第473話 ヲタルナイからイシカラペツ。大首長チパパタイン

ヲタルナイからイシカラペツ。大酋長エカシ・ヒラン 第2.5次信長包囲網と迫り来る陰
ヲタルナイからイシカラペツ。大酋長エカシ・ヒラン

 元亀二年 八月二十二日 北海道 後志国しりべしのくに・石狩国

「ア、ヌカラ(見えた!)」

 アイヌの少女は叫んだ。

 それを聞いて藤兵衛も叫ぶ。時間をかけただけあった。

 本来なら大人を雇いたいところであったが、チコモタインやハシタインの勢力より北から来た、というので雇ったのだ。
 
「旦那様! 見えました! 見えてきました!」

 後になって弥次郎達は知ることになるのだが、本来なら松前から一月もかからない道のりである。

 しかし今回は初めての航海という事と、通詞を捜すのに時間がかかり過ぎて、出発が遅れたため到着が遅れたのだ。

 許可のない和人が北へ行くことは禁じられている。同じ船に乗っていれば巻き添えを食うかもしれないからだ。

 弥次郎は蠣崎季広に北上する許可は得ていない。

 すぐ北にある江差も、カモメ島(単純にカモメが多数飛んでいたので便宜上そう名付けた)のおかげで天然の良港となっているのだが、近すぎる。

 そのため江差を抜け、さらに北上して奥尻島を左に見ながら進んだのだ。最寄りの良港を見つけて最初の開拓地をつくるべきだが、そうもいかなかった。

 蠣崎季広がこの先何年で条約を破って北上するかわからないが、それまでに松前以外の沿岸部を押さえる必要があった。

 アイヌと友好関係さえ築けていれば、蠣崎なと敵ではない。

 敵対する事もあると考えると、今勢力を伸ばしておけば、支配下に置けるかもしれない。純正はそういう大望を抱いていた。

 そしてゆくゆくは内陸部だ。

 蝦夷地と言えば、弥次郎は純正から次の事を言われていた。

 アイヌに聞いて、冬から春にかけて海が白く濁る湾を探せ、との事。

 弥次郎にしてみれば、ときどき純正の言うことがよくわからない時があったが、それでも商人の嗅覚が『やれ』と命じていた。

 純正にとって蝦夷地は宝の山である。

 アイヌの交易品である鮭に加えて鱒やニシンの漁業資源。

 食料としてはもちろん、肥料や油になる。寒冷地なので米は難しいが、ジャガイモや玉ねぎの栽培を行って、大量に輸出する。

 当然の事ながら石炭や石油、天然ガスに金や鉄鉱石などの天然資源は言うまでもない。精製技術が未発達なので即利用はできないが、なんでも先に権利を確保しておけばいいのだ。

 一行は松前を出発し、目視で沿岸を観察し、よさそうな湊はいくつか見つけた。

 クドウ、フトロ、セタナヰ、スッキ、トマリ、イハサキ、ヲタスツ、イソヤ、イワナヰ、フルウ、クツタルウス、ビクニ、フルヒラ川、ヨイチ、ヲシヨロ、タカシマ、クッタルウシ、ヲタルナイである。

 そのすべてで、時期がくると海が濁るという。

 純正からは、大きな湾のような場所に川があり、オタル、イシカリという地名があるはずだから、そこを探せと言われていた。

 やっと見つけたここが、ここがオタルなのだろうか? 

