第7話 『新しい家族』

 王国暦1047年9月7日(日)18:00=2025年9月6日(土)18:07:59 <田中健太・52歳>

 工房から家までは歩いて10分程度なんだが、なんやかんやで家に着いたのは18時の鐘が鳴ってすぐだった。たった10分の間でも十分な情報収集ができたと思う。

 男の子の名前はトムではなく、トーマス・デューラー。トムは愛称だ。両親とは生き別れか死別なのかは不明。天涯孤独の身だ。

 得体の知れない好青年、少年? はアルフレッド・アシュビーで、アスカ宮モロタダ男爵の次男だそうだ。

 というか宮がついている時点でマジで日本だな。

 改めて日本とヨーロッパがごっちゃまぜになってる世界だぜ。

 王位継承権は二桁で、権力闘争とは無縁の王族。

 でも王族らしくないんだよね。

 妙に爽やかで、えらぶる素振りもまったくない。

 そんな話をしていると、家に着いた。

 うーん、職場と家が近いのはいいねえ。

「ただいま~」

「おかえりなさいっ! お父さ……」

 元気よく飛び出して抱きつこうとしたアンが、トムとアルフレッドを見た瞬間にサササッとレイナの後ろに隠れた。

「あら、お客様?」

 レイナが玄関先に出てきてトムとアルフレッドを見た。エプロンを着けたレイナの表情は穏やかだけど、少し戸惑っている。

「うん……色々あって帰り道で知り合ったんだ。こっちはトム、トマス・デューラー」

 オレはトムの肩に手を置いた。

 トムは緊張した面持ちで小さく頭を下げる。

 一緒に行きたいといったものの、恥ずかしがっているようだ。

「それからこちらは……えー、ごほん。アスカミヤモロタダダン……えーっと……」

 何だっけ?

 名前が長いんだよな。

 ふとアルフレッドを見ると、ニコニコして自分が挨拶すると目で訴えている。

「あ、じゃあ自己紹介お願い」

「はい、僕はアスカノミヤアリフミ(アスカノ宮アリフミ)、聖名アルフレッド・アシュビーと申します。アルとお呼びください」

「え、えええ! ?」

 レイナが両手で口を押さえて叫んだかと思うと、平伏して震えている。

 アンもそれを見て真似した。

「え、あ、なに?」

 オレは訳がわからなかったが、嫌な予感がした。

 また、あるあるか?

 もうちょっとちゃんと聞いておくべきだった。

「そんな! 顔を上げてください! 確かに王族ですが、何といいますか……王族だけど王族じゃない、みたいな? とにかくどうぞお構いなく」

 アルフレッドはオレをみてどうにかして、と困っているようだ。

 が、困っているのはオレの方だよ!

 だったら早く言ってよ~。

 面倒くさいんだから連れてくるのトムだけにしておいたのに!

「レ、レイナ……。この方は、その……何ていうかまったく気にしない人だよ。だから安心して、ね。ほら」

  オレはレイナの肩に手を置いて、優しく立ち上がらせようとした。

「でも、でも王族の方に失礼が……」

「大丈夫です、本当に。僕は堅苦しいのは苦手なんです」

 アルフレッドが困ったような笑顔を浮かべながら手をひらひらと振った。

「うん、大丈夫だよ。レイナ、それより晩飯にしないか? 今日は何だい?」

 ぐうううううう……。

 トムの腹の音が一瞬で場を和らげた。

 静まり返った玄関に、盛大な腹の音が響き渡った。

「まあ……。お腹が空いていたのね」

 レイナは立ち上がってエプロンの埃を軽く手で払った。

 その動きにはさっきまでの硬さがない。

「すぐに夕飯の支度をします。さあ、皆様どうぞ中へ。何もないところですけど、ゆっくりしていってください」

 アンは本当に手際が良かった。

 オレたちを居間へ促すと自分は足早に台所へ向かう。

 アンもレイナの後を追って、台所へ走っていった。

「助かった……」

「僕としたことが、肝心なことを忘れていました。空腹は、身分も礼儀も超えますね」

 まったくだよ。

 さーて、トムの身の上はざっくり聞いたけど、問題はアルフレッドだ。

 アスカノミヤ?

