寄港

転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第388話 『結局、とサラワン王国』

慶応二年十一月三日(1866年12月9日) バタヴィア「やや! 今なんと? ……我がんこ? なんか? 無理やり……最初……めん、つ?」 各藩がそれぞれの方言と共通語で翻訳するが、さっぱり分からない。 分からないが、次郎が感情をあらわにしてい...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第387話 『ぶち切れる』

慶応二年十一月三日(1866年12月9日) バタヴィア「では各々方、憚はばかりながらそれがし、太田和蔵人次郎左衛門が、議事を進めたく存じます」 次郎の隣には、大村藩の名代である甲吉郎純武が控えている。 幕府と加賀藩を除く各藩の名代と艦長(責...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第385話 『バタヴィアでの決断』

慶応二年十月二十四日(1866年11月30日) ごう音と共に、暗雲が艦隊を覆い尽くした。「縮帆! 備えよ!」 顕武の命令がすぐさま甲板の乗組員に告げられる。 雨音はさらに大きくなり、声がかき消されそうなほどだ。「隼人助(大村艦隊司令)、スコ...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第384話 『出るわ出るわ』

慶応二年十月十七日(1866年11月23日) 次郎の横には勝海舟、薩摩の川村純義、佐賀の中牟田倉之助、長州の来原良蔵がいる。 目の前には万博参加の各藩の艦長または責任者が神妙な面持ちで並んでいた。 ・土佐藩の後藤象二郎の横に国沢新九郎(名代...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第383話 『仏領コーチシナ』

慶応二年十月十日(1866年11月16日) 次郎はこの航海を終えた後、幕府に願い出て海軍士官の練習航海を年に一度実施しようと考えていた。 幕府海軍にも必要だろうが、今後、日本が近代国家として列強と渡り合っていくには見聞を広める必要がある。 ...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第380話 『過労と財政と航路』

慶応二年八月十二日(1866年9月20日)「まったくもう、お前様ときたら。子煩悩かと思えば、家のことはまったく気にしない。そのくせお役目は、人に任せればいいものまで自分でしないと気が済まない。倒れるまでお勤めなさるなんて、尋常ではありません...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第379話 『航路問題と大村藩財政問題』

慶応二年八月四日(1866年9月12日)<次郎左衛門>「え? 今、何とおっしゃいましたか?」 オレは耳を疑った。 ここは駐日フランス帝国公使館。 目の前にいるのは公使のレオン・ロッシュだ。「私もパリ万博への貴国の出品物を確認した際に、申し上...
外伝!フレデリック・ヘンドリック転生記~時代・技術考証や設定などは完全無視です!~

第5話 『いまの肥前国とポルトガル、そしてネーデルランド』

1589年11月7日 オランダ アムステルダム <フレデリック> デン・ハーグで得た情報をまとめると、ポルトガルと肥前国の情報は以下のとおりになる。 ・現在、肥前国は大日本国の中核として連邦国家を成している。 ・スペインを撃退。現在も戦争中...
『新しい国 ―空母飛龍から、最後の戦いへ―』

第4話 『護衛艦いずもと山口多聞』

2025/1/20(令和7年1月20日) 夜 日没までに洋上の第1護衛隊では救助活動が終わりを迎え、各艦連動して負傷者の治療その他を行っていた。本来であれば戻ってハワイに寄港し、米軍の協力を受ける等の措置が行われるかもしれない。 しかし幸い...
八紘共栄圏を目指して

第816話 『アルタ・カリフォルニア』

文禄四年九月二十五日(1595/10/28) ヌエバ・エスパーニャは1519年に北アメリカ大陸、カリブ海、太平洋、アジアにおけるスペイン帝国の副王領を指す名称であるが、その支配領域は太平洋においては皆無であった。 元亀二年(1571年)四月...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

