譜代

転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第474話 『議題草案』

慶応五(明治二)年四月二十七日(1869年6月7日) 江戸城 謁見の間「京の議会は、見ての通りの有り様でございます」 慶喜は京からの最新の報告を粛々と述べ終えた。 上座には将軍家茂が座る。 もともと体が強い方ではなかった。外患が消えても内憂...
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第473話 『薩長再び』

慶応五(明治二)年四月二十七日(1869年6月7日) 京都 貴族院「井伊掃部頭殿の弾劾を求める! 大義なき戦を起こそうとした罪は万死に値する!」 長州藩の議員席から、木戸孝允の鋭い声が響き渡った。 議場は次に口を開くであろう薩摩藩の席に注目...
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第466話 『御料所差配詮議方と幕府除目詮議方』

慶応五(明治二)年四月一日(1869年5月12日) 1週間たっても、慶喜に対して伊達慶邦からの返事はなかった。 東北の遊説の行程は知らせてあったので、電信を使えばすぐに届くはずなのに、である。 慶喜は考えた。 返事がない……すなわち迷ってい...
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第465話 『慶喜、諸侯を巡る』

慶応五(明治二)年三月一日(1869年4月12日) 京都 仙台藩邸 慶喜は、東北の諸藩は会津、仙台、庄内、米沢の四藩が味方につけばまとまると考えていた。外様が多いが譜代も多い。大藩である仙台の威光は大きく、日本海側の諸藩も、仙台が味方につけ...
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第464話 『詭弁か忠義か』

慶応五(明治二)年二月十六日(1869年3月28日) 京都 大村藩邸 本日は夜も遅いので、と言って別れた翌日、居室で先に口を開いたのは純顕であった。「次郎。昨日は詭道きどうと申したが、つぶさにはいかなる手を打つのだ。公議政体党は数で我らを上...
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第462話 『あり得ない条件』

慶応五(明治二)年二月五日(1869年3月17日) 京都・小浜藩邸「……条件、とな。いかなるものか」 慶喜は努めて平静を装って低い声で問い返した。 家茂の意向を受けて、徳川の威光を保ったまま大村を取り込むための懐柔策である。その最終段階で相...
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第460話 『問責と仕切り直し』

慶応四年十二月二十日(1869年2月1日) 江戸城「? 然様さようか。余が聞いた話とは随分違うようだが……」  慶喜の額から冷や汗がしたたり落ちた。「余が聞いた話では、守護職屋敷の放火と升屋の刃傷沙汰は犯人を取り押さえたと聞き及ぶ。然りなが...
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第452話 『三権分立と薩長の離反』

慶応四年十月二十日(1868年12月3日) 京都 大村藩邸  京都の混乱が一応の決着を見てから六日が過ぎ、徳川慶喜の政治的手腕によって表面上は秩序が回復したかに見えた。 しかし次郎には、この平穏が砂上の楼閣に過ぎないと分かっている。 三権分...
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第444話 『公儀政体党』

慶応四年八月十五日(1868年9月30日) 京・薩摩藩邸「和戦両様? 詳しゅう申せ、帯刀たてわき」「は」 久光の低い声には未だ納得できない苛立ちが表れている。帯刀は主君の視線を真っ直ぐに受け止め、覚悟を決めて口を開いた。「は。まず『和』ん道...
信長と純正、そして教え子たち

第896話 『新旧対立と安房』 

慶長五年九月十日(1600年10月16日)  純正は、新しく編成した戦略会議室の面々と蒸気船に乗って関東地方安房県館山へ向かった。「おお、これはなんとも……」「話には聞いておったが、真に風もないのに動いておるの」 武藤喜兵衛(真田昌幸)と曽...
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第434話 『政治改革と京都炎上』

慶応四年四月十七日(1868年5月9日)夜 御所内 小御所 慶喜が提示した石高に応じた票数配分案は、小御所内の空気を再び動かした。 親藩・譜代と外様とざまの票数が拮抗きっこうし、公家くげ衆が加わる。 一見すると数の不公平を解消する現実的な妥...
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第433話 『混迷の小御所会議:慶喜の貴族院構想と各藩の思惑』

遡って大村藩邸での会合の後――。「お見事でございます。これにて万事、滞りなく相成りました」 永井尚志なおゆきはわずかな笑みを浮かべて慶喜に言った。「ふん」「頭を下げて事が良き方へ流れるならば、いくらでも下げれば良いのです。然さりながら殿が行...
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第432話 『禁裏御守衛総督』

慶応四年四月十日(1868年5月2日) 京・大村藩邸 春の柔らかな日差しが、手入れの行き届いた庭の苔こけを照らしている。「――以上が、越前までのあらましの次第にございます」 次郎は純顕への報告を終えた。 北陸から戻って京で合流してから7日が...
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第428話 『雲行き』