 15歳の少年が1人で町外れでうろついても問題ないのか?

 父親は放任主義なのか?

 疑問は尽きない。

 オレたちは改めて居間へ入った。

 トーマスは自分の汚れた作業着を気にして、椅子の端にちょこんと腰掛ける。まるで借りてきた猫だ。

 アルフレッドは物珍しそうに、部屋の中を静かに見回している。壁に飾られたアンの拙い絵や、使い込まれた木のテーブル。宮殿とは、何もかもが違うはずだ。

 ちなみにオレの(ケントの)収入は中の中、もしくは中の上らしい。

 日当は決まっていて1日3シール。

 一般的な食事つきの宿屋が1日1~2シールだから、極論ホテル住まいでも贅沢しなけりゃ貯金が貯まるって感じだな。

 しばらくすると、台所から温かいスープの匂いが漂ってきた。

 それと一緒に、レイナとアンの楽しげな話し声も聞こえる。どうやらアンは、台所でレイナの手伝いをしているらしい。

 テーブルの上に手作りの木の皿とスプーンが並べられていく。

 レイナが湯気の立つ大きな鍋を持って現れた。

「今夜はビーフシチューです。お客様がいらっしゃるので、いつもより少し奮発しました」

 レイナの後ろからアンナも小さな手でパンの籠を運んでくる。

「お父さん、今日は白パンだよ! お母さんが特別に買ってきてくれたの」

 確かに昨日食べた黒っぽいパンじゃない。小麦粉で作られた白いパンが籠に並んでいる。五郷王国では白パンは贅沢品で、普段は祝祭日にしか食べないのだ。

「わあ、本当に白パンですね!」

 トムの目が輝いた。彼にとって白パンは滅多に口にできない御馳走だろう。

 え?

 中の上でなんで食べてなかったかって?

 そりゃあ職人頭になったばっかりだったからさ。

 それに将来の独立を目指して質素倹約していたから、ご多分に漏れず黒パンがスタンダードだったってわけ。
 
「それから、チーズとバターも用意しました。アルフレッド様、お口に合いますでしょうか」

 レイナが恐縮そうに言うと、アルフレッドは首を振った。

「様付けは本当に結構です。それに、家庭料理が一番美味しいんですよ。宮殿の料理は見た目は立派ですが、なんとなく冷たくて……」

 アルフレッドの言葉に、レイナの表情が少し和らいだ。

 テーブルに並んだのは、湯気の立つビーフシチューに白パン、チーズとバター、そして野菜のピクルスだった。

「いただきます」

  全員で手を合わせると、トムが恐る恐るスプーンでシチューを口に運んだ。

「うまいっ! それに……あったかい。美味しい……」

 トムが泣いている。

 きっと久しぶりの温かい食事なのだろう。

 あれ、お金がなくて何も食べてなかったんだろうな。

 オレは店主に脅されていたトムの姿を思い出した。

 アルフレッドも白パンにバターを塗りながら、満足そうにうなずいている。

「本当に美味しいです。こういう家庭の温かさって、宮殿にはないんですよね」

 アンナはトムの様子を心配そうに見ていたが、美味しそうに食べる姿を見て安心したようだ。

「トム……兄ちゃん、おかわりもあるからね」

「ありがとう、アンナちゃん」

 トムが初めて笑顔を見せた。

 オレも久しぶりにこんなに賑やかな食卓を囲んでいる。レイナの心遣いやアンナの優しさ、そして新しい出会い。

 印刷機の改良も大切だけど、こういう時間も同じくらい大切なんだな、と改めて思った。

「ところで殿……アルフレッド。君は1人で町を歩き回っても大丈夫なのか? 護衛とかは?」

 オレが尋ねると、アルフレッドは苦笑いを浮かべた。

「実は、今日は護衛に内緒で抜け出してきたんです。たまには一人で街を歩きたくて」

 レイナが心配そうな顔をした。

「それは危ないんじゃ……」

「ははははは、大丈夫ですよ。僕は王位継承順位が低いので、狙われる心配もありませんし。それに、こうして素晴らしい出会いがあったじゃないですか」

  アルフレッドがそう言って微笑むと、場の雰囲気がまた和やかになった。

 でもレイナの心配そうな顔は晴れない。オレだって、内心ではハラハラしている。王族が護衛もつけずに一人でうろついて、もし何かあったらどうするんだ。こっちはとばっちりどころじゃ済まないぞ。

