第474話 『議題草案』

 慶応五(明治二)年四月二十七日(1869年6月7日) 江戸城 謁見の間

「京の議会は、見ての通りの有り様でございます」

 慶喜は京からの最新の報告を粛々と述べ終えた。

 上座には将軍家茂が座る。

 もともと体が強い方ではなかった。外患が消えても内憂ばかりでは心の休まる暇もない。

 薩長さっちょうと井伊直憲らによる論争は、互いの腐敗を暴き合う泥沼の応酬に陥っている。

 議会ではまとまるべき案件も、まとまらない。現在は勘定奉行の選任と配下について協議しなければならないが、全く進んでいないのだ。

 次郎も憂慮している。

 議会が権力闘争の場になり果ててしまえば、何のための議論なのか分からなくなるのだ。

「薩長は幕府の権威を失墜させる事のみに固執し、井伊掃部頭が食い止めております。されど、端から見れば火に油を注いでいるとも見えましょう。加えて議事が進みませぬ。これでは、国事を決する場とは到底申せませぬ」

 慶喜の言葉は深い憂いを帯びていた。

「そもそもこの議会、左衛門佐と時を同じくして……それがしがいささか早うございましたが、朝廷に奏上いたし設けたるものにございます。幾度かの議論をへて、大村家中を取り込むためもあり、議長に彼の者を推挙いたしました。こたびの乱れは設けたるそれがしの責でもあり、任せたそれがしの不明でもあります」

 自らの非を認める謙虚な物言いではあったが、瞳の奥では冷徹な光が輝いていた。

 全ては、慶喜の描いた筋書き通りに進んでいたのである。

 ルールなき議会を急造して、運営の困難な役目を次郎に押し付けているのだ。

 混乱が極まったところで責任を問い、事態の収拾者として乗り出す。そのための舞台は、今まさに整った。

「では西よ、直答を許す。たんのない考えを申すがよい」

 家茂が静かに問いかけた。

「上様。それがしが起草いたしました『議題草案』、これこそが、議会の乱れを正し、将軍家が日本の中心として、再び国を率いるための道筋にございます」

 西は懐から草案を取り出し、慶喜へと手渡した。

 慶喜は確認の後、家茂の前に進み出てうやうやしく差し出す。

「上様。この草案の要は、三権の分立にございます。法を定める『立法』の権能は議会に与えます。されど、ただ今のごとく議論が紛糾するばかりでは国は立ち行きません。さればそれを統べる確固たる秩序が要りまする」

「ふむ」

 西は慎重に言葉を続けた。

「まずは上院下院の二院とし、国家の元首たる『大君』、すなわち上様に、議会を導く絶対的な権限をお持ちいただきます。上院の筆頭として議事をまとめられ、意見が割れた際には最後のご裁断を下される。加えて議会がまとまらぬとご判断なされた折には、下院を解散させる権限もお持ちいただく。これぞ、真の万機公論と、将軍家による泰平を両立させる唯一の道にございます」

 それは、薩長が夢見る幕府解体とは真逆であった。

 もちろん次郎が思い描いているものでもない。

 似て、非なるものなのだ。

 議会の体裁をとりながら、生殺与奪の権を徳川の将軍が完全に掌握する。

 徳川が近代国家の新たな衣をまとい、これまで以上の絶対的な支配者として君臨する。

 それが『議題草案』の真の姿であった。

 家茂は静かに目を閉じる。

 徳川家も幕府も衰退せずに済むのなら、何ら問題はない。

 しかし『議題草案』の中には皇室の権限を制限するものもあった。

 これでは朝廷の公家衆が納得しないのではないか?

 公武合体は名ばかりになる。

 下手をすれば反対の勅命が出かねない。

 しかし家茂は、大きな懸念材料を憂慮しつつも、幕藩体制の維持と近代化の両立が可能であれば、全面的に賛成する決定を下したのだ。

「うむ、では良きにはからえ。されど柔軟に事を運ぶを第一とせよ」




 ■慶応五(明治二)年五月十六日(1869年6月25日) 京都 貴族院

 勘定奉行選挙は、3度目の投票でも決着がつかなかった。

 議場は閉塞感に満ちている。




 ・公議政体党擁立候補――小栗上野介

 徳川宗家を絶対的な棟梁と仰ぐ、中央集権的富国強兵。

 かつて自らが構想し、次郎が交渉をまとめたファンドを元手に、現に進行している横須賀製鉄所などの幕府直轄事業をさらに拡大し、成果を諸藩に分配する。

 ・日本公論会擁立候補――由利公正

 議会が主導する、地方分権的な富国強兵。

 国内の信用を担保とする『国債』を発行し、資金を殖産興業を志す全ての藩に貸し付けることで、第二、第三の大村藩を生み出して国全体の経済を底上げする。




 2つの未来像は、それぞれが味方しうる無党派層を必死にかき集めて大接戦を演じていた。

 が、どちらも過半数である146議席には届かない。

 日本公論会は西国を中心に外様を抱き込み、公儀政体党は関東や畿内の親藩譜代を自勢力としている。

 本丸の党自体は長州の5票(4票は支藩)と薩摩の2票(1票は支藩)が抜けているので、次郎たち日本公論会が少ない。しかし抱き込んだ議席を合わせると、またもや拮抗きっこうしていたのだ。

 盤石ではない支持基盤で水面下の攻防が繰り返されて、毎回それぞれが120~130の賛成票を投じて過半数に達しないのである。

 膠着こうちゃく状態が続く中、候補者同士が最後の論戦を繰り広げていた。

 先に口を開いたのは、小栗上野介である。

 その声は冷静で揺るぎない。

 彼は由利ではなく、議長席に座る次郎をまっすぐに見据えた。

 目指す場所は同じだが、誰が主導するかの違いでやがては決別せざるを得ないのである。

 いずれ日本も近代国家の礎が完成し、真に欧米列強と同列になるだろう。

 やがて幕府と徳川の権威は形骸化していき、民主主義となる未来が見えていたのかもしれない。

 だが、それは断じて今ではない。




 次回予告 第475話 『天動』

 京の議会が機能不全に陥る中、江戸城では徳川慶喜が動いていた。

 議会の混乱を好機として将軍家茂を説得。徳川家が議会の全権を掌握する、西周草案の新たな国家構想『議題草案』の裁可を得る。

 一方、何も知らぬ京では、勘定奉行選挙が幕府派(小栗)と改革派(由利)で二分され、泥沼の膠着状態に。

 言論の戦いの裏で、江戸から放たれた徳川の恐るべき一手は、刻一刻と京に迫っていた。

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