第398話 阿波三好家の凋落と義昭との軋轢?そして医学の進歩!

阿波三好家の凋落と義昭との軋轢?そして医学の進歩! 新たなる戦乱の幕開け
阿波三好家の凋落と義昭との軋轢?そして医学の進歩!

 元亀元年(1570) 五月

 池田城の城主追放に始まり、阿波三好と三人衆の摂津再上陸で勢いに乗ったかに見えた信長包囲網は、純正の予想通り、二月も経たずに瓦解した。

「純久! 純久はおらぬか!」

 室町御所で声をあげて小佐々純久を呼んでいるのは室町幕府第十五代将軍の足利義昭である。

「公方様、治部少丞殿は大使館におられますので、いましばらくお待ちください」

 傍らで義昭を諫めているのは、幕臣の細川藤孝である。

「しかし公方様、今なぜ、このように急いてあの者をお召しになるのですか?」

「いや、なに、三好めに対する弾正忠と弾正大弼への和議の仲裁をたのまれての」

「和議! でございますか? しかし三好長逸、三好宗渭、岩成友通の三人衆は、お兄君であらせられた、先の先の公方様を弑し奉った張本人にございますぞ」

「それはわかっておる! わかっておる……が、ここでこの大乱を収めれば、諸大名の余に対する見方も変わろうというもの。そうは思わぬか、藤孝よ」

「それは……そうで、ございましょうが、公方様はそれでご無念が晴れまするか? ここで和議を調停なされば、二度と三好を討てなどとは命ぜられませぬぞ」

「それは、わかっておる。余としても苦渋の決断なのじゃ」。

 本当にわかっておられるのか? 戦を起こすも止めるも、子供の遊びではないというのに。藤孝はそう思った。

「治部少丞様、お見えになりました」

「おお、きたか」

「ご尊顔を拝し、恐悦至極に……」

「そのような堅苦しい挨拶はよい、余とそちの仲ではないか。ささ、面をあげよ」

 純久は、いつそのような仲になったのだ? と不思議に思いながらも顔を上げ、義昭と正対する。義昭は立ち上がりそうになるくらい、そわそわしている。

「実はの、そちに頼みがあって呼んだのじゃ」

「はは、それがしにできる事なれば、なんなりと」

「うむ。さすがである。では、そちの主君である弾正大弼に、三好と和議を結ぶよう言ってくれぬか」

「三好と、和議、にございますか」

 純久は傍らにいる藤孝に目をやる。藤孝は目をつぶり、しかめっ面をしてうなずいたり首を横に振ったりしている。

 どうしようもない、だめだこりゃ、という意思表示なのだろうか。

「うむ、そうだ。あちらが兵をあげたとは言え、帝もわれらも争いは好まぬ。そこで織田と小佐々が兵を退けば、あやつらも兵を退くという申し出があったゆえ、こうしてそちに来てもらったのだ」

 なんというお花畑だ。

 お花畑という表現は、おそらくこの時代にはないだろう。しかし、純久は同じような考えをしていた。

 和議というのは基本的に劣勢の側から申し出るものだからだ。優勢であるのに和議を申し込む者はいない。

 なぜか? 勝てるからだ。これはひとえに三好勢が劣勢であると同時に、敵である彼らも、自軍が劣勢だと認識していることに他ならない。

「しかし公方様、あえて申し上げまする。三好は公方様にとって不倶戴天の敵ではございませぬか? それゆえ昨年より、われら小佐々に討伐を命じられておりました」

 うむ、と義昭。

「昨年は小佐々にとっても南に島津あり、四国に敵ありと、おいそれとは兵を出すことあたわぬ故、不本意ながら長宗我部に兵糧矢弾と銭を供しておりました」

 藤孝も、黙ってうなずいている。

「しかしながらようやく九州もまとまり、四国も紆余曲折あれど伊予と土佐は平定いたしました。それゆえ今こそ公方様の悲願を叶えようと(建前で嘘だが)、三好に警告を送り、力を蓄え機会を狙っていたのでございます」