時系列・あらすじ

以下、旧暦表示。随時更新します。1837年天保7年11月: 50歳の男が幕末の大村藩下級藩士に転生。若い妻と息子がいる状況に戸惑うが、純顕と純熈に仕え、列強に対抗する決意を固める。前世の記憶を頼りに、激動の幕末を生き抜こうと覚悟する。天保7...
八紘共栄圏を目指して

第808話 『イングランドのスペインへの挑戦と東洋への野心』

文禄四年一月七日(1595/2/15) イングランド ロンドン 暖炉の火がパチパチと音を立てて執務室を暖かく照らし、窓の外には、テムズ川の穏やかな流れとロンドン市街の景色が広がっている。  エリザベス1世は羽根ペンを握り、羊皮紙に何かを書き...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第320話 『南北戦争とフランスとオランダ』

文久三年十二月十八日(1864年1月26日)  次郎はイギリスとの開戦を見据え、列強を日本側に取り込もうと考えていたが、ロシアは上手くいくであろうとの感触であった。アラスカの売却はロシアにとってもメリットがある。 もし万が一破談となっても、...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第319話 『アラスカ売却交渉とロシア太平洋艦隊のネーバルプレゼンス』

文久三年十二月十一日(1864年1月19日) 箱館「ほう……これはまた、珍しい。何かの交渉ならば、ぜひお手柔らかに願いたいものですな」 駐日函館ロシア領事のヨシフ・アントノヴィチ・ゴシケーヴィチは、決して良い思い出とは言い難い相手と、再び交...
Uncategorized

第301話 『対面と交渉』 

文久二年十月二十七日(1862年12月18日) 横浜 上海から済生丸が横浜に寄港して1か月半がたったが、パーシーの葬儀はごく小規模に執り行われた。プロテスタント教徒であったために、オランダ人居留地より牧師を呼び、キリスト教式で行われたのだ。...
東アジアの風雲

第756話 『フアン・デ・サルセードとマルティン・デ・ゴイチ ―大日本国産業事情視察録―』

天正十八年十一月十六日(1589/12/23) <フアン・デ・サルセード> フアン・デ・サルセード 記(40歳、第2次フィリピン海戦当時29歳) 11年前、私とマルティンは第2次フィリピン海戦の敗将として肥前国に連れてこられた。  私は当時...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第247話 『変の余波』

安政七年四月十四日(1860/6/3) 江戸城 評定部屋  ※永蟄居ちっきょ 前水戸藩主・徳川斉昭 隠居・謹慎 水戸藩主・徳川慶篤 ※切腹 水戸藩家老・安島帯刀 水戸藩京都留守居役・鵜飼吉左衛門 水戸藩京都留守居役助役・鵜飼幸吉 水戸藩奥右...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第222話 『違勅』

~安政五年七月十五日(1858/8/23) まで「次郎よ、如何いかが致した?」 上座の藩主純顕すみあきが次郎にそう問うと、右手に座る利純も真剣な眼差しで次郎をみる。「は、ただいま報せが入り、急ぎ精煉せいれん方より戻りましてございます」「うむ...
『転生した以上、幼馴染+αと美少女ハーレムをつくってイチャラブ学園生活を送ると決心したオレ』

第7話 『NOT_FOUND』or『 ERR_CONNECTION_TIMED_OUT』

1984年(昭和59年)9月11日(火) 大安 <風間悠真> オレはトップスに白のTシャツと薄いブルーのカーディガン、ボトムスは無難なジーンズにスニーカーを履いていた。カーディガンの前は留めずに開けて、Tシャツも外に出したまんまのスタイル。...
天下百年の計?

第733話 『北常陸県、那珂湊にて三大名と』

天正十六年二月二十五日(1587/4/2)北常陸県 那珂湊 湊御殿 那珂湊は下野国那須郡から常陸国を貫流して太平洋に注ぐ那珂川の河口部に位置し、水戸などの同河川流域と海路を結ぶターミナルとして栄えていた。 とは言っても、規模で考えれば堺より...
天下百年の計?