慶応四年(明治元年)三月九日(1868年4月1日) 遡ること数日前――。「斯かくなる上は、殿御自らご尽力頂くより他ございません」「ほう……」 居住まいを正して真剣な眼差しの上野介に対して、慶喜も表情を変えて相対する。「一体、何を如何様いかよ...
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第427話 『薩長』

慶応四年(明治元年)三月五日(1868年3月28日) 鹿児島城「そもそも、今に始まった話では無いわ」「は」 鹿児島城内では、江戸城での一件で激高して帰ってきた島津忠義と、その父である久光、そして淀よど屋や清兵衛の三者が会談していた。 久光の...
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第426話 『北へ南へ』

慶応四年(明治元年)三月二日(1868年3月25日) 松前城「はぁーはっはっは! さすがであるな! あの御仁は見かけによらず豪胆じゃ! この君して臣なり、その逆もまた然りじゃな」 松前城の広間で次郎と謁見した崇広たかひろは、次郎の報告を聞い...
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時系列・あらすじ

以下、旧暦表示。随時更新します。1837年天保7年11月: 50歳の男が幕末の大村藩下級藩士に転生。若い妻と息子がいる状況に戸惑うが、純顕と純熈に仕え、列強に対抗する決意を固める。前世の記憶を頼りに、激動の幕末を生き抜こうと覚悟する。天保7...
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第282話 『生麦事件』

文久二年七月二十一日(1862年8月16日)生麦村 雲一つない晴天。東海道の生麦村付近を、薩摩藩主・島津忠義の父、島津三郎久光の一行がゆっくりと進んでいた。江戸での交渉を終え、薩摩への帰路についたのだ。「国父様、少々お休みになってはいかがで...
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第281話 『文久の改革と土佐尊王党』

文久二年七月三日(1862/7/29)江戸城 島津久光はその条件をのんで勅を実行させるほかなかった。 安藤信正の発言は正論であり、それを退ける正当な理由がなかったのだ。信正の人事権や大老の序列と役割、大老院と老中院の設置など、役職に外様と親...
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第280話 『将軍後見職、是か非か』 

文久二年六月七日(1862/7/3)江戸城「さて、一橋刑部卿きょう様の将軍後見職、加えて松平春嶽殿の政事総裁職でございますが……」 信正は姿勢を正したまま、静かに続ける。「後見職については先月、上様がすでに十七におなりになっているゆえ要なし...
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第251話 『公武合体と幼い少女』

万延元年十月十八日(1860/11/30) 「次郎を呼んでたもれ」 そう言われて参内し、和宮と会うこととなった次郎であったが、降嫁を認めて公武合体を進めるよう映ったであろう事は間違いない。個人的にはあまり乗り気がしない事であった。 しかし幕...
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第247話 『変の余波』

安政七年四月十四日(1860/6/3) 江戸城 評定部屋  ※永蟄居ちっきょ 前水戸藩主・徳川斉昭 隠居・謹慎 水戸藩主・徳川慶篤 ※切腹 水戸藩家老・安島帯刀 水戸藩京都留守居役・鵜飼吉左衛門 水戸藩京都留守居役助役・鵜飼幸吉 水戸藩奥右...
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第245話 『驚天動地』

安政七年二月十一日(1860/3/3) 江戸城 評定部屋「何? 警護の数を増やせじゃと?」「は、然様にございます。折から樺太でのロシアによる襲撃が起こっており、箝口令かんこうれいの甲斐かいなく市井に話が出回っているようでございます。然れば攘...
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第238話 『遣米使節と海外領事館ならびに渡航許可』

安政六年九月一日(1859/9/26)  新見正興や村垣範正、小栗上野介をはじめとする使節団の派遣にともない、法整備も行われた。渡航先のサンフランシスコでは日本初の外国における領事館の設置が行われるのだ。 海外渡航における諸法規を整備する必...
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第237話 『布衣ならよかろう。または六位のいずれか』

安政六年八月三日(1859/8/30) 京都 鷹司邸「大変光栄な仕儀にございますが、諸般の事様を鑑みまして、主君丹後守様曰いわく、慎んでお断り申し上げたいとの事にございます」 次郎は京の鷹司邸にて、先日掴んだ情報による純顕すみあきの昇進と自...
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第236話 『越前、土佐、宇和島、幕府、そして次郎』

安政六年七月五日(1859/8/3)  大村藩発の国産電信設備は、大村藩の領内はもちろんのこと、西国諸藩の領内にも敷設された。 まずはじめに佐賀藩と島原藩、平戸藩と五島藩、唐津藩といった近隣の藩に敷設され、徐々に九州全域へと広がっていったの...
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第233話 『日米通商条約附録と横須賀造船所』

