第926話 『暗雲』

 慶長九年二月六日(1604年3月6日) 諫早城

 純正の決断は明に変わって新しく傀儡かいらい国家を建国し、自らの影響下に置くものであった。

 そのために|王嘉胤《おうかいん》と高迎祥に使者を送り、2人の力量を確かめつつ今後の計画を練っていたのである。自国の国民ではないが、無辜むこの民が戦乱に巻き込まれるのは本意ではない。

 沿岸部に追いやられた南明政府と2つの勢力(国家)。

 そして既存の寧夏国と女真、蒙古となればちょうどいい。

 そう考えていたのだ。




「殿下、千方にございます。大陸より知らせが参りました」

「入れ」

 藤原千方。

 情報省大臣で国内外の諜報を一手に担っている。

「先月大陸へ遣わした草より、王嘉胤、高迎祥の両名と付きけり(接触した)との知らせにございます」

「して、奴らはどうであった。我らの意図をくみ取るに足る器か」

「まず四川の王嘉胤ですが、使者を丁重に迎え入れた由。助けについての感謝の言葉も理路整然としており、すでに流民をまとめ、大き勢と成さんと(組織化しようと)動いております」

「うむ」

 千方は続けるが、王嘉胤の本心は日本を利用して自らの覇業を成すことにあると言うのだ。

 感謝の意を表しながら、さらなる支援を暗に要求してきている。

 明に対して要求したところで、叶ってもスズメの涙で一時しのぎにしかならない。

 そのために、誰からも邪魔されない農民の国を作ろうとしている、と。

「ふむ。野心家か。それはそれで使いようもある。もう片方はいかが」

 対する高迎祥は平民にもかかわらずその武力は普通ではなく、自ら先頭に立って戦っているという。そのため人望はあるが、統治や覇業にはまったく関心がない。

 ただ飢える民を救うため、そして自らの力を試すために蜂起したのである。

「さようか。いずれもつかみ所がないの。野心家であれば競わせるのも面白いと思うたがのう……。よし、引き続いて助力はいたそう。いずれ考えが変わるときも来よう」

「はは」

 その時、にわかに騒がしくなったかと思うと、居室のドアの向こうから慌ただしい足音が聞こえてきた。

「申し上げます。緊急の知らせにございます」

「何事か」

 一人の近習が駆け込んできた。

 顔は青白く、息は激しく乱れている。

 手にはロウで固く封じられた文書が握られていたが、ただ事ではない雰囲気だ。

「いかがいたした」

 近習は床に膝をついて声を振り絞る。

「連絡船より欧州に関する至急の知らせにございます。一刻を争うと」

 西からの知らせ。

 純正の胸がわずかにざわついた。

 近習から書状を受け取り、小刀で封を切る。

『極秘』『緊急』

 書状の表にある文言から、ただごとではない。

 読み進めるにつれて、純正の顔から表情が消えていく。

 その変化を、千方は息を詰めて見守っていた。




「……セバスティアンが、倒れた」

「なっ……」




 千方が絶句した。

 ポルトガル国王セバスティアン一世は、純正の義弟である。

 帝国にとって最も重要な同盟者でもあった。彼が築き上げた近代ポルトガルとの連携が、日本の世界戦略の要なのである。

「病との知らせだ。子細は分からぬ。されど……」

 純正の行動は早かった。

「千方、閣僚を呼べ。緊急の閣議を開く! 加えて医師団の支度をさせよ。念には念を入れるのだ」

「はっ」

 やがて、評定の間が騒がしくなった。

 緊急の招集に応じて、閣僚たちが次々と登城してきたのである。

 鍋島直茂、黒田官兵衛をはじめとした帝国の重臣たちが一堂に会した。

 詳細は知らないが、緊急閣議は良くない情報が入った証である。

 空気が重く沈む。

 席に着いた重臣たちを前に、純正は静かに口を開いた。

「聞いたとおりだ。セバスティアンが倒れた。予断は許さぬ。子細は後々の知らせを待たねばならんが、さて、いかがする?」