第727話 『毛利輝元、小早川隆景、吉川元春』

天正十四年四月二十四日(1585/5/23) 諫早城 <小佐々純正> ……さて、困った。 困ったというよりも、いま問題は起きていないんだけど、将来的にもしかしたら問題になるかもしれない、という課題で頭を悩ましている。こうなったのは、自分のせ...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第183話 『ヘルハルドゥス・ファビウスとSoembing号、そして長崎海軍伝習(所)』

嘉永七年八月二十日(1854/10/11) 長崎 「なんと、これほど日本人の技量が育っているとは……これでは小官が教える事などほとんど無いではありませんか」 幕府はオランダからの働きかけもあり、海軍創設へと動き出した訳であるが、その第一歩が...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第175話 『坂本龍馬との出会いと日米条約再交渉』

嘉永七年二月十日(1854年3月8日) 横浜「突然お伺いしたにも拘かかわらず、お目通り叶い、恐悦至極にございます。まずはその儀、伏して感謝申し上げまする」「う、うむ。苦しゅうない」(やっべ! 思わず声が出てしまった。知るはずのない若者の出現...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第145話 『その頃の幕府と各藩』(1852/1/31)

嘉永五年一月十一日(1852/1/31) 江戸城 この頃の幕府と言えば江戸湾の台場構築と、大村藩へ盛んに幕臣を派遣して、技術の吸収に邁進まいしんしているところであった。しかし肝心の財政再建は遅々として進まず、第七台場まで造成予定の台場は、第...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第132話 『薩摩からの手紙。ゴムと隼人と産物方』(1851/2/3) 

嘉永四年一月三日(1851/2/3) 師走の候、丹後守殿(大村純顕)におかれましては益々ご清祥の事とお慶び申し上げ候。※下に超訳あり。 未だ見知らず(会った事もない)、また申し入れず(手紙のやり取りもない)候と雖いえども、先般、御家中が一力...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第130話 『条件』(1850/12/2) 

嘉永三年十一月十七日(1850/12/2) 江戸城御用部屋 上の間「なに? では何を望むのだ?」 正弘が聞く。「御老中様、我が家中といたしましては蒸気船の技を供し、その代わりに『大船建造の禁』を廃して頂くことを求めております」 次郎左衛門の...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第636話 『琉球から台湾、そして呂宋へ』(1578/1/9)

天正六年十二月二日(1578/1/9) 京都 会議所周辺 織田家宿舎「ひゅ、日向守殿! 日向守殿!」 木下藤吉郎秀吉は、真っ青な顔をして叫ぶ。「そうぞうしい。なんですか。もともと貴殿は落ち着きというものがない。城持大名となったのですから、威...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第635話 『織田海軍と第四艦隊、信忠と澄隆の乗艦』(1577/11/24)

天正六年十月十五日(1577/11/24) 伊勢国大湊「おい、あれが小佐々の船かよ……」「あの大砲の数はなんだ。織田の倍はあるじゃないか」「何隻だ? 何隻いるんだ?」「十隻はいるぞ。何日留まるのだ? 酒屋に旅籠が繁盛するぞ!」 佐々清左衛門...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第78回 『捕鯨船の寄港と漁場問題』 (1846/8/26)

弘化三年七月五日(1846/8/26) 京都 <次郎左衛門> 今年初めに事業として展開を始めた捕鯨船団が帰ってきた。  8隻の65トン級の捕鯨船は船団を組み、玄界灘なだ・五島灘・角力灘すもうなだといった通常の漁場をはじめ、南シナ海や太平洋に...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第77回 『プロパンガスか都市ガスか?』(1846/8/2)

弘化三年六月十一日(1846/8/2) 大砲鋳造方  15回目の操業である。 高炉2双4炉、反射炉2双4炉による同時溶解を行った。鉄は合計7,200kgを投入し、36 ポンド砲が1 門できた。鉄湯の流動性は全ての炉が良好という訳ではなく、差...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第76話 『アメリカ東インド艦隊司令長官ビッドル、浦賀に入港し通商を要求する』(1846/7/29)

