慶長四年二月十五日(西暦1599年3月11日) 肥前国諫早城
「中継所の建設予定地はこちらになります」
太田和源五郎は純正の前に広げられた地図を指さした。諫早から佐世保までのルートに沿って、赤い点が複数打たれている。
「まずは、諫早の御城下より北へ向かい、入り海(大村湾)の海辺を通りまする。宮ノ村(南風崎)より早岐の瀬戸の岸辺をさらに北へ向かい、佐世保へと至る道と定め申した。地の形に合わせ、見通しの良きところを選び、それぞれの中継所の間はおよそ三十町(三キロほど)。二十四ヶ所以上の中継所が要りまする」
純正は地図の上を指でなぞりながら、各地点の配置を確認した。
「然様か。かなりの数になるな。管理の仕組みはいかが致す?」
「は。各中継所には通信員を二名と、世話人一名を置きまする。また、五里ごとに肝要なる結節所を設け、そこには技術者を常住させ、万一の故障に備えまする」
「うべな(なるほど)。あい分かった」
純正は満足げにうなずいた。
――建設土木。
道路の整備や河川の浚渫工事、険峻な山岳地帯の整備や城郭の整備。
これまで、それらは全て人力であったり、牛馬を用いて行われてきた。
純正が転生してから、堡塁の造成やコンクリートの道路など、全てである。
しかし、30年前の永禄十二年、初期の蒸気機関の実演が実施されて以降、蒸気動力による重機の開発が行われてきたのだ。
表舞台に立つのは蒸気船や蒸気機関車だけではない。
インフラの整備に欠かせない多くの重機が開発されていたのである。
純正はふうっと短く息を吐いてから、質問を続けた。
「電信中継所の建設には、蒸気式掘削機を使うのであろう?」
「然に候。険しき地形にはこれまで通り人力となりますが、能う限り蒸気の掘削機を用い、無駄なく行おうかと考えております」
源五郎は手元の書類を取り出し、掘削機の配置計画を示す。
初期の蒸気動力による建設重機は、単純な構造で効率も悪かった。しかし、30年の間に改良が重ねられ、現在では各地の大工事に欠かせぬ存在となっている。
「通信線の敷設は如何様(どのよう)に進むのだ?」
「地中に埋めるところと、柱につるすところなど、場所によりて使い分けまする」
「では、いつから工事を始める?」
「既に資材と人員の支度は整い申した。明日より諫早城下の第一中継所から着工いたし、順次北上していきます」
源五郎の声には自信が満ちていた。彼らはこのプロジェクトのため、数ヶ月にわたる周到な準備を重ねてきたのだ。
必ず電信の実験が成功すると信じ、その次は敷設工事が必要になると考えていたからである。
「機材の運びはいかがか?」
「重機と大型資材は海路にて運びまする。比べて軽きものは陸路を使い、蒸気車で運搬いたしまする」
純正はさらにうなずいた。
肥前国の道路網は鉄道と共に整備されており、重量物の運搬に適した蒸気式運搬車や機関車が開発されていたのである。これもまた、純正が転生して以降の技術革新の一つであった。
「工期はいかほどか?」
「順調に参りますれば、二ヶ月。悪天にて遅れを見込みましても、三ヶ月以内には佐世保との通信が能うかと存じます」
「よし。この計画を全力で進めよ。大陸の騒乱はしばしの間起こらぬであろうから、その間に、我が国の通信網を完成させるのだ」
インフラ整備のための蒸気動力の応用は、肥前国発展の強力な支えとなっていた。
蒸気掘削機、蒸気式クレーン、蒸気ローラー、蒸気ポンプ。これらの機械が肥前国の急速な発展を支えていたのだ。
今後、電信技術と蒸気機関の改良により肥前国の技術力はさらに高まり、世界への影響力も増していくだろう。
現状としては有人の中継所を設けなければ長距離の通信は不可能だが、それでも十分なメリットがあった。
まず、天候に左右されない。
電気信号で送受信するので悪天候でも明確に送受信できるのだ。
また、送信速度で比べても、手旗は1分間に約30文字から60文字である。熟練の信号員になれば速度は上がるが、速さと正確さは比例しない。
電信にもその要素はあるが、短点(トン)と長点(ツー)の組み合わせで文字や数字、記号を表すデジタル的な信号である。
正確さと速度においては、明らかに電信に分があるといえるだろう。
■慶長四年二月十七日(西暦1599年3月13日) 第一中継所予定地
早朝から、諫早城下の北外れにある小高い丘の上は活気にあふれていた。
蒸気式掘削機がすでに作業を終え、掘り起こされた地面に地固め機が据えられている。十数名の作業員たちがその周囲で次の工程の準備を整えていたのだ。
「この丘からなら、次の中継所が建つ栄田村の高台が見通せる」
現場監督の杉村佐平が腕を組み、北を指さした。約3キロ先の丘陵が、かすんだ空気の向こうに確認できる。
「地固めの支度ができ申した」