「でも、心配だろう。君の家族が……」

 オレが言うと、アルフレッドは少しだけ寂しそうな顔になった。

「父も兄も、僕がどこで何をしていようと、あまり関心がないんです。だから大丈夫ですよ。それより、ケント殿の話を聞かせてください。新しい印刷機の構想は、もう固まっているのですか?」

 そう言ってアルフレッドは目を輝かせた。

 話題を逸らそうとしているのが見え見えだったが、家庭の事情にこれ以上踏み込むのも気が引ける。オレはビーフシチューを一口食べてから、ゆっくりと話し始めた。

 改良印刷機の話題を知っているとは、さすがギルド肝いりの計画だ。

「構想、というほど大したもんじゃないよ。でも、今の印刷機にはいくつか大きな問題点がある。それを1つずつ潰していけば、性能は格段に上がるはずだ」

 親方に聞いた話だと、長年の魔力一辺倒主義から抜け出して、技術者の立場を強めようと『王都職人ギルド連合』が企画したらしい。

 ギルドごちに何を作るか決まっていて、我ら精密機械ギルドには印刷機の改良ってわけだ。

 それからオレは、専門的な話は避けて誰にでも分かるように説明した。

 圧力が均一にかからない問題やフレームの強度が足りない問題、活字精度がバラバラな問題を噛み砕いてね。

 オレの話を、アルフレッドは身を乗り出して聞き入っている。

 まるで技術者の話を聞く学者みたいに真剣だった。

 トーマスもシチューを食べる手を止めてオレの話に耳を傾けている。工房の職人たちに話すのとは、また違う手応えがあった。

「なるほど……。それでこそ、ケント・ターナー殿ですね。僕が聞いていた噂以上の、深い洞察力だ」

 アルフレッドは心から感心した様子でうなずいた。

「もし、材料のことで困ることがあれば、いつでも言ってください。宮廷御用達の工房には、王国で一番の素材が集まっています。僕の名前を使えば、融通できるかもしれません」

「それは心強いな。ありがとう」

 この申し出は、本当にありがたい。良い材料が手に入れば、それだけ完成品の精度も上がる。

 話に夢中になっていると、不意にアンがオレの服の袖を引いた。

「お父さん、トーマス兄ちゃん、おうちないの?」

 子供の純粋な質問に、食卓の空気が一瞬止まる。

 トーマスは俯いて、小さな声で答えた。

「いや、家はあるよ……。でも……こんなんじゃない。みんな優しいけど、教会もお金持ちじゃないから、オレが働いて稼がないといけないんだ」

 え?

 孤児院?