弘化三年六月七日(1846/7/29) <次郎左衛門> アメリカ東インド艦隊のジェームス・ビドルが、アメリカ政府(ポーク大統領)のジョージ・バンクロフト海軍長官の命をうけて浦賀に来航した。 1845年5月22日付けの指令書にはこう書かれてい...
Uncategorized

第68話 『炭素鋼ドリルによる切削と口径を統一した芯金による鍛造製造』(1845/8/6)

弘化二年七月四日(1845/8/6) 長崎 イギリス船サマラン号が長崎に寄港した。 警護にあたっていた佐賀藩は、幕命にしたがい薪と水を給与し食料を与え、直正は以下を命じた。 ・藩領である伊王島、香焼島・蔭かげノ尾島(現香焼町で陸続き)、高島...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第608話 織田海軍と小佐々海軍(1574/9/16)

天正三年九月二日(1574/9/16)志摩国 小佐々海軍連合艦隊は、深沢勝行大将の指揮の下、航行訓練もかねて8月3日に佐世保湊を出港した。   六分儀を製作し、誤差の少ない時計を完成させたとしても、まだ完全な日本近海の海図はない。 したがっ...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第47話 『渡辺崋山は自刃し、江川英龍は韮山で西洋銃を鋳造する』(1841/12/22)

天保十二年十一月十日(1841/12/22) 次郎と昭三郎が大村藩久原で西洋式軍備の調練を行った五月に、高島秋帆も江戸の西にある徳丸原で、門弟百数十人とともに演習を行った。   これにより幕閣の欧米に対する危機感は高まるのだ。 すでにこの時...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第606話 新型戦列艦の就役と艦隊編成(1574/8/17)

天正三年八月一日(1574/8/17)小佐々城 一室 小佐々家は本家と中浦小佐々家、そして松島小佐々家の三家がある。 純正が本家の家督を継ぐ前から分かれてはいたのだが、11年前の永禄六年、葛の峠の戦いで本家の世継ぎと分家の当主二人が全て討死...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第44話 『高島秋帆、西洋軍備についての意見を上書』(1840/10/5)

天保十一年九月十日(1840/10/5) ~前略~ 唐国に而しかしてエゲレス人に無理非道之事共有之候所のことともにありのそうろうところよりエゲレス国より唐国へ師を出し、エゲレス国は勿論、カアプデホプ(アフリカ州之内)及び印度エゲレス国之領地...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第569話 難航する交渉と上杉小佐々代理戦争の余波

天正元年(1572) 四月十五日 富山城  「……他国に軍いくさに出ず、守るに要るだけの最も少なき軍旅を養えればよい、と分きたる(理解している)が、よろしいか」 利三郎のこの言葉が頭から離れない須田満親は、難航した初日を振り返って二日目を迎...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第560話 城生城の落城と鎌田政年の討死。両軍、和議となるか?

天正元年 四月五日 酉四つ刻(1830) 越中 戸波村~鷲塚村 島津軍 巳の四つ刻(1030)から始まった島津軍と上杉軍の戦闘は、巧みに離合集散を繰り返して互角のまま推移していたが、もう間もなく日没になろうかという頃、唐突に終わりを告げた。...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第556話 純正、婦負郡南部、新川郡南西部を服属させる

天正元年(元亀三年・1572) 四月五日 京都 大使館 発 敦賀信号所 宛 権中納言 複 治部少丞 秘メ 敦賀ニテ 数多ノ 兵船 アリ 帆ノ 紋二ヨリ 奈佐 毛利 小早川 村上 他 山陰 山陽ノ 船手衆 ト 認ム 秘メ 発 権中納言 宛 敦...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第520話 対上杉謙信 純正の調略と荷留・津留の経済封鎖

天正元年(元亀三年・1572年) 三月十六日 京都 大使館  純正は謙信が話し合いに応じ、戦う事なく拮抗状態が維持できればと考えていたが、やはりそれは出来なかった。 第二師団には尾張より木曽川を上って飛騨に入り、越中との国境である塩屋城にて...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第515話 越中守護の書 上杉謙信と畠山氏の対立