安政六年六月六日(1859/7/5) 江戸城 御用部屋「掃部頭かもんのかみ様、小栗又一、お召しにより罷り越しましてございます」「うむ、よくぞ参った」 井伊直弼がオールコックの提案にどう答えるか迷っている中呼び出したのは、史実では大村益次郎を...
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第232話 『密会』

安政六年五月六日(1859/6/6) 江戸城 御用部屋「なに? 英国人だと?」 日英和親条約を含め、イギリス以外にもフランス・ロシア・オランダと結んでいた条約は、協議を必要とするものの、最恵国待遇に準ずる内容であった。 従って日米通商条約が...
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第226話 『島津斉彬と出兵上洛』

安政五年十月二日(1858/11/7) 鹿児島城「おお、よくぞ参った。次郎左衛門よ。丹後守殿はご承知なされたか?」 島津斉彬の第一声である。 斉彬の目的は挙兵して幕府に対して明確な反対の意を表し、まだ朝廷より宣下を受けていない家茂を廃して慶...
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第218話 『将軍後継争いの激化と井伊直弼』

安政五年二月七日(1858/3/21) 江戸城「いらぬいらぬいらぬ。然様さような事、いちいち朝廷に勅を仰いでなんの為の公儀にござろうか、すべて公儀が決め、のちに知らせればよろしいのです。そもそもその知らせる事すらせずともよい。天子様より政を...
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第213話 『阿部正弘没。京都の病院設立とハリスの江戸参府希望』

安政四年六月十七日(1857/8/6) 瓢箪鯰ひょうたんなまずとあだ名され、譜代や幕閣からは陰口をたたかれた阿部正弘が、没した。開国派と攘夷じょうい派の調整役となり、批判はありながらも幕府の在り方と存続、そして日本の未来を考えた有能な政治家...
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第196話 『一触即発、大村藩改易か?』

安政二年十二月二十五日(1856/2/1) 江戸城 老中御用部屋「本音が、でたな」 堀田正篤まさひろの言葉に次郎は心の中で深呼吸をする。表情を崩さぬよう注意しながら視線を合わせると、正篤は手にしていた扇子を膝の上に置き、じっと次郎を観察した...
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第190話 『飛龍丸献上』

安政二年五月二十九日(1855/7/12)  次郎は松前藩への軍事教練と併せて、共同で北方の警備体制を整えた。 ・久春古丹クシャンコタンのロシア軍陣地を焼却。 ・南樺太のクシャンコタンを大泊と名づけ、整備。 ・択捉島単冠ヒトカップ湾と国後島...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第675話 『北条の返事と大同盟政府へ。ガス灯、点る』(1580/2/29) 

天正九年二月十五日(1580/2/29) 京都 大使館 「北条より文が届いたが、まさに予想通りだな」 純久が言う。最近は純正が京都に詰めているので、業務は可能な限り補佐の親長や佐吉に任せている。石田一家は能力が高い。父親の正継は京都における...
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第84話 『七郎麻呂一橋家を継ぎ、孝明天皇即位す。天下の遊学先は江戸よりも大村になるやもしれず』(1847/10/9)

弘化四年九月一日(1847/10/9) <次郎左衛門> 大政奉還=徳川慶喜が、一橋家を継いだ。 水戸の権中納言様(徳川斉昭)は、父親からは譜代の養子にはならないようにって育てられたらしいけど、自分の息子はどうなんだろう。優秀な慶喜さんを手元...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第634話 『織田水軍から織田海軍へ、イスパニア情報の収集』(1577/10/13)

天正六年九月二日(1577/10/13) 岐阜城「何? 小佐々から参陣の求めが来ただと?」「は、これよりイスパニアなる南蛮の国と戦をするゆえ、海軍の参陣を求めると。水軍とは呼ばず、海軍と。されど強いるものではなく、判は委ねるとのことで、その...
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第72話 『改元と朝廷工作』(1846/2/21)

弘化三年一月二十六日(1846/2/21)<次郎左衛門> 仁孝天皇が崩御された。 次は即位と改元だ……と思っていたのだが(本当に思っていた)、そうではない。現代の日本では一世一元の制といって、天皇の即位によって改元し、一代につき一元である。...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第603話 石山本願寺包囲戦(1574/5/21)

天正三年五月一日(1574/5/21) 純久からの連絡を受けた純正の行動は早かった。   三好の淡路水軍を用いて木津川口を封鎖し、海上からの補給路を断ったのだ。摂津の三好軍も動員して北側を封鎖し、南側は織田領で逃げ場はない。 京都の独立旅団...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第593話 女真派遣団の帰国と蝦夷地開拓