若い職人が駆け寄り、報告する。
「よし、地固め機を動かせ。地盤を十分に固めた後、基礎石を据える準備に取りかかるのだ」
杉村の号令で蒸気機関がうなりを上げ、地固め機が動き始める。重い鉄の板が地面を強く押し固めていく。
諫早城から視察に訪れた忠右衛門は、その光景を眺めながら感慨深げに言った。
「三十年前、最初の蒸気機関の実験を殿下にお見せしたときは、まさかここまで実に(実際に)用いるとは思わじ」
傍らの源五郎も同意する。
「あの頃は重量の割にわずかな力しか出せませんでしたからね」
「改良を重ねた甲斐があった。今や、我らの国造りには欠かせぬ」
杉村が二人に近寄り、一礼した。
「今日中に基礎工事を済ませ、明日には建物の骨組みに取りかかります。三日もあれば、この中継所は完成でしょう」
「他の中継所の支度の有り様は?」
「三浦村、泊田村、大村の三ヶ所はすでに資材の運び入れを始めております。海路で運べる物資は現地付近着到しておるかと」
忠右衛門は満足げに笑った。
「うむ、工事は予定通り進めよ。我らはこれより次の予定地を見て回る」
二人は馬に乗り、北へと向かっていった。
■慶長四年二月二十日(西暦1599年3月17日) ヘトゥアラ
ヌルハチはヘトゥアラの本営で軍議を開いていた。
彼の前には北方のモンゴル諸部族の拠点を示す地図が広げられている。
「チャハル部の動きが活発になっているとの報告だが、詳細はどうだ?」
ホホリが一歩進み出た。
「ブイグはハルハ部との連絡を試みておりますが、まだ同盟には至っていないようです。各部族の間に不信感が根強く残っております」
「当たり前だ。あんな無様な負け方をしたんだ。誰も従おうとは思わん」
エイドゥが吐き捨てるように言った。
「ふむ。だからこそ好都合だ」
ヌルハチは満足げにうなずき、地図上のチャハル部の拠点を指さす。
「モンゴルの諸部族がバラバラになっている今こそ、各個撃破の好機だ。まずはここから。エイドゥ、お前に任せる」
エイドゥは一歩前に進み、頭を下げた。
「御意。いつの出発をお望みで?」
「三日後だ。今回の遠征の目的を忘れるでないぞ。我らに残された時間は五年しかない。五年でモンゴルを制覇せねばならん」
「承知しました」
「ヒュンドンはエイドゥと共に行動せよ」
「承知! ヤツらの交易路を遮断し、孤立させて見せましょう」
「敵を一度に相手にしないことだ。モンゴル諸部族が再び一つにまとまることだけは避けねばならぬ」
ヌルハチの戦略は明快だった。一度は連合したモンゴル諸部族も、先の敗戦で不協和音が生じている。この機に各部族を個別に攻略し、女真の勢力下に収めるのだ。
しかし、そうは言ってもモンゴル高原は広大である。
女真がモンゴルの諸部族を完全に制圧するには、数年単位の時間がかかる可能性が高い。仮に、各個撃破が順調に進んだとしてもである。
広大な地域を制圧するには物理的な時間が必要なのだ。
もし抵抗の激しい部族があったり、外部勢力(明や肥前国)の干渉があったりすれば、さらに長期化し、10年以上かかる可能性もある。
「明と肥前国の動きはどうだ?」
「今のところまったく動きはありません。明とは休戦協定がありますし、肥前国はそもそも我らの戦いには不干渉です。火の粉が降りかからねば、動かぬかと」
アンフィヤンクが進み出た。
「遼東の守りは?」
「お前とフルガンの部隊を残す」
ヌルハチは断固とした口調で答えた。
「ただし、八割はモンゴルへ向かわせるゆえ、残すのは五千ほどだ。万が一明が休戦を破っても、すぐに応戦できるよう準備しておけ」
「ははっ」
「それからホホリよ」
「何でしょう」
ヌルハチには、ひとつ気がかりな点があった。
寧夏の哱承恩である。
今回の一連の戦争において、寧夏と女真は対明で利害が一致していた。
しかし、寧夏は同盟していたはずのモンゴルのオルドス部の動きを抑えられず、連合軍が女真へ攻め込む事態となったのである。
「哱承恩には父親ほどの人望も、徳もないようだ」
哱拝の時代にモンゴルと寧夏は同盟を結んではいたが、独立を勝ち取って明と講和した後は、モンゴルにとっての利益はなくなっていたのだ。
もし、潤沢な利益がもたらされていたのであれば、モンゴルが女真に攻め込むような事態は発生しなかったかもしれない。
結果論ではあるが、歯止めがきかなくなっていたのだろう。
「いずれにしても、今この状態で寧夏と険悪な関係になるのはまずい。敵はモンゴルだけに絞らねばならぬ。ホホリよ、寧夏に行ってくれるか?」
「御意」
ヌルハチのモンゴル征服計画が始まった。
次回予告 第867話 (仮)『密かなる行軍』

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