もなく自らの望みのみで事を判じるは、誤りのもとぞ!」

 よいか! と顕如は話の続きをしようとしたが、教如は聞こえぬふりをして、顕如をはじめとした和睦派を独房に連れて行った。

 降伏と徹底抗戦で、史実通りに本願寺は分裂したのだ。

 

 数日後、報せを聞いた純久は即座に純正に連絡し、岡刑部准将に命じて摂津に軍を進めた。

 次回 第603話 石山本願寺包囲戦

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