 義昭の顔が、黙ってはいるが、だんだんと険しくなっていくのがわかる。

「しかして三好が兵をあげたゆえ、ここぞとばかりにわれら小佐々も兵をあげ、後もう少しで阿波を平定し、淡路から摂津へ討伐へ向かおうとしていたのです。なにゆえに……」

「ええい、わかっておる! みなまで言うな。とにかく、和議の件、頼むぞ治部少丞」

 義昭は語気を強め、立ち上がって退室してしまった。純久は平伏したまま、はあ、とため息をつく。上体をあげ、深呼吸して気持ちを落ち着かせた。

(和議に関しては、殿はのむかもしれない。しかし、条件については一切妥協はしないだろう。これは、和議という名の降伏通告だ)

 ■諫早 純アルメイダ大学 医学部 教室 

 教室にいる学生たちは熱心に筆記し、教授である東玄甫の講義に耳を傾けていた。
 
 壁には手描きの身体図が掛けられており、その中に心臓や他の臓器、血管などが詳細に描かれている。

「これはわたしが、解剖実習で観察したものを書いた図です」

 と東玄甫は説明した。そして自らの腕を縛って、学生達にも同じようにするよう求めている。

「こうやって縛ると、血管が浮き出てきますね。そして浮き出てきた血管を心臓に向けて押さえながらなぞってください」

 そうすると、一瞬浮き出た血管が薄くなり消えかけるが、すぐに元通りに浮き出てくる。

「しかし、みてください。もし血液が循環せず、ただそこに存在して栄養を体に与えるだけなら、このような形にはなりません」

 そう言って腕を見るようにうながす。血管の途中で血が止まり、それより先は血管が浮き出てこなかったのだ。

「これは、ここに弁があり、血液が逆流しないようにする働きをしている事に他なりません」

 生徒全員が、おおお、と声をあげる。

「では、ここで腕の先に血液が行かないようにしているという事は、この血液は腕の先からどこかに向かう血液であり、その血管はその役割をしていることになります」

 生徒達は真剣に聞き入る。

「またそうなると、逆に腕や足などの体の隅々に血液を届ける血管がある、と考えるのが自然です」

 さらに玄甫は続ける。

「最後に、では血液はどこでつくられるのか? そしてどのようにして全身に行き渡るのか? という疑問が出てきます」

 玄甫は、ここです、と心臓を指さし、握りしめた拳でとんとん、と軽く胸を叩く。

「物を動かすには力がいります。水と同じでポンプの役割をこの心臓がしており、血液をつくっていると考えればつじつまが合うのです」

 学生の一人が手をあげて尋ねる。

「先生、それは従来のガレノスの理論を否定するものになりますよね?」

 医学部の学生は一年の時、もしくは医者の家系や適性のある者、それから医師志望の者は、高校生の段階で大学の医学史を習う。
 
「その通り」

 と玄甫は答えた。

「ガレノスの理論は、血液が肝臓で発生し、人体各部へ移動して消費される、としています。その理論では人体は二種類の血液、静脈血と動脈血を持つ。静脈血は肝臓で消化された食物から作られ、身体に「栄養」を供給する。一方、心臓で空気の精気が混じった動脈血は、『生力』を身体に供給する、と定義されました」

 ガレノスの理論では、心臓が血液を全身に送る役割は認められず、栄養と生力が全身に伝わるのが主な役割とされている。

「しかし、私の研究によればそれは正しくありませんし、さきほどの弁の説明がつきません。したがって、血液は循環していると考えるのが妥当です」

 学生たちは新しい知識に驚きつつも、この新しい発見を理解しようと努力していた。東玄甫の講義は、彼らの考え方や医学への興味を一層深めるものとなったのだ。

 近い将来、この玄甫の学説を否定したり、新しく解釈して医学を進歩させる学者がでてくるかもしれなかった。

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