天正元年(元亀三年・1572年) 三月十一日 台湾 基隆キールンの湊 籠手田安経 琉球へ寄港してすぐに南下する予定が、明への対応協議のために滞在することになり遅くなってしまった。 わが艦隊(元練習艦隊)は海軍内での組織編制で、南方探険艦隊と...
緊迫の極東と、より東へ

第493話 東インド南方探検艦隊司令 籠手田左衛門尉安経(実在)の探検報告

元亀二年 十二月十二日 諫早城「御屋形様、練習艦隊司令、籠手田左衛門尉様がお見えにございます」「うむ、通せ」 矢継ぎ早であるが、南方探検と既存の交易国との渉外にあたっていた籠手田左衛門尉安経が帰港した。 安経は海軍所属だがその性質上、外務省...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第471話 五畿七道から五畿八道へ。蝦夷地開拓事始め。

遡って元亀二年 七月十九日 蝦夷国 松前「夏だというのに……まったく暑くありませんね。旦那様」「そうだな、藤兵衛。まあ、これだけ北に来ればそうなるのだろうな。私にとってもここまで北に来るのは初めてなのだ」 九州の肥前から蝦夷地の松前に向うに...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第468話 アドラー・フォン・リューベック?3,000トン級帆船・戦列艦建造計画

元亀二年 七月十七日 諫早城「ああ、そうでした。海軍省からなにかありますか?」 直茂が示し合わせたかのように、海軍大臣の深堀純賢に発言を促す。純賢は純正の顔を見て、純正はうん、とうなずく。 海軍省への予算配分と技術協力において負担が必要なた...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第463話 イエズス会とイスパニアと小笠原諸島

元亀二年 七月十二日 小笠原諸島 父島『¡Ey! ¡Mirar! ¡Puedo ver el barco!  ¡Parece que se dirige hacia aquí!』(おーい! 見てみろ! 船が見えるぞ! こっちに向かっているよ...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第445話 元亀二年と遠洋航海、バンテン王国より東へ。

元亀二年 元旦 諫早城 元旦の年賀の挨拶には、年々増加の一途をたどる来賓の数に対応するため建てられた、巨大な迎賓館が使用された。100人や200人ではない。 純正はまず、午前中を空け、家族や親族との対面に時間を割いた。父親はいつまでたっても...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第441話 天下分け目の策謀

元亀元年 十二月八日 信長は純正と会談した後、十二月に入って再び伊勢長島へ入った。 一向一揆が鎮圧されたのは、そのすぐ後である。 文字通りの殲滅戦であり、兵糧攻めのあと最後の長島城に一揆衆をあつめ、降伏後、根切りにしたのである。 戦後処理を...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第430話 力と政治

元亀元年 十一月二十二日 伊予 湯築城  戦国時代初、関係各国の代表、いわゆる首脳が集まる会談が伊予の湯殿城で開催された。甲相駿三国同盟でも3人である。10人はまずないだろう。 どこで開催するか迷った純正であったが、諫早城はさすがに遠すぎる...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第429話 西国騒乱!?史上最悪の兄弟喧嘩。完膚なきまでに叩きのめされる。

元亀元年 十一月十五日 吉田郡山城「本気で呑むというのか、隆景」 諫早城で純正との会談を終えて戻ってきた隆景は、輝元と元春、ならびに恵瓊ほか数人の重臣にその内容を告げた。 小佐々と四分六(毛利が四:感覚的な表現)の同盟を結ぶことを提案してい...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第425話 小早川隆景、伊予から豊後、そして肥前へ。小佐々純正という男③

元亀元年 十月十四日 小会議室に案内された隆景は、様々な調度品に驚く。 壁には見たこともない絵が掛けられ、テーブルの上には何やら球体の置物がある。そして上座の席の奥には大きな振り子時計があった。「さ、どうぞお座りくだされ。普通の茶と紅茶、こ...