 弥次郎いわく純正の千里眼どおりであったが、単純に北海道の地名がアイヌの呼び方を語源にしていると知っていただけだ。

 岬を通り過ぎて、眼前に見えてきたのは石狩湾である。広大なイシカリ湾と石狩川の合流点が広がっていた。

 アイヌの少女と弥次郎をはじめとした藤兵衛達は、船から見えるその美しい風景に息をのむ。広がる海と石狩川の流れが語りかけているかのようであった。

 弥次郎は船の甲板に立ち、この新たな地に大きな可能性を感じた。純正の言葉が頭をよぎる。未知の地に向けて、一行は希望に満ちた心を持って進んでいくのだ。

 弥次郎は浜辺に上陸してすぐ、アイヌの漁師たちが鮭を捕まえているのを見かけたので、通訳のアイヌの少女イレンカに話しかけるように頼む。

 しかし、どうにも様子がおかしい。

「この地の名は何というのだろうか?」

 弥次郎は尋ねた。イレンカは漁師に話しかけ、漁師は「イシカリツペ」と答える。

「鮭は重要な食糧なのか?」

 弥次郎はさらに尋ねる。

 アイヌは鮭をカムイチェプ(神の魚)と呼び、また、シペ(本当の食べもの)とも呼ぶようだ。

 イレンカが話しかけると漁師は頷き、『シペ』(鮭)は、我々の生活にとって非常に重要だ、と説明した。

「私たちは遠く南の国からやってきた和人だ。和人を知っているか?」
 
 やはり、イレンカの様子がおかしい。

 しばらくすると、一人が前に出てきてゆっくりと言った。

「和人のことは聞いたことがある。しかし、直接見るのはこれが初めてだ」

 弥次郎はイレンカに『ありがとう』と言い、そのまま伝えてもらう。その後は和人とアイヌとの友好の可能性について話し合うために、時間をかけた。

「交易をしたい」と弥次郎がイレンカを通じて漁師に伝えると、漁師は頷いたが少し考え、そして言った。

「それには我々の酋長の許可が必要だ」

 弥次郎はもちろんだ、と答え、漁師に酋長に会うことができるか尋ねた。

 漁師は再び頷き、一行を酋長の住む村へと案内すると申し出てきた。これでひとまず、第一段階は成功である。

 弥次郎はイレンカを通じて、ちなみに「オタルナイ」という場所を知っているか、そこでも鮭は採れるのか? と尋ねた。

「オタルナイはここから遠くない。そこでも鮭は採れるし、たくさんのアイヌの家族がその鮭を頼りに生活している。でも、アッチナイ(勝納川・豊かな沢)よりイ・シカラ・ペツ(非常に曲がりくねった川・石狩川)の方が大きい」

 なるほど、ではなぜ殿はオタルナイ、と言ったのだろうか? 弥次郎の純正に対する疑問は膨らむが、考えても仕方がない。

 弥次郎はイレンカに、酋長を紹介してもらうのでお礼がしたいと伝え、交易品を見せた。

 一般的な酒・米・こうじ・タバコ・塩・なべ・小刀・針・古着・反物・糸・漆器・きせるなどの他に、何が必要か、需要があるかわからなかったので全部見せたのだ。

 小佐々の特産品や中国・朝鮮・東南アジアの品々も持ってきたが、数は少ない。あくまで需要があるかどうかである。

 漁師は驚いたようだが受け入れてくれた。小刀と鍋が気に入った様だ。小刀の切れ味と鍋の頑丈さに感動し、笑顔で弥次郎に頷いた。

「これらの品物は酋長にも喜ばれるだろう」と漁師は言い、弥次郎たちを酋長の元へ案内する事となった。

 当時の石狩川は「イ・シカラ・ペツ」(非常に曲がりくねった川)の名前のとおり、広大な泥炭性の低平湿地を至る所で縦横に蛇行して、氾濫を繰り返していた。

 そのため集落は川沿いではなく、氾濫の影響を受けない少し離れた高台に形成されていたのだ。

 アイヌの漁師に連れられて歩くこと約四半刻(30分)、集落が見えてきた。

 弥次郎は純正の城である諫早城はもちろん、小佐々城も太田和城(旧沢森城)も知っている。地域の実力者であるなら、それこそ砦や館のような物を想像していたが、そうではなかった。

「チャシ! チャシ! コタン! コタン!」

 イレンカは嬉しそうに叫ぶ。『チャシ』は砦や城のようなものらしい。『コタン』は集落だ。

 見ると蛇行する石狩川の支流を堀の代わりにして、見渡す限りに柵が設けられている。橋は架けられておらず、渡し船があってそれで移動している。

 支流である為に足元はそこまで泥濘ではない。

 しっかりと立って踏ん張ることができた。荷物の搬出搬入もできる。もちろん、そうでなければ集落として成り立たない。

 その広大な事といったら、いわゆる城の規模ではなかった。ひとつの集落を川を使った堀と土塁、そして柵とで強固な砦としていたのだ。自給自足である。

 小田原城の簡易版、小規模版といったところだろうか。渡し船は一隻ではなく複数あったので、交易品の運搬には事欠かなかった。

 イレンカと漁師の先導で船に乗り、向こう岸に渡る。

 土塁の上に作られた門へ行くには細い路地を通らねばならず、敵であればここで弓矢の的となる。

「エカシ! エカシ! タネク・ホシピ~!」

(ただいま~!)

 イレンカの元気のいい声が響き渡る。

 しかし、なぜか周囲のアイヌの人達がそわそわしている。しばらくすると、年老いてはいるが大柄で、髭と髪の毛が真っ白になった老人が現われる。

「イヤホイ! イレンカ! エ イワンケ ノ アン ヤ?」

(おー! イレンカ! 元気にしてたかい?)

 首長らしき老人がイレンカに声をかける。

「ク イワンケ ワ~」

(元気だよ~)

 二人が抱き合って抱擁しているのにあ然とする一同だったが、気を取り直して聞く。

「イレンカ、どういう事なんだい?」

「え? おじいちゃん。あれ? 話してなかったっけ?」

 ええええええええ! うそー!

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