天正二年四月十二日(1573/5/23) 諫早城 二年前の夏に始まった蝦夷地の開拓と入植は順調に進んでいた。 蝦夷地交易を独占的に任せている太田和屋弥次郎の交易船の運航とあわせて、人員の輸送も行われたのだ。 まずは大首長チパパタインの勢力圏...
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第22話 『石けん販売の今後と領内でしばしの休養』(1837/8/2)

天保八年七月二日(1837/8/2) 太田和村 <次郎左衛門> 腕は、ほぼ完治した。 包帯も外して風呂にもそのまま入れる。触ると少し痛いが、腕をグルグル回しても違和感はない。 一之進からは煎じ薬だけは絶対に忘れるなと口をすっぱくして言われて...
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第2話 『玖島城へ向かう途上にて、心強い味方に出会う』(1837/1/7) 

天保七年 十二月一日(1837/1/7) 明け六つ(0615) 肥前大村藩 彼杵そのぎ郡 太田和氏館 こーこーコケコッコー。 鶏の鳴き声とあまりの寒さに起こされ、何度も二度寝をしようと試みたが、日の出とともに、完全に目が覚めた。 周囲を確認...
緊迫の極東と、より東へ

第495話 元亀から天正へ 純正と信長、連盟での奏上と勅書

元亀三年改め天正元年(1572年) 正月 かねてからの懸案事項であった元号であるが、純正と信長の連名により昨年奏上され、天正と改められた。 本来、天正への改元は元亀四年、つまり来年に行われるはず(史実)であったが、前倒しである。 歴史が大き...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第470話 虚々実々、信長と純正と信玄と

元亀二年 八月十日 三河「申し上げます!」 武田軍の撤退の報を受け、逃散していた兵をまとめていた信長のもとに急報が入った。「何事か!」 信長に急を報せるのは、織田家の忍者集団『饗談きょうだん』の頭領である、岩村長門守重休しげやす(273話)...
西国の動乱、まだ止まぬ

第375話 かかった火の粉がいつの間にか四百万石

永禄十二年 十一月十六日 諫早城 純正は各方面から届けられる書状や通信文書を読みながら、定例会議を開いて今後の対策を考えていた。 空閑三河守、藤原千方(親)、鍋島直茂、尾和谷弥三郎、佐志方庄兵衛の五人が傍らにいる。そして閣僚の面々。「千方よ...
肥前王 源朝臣小佐々弾正大弼純正

第202話 小佐々城

開戦二日目 子の三つ刻(0:00) 小佐々純正「申し上げます! 毛利領国境信号所より信号あり」 発 杉長良 宛 弾正大弼  メ 盟ト 松山城救援 求ム メ 午三つ刻(12:00) 豊前松山城からの救援要請が来た。もうすでに全軍に届いている報...
横瀬浦開港 敵が味方 味方が敵に

第80話 沢森政忠、五代目弾正大弼純正に、相成る。

親父と一緒に小佐々城にいった。馬で一刻(2時間)もかからない。 小佐々城は城の辻と呼ばれる小高い山の上に築かれている。 城の本丸からはゲキト岳を源流として梨の木から北の七ツ釜港に流れこむ多比良川と、それに沿って瀬戸村までつながる道を望む。 ...
横瀬浦開港 敵が味方 味方が敵に

第74話 平戸松浦氏の処遇 運命の岐路

同年 五月 沢森城 沢森政忠 さて最後は、これが一番の難事で、やり方によっては肥前の情勢を一変させる。我らが生きるも死ぬも、これにかかっていると言っても過言ではない。 ……。 主だった者を城に呼んで評定を開いた。 まずは俺の隣に親父がいる。...
二島五ヶ村の領主 無双≠生き延び スタート

第44話 恐怖の謹賀新年

永禄五年 正月 小佐々城 沢森政忠 数え十三になった。当主をついではじめての正月だ。小佐々城にて新年の祝いの宴が開かれている。 最高級せっけん「沢森TSUBAKI」←多分誰も読めないから雰囲気で刻印した。  高級せっけん「沢森NATTA-N...
二島五ヶ村の領主 無双≠生き延び スタート

第42話 永禄四年末評定 十年戦略策定と短期目標

永禄四年十二月 沢森城 沢森政忠 年末を迎えるにあたって、家臣を一堂に集めて評定を行った。今後は定期的に行おう。 当主 沢森政忠 親族衆 筆頭 沢森政種(父) 親族衆 外交方 沢森政直(次男・政忠の叔父) 親族衆 殖産・技術方 沢森藤政(三...