 うわー、まさにベタだけど……。

 その言葉にレイナが胸を押さえた。アンも悲しそうな顔でトーマスを見ている。

「じゃあ、今日からうちに泊まればいいよ!」

 アンが何の気なしに言った。子供らしくて単純で、そして温かい提案だった。

「アン!」

 レイナがたしなめたけど、声は強くない。同じことを考えていたのかもしれない。

「え? いいの……? 迷惑じゃない?」

 トムが恐る恐る聞くと、レイナが優しく微笑んだ。

「迷惑だなんて、とんでもない。でも……」

 レイナはオレの方を見た。

 ――2人で将来のことを考えて貯金してきたけど、もしそんなことでトムを見捨てるなら、そんな人だったんだなって思うわよ。

 目が訴えていた。

 うん、アイコンタクトってやつだね。

 でも、オレも最初っからそのつもり。

 1人増えたって変わらない。

「大丈夫だよレイナ。その代わり、トム。ちゃんと働くんだぞ?」

 オレがそう言うと、トムの顔がパッと明るくなった。

「本当ですか! ありがとうございます! 何でもします! 掃除でも、荷物運びでも!」

「よし、じゃあ明日から工房で見習いとして働いてもらおう。給料は最初は少ないけど、腕を上げれば上がっていく。どうだ?」

「はい! 頑張ります!」

 トムが勢いよく立ち上がって頭を下げた。その姿を見て、アンナも嬉しそうに手を叩いている。

「やったね、トーマス兄ちゃん!」

 アルルフレッドも満足そうにうなずいた。

「素晴らしい決断ですね、ケント殿。技術の継承には、こうした若い才能を育てることが不可欠です」

 そうだな。

 トムはまだ12歳だけど、手先が器用そうだし、何より一生懸命だ。きっと良い職人になるだろう。

「それから、トム。君が今まで住んでいた孤児院のことも忘れちゃいけない。今度、みんなでお菓子でも持って行こう」

 オレがそう言うと、トムの目に涙が浮かんだ。

「ありがとうございます……。みんな、きっと喜びます。特にちっちゃい子たちは、甘いものなんて滅多に食べられないから」

 孤児院のほとんどは教会が運営しているが、最低限の衣食住は提供されても決して豊かな生活じゃない。

 特に甘いものなんて贅沢品だろう。

「それじゃあ、今度の休みの日にみんなで行こう。アンナも一緒に」

「うん! お菓子作るの手伝う!」

 アンナが元気よく答えた。

 お菓子か……。

 砂糖や卵、高いんじゃねえか?

 まあ、考えてもしょうがねえか。

 レイナも嬉しそうに微笑んでいる。

「私も何か作って持って行きましょう。子供たちが喜ぶような……」

「ありがとうございます、お母さん」

 トムがレイナを『お母さん』と呼んだ瞬間、レイナの目に涙が浮かんだ。

「まあ……」

  レイナは慌てて目元を拭く。

 アルフレッドがその様子を見て、少し寂しそうな表情を浮かべた。きっと宮殿では、こんな温かい家族の触れ合いはないのだろう。

「アルフレッド、君もよかったら一緒に来ないか? 孤児院の子供たちも、王族の人に会えたら喜ぶと思うよ」

 オレがそう提案すると、アルフレッドの顔がパッと明るくなった。

「本当ですか? ぜひ参加させてください。僕も何か持って行きます」

「でも、護衛の人たちに心配されるんじゃ……」

 レイナが心配そうに言うと、アルフレッドは苦笑いした。

「大丈夫です。慈善活動なら、父も文句は言わないでしょう。むしろ、王族らしい行いだと褒められるかもしれません」

 そうして、オレたちの小さな家族に新しい仲間が加わった。

「今日は本当にありがとうございました。久しぶりに、こんなに温かい時間を過ごせました」

 アルフレッドが深々と頭を下げた。

「また遊びに来いよ。今度は護衛の人にちゃんと言ってからな」

「はい、必ず」

 アルフレッドが帰った後、オレは改めて家族を見回した。

 レイナは台所で片付けをしながら鼻歌を歌っている。

 アンナはトムに自分の絵を見せて説明しているし、ムは真剣に聞き入っている。

 それから数日後。

 トムは宣言通り、工房で一番弟子として働き始めた。

 もちろん親方には事後報告だが知らせた。

 まあお前が見込んだんなら問題ないだろう、とかなりの放任主義だ。

 最初は掃除や道具の整理ばかりだったが、トムは驚くほど真面目で根性があった。オレが一度教えたことは、絶対に忘れない。

 週末になると、オレはトムと一緒に、あいつが育ったと教会が運営する孤児院へ顔を出すようになった。

「ケントのおじちゃんだー!」

「トム兄ちゃん、おかえりー!」

 幼い子供たちが、オレたちを見つけるなり、わっと駆け寄ってくる。

 その純粋な笑顔に、52歳のオッサンの涙腺は、いとも簡単に崩壊してしまうのだ。

 隠すのだ大変だった。

 オレは、孤児院院長の人の良さそうな神父様に、トムの給金の一部を「仕送り」として手渡した。

 神父は何度も何度も頭を下げて、オレに感謝してくれた。

「ケント殿……本当に、ありがとうございます。この子が、あなたのような素晴らしい師匠に出会えたこと、神に感謝いたします」

 やめてくれ。

 オレは、そんなに出来た人間じゃない。

 さて、子どもの笑顔でエネルギー充填したところで、本格的に取り掛かるぞ。

 次回予告 第8話 (仮)『初号機の設計図と技術者魂』

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