第902話 『天下治平之大計』

 慶長六年十一月四日(1601年11月28日) 帝都・諫早

 指令室内では、昼夜を問わず担当者が全国から届く報告を叫びながら作業していた。

 壁一面の巨大な日本地図の前では、書記官たちが長い竿さおの先に付けた駒を、目まぐるしく動かし続けている。


 国土交通大臣の遠藤千右衛門はその喧騒けんそうの中心にいた。

「――北関東、烏山の蔵を開けよ! 那珂湊より陸揚げした小麦を、急ぎ回すべし!」

「――これはいかん! 武蔵と相模の間の街道にて、思うたより多くの荷駄馬が集まり、道が崩れておるぞ! 兵站へいたんの工兵どもを向かわせよ! 夜通しにても直させるのだ!」

「――九州よりの加勢の船団は、いずこまで進んでおる! ?」

 各部署の責任者と担当者の声がひっきりなしに飛びかっているが、千右衛門の顔には、安堵あんど感も絶望感もない。

 ただ、全神経を使いながら慎重に作業を進める強い緊張感だけがあった。

 背後で壁に寄りかかっていた財務大臣の太田屋弥市がつぶやく。

「……まるで、薄氷の上を、全軍で渡っているかのようだな」

「違いない」

 千右衛門は地図から目を離さずに答えた。

「しかも、氷はあちこちで今もひび割れている」

 2か月前、この国の物流は確かに一度滞った。港は物であふれて詰まり、道は馬で埋まって動かなくなったのである。

 あの時誰もが、この先どうなるかと不安に思ったに違いない。

 しかし帝国は崩壊しなかった。

 その理由は『国家災害時対応計画書』にある。

 帝国の戦略会議室が10年以上前から作成していた計画で、鍋島直茂と黒田官兵衛らの頭脳集団が練り上げた知性の結晶だった。

 純正の号令の下、全力で計画を実行したところ、滞ったと思われた国の経済に活気が戻ったのである。

 しかし、根本的な解決ではない。

 食糧が枯渇する最悪の事態を先送りしているだけなのだ。


 夕刻、千右衛門と弥市は純正の執務室に呼び出された。

「……この通り、只今ただいまの国家の物流はかろうじて仕組みを保っております。然れどこれは……」

 千右衛門が言いよどむと、純正は静かに答える。

「……薄氷を踏むが如き、であろう」

「は……」

「分かっておる」

 純正はコーヒーを飲みつつ、2人にも勧めた。

 給仕が運んできたコーヒーを目の前に置く。

「お主たちが、あの計らい書(計画書)を如何いかに思うておるかもな。これでは現場の苦労を無体と(無視)している、あまりに非情だと。そうであろう?」

 2人は何も言えなかった。図星だったからだ。

「然れど、あれはそもそも民を幸せにするためのものではない。ただ、大き(大規模な)国家の仕組みが最も悪しき有り様に、すなわちふつと(完全に)止まらぬように設けた仕掛けに過ぎぬ」

 純正は2人の前に1枚の真新しい紙を置いた。

「今日、お主たちを呼んだのは先の話をするためだ。仕掛けが動いている今しかできぬゆえの」

「先の話、と仰せになりますのは……」

 弥市が、ごくりと喉を鳴らして問い返す。

 その言葉には、2人が最も恐れている問いが含まれていた。


 綱渡りは、いったい、いつまで続くのか。


「うむ。お主たちの心が、何に最もさいなまれておるか、よう分かる。終わりが見えぬ戦ほど、人をすり減らすものはないからの」

 純正は、部屋の隅に積まれていた膨大な書類を手元へと引き寄せた。

 おびただしい数の数字と不可解な図形、そして何本もの曲線で、びっしりと埋め尽くされている。

「ただの当て推量ではない。科学技術省がこの一年、全国(日本だけではない)各地で気球を上げ、日射を測り大気のちりを調べ、そして勘定した動かぬ算だ」

 20年前に気球が実用化されて以降、科学技術省は独自に観測を行い、日本本土のみならず広範囲の海外領土で観測と調査をしていたのである。

 純正は書類を2人の前に広げ、指で示しながら静かに語り始めた。

「見よ。空の上の、えらく高いところを漂うておる、目に見えぬほどの塵が故じゃ」

 もちろん、現代ほどの正確な観測と分析ではない。

 できるはずがないが、しかし原始的であっても、経験則も含めた予測なのだ。

「ペルーの山が火を噴いて上げた塵が、日ノ本から日の光を奪うておるのじゃ。あちこちの見立てによれば、日の光は去年よりおよそ一割から二割ほど、減り続けておるという。これこそが、夏の冷えと不作の、まことの故よ」

 2人は食い入るように書類を見つめた。

 書かれている内容は理解を超えていたが、舞い上がった塵がこの国を襲った災厄の正体なのは、疑いようもなく伝わってくる。

「然れど、塵とて限りがある。風の流れと重さの勘定から見れば、この塵が我らの頭の上からすっかり消え失せるまで、あと二年ほど。長うとも、三年はかかるまいて。すれば日の光は元に戻り、大地もまた元の実りを取り戻すであろうよ」

「に、三年……」

 千右衛門が思わず口に出した。

 終わりが見えなかった得も言われぬ不安に、初めて明確な期限が示されたのである。

 さらに純正は、最後の、そして決定的な一枚の切り札をテーブルの上に置いた。

 ネーデルラント連邦共和国の印が押された、一通の書状である。

「我らの『算』が、決して独りよがりではない証しがこれじゃ。先日オランダより書状が届いた。彼らもまた我らと全く同じやり方で空を見立て、我らと全く同じ考えに至っておるのじゃ。この天変地異は、長うとも三年のうちに必ず終わるとな」

 2人はもはや言葉もなかった。

 直面しているのは主君の神がかり的な予言などではない。

 観測と計算。

 そして、世界の裏側からの客観的な裏付けによって証明された、揺るぎない『科学的真実』だった。

 純正は2人に最後の言葉を告げる。

「良いか。飢饉ききんとの戦はあと二年で終わる。これは願いでも祈りでもない。ただの真だ」

 その声は静かだが、力強さがあった。

「ゆえに心を折るな。ただ黙々と『計らい書』に記された行いを信じて続けるのだ。思いを捨て、ただ帳面の数字と手順に従え。然すれば二年後、我らは必ず生き残っている」


 千右衛門と弥市は深く頭を下げた。

 執務室を後にするとき、足取りにはもはや迷いはなかった。


 それにしてもオランダすげーな。

 108人の転生者は伊達じゃない。

 さすがだ。

 覇権主義的な考えじゃなくて良かったよ。

 これからも友好関係を続けよう。

 ああ、インドでの会議も続けなくちゃな。


 次回予告 第903話(仮)『ポルトガル調査団とヨーロッパの気候変動』

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