 ――さて、いかがする?――

 純正が発した一言は、閣僚全員に向けて、今後起こり得る全ての可能性を踏まえて何をすべきか、という意味である。

 評定の間は静まり返った。

 大臣たちは全員固く口を閉ざして顔を伏せている。

 ポルトガル国王の病。

 その一報が持つ意味の重さを、ここにいる誰もが理解していた。

 最初に沈黙を破ったのは、外務大臣の伊集院忠棟である。

 利三郎はすでに75歳で隠居となり、息子の利勝は外務次官となっていた。

「まず、知らせの真偽を確かめる要ありと存じます。情報省からの知らせと並んで、彼の地の職員からもより子細なる知らせを急がせまする」

 急がせる、といっても通信環境のないこの時代。

 どんなに急いでも数か月かかる。

 駐ポルトガル日本大使館からの定時報告が早いだろう。

「国王陛下の平癒が第一にございますが、万一の事態を考えれば、彼の国では摂政の座を巡り、必ずや分かれ争いましょう」

 忠棟の発言を欧州渉外局長の景轍玄蘇けいてつげんそが補足した。

「分かれ争うは、すなわち他国の口入れ(介入)を招きます。これまで影を潜めていた改革に反する旧貴族や司祭の勢は、おそらくはイスパニアと手を組み、国王の崩御とともに新たな政権を打ち立てるに相違ありませぬ」

「イスパニア国内にさような動きはあるのか」

 すぐさま純正は千方を見た。

「今のところは。さりながら十分に考えられまする」

「……」

 純正は黙って聞いている。

「外務省としましては、領事館の設けもいまだゆえ、確たる知らせはございませぬ」

 忠棟が口惜しそうに言い、玄蘇もうなずいた。

 官兵衛が静かに言う。

「確たる知らせがなくば、いたずらに動くべきではございませぬ。さりながら、最も悪しき有り様となったときを考えねばなりますまい」

 ……つまり、戦争準備である。

 政権が崩壊すれば、多かれ少なかれ、スペインもしくはローマ教皇などのカトリック勢力が肩入れするだろう。

 スペインに開戦の力はないだろうが、何らかの勢力に対しての対抗策は必要である。

 また、ポルトガル国内の親セバスティアン派の保全と邦人の安全確保について、オランダと協議して万全を期しておいた方が良いと言うのだ。

 官兵衛の言葉に鍋島直茂が重々しくうなずいた。

「官兵衛の申すとおりにございます。悪しき有り様を考え、今より手を打っておかねばごほっごほっ……」

「いがかいたした?」

「……大事ございませぬ。手を打っておかねばなりませぬ。大使以下、多くの邦人が彼の地におりますゆえ」

 直茂の言葉が、評定の間にいる者たちの顔をさらに引き締めさせる。外交官と国民の安全確保は、国家の最優先事項なのだ。

「ならば海軍は直ちに艦隊を編成し、リスボンへ派遣すべきかと存じます」

 進み出たのは、海軍大臣の長崎甚左衛門純景であった。

 帝国と言えば海軍、海軍と言えば帝国である。海軍総司令の深沢勝之とともに、日本の海運の安全と帝国の拡大を担ってきた自負があるのだろう。

「お待ちくだされ。まだ事が起きたわけではございませぬぞ。性急すぎまする」

 忠棟が制した。

「何のために遣わすのでございますか? 知らせの真偽も定まらぬし、真だったとして、艦隊を遣わした先で平癒なされ、何事もなかったでは済まされませぬぞ」




 次回予告 第927話 『議論白熱とセバスティアンの病状』

 純正は大陸での傀儡国家建設計画を進めていた。

 そんな中、最も重要な同盟国であるポルトガルの国王セバスティアンが病に倒れたとの凶報が舞い込む。

 純正は直ちに緊急閣議を招集。国王の不在によるポルトガルの内乱やスペインの介入を危惧し、情報の真偽確認、邦人保護、艦隊派遣の是非などを巡って重臣たちの議論が紛糾する。

 果たしてこの結末は?

 セバスティアンの病状はいかに?

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